深掘りアメリカ人による視野

エソテリック三部作に表現されている世界

訳読コメント(その14)

私はこの「エソテリック三部作」を、ひとつの角度、すなわち〈知的アメリカ人による自国観〉と見て、訳読の趣旨のひとつとしています。というのは、私にとって、アメリカとは、戦後生まれの私の成長の背後に設定されていた隠れたバックボーンであり、ポジにもネガにも、私の世界観の形成の一つの所定条件となってきました。そういうアメリカには旅行で訪問したことはありますが、住んだ体験はなく、その理解の土台は一般的報道の域を越えるものではありません。そういう米国で、ことに親しいアメリカ人の友人もいませんが、この三部作の著者のブラッド・オルセンとは、その旅行の際、彼の在住するサンフランシスコで一度お会いしています。

この三部作なり『天皇の陰謀』なり、私が米国人による著書を、けっこう慎重に読んできているのも(いずれも「両生図書館」に蔵書)、そうした私のなかに刷り込まれた部分の出所を検証したいからでもあります。

そういう経緯で、同三部作を借りて、アメリカ社会の真相を知る手がかりとしようとしてきました。

 

さて、そういう流れの中での今回の訳読は、そのアメリカ社会を、そのまた背後というより、その天空から牛耳る「首領」についての議論です。

著者のアメリカ人が発掘するこうした西洋社会の最も深奥に沈殿しているエニグマについて、一連の深い想定物語(あえて「想定」と書きますが)が提示されています。これはもはや「人類の出生の秘密」と言ってもいい話であり、その人類の一員として、それを取り上げること自体が一体何になるのかとさえ問うてみたくなるストーリーです。もっとも、それは確かに、エンターテイメントとしてハリウッドあたりの格好のネタになるかも知れません。

 

「人喰い異星人」とのタイトルの二つ目の訳読は、言わば神の世界の醜悪物語で、実に奇怪な内容となっています。もしそれが事実だとすれば、もはや下界の人間たちに成す術はないというものです。

 

では、ふたつの訳読「新たな首領の出現」と「人喰い異星人」にご案内いたします。

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