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冷戦が終焉すると、そうした秘密集団は、冷戦に代わる新たな国家的脅威が必要であることに気付いた。そこで彼らは、超過激な集団を組織することを策謀し、それを「テロとの戦争」へと発展させる標的と定めた。CIAは、ここにふたたび、無法なテロリスト戦略にたける特殊な熟達工作組織として採用されることとなった。ネオコン・シンクタンクのひとつ「アメリカ新世紀プロジェクト」 (Project for the New American Century)〔1997年設立、21世紀への米国の覇権戦略を構想 〕は、世界にとっての全面的脅威をもたらしかねない文書を公表した。それは、社会の常識を、無脅威状態から世界的有脅威状態へと変えること(それを「トランスフォーメーション」と呼ぶ)の必要を述べたものであった。そしてその立案者は、そうした変化を現実のものとするためには相当の期間を要することを認識していた。曰く「そうしたトランスフォーメーションは、革命的変化をもたらすものとはいえ、真珠湾の再来といった、壊滅的で天地をひっくり返す出来事でもない限り、長期を要するのが通例である」。
事実アメリカは、2001年9月11日、その真珠湾の再来を体験することとなった。しかも、9・11以前から、すでに国土安全保障及び愛国者法の導入が着手されており、事がおこるやいなや、それは、米国民のさしたる抵抗もなく、すみやかに署名されて立法措置が完了した。つまり、この抑圧的かつ多分にばかげた法規は、この人呼んで史上最大の「やらせ」作戦のすぐ後、ほとんど反対もなく発効されたのであった。それはまたしても、国際銀行家たち――あらゆる戦争の両側に融資し、ことに、偏向した政府行為に反対する勢力や動向を抑圧する――を裕福にする、新たな敵をもたらすものであった。
テロとの戦争は、いかさまである。それは、幻のグループをでっち上げたものだ。自ら望まれざる存在となって米国が占領する諸国においては、米国に歯向かう過激な行動が繰り広げられている。アメリカは、その侵攻がゆえに、そうした敵を作り出している。テロ行為は、単に、アメリカの強引な侵攻への反発である。つまりテロリズムは反作用であり、犠牲となった人々によって取り組まれる必死な抵抗であり、主権が侵され、自らの文化や経済が破壊され、無辜な人々が殺されることへの防御である。こうした、手段としての戦争は、無意味で危険な発想であり、達成すべきゴールのない終りなき泥沼に私たちを引きづり込む。世界の覇権工作エリートたちが、こうした悪のシナリオを描いている。
現実的な脅威をおよぼす敵もいないのに、侵略戦争と大規模な軍事支出を正当化するために、その指揮者を僭称するものは、アルカイダと称される幻の一団を作り出した。そうしたテロリズムは正体がなく、そのため、なんらかの個人、集団あるいは国家をそのように仕立てる必要がある。イラクの独裁者サダム・フセインは、1990年代、悪の怪物と見られていた。ディック・チェイニーは、2002年8月26日のVFW全国総会での演説で、「端的に申して、サダム・フセインが現在、大量破壊兵器を所有していることに疑いはない」と語った。今日、私たちの多くは、これが見えすいた嘘であったことを知っている。
アメリカ人は、オサマ・ビン・ラディンが述べることを完全に唾棄しているものの、9・11以後の彼の言葉には、耳をかすべき一末の真実がある。9・11襲撃の数日後、彼は、いかなる関与も否定する声明をアルジャジーラへ送っている。曰く、「米国政府は、あらゆる攻撃の背後に私がいると、執拗に私を告発している。私は、世界に対して、最近の攻撃――あたかも私的理由を持つ人たちが計画したかのように言われている――の計画をしてはいないと明言する。私は、アフガニスタンのイスラム首長国に暮らし、その指導者の統治に従ってきた。現在の指導者は、私がそうした作戦を実行することを許しはしない」。米国政府によって訳され、公表されたビン・ラディンの「自白テープ」は、アフガニスタンを爆撃し、侵略することの正当化として使用された。それは多くの矛盾点が含んでおり、作り物と広く見なされている。そして、アラブ世界の大多数の人々は、9・11をアメリカとイスラエルによる自作自演劇と見ている。
オサマ・ビン・ラディンは、2001年10月、別のインタビューに答え、再び9・11への関わりを否定してこう述べている。「我々が米国に敵意をもっていないことはすでに表明したとおりだ。我々は、他国を米国の奴隷とし、その政治、経済的自由の犠牲を強いている(米国政府の)システムに反対しているだけである。このシステムは完全に、アメリカよりイスラエルを優先する、アメリカ内のユダヤ人によってコントロールされている。アメリカ人は、自分自身がユダヤ人の奴隷に化しており、彼らによって敷かれた原理と法律にもとづいて生きるよう強いられている。ならば、罰はイスラエルに科されるべきである」。また、同じインタビューで、オサマ・ビン・ラディンは、「米国は、こうした攻撃の犯人を自国の内に見つけるべきであり、そうした犯人は、米国のシステムの一部に属しながら、それに従わぬ者であったり、他のシステムのために動く者たちであり、彼らは、自分達の文化や国や地方やイデオロギーを生き残らせるために、現代をイスラム教とキリスト教の間の紛争の時代にしようとしている」とも述べている。しかし、むろんオサマ・ビン・ラディンは敵側の人間であり、こうした見解はほとんど報じられさえしていない。
自分の妻バーバラを9・11で亡くした法務次官セオドル・オルソンは、「政府が国民に偽りの情報を合法を装って発表している無数の場面は、想像に難くないことだ」と語っている。「政府による不完全な情報の広布が、多くの場合で、不可欠な利益を守るために必要として受けとめられていることは、不幸な現実である」とオルソンは述べ、9・11の悲劇を「不完全な情報」という簡潔な語句に託してその発言を結んだ。現在、私たちは、愛国者法、イラクやアフガニスタンの長期の占領、そして9・11以降に増強された85万人の新規極秘人員を主に国土安全保障省にかかえており、政府がテロとの戦争に取り組んでいる間、アメリカ市民と政府を保護する任務を遂行している。かく、個人は国のいいように扱われており、真実を隠すに最適な場所が、いるわられる国民のまさにその面前とされているのである。
20世紀半ば、欧米のマスメディアは、互いに競い合う86の小企業によって遂行されていた。それが今日では、合併吸収をへてわずか6企業となっている。それらは、よく油を差され、高効率化され、極めてコントロールされたマシーンで、一握りの人たちによって運転されている。こうし、操作されたニュースは、もはや視聴者に自らの決定に役立つ情報を提供せず、一連の危険な状況を作り出している。これら6社のメディア企業のすべては、製造業や主要金融企業と極めて強い結びつきを持っている。しかもこうした6社のメディア企業の各々は、ロスチャイルド王国が所有のAP通信とロイターという二社を、そのニュース源のほとんどとしている。そうであるがゆえに、その端末局からは、世界銀行や国際金融カルテルについての批判報道が大衆に報じられることはない(公共テレビ局は、そのアンカーがよく注釈するように、インデペンデント・テレビ・ニュース・ネットワークよりそのニュース源の多くを得ている)。こうした主流メディアを所有する金融カルテルは、その一方でモンサント社を所有し、Codex Alimentarius 〔FAO(国際連合食糧農業機関)とWHO(世界保健機関)によって設置された政府間組織による国際食品規格〕と呼ばれる規定を通じて、有機食品を違法にしようともくろんでいる。彼らはまた、航空散布の使用を奨励し、世界の諸種子銀行を保有している。関税と通商に関する一般協定(GATT)と世界貿易機構(WTO)は、モンサントのCodex Alimentarius を「食品規格」に押し上げようとしている。
三極委員会は、1973年、中東と極東の新興国に影響をおよぼす道として設立された。その設立者であり筆頭資金提供者は、ロックフェラー家が支配するチェース・マンハッタン銀行の長年の頭取であり、かつ、同家の多国籍企業帝国の比類なき大君主である、国際的大立者ディビッド・ロックフェラーであった。三極委員会は、日本の支配エリートを、世界の政治経済界に増大するその影響力を認めて、世界の権力工作者による内部人脈に迎え入れたという包容性をっている。三極委員会は、「すべての国の国民、政府そして経済は、多国籍銀行および企業の必要に貢献」するものされて、よく知られているものである。その〔日本の〕手摘みの政治的〔追随〕諸候補を支え、将来の諸選挙に勝利するという目的を果たすために、三極委員会は、ウォール街銀行家の金融力、学会(納税免除団体の資金へのへつらい者)の知的影響、メンバーを代弁するメディアのボスたち、そして他のロックフェラー資金外交圧力組織である外交問題評議会(CFR)を動員してきている。CFRは、三極委員会やビルダーバーグ・グループの親類ではあるが、アメリカ市民のみで構成されている。
三極委員会は、日本のエリートを含む加盟メンバーがゆえに、別の装いをもったビルダーバーグ・グループだと見ることができる。だがいずれも、同じ目的を共有している。ビルダーバーグも三極委員会も、枢軸国の影響下にある戦後の秘密政策グループである。それらは、英国、ヨーロッパ諸国、そしてアメリカの相応部分と合体するもので、「単一世界政府」をめざして動いている。この「単一世界政府」とは、もともとは、利他的人々を代表するために構想された概念で、人間性のもつ問題の解決と平和に暮らすことも併せて志向していた。だが不幸なことに、その単一世界政府が唱道する絶対的コントロールと規制なき権力行使は、目指されていたその高遠な構想を、正気を欠いた夢のうちに眠らせてしまった。国民が自ら選択しうる情報の丁寧な提供によってこそ、選ぶべき現実は決断されうる。私たちは、たとえば毎年6百万人の人々が餓死しているといった、世界の特定の出来事をひとからげに無視するよう強いられてきた。そして逆に、私たちは、目をつぶり続けることを奨励され、長時間働いて生産し消費するよう圧力を受けることで、その正気を無くしてきた。私たちは、マネーを蓄積し多くのつまらぬものを買うことが社会のいっそう高い地位を得ることであるかのように、日々強力な刺激にさらされている。そしてそれが、幸福と安心とよりよい生活の証として売りつけられている。
こうしたエリートの暗躍をあばき、彼らが何を成してきたかを白日にさらすことは、無論よいことである。そうすることで、第一に、私たちは、真に人々に貢献するメディアを得ることができる。そしてそれは、エネルギー源を枯渇のないものとし、貧困をなくし、栄養ある食物が供給され、そして、完ぺきに物事を知ることで能力をつけた人種の登場を許す。さらに、もっとも重要なことは、法律の主役が、市民社会に戻されることである。もし私たちがエリートの暗躍を許したならば、私たちの子供は生きることを見失うであろう。むろん、それは私たちがその道に従わねばならないということを意味しない。私たちは、もしマスメディアの巨大な妨害のその向こう側を見抜くことができたなら、自らが作り出した負債、飢餓、戦争、そして不必要な災難を終わらせることができる。今日、明らかな危険が現存しており、私たちの緊急の注視を求めている。
世界を幾世紀にわたって牛耳ってきた秘密のベールが、こうしてあばかれ始めようとしている。私たちの前に立ちはだかっていた架空の壁を忘却する時がきている。私たちとは誰もであり、私たちとは個々それぞれである。そして現在の危機は私たちに等しくおよんできている。
〔そうした危機への取り組みは〕どこから開始されるべきなのか。第一に、私たちは霊性的存在であり、だからこそ、よりよい考えをもっている。恐れと暴力は、結局、何をも成功させない。愛だけが、成功の最高の果実をもたらす。どんなアイデアも、実際に攻撃でつぶされれはしない。さらに、攻撃者はいつも、恐れを持ち込んでくる。それを同じレベルで返答することは、そうした攻撃に力を与え、攻撃と反撃のサイクルの繰り返しとなる。むしろ、別の選択をすべきである。私たちの心のもつ力は、癒しや愛の実践として使われ、嫌悪や裏切りのエネルギーを中和させる。愛のエネルギー(追い込まれた人々に親身になって共にあろうとする態度)は、きわめて力強い。この態度を選ぶことは、平和の最終的ゴールに達する方法である。非暴力的不服従(嫌悪の思考の放棄)のアイデアは、真っ先に支持されるべきで、さらに適切な行動がそれに続かなければならない。つまりそのプロセスとは、私たちが(狼狽や固着されるがゆえにではなく)その混迷を注視し、(本書に述べるように)それが、集団的エゴがもたらし、いまや私たちが選ぶべき道ではないと覚ることである。こうして、私たちは、自分の考えを変えることができ、仲間内や自身の失敗を越える視野をもつことが可能となる。そして多くの考えが結集するならば、それは同時にすべての人々への選択を提供できるものとなる。さらに言えば、真実のアイデアは力強く、壊れにくく、そして共有によって増強される。この選択をもって、嘆かわしい行動の先を見渡し、恐怖を克服して愛と癒しを選択し、いかなる行動をとり、かつ何を繰り返すかの明解な方向を見出すのである。
要するに、私たちは、恐れや困難――うかつで恐れにかられた苦情による――がゆえに取り組むのではなく、愛によってもたらされる扱いに取り組むのである。私たち自身は、単なる生活のための質草ではなく、独自に生きる存在である。世界がよりよく変わるかどうかは、自分の考えをまず変えられるのかどうかという、私たち次第にかかっている。「新世界秩序」による後追い装置を受け入れず、毒された水や食物を口にせず、戦争へのいかなる口実にも疑問を投げかけ、そして、インターネットや鼓舞された書籍からの信頼しうる情報源を通じて自分自身に知識を与えることである。集団的エゴの催眠や恐れの眠りから目覚め、そして、私たちを奴隷にさせておこうとする者たちのくびきから自らを解き放つことである。
【本章完了】
参考文献
Future Esoteric: The Unseen Realms by Brad Olsen
http://cccpublishing.com/FutureEsoteric www.bradolsen.com
with permission, (c) Brad Olsen, 2016