この章でいう「幾何学」とは、はたして、近代科学以前のそれなのか、それとも、今日の科学はそれをまだ知っていないのか。むろん著者の論点は後者で、その未解明の大自然そして大宇宙に「意図」が秘められているとの視点が、タイトルに「聖なる」が付されている理由です。つまり、この「聖なる」とは「神・聖なる」ではなく、それから「神」をとったもので、そこに「神」を付けてしまうことで、本来の追及の力を失ってしまうという考え方です。
だが、古代まで立ち返り、その古きを調べてみることが、あたらしさを見出すひとつの手がかりになっていることは確かです。この古さが新しさに反転する鍵が、著者のいう「心」です。
果たして、私たちは「幾何学」に「心」なぞ見出せるでしょうか。私などは、それがないからこそ、幾何学であると考えてきました。