交通システムの進化:鉄道と道路の融合

投稿者 MIRAI-MIN

自動車産業が二つの面で転換点にさしかかっている。

第一は、電気自動車へのシフトで、石油を燃料とする車は、環境負荷が大きすぎ、もはや撤退の運命にさらされている。

第二は、自動運転技術の開発やカーシェアリングの普及で、(乗用)車の主たるメリットは、もっぱら移動のための手段に変貌しつつあり、それを所有、まして高いコストに代えてまで個人で私有する動機は薄れつつある。言い換えれば、民間セクターの参入も含め、移動手段としての車の「公共化」である。

そこでもし、この電気化と非所有による公共化が不可避とするなら、輸送における車と鉄道を分ける境界はさほど明瞭ではなくなり、運輸システムの枠組みに根本的変化が生じてくる。

すなわち、別々に発達してきた車と列車、あるいは道路と鉄道という二種の交通方式は、そうした区別を不必要とし始めている。

もし、高速道路が高機能化され、従来の高速道路の機能に加え、鉄道のように、電気エネルギーの供給と信号系を通じた運転指令の伝達の機能をも備えるようになれば――それをインテリジェンス・イクスプレス・ウェイ(IEW)と呼ぼう――、もはや、道路とも鉄道とも区別し難く融合した新システムとなる。

そのシステムにおいては、市街地は自動運転とバッテリーで走り、インターチェンジでIEWに乗ったあとは、道路に仕込まれたガイドケーブルから電波で受ける情報を頼りに自動運転されて目的地まで運ばれる。

加えて、電気エネルギーは、そうした埋設ガイドケーブルより、電波を通じて非接触に供給され、これまでのように、ガソリンスタンドに断続的に立ち寄る必要もなくなる。

さらに、IEWでは、運転はガイドケーブルでコントロール――車個別の自動運転はこのモードに切り替えられる――されるので、車間距離をはるかに短縮でき、走行もより高速化が可能で、また事故や災害など道路上の異常も即座に伝えられるため、輸送量の面でも安全性の面でも、その運輸システムとしての能力は飛躍的に向上する。

つまり、もはや移動は、そうした公共移動システムを通じて、ドアツードアで自動的に行われ、利用者の負担は、ネットを通じた使用料金の支払いとあらかじめの経路予約のみとなり、その移動中の時間は新たに生まれた日常時間となり、他の目的にフルに振り向けることが可能となる。

イメージとして、そのシステムは、人々が収まった個室が連なってコンベアー状に道路上を流れている光景である。

 

IT技術により、情報の交換は飛躍的に効率化したが、物を運ぶ物流は、物自体を運輸すること自体に変わりようはなく、旧式の方式に頼っている。

ただ、その物流も、ロジスティックスの面のIT化は急速に進んでいる。そうなのだが、いったんそのロジスティックス基地を出て運輸に移った段階では、旧態依然の方式に頼られている。

そうした運輸を担うあまたの車輛が、上記のように大転換の局面に差し掛かっており、それが、古いままの運輸システムと馴染み会えるのかどうか、大いに疑問である。 

ことに、その運輸業を運転手というマニュアルな手段に頼ってきた条件が、今や質、量ともに限界に達しており、物を運ぶシステムの根底からの変化は避けられない要請となっている。

 

また環境面において、まず大気汚染に関しては、電気化によって排ガス問題は解決される(発電を何に頼るかは別問題)。また、その騒音面では、すでに高速道路の都市部では――防音壁で囲まれて――それに近くなっているように、そうしたIEWは、透明なパイプでおおわれて周辺と遮断される。さらに、そのパイプは上下線を区切られ、それぞれ、車の進行によって空気の流れが生じ、その風速分だけ、走行する車の空気抵抗を減らすことができる。むろんそのパイプには、基本的に排気装置は不必要である。

共用化された車のドアツードアの使用により、乗り換えや待ちの必要のない連続した高速移動が可能となり、所要時間上、(超)高速鉄道や、長距離以外なら飛行機とも、十分に競い合える利便性をもたらしうる。

総体として、こうした新次元の公共交通システムの実現により、経済の足元でのネックにもなりつつある物流面に飛躍的効率化がおこせるだけでなく、悪化がとどまらない環境汚染や人々の労働環境についても、より望ましい状態への反転が期待される。

 

 

 

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