私見を言わせてもらえば、これまでの内燃エンジンの普及にせよ、今日のCO2問題がゆえの電気自動車の奨励にせよ、その深部に、新技術の主導権争いをめぐる、うさん臭く巨大なトリックがあるのではないかとの見方には、捨て切れないものがあります。つまり、たとえその技術が副作用を伴おうと、いったんその勝者の地位さえ獲得すれば、あとは独り勝ちを奔走し、汚染問題なぞ二の次です。どうもクリーンエネルギーの議論には、異常気象をテコに用いた技術のヘゲモニー争いの、石化エネルギー陣営を出し抜かんとする下心が見え見えです。つまり、内燃エンジン技術に遅れをとった勢力にしてみれば、地球温暖化は救いの神です。ともあれ、環境問題とはそもそも、もっと根の深い問題のはずです。
ただし、そう流れはじめたグローバルな奔流に、水を差しているのがウクライナ戦争で、そのクリーンエネルギー化のシナリオを狂わせています。この戦争により、世界は再び二つのブロックへと回帰し、世界経済も、それまでのグローバルな規模も市場も二分され、とたんに経済の停滞が起こり始めています。クリーンどころではありません。
そこに、原則破りな復古派とも言うべき石化や原子力エネルギーの復活を狙う勢力が頭をもたげてきています。日本全体に漂うゼロCO2問題への及び腰な取り組みも、そんな日和見なエネルギー政策の、姑息な、成り行き任せな姿勢とも見てとれます。少なくとも、こうしたエネルギー政策の原則順守か現実重視かをめぐる巧みなかじ取りが問われ始めています。
今回の訳読は、そうした直近の情勢以前の、その意味では、グローバルな奔流時代をめぐる技術論についてです。
ことに、今世紀の半ばまでには生じるとされる「シンギュラリティ(技術的特異点)」の問題は、テーマのひとつの柱となっています。
果たして、人工頭脳の発達は、人間を超えることがあるのかないのか。
それでは、「ウーバーマインド」の部の「技術の飛躍」の章へとご案内いたします。