本章の冒頭で述べられている歴史全体への疑念は、私見ながら、私が自分の人生でも体得してきた強く指摘したい見解のひとつです。もちろん、「史実は支配者にとってのもの」とは、頻繁に耳にしてきた言い回しですが、それを誰かによるそういう説として受け止めるということと、身をもって学んだということとの間には、千里の開きがあります。平たく言えば、教科書を信用してはいけない。それは、支配者に都合のよい記述です。そしてそもそも、教育自体が国民総体を包摂し尽くすためのものです(たとえば日本で、このサイトが検閲され強制消去されるということはありませんが、それも、そういう方法では、その徹底を図ろうとしていないだけです)。 詳細記事

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

歴史再考(その1)

「歴史は、嘘のミシシッピーである。」 ――ボルテール

今日のエソテリックな対抗言説は、部分的だが、私たちの既知の歴史を全面的に再考することに貢献している。私たちはすでに、西洋社会の学校で教えられている歴史は、無知に充たされているばかりか、地球の実際の出来事の大きく検閲されたバージョンでしかないとの疑念を抱いている。その近視眼的で編集されたバージョンでは、人間はサルからヒトへと長い進化を経た後、文明はメソポタミアで約7千年前に「開始」され、しだいに分岐していったが、それでも、他の文明はすべて西洋の「後続版」としている。しかし、圧倒的な考古学的、歴史的証拠に基づいて、1万4千年以上前――おそらくもっと以前――に、地球上に高度な文明があったことが明らかになっている。古代の起源について学ぶことから、キリスト教のさまざまな宗派に至るまで、明らかにされていないことが多々ある。おそらく、まずバチカンの図書館を世界中の学者に開放することが、その解明に必要な第一歩だろう。 詳細記事