MATSUよ、先にここで、俺が「もと空海」と名乗る男に出会ったという話をした。その「もと空」に、このところ、いく度もコミュニケートしているのだが、実に興味深い話を聞かせてもらっている。
「もと空」がこの世界に来たのは、もう千年以上も昔のことだというが、ここでは、千年だろうが万年だろうが、そんな時間的長さという次元は意味をなさない。ともあれ、彼が言うには、彼がかつて暮らした地球上の東アジアで、千三百年ほどをへだてた間ながら、よく似た情況が生じつつあるというのだ。
それは、思想的、霊性的変遷としての《分化と包摂》が、地勢的情況もさることながら、千余年の歴史的隔たりにおいても、<同時的>に発生しているということだそうだ。
実は、彼がまだ生身の地球人であったころ、彼は、その頃、「倭」と呼ばれていた国の讃岐という地方に生まれ、当時の都である平城京で大学教育を受けたという。この平城京は、当時の最先進国である中国の首都、長安をモデルとして建設された都だった。つまり、東アジアの辺境の島国である日本にとって、中国なり長安は、文字という文化から都市というインフラ、そして宗教という精神までをモデルとして頂く、模範世界であった。
そういう時代、彼は僧侶として平城京での学びの道を歩みながら、二十歳そこそこで道儒二教の限界を見出してしまう。そして大学をドロップアウトして、故郷四国の山岳に修験行者して大自然の鍛錬に身を任せ、早くも、宇宙と地球の自然の連続性を実体験する。そういう自分を彼は「愚者をよそおい智をかくし、おのれの光をやわらげてあえて狂をしめす」と言う。そして、仏教に最高の可能性をかぎつけ、その原典をさぐりに唐に渡り、長安でそれこそ最先端の宗教世界に触れる。
そこで達した彼のマイクロコスモスとミクロコスモスを結合させた思想的高みは、日本、中国、インドという三界の宗教を超えた自分の思想、真言密教の構想へと結実する。それは、現実の最先端世界のインド亜大陸を含むアジア大陸の思想を吸収しつくしてかつ、それを島国日本に根付かせて、至上の宗教世界を創出しようとするものであった。
そういう「もと空」の視野から見れば、7世紀の白村江の戦いで、日本と朝鮮の連合軍は唐の大軍に敗北して朝鮮は中国の配下にくだり、東アジアに圧倒的版図を広げる唐が出現した時代と、今、東アジアにやってきつつある情勢は、実によく似ているというのだ。だからこそ、当時の中国の侵略を脅威とする日本は、遣唐使という友好を装った偵察隊を定期的に送って敵情を探り、あわせて、その優れた文明は貪欲に学びとるという、両面作戦を展開してその時代に適応したのだという。
「もと空」は、そういう時代にあって、20年計画の唐への留学をわずか2年に濃縮させて帰国する。それは、すでに当時の唐では、彼の留学の目的であった密教仏教は、もはや後継者も持てずに最盛期を終えつつあり、彼は、それ以上の滞在の無駄を思ったがゆえの2年への濃縮だった。さらに、その秘伝の灌頂を受け、多くの密教原典を譲り受けて日本に持ち帰り、遷都なった平安京に東寺という彼の真言密教の拠点を開いて、三国の粋を集めた思想を日本の指針として広めようと志す。これこそまさに、「分化と包摂の同時進行」の具現だと彼は言い、この両面作戦こそ、外交政策面でも、その根底をなすべき考えだとしている。
また、その「分化と包摂の同時進行」を霊理的に展開したものが、彼の密教思想だと言う。その時から「もと空」は、この世と共に宇宙を構想していた。それが、彼のいう「即身成仏義」で、仏になるとは、生きたままミイラになって成仏することなぞではなく、生きるということが宇宙の命という仏に、分かれているようで一体である、それが成仏することであるということらしい。
なあ、MATSUよ、俺のお頭で理解できるのはこんな程度なんだが、それほどに、現生とあの世は連続していて、まさに俺が体験したように「《し》とは通過点」であって、一体であるということなんだ。
それに、「もと空」の話を聞いていて、俺は、今日の科学世界の最先端をゆく量子物理学者の世界観と何やら重なり合うものすらを見出している。千三百年もの昔に生き死にしていた男の話がだ。まさに、時間など無意味である、「同時進行」じゃないか。
そういう視界から、焦点をぐっと落として足下に目をやれば、「ソンタク」だの「カイザン」だのと、極度に醜悪で、小心かつエゴむき出しな、保身の手練手管に奔走する今日の日本の率い手たちは、「もと空」といった大先達に思いをはせれないどころか、逆に、この掛け替えのない社会全体を道連れに、共々に地獄に落ち込もうともがきまわっている。時代はまさに、その千余年に一度の歴史的な変化の真っただ中にあるというのにだ。その無責任・専横ぶりたるや、右翼諸君の表現を借りれば、その罪は「万死」に値しよう。