シルクロード、古城市で起こった不思議

話の居酒屋

第三十五話

前回の居酒屋談義は中央アジア旅行中の話題だった。今回も引き続き同旅中での話で、舞台はさらに西に移り、ウズベキスタンの古城市ヒヴァ(写真)での光景である。

今回は、旅を続ける我々二人に日本人の男女二人が合流した総勢四人での、いかにもシルクロード情緒に満ちたかの不思議に彩られた、エキゾチックな居酒屋談義である。

 

合流した二人のうち、五十代初めの男性のMさんは、旅ばかりでなく、アジア居住も長く、いまではタイを拠点として、日本との二重生活をしている著述人。他方、三十代末の女性のFさんは、バングラディシュでの海外協力隊の体験を持ち、海外旅行の経験も関心も豊か。その四人が、古城市門外の一角にあるシャリク(串刺し肉)焼く煙漂う酒場で、信じられない安さの地元生ビールで乾いた喉を潤している。

 

まずそこでなのだが、旅と言うのはなかなかおつなもので、「旅友」という言葉もあるように、旅先で出会った人同士が意気投合し、それが知己関係に発展することはよく生じる。

考えてみれば、世界広しといえ、そのあまたな行き先から、その特定の訪問先に旅してきているわけで、それなくしてその出会いは生じようもない。つまりそうした人たちには、よく似た好みとそれがゆえの選択が行われていたとは言えよう。

ことにその地がいかにも特異な地ならなおさら、あえてそこを選んでやって来ているわけで、そうした人たちが一種の同一傾向を持っていたとしても不思議ではないだろう。

しかもそれが今回は、私という七十代末、私のパートナーという六十代末、そして上記のようにMさんは五十代初め、Fさんは三十代末と、ほぼ十数年おきの四世代の男女が、このシルクロード上の古城市酒場につどっているというのだから、その類似した傾向は世代をつらぬくものとさえなっていると言える。

ということは、あたかもそれは単なる同時的な偶然を越えて、世代をまたぐ、なにやら人間世界における時系的な縁を秘めているかのようである。

 

そもそもこの四人がこうして席を同じくしているのは、トルクメニスタンの「地獄の門」(結構高価なツアー参加が条件となる)とこの時期のイラン訪問(結果的には回避となった)という特異な訪問先が結びつけた縁がゆえにである。言い換えれば、この四人組は、あらかじめのネット交信を通じた、にわか作りのグループにすぎないながら、ある一貫した関心を共通項としている。

そこでは、単独の行動ではちょっとハードルの高いその両地を訪ねるという、コスト面でも地勢的リスクの面でもの配慮を必要とするとの共通なねらいが、こうした四人を結び付けた要因である。つまり、それだけ、現今の世情にセンシティブである人たちとは言えよう。

 

そこでこの異国居酒屋談義の筆頭の話題は、私たちが先に遭遇した印パの紛争に加え、またしても降りかかってきた止むない戦争状態である。イスラエルがイランの諸要所を空爆し、イランがそれに反撃を応酬する事態となって、数日後に迫るイラン入りを実行するか否かの談義が始まった。

それぞれがもつ情報を突き合わせ、最善の事態から最悪の事態まで、最適の行動は何かと話し合う。そしてイラン入りをするかどうかについては、さまざまな想定を置いて、各人の見方が話し合われた。

ともあれ、現段階においては、事態は流動的で予測はつかず、慎重に事態の成り行きを見守りつつ、イラン行きを決断しようということで当面の合意となった。

誰もさすがに旅慣れており、こうした異常事態にも浮足立つこともなく、落ち着いた遣り取りとなっていた。

 

こうして、突発した旅行情勢についての話が一段落したところで、Fさんが唐突に切り出した。

「私、今、公表したいことがあります。インドに移住する積りなんです。」

いまだ速成な旅仲間なのに、他者に話すのはここが初めてという。さすがに本人の口調には真剣さが漂う。

そしてこう続ける。

「この8月から、ニューデリーで日本のコンサタント会社の現地職員へ採用が決まり、ゆくゆくは移住しようと考えています。」

なんということだろう。聞けばそのコンサル会社とは、私が昔、その役員を務めていた産業別労働組合に参加していた企業別組合の企業のひとつではないか。

どうやらFさんが得た仕事とは、その企業の現地関係問題解決に当たるマネジャー職のようだ。

なんという奇遇だろう。その建設関連技術者の労働組合がカバーする業界は、40年前、私がオーストラリアへの留学の決断へと押し出すこととなった、ひとつの労災問題体験をもたらしたその業界である。

加えてその後、私の親友の一人が、企業は別なのだが同業界の主要企業で、インドネシアのプロジェクトの現地マネジャーとして派遣されたものの、そこでの業務上のストレスから反応性鬱病を発し、結果的な自死にいたるという悲劇をもたらしていたその業界である。

彼女の場合、近年、海外進出を強めるその業界で、インドでのプロジェクトの現地問題担当の職員として採用されたというのだ。

なんという因縁だろう。

それはある意味で、40年という歳月を経てようやく、そうした数々の犠牲を生んできた問題が、こうした新採用の職を作り出しているらしいとの発展と解釈できる。もちろん今の段階では詳しい職務内容は判らない。

そうではあるが、かつては男中心のこの業界でFさんは女性であり、どうやら、彼女の上司にあたる人も女性で、その業界で、果敢にも要職へと登ってきた稀有な人でもあるようだ。つまり、その業界の宿痾とも言うべき懸案が、40年後のいま、女性たちの手をもって、その重い扉が開けられようとしているようなのだ。

今の段階では事は予断にすぎないが、それでもなにやら、とんでもない縁が立ち上がったかのような気配なのだ。

地理的にも世代的にも、これほどに巡りめぐった偶然な出会いが、しかも、その日本から数千キロも隔たったこのウズベキスタンの古城市の酒場で起こるなんて、いったいどこの誰が予想できたであろう。

この縁とシンクロニシティとは、はたして何なんであるのだろう。

この古代シルクロードの要衝地では、かつては交易物をあつかっていた。それがいまや、このように遭遇を発生させて、あたかも人間世界の情理の交易を果たしているかのようではないか。少なくとも、われわれ日本人世界のそれの限りでは。

 

こうした遭遇の発生をどう受け止めるか。おそらく、上記のような受け止め方は一般的に共有されるものではないだろう。

それはそれでよいのだが、私というその四人組の最高齢者にとって、そもそもそうして四人組の一員に加わって、そんな特異地をめぐる旅が出来ていること自体、並にありうることではない。そういう意味で、それは維持してきている健康のたまものであることは間違いない。

それに加え、そうして四人がその道中でさまざまな同一行動をとっている最中、そこに世代の違いによる物事の受け止め様のバラエティーはあれ、それぞれの間に男女差別も老若関係もない。それこそ「旅友」同士そのものの一体感をシェアーしながらのその諸行動である。

それを年齢上で見れば、Fさんは、私の丁度半分にあたる。それはほぼ、私がオーストラリアでの中年留学を始めた年齢である。つまり、その80に近い年齢が半分に若返って、想念を通じてだがその当時に再会しているに等しい。

またFさんにとっては、自人生の二倍の長さの体験を、たとえ伝言体験としても、すでに現在において取得できているとも言えるだろう。

それに、これからFさんが取り組もうとしている仕事は、私が40年前、当時では満足できる完結を持ってオーストラリアへの旅立ちを決心させたのではあるが、産業上の問題としては、多々をやり残してきたのも同然な分野の仕事とさえ言える関係にあると言えよう。

この因果な関係は、なにゆえにこのように生じてきたのであるのだろうか。

 

こうした折り重なり合う不思議な遭遇とは、両者にとって、時の経過を圧縮したり延長したりするに等しいことだ。

すなわち、事実上のタイムスリップと見るのは空論に過ぎるだろうか。

 

それとも、さらなる飛躍をもって言えば、先にも述べたように、量子理論でいう「重なり合い」とか「もつれ合い」の人間サイズの発現とさえ見なしうるのではないか。

それは純学問的には「噴飯もの」であるのは承知の上だが、人の生き方にインスパイアする着想として、そう解釈して採り上げるのも、ひとつの知的活用に違いないと思われる。

 

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