第七章(最終章)
生まれたどんな子をも歓迎する国に
たまらんよ、こんな人たち。男尊女卑の天皇制が根絶できないわけだ。
国連も問題視し、是正勧告した男子偏重。これに対し、安倍首相は社交辞令のかけらもない石頭丸出しの反論をし、世界の更なるひんしゅくを買った。
象徴天皇制。ごくごく近年貼り付けた、神聖にして侵すべからずの「現人神(あらひとがみ)」が剥(は)がれ落ち、その後、尚、剥(は)がれ損なった瘡蓋(かさぶた)のように、この国に、しがみ付くあの醜態。
はたまた、庶民は、歴史も浅い謎の因習、夫婦同姓をわが国古来の伝統のように盲信し、今や世界標準の夫婦別姓にさえ、到達できない。日本で以下の事実が報道されることはない。
日本は2003年以降、国際連合の女子差別撤廃委員会より、日本の民法が定める夫婦同姓が「差別的な規定」であるとして是正するべきとする度重なる勧告を受けている。なお、日本で夫婦同氏が定められたのは明治民法が施行された明治31年(1898年)からであり、明治民法施行以前は明治9年(1876年)の太政官指令によって「婦女は結婚してもなお所生の氏(婚姻前の氏)を用いること」とあるように、夫婦は別氏と規定されていた。
このように、本来あるべき姿、夫婦別氏(別姓)に復帰するまでの妥協策、姓の選択は両性の協議で、選べるという現行法律を活用しているかといえば、それもしない。
「ねえ、一緒になるなら、どっちの苗字にしよう? 僕たち」
なんて話合うカップルいるか? ザラにいていい筈のそんなカップル、現実にはほとんど聞かない。わが夫も、(多分無学なせいだろうが)これはすっ飛ばし、迷わず自分の姓にした。たまたま、私はその時の自分の姓を捨てたかったから黙っていただけ。欲をいえば私の意向も訊いてほしかった。
それより何より、第三の姓を創設出来たらもっといいのに、と思う。我々のような、先祖からの離脱を望む者は特に。
今、私は注意深く観察している。この件を、息子は彼女と、どうするのだろう。
むろん私は口出しするつもりはない。成人にとやかく言わない。訊いてくれば別だけど。
息子から、彼女が出来たと聞かされる少し前、私は息子にこう言った。
「あんたにどんな彼女ができても、我々親は必ず反対するからな。駆け落ちしてくれ」
息子は無言だったが、不快な顔はしなかった。黙認してくれたと思う。共に屈折した子ども時代を経て、暗黙のうちにも、それが意気投合の最大要因である夫と私が、世の標準的両親を演じられる訳ないのだ。敬神崇祖(けいしんすうそ)の素養がない。愛国心や道徳心、貞操観念も誇りもない。披露宴やスピーチや、先方の親たちとの付き合いなど、考えるだけでも目眩(めまい)がしてくる。ネクタイが嫌いだ。それが必要とされるような場所が嫌いだ。付き合い悪いとか、変人とか思われてもいい。見放される方が楽だ。
夫は自分の子ども時代や親の話をほとんどしない。親に捨てられた話ならまだしも、親に食われ、親きょうだいごと養ってしまった話など、思い出すのも腹立たしいのだ。ことに母親を彼は嫌悪し、母などと呼ばず、「僕が出てきた穴」と呼んでいた。「僕が、出てくる穴を間違えたんや」と。まるで子どもの方で自分の母親を選べでもしたかのように、そう言ったことがある。その「穴」は、生涯、見栄を張ることしか知らない人で、張り続けたまま、死んだ。養ってくれた息子に詫びも礼も言うことなく。その死を、夫は勤務先のある人から聞いた。そこで夫に魔が差した。葬儀に出てもいいかな? と思ってしまった。人並みに見せる、見栄を張るという、かつての習性が頭をもたげたのだ。
そこで私は牽制した。「出るな。出たら別れる」
それは、私の正直な気持ちで、夫が彼女を嫌っていたのとは別に、私自身にも彼女に幾つもの怨みがあった。夫のことを、自分たちが貧困生活中にはいちばん世話になった子だと言ったくせに、娘が小金持ちと結婚するとそちらにべったり。いちばん家の為になった息子からは遠ざかり、ある日こう言う。「親はどの子にも同じように、してやらなあかんでな、何人おっても、どの子にも分け隔(へだ)てなく」
夫とその兄の2人が中卒で15歳から働いた。後(あと)の弟妹3人は時代の波で、そうもいかず、高校へ進んだ。兄たちが彼らの学費を稼ぎだすことになる。いちばん家の為になった子とは、我々の縁談整った時、私の実家へ両親として挨拶に来た時、彼女が言った言葉だ。誇らしげに言っているように聞こえたが、私は、にわかにはその意図も意味もわからなかった。母に訊いて、いちばん家にカネを入れた子という意味であるらしいことがわかった。彼女はその恩を感じていたのか、我々の結婚後しばらくは、夫の前妻の子への養育費を肩代わりしていたが、震災のどさくさで、投げ出した。阪神淡路大震災で被災したのをきっかけに、弱者になりきり、何かにつけ、それをアピールした。夫の兄弟や妹たちには、後妻の私の要求で、やむなく支払っていたように言って。
いやはや、記憶力ない人と付き合うのは気骨が折れる。迷惑でさえある。この件を始め、数々の寝言や暴言で私をびっくりさせた。びっくりと言えば、彼女、数人の子を産んだが、つわり知らずの楽々お産。気付いた時にはいつも(堕胎も)手遅れで、ついつい産んでしまったが、そのほとんどが未熟児。実に軽いお産だったという。会陰(えいん)裂傷や切開などの心配もない、陣痛もなく、するりと出てくる。ちょっと大規模な排便程度の感じで済んでしまうから、正常な出産の苦労や達成感を知らない。いちばん問題なのは、親が自身の早産を、まるで子ども側の責任のように思っていたことだ。夫も7カ月で出てきたという。それを育てるのは通常の育児よりずっと大変で、この子には苦労させられた、と(これは両親口をそろえて)言った。自分たちの若いころからの喫煙習慣を考えるだけでも、その責任は親側にあるとわかりそうなものだが。育てるのに親は人一倍苦労したのだから、その子は、恩返しに人一倍親に尽くせと思っていたのかもしれない。
彼らのズレた感覚、ズレた発言。あげつらえばきりがないが、もう一つだけ挙げておきたい。
我々夫婦に子どももできて、話題も広がり、自身の子ども時代の話も出てくるのは自然なことだ。特に同い年で同じ市内で過ごした我々は、互いの小中学生時代のこともあれこれ知りたくなる。小学校では昼食は給食だったが、中学では弁当だった。その話の時、夫が、「兄貴」の話をした。2歳年上の兄貴は家が学校に近かったので、弁当持たず、帰宅しては爪楊枝(つまようじ)くわえて、(食べたふりして)学校へ戻っていた、というのだ。私は尋ねた「あんたはどうだったの?」。夫の返事はなかった。後日私は夫の母に訊いた。「この件どうだったんですか」との主旨を、手紙で。
それが彼女の逆鱗に触れた。手紙の返事はなく、次に会った時、私にこう言った。
「あんたら、夫婦やゆうて、根から葉まで何でもかんでも喋らんでええんや!」
これが私の逆鱗に触れた。
「ほっといてんか! うちらは仲ええんや。根から葉から、花から種まで、なんでも喋るわ。子どもに、よう弁当も持たせんような、ど甲斐性なしのあんたら親を、息子らは、かばおうとしたんや。その気持にすまんとも思わんか?」
私は、その思いを口には出さなかった、というより、とっさにはうまく言葉が出てこない。ただ顔には出ていたと思う。「見下げるわ、あんたを」と。
夫から、「死んだらしいで」と電話があった時、私は「勝手に死にーな」と答えたと思う。「今頃死んだか、やっと死んだか、死ぬのが遅すぎるんや」が正直な私の感想だった。結論として、夫は、見栄を張りたい誘惑に打ち勝った。後はその連れ合いの葬儀だが、親戚連中も、母親の葬儀を蹴った男には期待もしないのか、知らせても来ない。そろそろその時期だとは思うのだが。
このオヤジも何のために生れてきたのかと思える人で、仕事は転々、ど甲斐性なしの色男。若い頃モテモテだったらしく、それに躓(つまづ)いたのが今の妻ということらしかった。年老いて、色香失せても女好き。
自分が独身モテモテだった頃の感覚そのままに、自分が触(さわ)れば女が喜ぶものと信じ込み、妻以外にも、いろんな女に手を出す。娘、息子の嫁、その他親戚、おそらく他人にも手当たり次第。私にも、ちょっかい出して騒がれた。他(ほか)の女性は、黙って、逃げてくれるのに、私は騒ぎ「やめてよ、何すんの!」と、事荒だてたので、慌てたらしい。似たもの夫婦とはよく言ったものだ。こんな時「すまん」など、言わないのだ。こう言った。「わしは何もしてない。そんな汚いケツ、誰が触るか!」「うっかりだ、すまん」とでもいえば、こっちも乗ってやる。それをなんだ、こいつ、こんな言い草ある? 正月の親戚の集まりで、私はこたつに当たっていた。そのこたつに義父もいた。私は子どもも連れていた。幼児は眠っていたかもしれない。しかし覚えているかもしれない、この騒ぎを。姑は、これを知っても驚きもせず、こう言った。「あれは、誰にでもそんなんするねん。今度したら、きゅーっとつねったり」
その場には居合わせなかった夫も私に告げられ、これを知り、いやな顔をした。そして言った言葉がこうだった。
「でも…ええやんか、減るもんじゃなし」
これで一揉(ひともめ)したのは言うまでもない。私は夫が幼少から、何かにつけ、オヤジの不甲斐なさに手を焼き、人並みの親として期待しなかったことは察していた。オヤジの手癖の悪さを経験済みの娘たちも
オヤジに対する尊敬など皆無、呼び方も「父さん」などではなく、名前呼び捨てだった。「いたずらされるのは、される方の気がゆるんでいるから」と娘の一人は言ったという。悲しいな、家庭の安らぎなどなく、緊張しっぱなしの暮らしだったのだろう。夫を含めその兄弟姉妹たちは、親を頼らず、信用もせず、逆に警戒、我慢しながら、なんとか凌いできたのだ。しかし、それを割り引いても、今回の事態については夫たるもの、妻に悪さする男を咎(とが)めてほしかった。私は夫の気弱な失言を見過ごすことができず、問い詰めた。これを理解出来なければ別れようと本気で思った。最後は夫の土下座でなんとかおさまった。今後はオヤジを遠ざけておくしかない。もし、同じような現場を見かけたら、こう言う。
「オヤジ、やめろ。僕の嫁さんに何するんや」
と言うことで収まった。なんともはや、情けない話ではある。オヤジの悪さを聞いた途端に怒りがわきあがり、そう言いに行ったというわけではないのである。
夫は、子ども時代、アル中のオヤジが時々入院するのが天国だったという。夜っぴいての「くだまき」(酒に酔った人が同じことを繰り返し、くどくど言うこと)がやみ、夜ぐっすり眠れるのからだ。幼い息子の寝顔を見て「安心しきって寝とるなあ」と感慨深げに言った時、ふと漏らしたことだ。
釣り仲間でいろんなことが話題になるが、親の話を自慢そうに、懐かしそうにされると、いちばん困る、と言ったことがある。
彼のことだ。そんな時、見栄も張らずに、場も外さずに、黙ってブスーッと聞いているのだろう。
見栄は子どもの頃に張りすぎた。張らされたのだ。そんなことは子どもの仕事ではなかった。ああしんど。若い頃にもそうだった。最初の結婚でもそうだった。つい先ごろまで、そうだった。もう、たくさんだ。今は本音でゆっくり過ごしたい。家へ帰って、ひと風呂浴びて、すっぴん女とチチクリあい、夜が明けたら仲間のいる海へ行き、皆とがやがや釣り糸垂れて、また家へ帰って来ては、溜まった録画を見て過ごす。子ども時代のなかった彼に、今やっと来たんだろう、ほっとする時、楽しい時が。
さて、ついでに、こんな情報どうだろう。尿漏れ改善策と性生活の関連を、あれこれを探しているうちに、こんな広告みつけた。膣トレグッズなるものだ。以前からあったアメリカ製が品切れで、それよりお手頃、機能も今風なこんなもの。多分国産? 女性医師のおススメ品。見かけは、たらこっぽく、色はピンクの小ぶりな商品の写真入り。その説明は、
「スマホと連動した膣トレグッズ。本体に膣圧を感知するセンサーがついていて、トレーニング記録をアプリ内に記録できます。」
通販の購入者レビューなど見ていると、購入者は女性ばかりでもないらしい。類似の商品いくつかあって、機能すぐれものからイマイチのものまで色々だ。彼女の為に購入して、喜ばれているとのレビュー、にわかには付いていけない感覚だが、何とかして彼女を喜ばそうとする気持ちはほほえましい。でも、なぜかこうは思わないらしい。「そんなのに人気(にんき)取られて、僕が要らなくなったらどうしよう?」と。
これ、あながち杞憂でもなさそうだ。セルフプレジャーグッズなるものが売れ行き好調だという。女性向け大人のおもちゃ、と言ったらわかり易いか。私は、これ、ひょっとして、古今東西、女性たちが虐(しいた)げられてきたことへの逆襲、男たちへのヴァギナ(膣)の、陰核の逆襲ではないか、と思えてくる。
女性の性的快感は男性の刹那的なものより、ずっと持続的で深いと、よく言われる。持続的は確かにそうだが、深さとか、強さはどうやって測り、どうやって比べるのだろう? 100組以上の男女を実験室で観察計測したというマスターズ&ジョンソン報告は参考にはなろうが、あの曲線では表しきれないものもあるのではないか。最近では性器そのものよりも、脳の観察に重点が置かれるようで、MRIでの実験や観測が行われているという。
まあ、しっかり取り組んでよ、と思うが、男女にはっきり差があるのは快感の余韻だろう。確かに男性はあっという間に冷めるようだ。それに比べて女性の方はだらだらといい思いをしていると言われると、そうかもしれない。まあ、そういうことにしておくとして、これをその後に続く妊娠、出産という重労働のご褒美だ、のような説明をされると、ちょっとしんどい。閉経後の女性もそうだが、若い女性でも、諸事情で妊娠、出産に繋がらない快感はいくらでもある。快感それ自体が女性に必要で、それが女性を元気に、きれいにする。「女性に限らず、人間とはそういうものではないか。更に、知る人ぞ知る、の奥義だが、やり方次第では出産それ自体も快感になりうる。これを私は自分の出産後ずっと後に知り、悔しい思いをした。これを知ればラマーズ法など、かすんでしまう。また、いわゆる後産(あとざん)、自分の胎盤を見向きもせずに捨ててしまうのは愚(おろ)かだったことも、後(あと)になってから知った。動物はちゃっかりそれを食べることは知っていたのに。その栄養成分プラセンタを取り出してカプセルにしてくれる助産院もあるという。今度生まれてくるときは、そういう凄腕の助産師を是非とも確保したい。助産師を女性限定とする日本とは違い、男女の助産師がいる国もある。そういう国に生まれたい。
夫は、自分がそういう国に生れたら、助産師になり、妊婦のマッサージをしまくり、イカせまくって、スルスル産ませるで、と笑う。
思うに、妻の出産を夫が手伝うのが、本来なのではないか。我々にお馴染みのお産というものは、病院であれ、助産院であれ、「ご主人はあちらへ行って下さい」などと、言われて出産の場から(医療関係者以外の)一般の男は閉め出されていた。出来ても精々立ち会いだ。これがそもそもの間違いだと気付いて、積極的に妻の出産に係わろうとする男性も出てきている。自宅出産などで。出産はセクシーなものではないという定説に真っ向から反対する人々がいる。出産は究極のオーガズムだと。
病院では立ち会わせてはもらえても、肝心なことはできない、それではだめだと気付いて自宅で産もうとする人が出て来ている。素晴らしいことだ。役所への出生届も、医師の出生証明書の代わりに、現場写真で受理されるそうだ。へその緒でつながったたままの母子の写真なら、どんな証明書より有効だ。
ところで男性が、女性と交わりたがるのは、まずは自分の欲求を満たす為だが、女性の反応を楽しむ為もあるだろう。熟練し、心にゆとりが出てくると、そちらへの関心が強くなる。女性としては無論こういう男性の方が楽しい。女を排泄壺のようにしか扱わない男と、女を楽しまそうとしてくれる男、どちらが女性に愛されるか、訊くまでもないこと。しかし、それには男性側に子ども並みとも言える飽くなき好奇心やエネルギーが必要だ。それはいつの時代にも変わらぬ男の本能などと思い込んではいけない。昨今、これを面倒だと感じる、いわゆる草食化する男が増えている。若い世代に多い。性的接触どころか、デートなどの対人関係さえ楽しめず、煩(わずら)わしがる。当然、結婚にも及び腰。まずしない。
もっと複雑に病んでいる男は、行為は出来ても、刹那的な自分の性的快感と、持続的な女性のそれとを比べてしまい、敗北感や絶望を感じるという。これは聞き捨てならないことだ。そんなのは、私にとっては新種の男だ。最近、ある男性の独白本『感じない男』を読んで初めて知った。女性の快感享受をそのような受け止め方をする男がいるのを。本は十年以上も前に出ているから、そういう男はもっと以前からいたということだ。
私が体験したり、知っていた男たちは、いかに女を楽しませようか、喜ばせようかと夢中になる男だ。女があまり反応しないと凹み、感じると喜ぶ、さらに女が取り乱し、白目むいて失神するような過激な反応をすると超ご満悦、そういう男たち。関心は相手の反応、それをもたらした自身の満足。専らこの二つで、男性自身の(射精に加えての)持続する快感など欲しがる男はいなかった。この本を書いた男は悶絶するような過激反応を示す女を見たらどうするのだろう? 喜ぶどころか、立ち直れないほどの敗北感に苦しみ、目前から消し去る? 逃げ出すか、殺すのか? 意外な所でFGMと重なり合ってくる。女性の快感に圧倒されそうな、ひ弱な男性が女性の優位に立とうとして女性性器を切除するのでは?
それにしても、この本には射精やマスターベーションという言葉がふんだんに出てくるのに、ペッティングやキスという言葉はほとんどない。この著者の性生活が窺えるようだ。
結論から言うと私は彼の苦しみを寝言としか思えなかった「自身の性欲に手を焼いているなら、断食でもしたら?」と思った。それより、この手の男、羨(うらや)み方が中途半端で足りないんだ。あんたたちが羨(うらや)む女性の壮大な快感と同時に、妊娠、出産という大いなる可能性も羨んでほしいね。それはどんなに高性能な避妊用具もすりぬける可能性ある怖いものだよ。悪阻(つわり)なんてものも味わってみたら? 急に味音痴になり、いつもムカムカ、何も欲しくない。夏ミカンがいいというけど、他のものよりマシというだけで,そうそうおいしいものじゃない。食いしん坊の私には世も末かと思えたよ。そう、それより、もっとしょっちゅう遭遇するものが毎月ある。思うに任せぬ股間の出血、月経。大小便ほどの随意性(ずいいせい)もない。出したいときに出せるってものでもないから、オムツ当てと変わらぬ状態。タンポンという挿入吸収用具もあるが、経血は素直な液体ばかりではないからね。月一(つきいち)とはいえ、1日では済まない。数日は続く。これが約40年間、どう?
そう思いながら、同じ著者の別の著作を見ると女性の妊娠、出産への配慮もちゃんと書いてある。生理についても事細かく。知識としては知っていても、身に付いていないようだ。むろん男性の彼自身が妊娠ということではなく、伴侶の妊娠、出産だ。
いやはや、この著者の、ごく狭い視野での女性への羨望、自身への絶望には閉口する。「女は男の何倍も気持ちいいんだ、男は単なる道具だ」などと思えるのは人生のごく限定的場面でのことだ。生殖という仕組みからいえば、そのエサ、罠とさえ言える女性の快感を羨むだけ羨み、その根本にある生殖には遠巻きにしか言及しないこの著者。色ボケと言っては失礼かとは思うが、つい、そういう言葉も浮かんでくる。
自分が女になれない男だとわかっているのであれば、無い物ねだりの女性のオーガズム云々にこだわるより、現に得ているものをもっと大事にしたらどうか。刹那的であれ、男の快感も苦痛ではなく、快感には違いないのだから、もっと大切にしたらどうだろう? 一瞬であるからこそ、貴重だと。男は悠久(ゆうきゅう)の昔から、それを受け入れて、代々次世代へ繋げていった。これに異議あるなら、男をやめるしかない。フツーの男はそれを公理のように承知しているが、彼はそれを了承出来ない、と、こだわっているように見える。
こういう複雑なご病気の男たちは中途半端に人の親にならない方がいい、と私は思ったが、それは私の老婆心で、彼ら自身が心得ているようだった。親になるという発想は彼らにはない。または万一、既に親の立場にいる場合は、それを明かさず、一男性として白状するのだろう。射精後の虚しさを。私の夫はこれを笑う。「出しきったら、虚脱感は当たり前や。男は誰でもそや。それを材料に長々文章こねまわし、本にまでするとは、なんぼヒマな男や。タイトルの『感じない男』もふざけとる。自分がミニスカートの女に欲情する、と書いときながら、自分を、感じない男やて? このおっさん、頭イカレとるで。出した後の虚脱感を虚しがるなら、食後の満腹感も虚しいで、することなすこと、何もかも虚しいで」
さらに私があれこれ訊き出したところ、夫は言った。
「出しきった後、僕は、虚しいというよりは、解放感かな。次また溜まってくるまでが、男のしばしの自由よ。割れ目ちゃんから自由になれる、ね。溜まってきたら、また捕(つか)まってしまうの、割れ目に。男は女にオチンコ捕(つか)まれた不自由な生き物よ」
嬉しそうな顔でそう言う夫は、瞬時の快感も、その後の虚脱感もひっくるめて楽しんでいるようだ。虚脱が長続きしたり、自分を支配してしまう筈ないのを知っているからだろう。「おっさん、独り暮らしのチョンガーやから、そんな陰気臭いんとちゃうんか」とも言った。
そういう批判も著者は覚悟しているだろう。何しろ読者は老若男女不特定多数なのだから。
彼は自身の公式サイトで連絡先を公開していたから、私は一読者として、素朴な質問をした。「あなた様は独身ですか?」と。返事はない。
著者は日本人にありがちな、持病を愛し、治りたがらない類(たぐい)の人のようだ。本人も気づいてはいるのだが、最良の治療は性転換手術だっただろう。この著者、思春期に「男になりたくない」という自分の性同一性障害に気付きながら、その気持ちに添った治療をしなかった。今でこそ、その病も治療も珍しいものではなくなったが、40年も前では、一般人の手の届くものではなかったのだろう。なすすべもなくズルズルと男になってしまい、気持ちの整理がつかぬまま、中年も過ぎた頃、長々と文章をつづることになったようだ。「自分と同じようなセクシャリティを持つ男性が自分以外にも実在してほしいと願っていた」という告白はホロリとさせる。著者はその後、自分と同類の読者たちの実在を確認出来、慰められたという。自分の病気を材料にカネ儲けした点には抵抗もあるが、謙虚な独白で仲間を求めたという正直さは評価すべきか。何であれ人は仲間、同類を欲しがる生き物なのだ。それにしても、「イカレとる」の一言で病人たちに憐れみのカケラも示さないわが夫には、笑うしかない。彼にはそんなヒマはなかった。忙しかった。逞(たくま)しかった。常に一家の担い手だったのだ。
男が自身のわだかまりも解決できないまま、人の親にならない方がいいのは当然だ。そんな親は生まれてきた子どもの為にならない。小さな命の誕生を目の当たりにしても、戸惑うだけだろう。「ああ自分の刹那の快感がこれに化けた! 魔法だ! すごいなあ」などとも思わないだろうから。歓迎されない子どもも不幸だ。ひと昔の男の中には、これとは対照的な男がいた。「妻は自分のおかげで子を孕み、産めたのだ。おれは偉い。妻よ、子供よ、感謝しろ」と。草食系とは対照的な病気の男が、ごまんといたのだ。妻の10カ月間の労を全く評価できない男が。これは概して草食系より始末が悪い。病気の自覚皆無という場合が圧倒的だから。
ところで、女性の妊娠、出産は、確かに男にはできない女性の特権だが、しかし、女性がそれをしないからといって、女性ではなくなる訳ではない。意図してしない場合、不本意ながらできない場合、どちらについてもそうだ。人間、男でないなら、女なのだ。それは体の構造よりも、心が欲する方が支配的だと私は思う。ところで、ほんの少数派だが、どちらでもない人々もいる。どちらも望まない、まるで私の子ども時代を貫き通したような人々が。そういう人々は宿題としてお預けにせざるを得ない。実際そういう人と係わることになったら、しっかり取り組もう。いいかげんな想像や憶測で論じるのは軽率だろう。
同性愛者も私は否定しない。そうならざるを得ない理由があるのだろうし、非生産的などという批判も軽々しくは出来ない。平凡な異性カップルより、子ども思いの人々もいる。養子縁組により、彼らに育てられる子は、いい加減な実の親に育てられるより幸せだろう。現実には特別養子縁組はまだ無理である。(それなら実の親と縁が切れ、完全に自分の実子にできるのだが)完全な実子扱いにはならない普通養子縁組か、里親なら可能だ。日本の今の法律では、特別養子縁組の親になるには異性の配偶者を持つ成人でなければならない。どこまでも子どもの側に立つ福祉に本気になれない国だ。
今現在、同性婚カップルに可能なのは里親になるか、普通養子縁組しかないが、それでも子どもの必要は大いに満たせる。子どもが頼れる、愛せる大人が必要な時期に、それを満たす存在がいてくれるというのは子どもにとって、何よりの幸せだ。たとえばそれを成し得た女性同士のカップルは、子どもを産み捨てる女より、はるかに生産的な女性ということになる。
自分の体よりは、心の望む性が自分の性。体が完全に男でも、女になりたい人はそうならないと生涯悔やむのだ。『感じない男』の著者のように。片や自分の思いを遂げた人は、たとえ不完全な女にしかなれなくても、男から脱却できただけで十分幸せなのだ。時代と共にこういう人々には道が開けてきたようだ。かの陰気臭い著者から十数年後に生まれた男性。オカマ高じて性別適合手術を受けた某有名タレントの女っぽさは凄いものだ。普通の女性なら敬遠するような、女の子っぽさ。メイクはもちろん、ウエスト絞ったドレスは定番。そのドレスはレースにフリル、リボンが付き物。さらに、コサージュ、イヤリング、ハイヒール、小さな帽子か大きなリボン。今時じゃないと笑えてくるが、これは人に見せる以上に、自分が楽しむ為だろう。水着もお得意。見事なプロポーションはどこから見ても女だ。TV画面に彼女が登場するたびに、私は拍手、「あんた、女になれてよかったなあ!」と。むろん、卵巣や子宮などの増設は出来ない。精々乳房造形ぐらいしかできないのだが、それでも彼女の喜びは大きいのだ。
その逆、女が男になりたがる場合も同様。妊娠、出産の機能を捨てて、代わりに精巣新設できるわけではなくても、やはり男になりたいのだ。外見だけでもいいから。性同一性障害者の気持ちが私は半ば解る。私自身、思春期に目立ってくる胸の膨らみが嫌でたまらなかった。その頃にしたかったバレエを始めて、きちんとした下着で胸を支えることも学び、日々激しい稽古に明け暮れていられたら、胸の膨張もぐっと抑えられただろう。バレエや体操競技、陸上競技やハードなスポーツに熱中すると、女らしい体からは遠ざかってしまうらしい。願ってもないことだ。思う存分やって子ども産まずに40歳で生涯終える、というのが私に似つかわしい人生の筈だった。貧困ゆえに、その望みも断たれ、親たちのドジしまくりの調査、尻ぬぐいに奔走するなど、不本意の極みである。
10代の初め頃、同級生の中には胸の膨らむのを喜ぶ子もいたのに、私は少しも嬉しくなく、うつぶせ寝で膨らみを潰そうとさえした。(後になってこれは逆効果もいいところの最悪なやり方だと知った)といって、男になるのも嫌だった。銭湯で老若男女の裸体を観察できた私は、女児の身体が最良だと思った。成人女性の乳房は、かつて自分も世話になったことがあるせいか、嫌悪感はなかったが、わが身に降りかかってくるのは憂鬱だった。まして役割終え、しぼみ、垂れた乳房の始末悪さといったら! 男たちの陰茎が千差万別なのと同様に女の乳房も千差万別だった。中には年老いても子ども並みの平坦なままの人もいたが、多くはそうではなく、中にはヘソ近くまで垂れている人もいた。この不平等さはいまだに承服できない。
日常生活の便利さが違うのだ。まるで違う。ブラや補正下着では追いつかない。ブラや各種インナーが、いくら着心地よく改良されても、裸の楽ちんさにはかなわない。その不便さを想像もできないという人は、試しに作り物の長い乳房を胸に取り付けて、生活してみるといい。たった一日でいいから。関西の某コメディアンがやるようにだ。あんなに短時間ではなく、丸一日ぶら下げて暮らしてみればいい。邪魔になれば、各種インナー、補正下着で固定しまくって。
アフリカなどの裸族の年配女性も、私から見れば、ずいぶん不便そうに見える。長く垂れ下がる胸をブラなどで、固定もしないのは暑苦しさを嫌うせいだろうか。切除すべきは少女時代の股間ではなく、授乳後の乳房だろう。
私は老年になってから、それを部分的にでも切除して、いくらか身軽な体を得た。
実は若いころからの悲願だった。小柄な体のわりに大きすぎる自分の乳房が邪魔で仕方なかった。女親に似たのではなかった。男親を産んだ女に似てしまったのだ。我々母子に「どんな根性で孕(はら)むと、あんな男が出来てしまうのだろう?」と思わせた、あの女だ。
女親がよく話したのは、その姑が雑巾とフキンを区別せず、寝具や衣類の扱いも投げやりだったこと。布団上げ下ろしの度、埃もうもう。居合わせるのが苦痛だったという。要するに衛生観念のカケラもなく、炊事や洗濯も、決して姑に任せたくない、自分でしないと安心できないと思うやり方だったそうだ。そして、覗(のぞ)き見。自分のできそこない息子が人の親にならないように監視すべき所を、何を思ってか、この子も一人前にコトを行えているか、とばかりに覗きに来ていたそうだ。覗かれていることに気付いた方(ほう)が「何してるんですか?こんな所で!」と咎めると、ふてくされるように黙っていたそうだ。
よりによって、そんな女に部分的にでも似たことは、私にとって不本意極まりないことで、どんな手段を講じても何とかしなければならなかった。「あんな女に似ないでおく為になら何だってする!」私はずっとそう思っていた。私が20歳の頃、どこへ相談していいかわからないまま、ある医療機関を訪れた。大学病院の多分、整形外科だったと思うが、母に付き添ってもらって行った。医師に希望を言ったが、受け付けてもらえなかった。医師は良心的だった。これから結婚、出産、授乳という大事なことを控えているのに、リスクの高い手術は思いとどまるように言った。実際、当時はそうだった。医師はこうも言った。「その、あんたが言う大きい胸が嫌で結婚しない、という男がいたら、そんなやつとは結婚せんでよろしい!」 お気持ちは嬉しかったが、かくて私は重い胸をぶら下げたまま何十年を耐えることになってしまった。そのうち、遅ればせにでも出来た子どもが威勢良く吸ってくれて軽くはなったが、縮むことなく、しぼんで垂れた。元々垂れ気味だったのがなお一層。マッサージや筋トレもいくらか有効だったが、労の割に効果は微々。
それから、更に時は流れ、リスクも激減、美容整形も乱立するほど普及した。それぞれのサイトで施術前後の写真も見比べることが出来、選ぶのに苦労したほどだ。授乳もとっくの昔に済んでいる私の希望としては、すっかり切除したかったのだが、医師がためらった。私の年齢を考えると、大規模な切除は体への負担が大きすぎるというのだ。受け入れざるを得ない意見で、従ったが、私は後悔した。介護やパート勤めに汲々で、それどころではなかったが、何とか時間を工面して、もう少し早くしていたら、カエルのようなペタンコ胸に戻れただろうに、と。実際、私はブラジャーをしなくてもいい胸を、まずは希望していた。乳首も不要だった。(いわゆるペチャパイでも、乳首の所在を隠す為にだけ、ブラをする人が多い)医師は私の要望にいい加減、困り切った様子だった。物理的に出来ないではない、だが、その大規模な切除に体が耐えられるかだ、と。出血も多いし、回復にも時間がかかる。…色々考え、私は妥協した。現状と理想の中間で妥協することにした。費用もかなり抑えられる。回復も早い。
無念な私と、ほくそ笑む夫。手術後、夫は、私がてっきりペタンコ胸で帰ってくると思っていたのに、意外と取り残しがあったことを喜んだ。どっちにしろ、全く無傷ではすまないのなら、ペタンコじゃない方がよほどいい、と。乳首もあるのが当然だ。これは後になってそうだと思った。もし要介護状態になって、入浴介助される時、カエルのような、のっぺら胸では人を驚かせてしまう。また、これは重要な性感帯でもあった。それにしても、授乳時の感覚と、性愛における感覚が全く違うのは不思議である。同じ個所であるにもかかわらず。
我家の場合、夫にしろ、息子にしろ、乳房大好き人間だ。彼らの場合、感触がまず第一らしく、形は二の次。三の次。垂れ胸持ち主の不便はあまり考えない。夫は、最初、胸をいじること自体に反対していた。私が切除を決心したと聞いた時には、悲しんだ。乳がんで乳房の大部分を失う女性が、人工的な修復をする気持ちが解るという。私は解らない。それどころか、あわよくばそうなって、それが片方なら、両方無いようにそろえたい、とさえ思った。私は夫に、例の「ぬいぐるみ乳房装着体験」を勧めた。嫌がるので、ブラジャー着用体験だけでも、と食い下がった。それも考えるだけでも窮屈だと降参し、私の手術に賛成した。
ちなみに、乳房に性的魅力を覚えるのは日本の男性に多く、ヨーロッパやラテン系の男性たちはヒップの方に、より魅力を感じる傾向があるという。乳房がまずは赤ん坊の為のものであることを考えると、日本の男性は赤ん坊段階から脱していないということか。そうだろう。乳房でも、使い込んで垂れたようなものより、お椀を伏せたような若い乳房を好む。いい大人、オジンになっているくせに、歳(とし)不相応に!
女性でも、こういう話に全く縁のない人もいる。授乳を終えて、特にケアしなくても、垂れない人がいる。というより、元々垂れる余地ないほど平坦なのだが、彼女たち自身はその貴重さに気付かない。膨らみが欲しいなどと寝言を言う。シリコンを入れたりする人もいる。入れて外見はふっくらになるが、寝ても流れず、ゆすってもうまく揺れない。そういう女性をアダルト動画で見たことがある。
その立場になったことがないから、私はペチャパイ女性の気持ちが解らないのかもしれない。でも、ペチャパイの小学生の頃から、ほんの少し膨らみかけた時、これ以上育ちたくないとはっきり思った。思春期に、情け容赦なく育つ乳房を鬱陶しく思った。貧乳や何やと言われても、それで授乳が果たせたら、私から見たら最高の乳房、垂涎の乳房である。
乳房縮小手術。技術進歩したとはいえ、受ける側も楽ではない、保険がきかない高額な費用、その後の何度かの通院、自宅でのケア…すべて余計な苦労、出費なのだ。
この不平等は男性の陰茎の千差万別ぶりの比ではない。
そんなことはない、と男性から異論が出そうだ。そうそう、私が女性だから気付きにくいだけで、男性の股間の一物(いちもつ)も生涯持ち歩かなくてはならないお荷物だろう。更には、剥(む)けている、いないと、面倒の始まりでもあろう。私はそこまでの詳細は知らないうちから、男を気の毒に思っていた。股間の一物が見るからに邪魔そうに見えた。近所の女の子で男児のオチンチンを羨み、自分にそれがない、と泣いた女児がいたが、気が知れなかった。子どもたち何人かで遊んでいるとき、男の子が立ちションするのを見て羨んだという。それを聞いて彼女の気持ちも少しは解ったが、人が排尿に費やす時間など、それ以外の時間に比べたら些細なものだろう。私は、それに固執する気にはなれなかった。更に昨今では、日本の一般家庭内では、男の立ちションがタブー化してきた。トイレ掃除に手を焼く妻たちが、「座ってして」と言い出したのだ。我家でも早くから皆そうしている。
幼少時から銭湯で老若男女の裸体を観察できた私は何と恵まれていたことかと思う。まだ近視でもなく、遠目が利(き)く目で十分観察でき、考察する時間もあった。
私の理想は乳房も陰茎も、無論体毛もない姿だった。実際10代の始め、親戚の風呂場の大きな鏡に映った自分の裸体に惚れ惚れしたことがある。銭湯にも、もっと大きな鏡があったが、その他大勢で見るのと、一人きりで見るのとは大違い。まじまじ見たのは親戚の風呂場でだった。私は、ほんの少し膨らみかけた胸の、そのままで、ずっといられたらどんなにいいかと思った。人が何かを嫌悪するのは、それが自分に不要か有害、またはそれを使いこなせないからだろう。乳房しかり、陰茎しかり、体毛なおさら。要するに生殖器官をうっとうしく感じるのは、生殖能力がないからなのだ。年齢的にそうであったり体力的にそうであったりする。成人していても、病弱でそれどころでない人は性的な話題さえいやがる。性暴力の被害者もそうだ。
私が小学生の低学年頃、近所の同い年の少女と一緒に大人の雑誌を見ていた時のことだが、大人の女性の裸体写真が出てきたとたん、彼女は「キャッ!不潔」と叫んで本を閉じてしまった。昔のヌード写真だから、股間は隠れた写真なのだが、少女には衝撃だったようだ。裸体自体が大事件だった。いわゆるヘアヌードだったりしたら、どうなっていたことか。股間というのは、子どもにとっても大事なところだ。ただし排泄器官として。それしか体験しない子どもにとって、その近辺のもの、またはそれそのものが未知の機能を持ち始めるというのは当惑する話なのだ。初潮にしても、本人にしたら「何がめでたい?こんなうっとうしいこと!」でしかない。少年の精通も同様だろう。知りたくもない、という時期もあるだろう。
キャッと叫んだ少女は、まだその時期だったようだ。また、銭湯へも行き慣れていないから、私のような免疫もなかったのだろう。私が思うに、子どもは、なるべく早く免疫を得る方がいい。平たくいえば、早くから人の裸体を見慣れておくことだ。老若男女の。それも写真ではなく本物を。すると、バカでない限り、気付くだろう。おしっこの為の道具がなぜ、男と女ではこうも違うのか。おしっこの為だけになら、男のこんなに大層なものは邪魔でしかない、何か理由があるのではないか、と。
不特定多数の裸体を見なれていないせいか、それに気付きもしないお子様たちを相手に、懇切丁寧に男女の体の違いや機能を説明するのは億劫なことだ。しかし、これは大人たちの務めだろう。人類を滅ぼしたいと思うならいざ知らず、そうでないなら教えるしかない。というのも、人間は他の動物と違って、本能だけでは生殖行為が困難だというから。不可能だと言い切る学者もいる。本能ではなく、知的な習得だという。言葉や図による理解が無ければ、交接不可能だというのだ。いくら体が成熟していても。私のような天才的どすけべえは別として、普通はそうなのだろう。そうしておくことにして、そのタイミングだ。
それは子どもが知りたがる時。「赤ちゃんはどうしてできるの?」などと訊いてくるとき。だから学校で一律にというのは最良とは言えない。家庭で、その子の関心に合わせて、が最良だが、むろん、少々タイミングずれても、教えないよりはずっといい。早すぎるぐらいでも、遅すぎるよりはずっといい。わが息子は早すぎたかもしれないが、知ってからは知らない子のことをかげで笑っていた。その子の親を差し置いて、自分が得意そうに教えることはしなかったようだ。「あのな、○○ちゃん、まだ知らんで。教えてもろてないみたいや、ふふふ」と。
性教育という言葉は漠然としすぎて、余り使いたくないが、妊娠の仕組みを教えることも、またそれを防ぐ方法を教えることも含むだろう。知的障害者の特に女児は性暴力の被害に遭い易く、それを問題視した教育者たちが、人形を使って性教育をしようとした。人体の仕組みをわかり易く、立体的に模倣したぬいぐるみを使って子どもに指導しようとしたところ、一部の政治家たちが、これを、猥褻だと言い出した。2003年七生(ななお)養護学校事件の始まりである。当時の東京都知事、日本国首相、石原氏、小泉氏はこぞってこれを猥褻呼ばわりし、東京都教育委員会が当時の校長及び教職員に対し厳重注意処分を行った。人形教材を押収した都議たちは、通常着衣だった人形の下腹部のみ服を脱がせ、性器を露わにした状態で写真を撮り、これを産経新聞が大きく報道。都教委は人形以外にも、授業記録、ビデオ、会議録等、ありとあらゆる資料を押収。事実は没収。その後、行方不明だと言って返却しない。
これを不服とした校長、教員らは提訴し、結果は勝訴した。2010年最高裁での勝訴でこの事件は、知る人ぞ知る、の重大事件となった。日本の司法が、本来の役割を果たし得た数少ない例だろう。この学校の教材は、知的障害者にわかり易くということで、男性器、女性器を備えた人形、そこから生れてくる赤子まで作られていた。その忠実さに私は感心した。男女の人形作りについては、似たようなことを、性暴力救援センターなどでもすると聞いた。心理的に不安定になっている被害者は知的障害者と同様、言葉だけではうまく状況を説明できないからだと。七生(ななお)養護学校の人形の性器の周囲は黒く仕上げられていた。陰毛を表すのだろう。日本人が大人になれば、実際に性器の周りはそのような色になるのだから、そう表現するのは当然。それは教材としては正しい。
それとは別に、個人的な私の美的センスにとっては抵抗がある。
裸体に免疫あり、目をそらさずに、鑑賞できる私でも、体毛にはいい印象を抱けたためしはなかった。長じてから自分の身の上にもそれが降りかかり、私自身はクサっているにもかかわらず、男たちがそれを苦にもせず、それどころか、愛(いと)おしそうに愛(め)でる様子に私は呆(あき)れた。「性欲は審美眼を狂わせてしまう」そんな気が私はした。「蓼(たで)食う虫も好き好き」ということわざがまた浮かぶ。そうだ、ある男性は得意そうに言っていた。「ハート形が心臓の形なんて嘘だ。ぷくっと膨らんだ時の割れ目だ」と。
動物にグロい、という感覚があるかどうかは知らないが、人間は、えてして発情時には、グロいモノに抵抗感じなくなり、それどころか好み始めるようだ。陰毛露出した全裸女性を美しく感じるのは射精前だけで、終わった途端、見るのも嫌になるとはよく聞く話だ。学者の言うには、人間の陰毛は交接OKのサインだという。それに適応できる機能が成熟した証だと。しかし、全くの裸族ならいざ知らず、着衣があたりまえの民族には、これを相手に見せびらかすわけにもいかず、もっぱら自分の自覚の為ということになる。自分はもう生殖機能備わったのだ、と。しかし、それとて、説得力ある話ではない。女性は月経がはじまり、男性は精通があれば、それでわかるではないか。女性の陰毛を性的興奮のバロメータという学者もいる。興奮の最初の兆候として、この立毛現象があるという。よく観察したものだと感心するが、いわゆる鳥肌が立つ状態で、その仕掛け人は毛そのものではなく、皮膚以下の組織だろう。毛はその状態を白状しているにすぎない。毛がなくても興奮は出来るのだ。それを観察する男性側の目安にはなろうが。
腋毛についてはどうか。異性の腋毛を見て発情するか? 男のであれ、女のであれ。むしろ引いてしまうのが実情だろう。だからこそ女性は、大多数が、当然のように脱毛するし、男性にもその傾向多い。
眉毛、まつげ、鼻毛のような明確な役割があるものは大事にしようと思う。しかし、退化し損ねたようなその他の体毛に今更、何の役割があるのだろう? 実に厄介である。汗はたまる、蒸れる、ゴムつける時には絡(から)む。脱毛すると生え始めチクついてかなわん。永久脱毛は高価で億劫。女性でも不便が大きい。私の子どもが小学生低学年の時、赤ちゃんはどこから生まれるかを知りたがったので、タイミング逃がさず教えようと私は意気込んだ。入浴時がいい、一緒に湯船に浸かり、私だけ立ちあがって、ここだよ、と指し示めすと息子は言った。「毛だらけでようわからん」と。
私の体験上、それをプラスに感じたり、歓迎したくなったことは皆無だ。脱毛が最近の常識になっているのは肯(うなず)けるけることだ。男子体操選手が脱毛するようになった。
私の若い日、無毛(ハイジニーナ)は敬遠されていたが、噂では、それを好む男もいるということだった。私はそういう男と出会えたら、迷わずで脱毛しようと思ったが、出会えなかった。出会えていたら感激で、燃え尽きてしまっていたかもしれない。
子どもの頃に「ずっとこのまま子どもでいられたらいいのに」と思った人は少なくないのでは?
私は強くそう思っていた。女でも男でもない妖精のように生きて、ほどなく消滅できたら本望だった。今でも私はその願望というか、憧れを引きずっている。生殖を断念してまで、思う自分になれた元オカマたちをまぶしく感じるのだ。性転換手術までして望む自分になれたら、もうそれで完結したのだ。子を残す必要もない。子孫を残すというのは、そういう望みを果たしえなかった人々が、果てしなく死にそこなっていく姿ではないか? 望む気力さえない人々が。
性転換手術については、まだ失敗例も多く、結果に満足できず、自殺する人までいるというが、さりとて、手術に挑戦せず、ぐずぐずと生涯終えるのは如何なものか。
さて、なにはともあれ、現実は平凡な死にそこない組に入ってしまった私は消滅もできず、願いも虚(むな)しく、乳房は情け容赦なく育ち、月経が始まった。うっとうしく思っていた女性という性別も、受け入れざるを得なくなってくる。首尾よく消滅出来ない限り、受け入れざるを得ない。男も女も嫌だが、女の方がまだましだ。思春期の私の判断はそんなところで、しかたなく女を生きていた。成人後、途中で生理がなくなっても、たいして苦にもせず。それどころか、産まずに済む、嬉しいわと内心思いながら。
血縁の親と自身への嫌悪から、結婚はともかく自分の妊娠出産を自制していた私だが、世の赤ん坊や幼児は可愛く思えることもあった。(無論、大人になってからだ。自身が子どもの頃は、赤ん坊など見るだけで嫌だった。妊娠中の女性もそう。子供が生れること自体が汚らわしいことだった)
大人になってからは、子どもを育ててみたいと時々思った。特に親に恵まれない子の親を引き受けたいと。自分一人では無理だろうから、理解ある配偶者にでも恵まれたら、という条件付きだが。私はそういう考えの持ち主だから、親子の絆に血縁という要素が大事だとは思えない。更に私は子どもが親を慕うのは「産んでくれたから」ではなく「構ってくれるから」であることを知っている。食べさせ、抱っこし、受け答えしてくれるからだ。これは断言できる。私自身の息子も幼児の頃言った。「ぼくがおかあさんをたからものとおもうのは、おいしいものをいっぱいたべさせてくれるから」だと。息子が私のことを「ぼくのたからもの」と言うので、訊いてみた「なぜ、そう思う?」と。息子は即答した。にこにこして。「だって、おいしいもの、いっぱいたべさせてくれるやんか!」と。韓国ドラマの王子のように「自分を産んでくれたから」などとは言わない。
跡取り王子を産んで、子なし正室に差を付けた側室が、しばしば王子に確認する。
「王子よ、王子、この世で一番大切な人は誰ですか?」
まだ幼い王子は硬い表情で答える。
「母上です」
すると更に訊かれる
「それはなぜですか?」
と。それに答えて彼はいう。
「はい、わたしを産んで下さったからです」
「はい。そうです。それでいいんですよ」
このドラマを見た時、私はかつての息子とのやり取りを思い出した。全く絵にかいたようなドラマで、笑うしかなかった。現実にも、この芝居を地(じ)で行くような堅苦しい親子もいるだろう。それに比べてわが親子は何と幸せなんだろうとほくそ笑んだ。
産んでくれたというだけでは、子どもはその親を慕いも愛しもしない。更には障害者に対する差別思想だと言われるのも覚悟して言うと、「産むだけなら、障害者でも出来る」のだ。「孕ませ、産ませる」のも、もちろん。
障害者は知的か、身体的か、またその程度にもよるが、子の養育には向かない場合が多い。出来ない人に無理なことをさせるより、できる人にさせる方がいいに決まっている。生みの親が、出来るかもしれないなどと希望的憶測で、子どもを手放したがらない場合もあるだろうが、主眼は子どもの幸福におくべきだ。私自身の、知的障害者の親にてこずった経験から、これは切実だ。障害者でも子どもを育てられるんじゃないか、などと、子どもを実験台にするようなことは慎むべきだ。子どもの人権を主眼にすべき。それに尽きる。
障害者に限らず、子は、それを産んだ者が育てるべきだという考えに固執すると、種族滅亡にまで至りかねない。少子化問題云々と、表面だけ悩んでいるふりせずに、本気で取り組めばこれが判ってくる筈だ。平たく言えば、婚外子(非嫡出子)、赤ちゃんポストに入れられる子、または、どこぞやに置きざりにされた子も含め、とにかくこの国に生れて来てくれた子は誰でも歓迎することだ。生みの親には産んでくれたことだけを感謝し、それ以上の期待はかけないこと。説教がましいこともご法度。国家としてそうしなければ、少子化は止まらない。その子たちの養育をどうするか、生みの親に期待せずに、子どもたちの手厚い養育をどう実現するか、真剣に考えるかどうかで、国の将来決まるだろう。…まるでこの国の将来を気遣うような書き方になったのは不本意だ。本意はそうではない。この国が滅んでも、私としてはなんてことない。滅びに向かう姿勢しかなければ、滅ぶのも当然、と言いたいだけ。この国では、ここ10年以上、人口減少に拍車がかかり続けている。女性が子どもを産まなくなっているからだとか、男性の精子も少なくなり、弱体化しているからだとかを指摘するだけで、手をこまねいている知識人たち。政治家たちの間抜けぶりは指摘するのも恥ずかしい。10年余り前から内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)なる役職が登場し、年々少子化に拍車をかけ続けている。
少子化を悪いことのように言うが、子沢山時代の母親の中には「産みたくて産んだのではない」と白状する人も珍しくなかった。大っぴらに言えず、はばかる人も含めたら相当数になるのではないか。女が望む子どもしか産まない時代になって、その結果が少子化なら、それはそれでいいではないか。不幸な親子が大勢住む国より、少なくてもいい、幸せな親子の住む国の方がよい国なのではないか。
ところで、人一倍子ども好きで、博愛の精神に満ちている人が、結果として、子どもと縁遠くなるということがある。子どもを持たずに暮らす人たちが、子ども嫌いや、育児嫌いとは限らず、不妊症などのせいもあろうことは、誰でも容易に推測できる。なら、もらえばいいじゃないか、と、つい、傍観者は思いがちだが、それにも大きな壁が立ちふさがる場合がある。子どもに無頓着な人ではなく、子どもに付いて、人一倍配慮深い人ゆえにそうなってしまうことがある。
友人の一人に、私より少し年上の既婚女性がいた。知り合った時、既に彼女は60歳近くで、リタイア生活だった。手芸や書道の趣味を楽しむ悠々自適生活に見えたので、子や孫もいると思っていたが、実際は、夫婦だけで子はいないという。
「私は子どもがいるように見えるやろ?」と自分でも言う友人。子どもの気持ちや扱いにも慣れていそうだったので、不思議だった。そのうち、付き合いが深まって、彼女のかつての職業が教職で、障害児専門のそれだったと判った。自身は何度か妊娠したが、いずれも出産には至らなかった、とも知った。「では、もらえばよかったんでは?」と私は何度か言いそうになったが、言えずにいた。言わなくてよかったと最近思うようになった。無意識のうちにでも彼女への配慮が私にあったのかもしれない。当時私は母親の介護や、息子の職業のことやで、友人のことを本腰で考えるゆとりはなかった。今、その頃よりは、かなり本気で考えられる。子どもをもらうというのは、産むよりも大変な配慮を要求されるということだ。特に、彼女のような職についていた場合は。自分が産む子なら、五体満足、障害なしの子でも、誰からも何も言われない。しかし、もらうとなれば、どうだろう? 五体満足障害なしの子をもらって手放しで喜んでいられようか? 教え子、その親たちはどう思う? 彼女は悩んだに違いない。彼女の配偶者も。
彼女夫妻が踏み切れなかったように、障害者の親を務めるのは大変だ。
私の親戚にもいる。知的障害者の独身息子を世話し続ける従兄(いとこ)が。私の亡母の甥っ子だ。広島県に住むが、遠い神戸へ嫁いだ私の母を気遣って、毎年、賀状をよこし、何かと情報も与えてくれた優しい男。
彼の母親は私の母の妹である。彼は自分の母親の姉妹たちの中で、一人、遠い都会へ嫁いだ女性を気遣ってくれたのだろう。その彼の何人かいる息子のうち、一人が障害者。自分が生んだ息子なので引き受けざるを得ないだろうが、身体的にも毎日人工透析が必要で、旅行などまず無理。朝寝坊さえ出来ないという。男性なので、性的なケアも必要かもしれない。関東や関西ならホワイトハンズも利用できるが、広島県では、まだ無理。労働にも携わり、収入も得ていると言うが、その管理は無理だろう。
多分結婚はさせないと思うが、親の一番の気がかりは、親の自分の方が先に死ぬということだろう。
障害者と家族としての係わりを持つというのは大変なことだ。私は知的障害者を親に持ったが、その障害は私に責任のあったことでもなく、何より、もう済んだことだ。厳密に言えば、家族だ、父親だと因縁を付けられただけで、実は赤の他人よりも他人だった男だ。その因縁を解くのはひと苦労だったが、解いた。私は彼を肯定する為に生まれたのではない。私は、親としての彼を否定し、退治する為に生れた。私は彼に犯された女が産み出した、彼女の分身なのだ。女の助っ人。このあたりの話になると、従兄(いとこ)はたじたじで、話にならなかった。
体験した父親がそもそも違う。家族の為に骨身惜しまず働き続けた大工の棟梁(とうりょう)という父親しか体験しない彼には、私が体験した父親面(ちちおやつら)下げた穀潰(ごくつぶ)しのようなものは想像もできないようだった。骨身を削って、娘、息子を大学にまで行かせ、長生きもできず死んだ父親のことを彼は未練っぽく語ったが、私にはまぶしすぎた。カネのない私の家では弟だけが何とか大学へ行き、それも学費はアルバイトで凌ぐ苦学だった。子どもの頃に何度か会った従兄(いとこ)の父親(私には叔父)を私は今でも覚えている。顔もはっきり。その名前、どんな字かまで。温和で、頼もしそうで、この人が自分の親だったらどんなにいいだろう、と私は思った。その働きぶりや甲斐性あるなしなど、知るよしもなかったが、その顔だけでも好きだった。大好きだった。
毎年夏の帰省は我々が中学生になるころにはしなくなり、彼らとも疎遠になった。その一家の出来事にも疎くなった。何十年後かに、彼のよこす年賀に「母のグループホーム入所」の言葉を見つけた私が、要介護老人を抱える者同志として、やり取りを始めたのだ。子ども同士の頃にはろくに話もしなかった従兄だったが、年月流れ、要介護老人となった私の母の望みで、実家の現状を色々知りたいと言うと、色々詳しく教えてくれた。専らメールだった。その中で彼は、今の自分は何人もの子持ちであること、そのうち一人は早死にし、一人は知的障害者であることなども教えてくれた。先に書いた父親の死を悼む気持ちも、メールでよこしたものだ。もっと長生きしてほしかった。家族の為に朝早くから夜遅くまで骨身を削って頑張ってくれた父親だった、と。
そんな親に育てられ、その死を悲しめる従兄(いとこ)が、私は、羨ましかった。はっきり言えば妬(ねた)ましかった。
そのメールを見た時もそうだったし、今もそうだ。
それはさておき、今の彼の苦労が、私をなんとも複雑な気持ちにさせる。私の苦労は思い出話になってしまい、彼のは現在進行形。障害者から被るダメージは多分、比べ物にならないくらい私の方が大きい、何と言っても子どもだったのだから、と私は思うが、彼は終りのない苦労の方が辛いと思っているかもしれない。要するに苦労の辛さは比べようがない。
子ども時代、従兄(いとこ)の家に何度も滞在させてもらったから、今度は一度ぐらい我家へも来てほしいと誘っても、逃げの一手だった。今もずっとそうだ。私のことを血のつながった父親をけなすバチあたり、ぐらいにしか思っていないかもしれない。
実際、私がその男に嫌悪しか抱かず、ほんのわずかな憐れみさえも覚えなかったか? と振り返ると、うっかり憐れんでしまう危険はあった。自分の責任でもない病気の後遺症のために、物心ついた頃から、誰にも相手にされず、晩年はタバコとTVドラマと喫茶店のマッチ箱集めの楽しみしかない老人を見たら、誰でもついホロリとするだろう。危険とは、妙な言い方になってしまうが、そう言うしかない。私が彼を老人ではない頃から知っており、その頃、彼がすべきことをしなかったから、そう言うのだ。親の役割を果たさぬばかりか、本末転倒な立場に子どもを追い詰めた。そんな子どもが成人して、その親を顧みることが可能だろうか? できる人もいるだろう。しかし、それは面倒の始まりでしかない。障害者を憐れむのは、その親の役割だ。その子どもの役割ではない。子がうっかり親を憐れむのは危険だ。この基本を見失うことから役割の本末転倒が始まる。諸悪の根源だと私は思う。
従兄(いとこ)に「息子さんの結婚を考えたことある?」と訊いてみたら、どう答えるか、実際に試してみたい気持ちは私の中にずっとあるのだが。拷問と言うものだろうか。愚問であることは百も承知だ。一緒に思い切り泣いてみたいのだが…。
逃げるなら、それで結構。私のことなど理解も想像もできなくて結構。思えば一つ屋根の下で暮らした弟でさえ、今では逃げの一手だ。破格の両親を見送った打ち上げを、体験者同志で水入らず、露骨に楽しもうと企(たくら)んでいた私を見事に裏切った。
去る者は追わずだ。従兄にしろ、弟にしろ、まだ宗教の縛りから解かれていない。私のような無宗教ではない。
私は今、自分を目いっぱい楽しんでいる。私の周囲で身内のようにまとわりついていた人々の正体も暴いた。多くは赤の他人だった。一時は自分の分身のように思っていた女親のことでさえ、そうだと今では思う。彼女の本心を尊重すればするほどそう思える。彼女が本気で愛した男は一人しかおらず、彼が死んだ時、彼女も死んだ。抜けがらだけで何年も生き延びてしまったが、今やあの世で彼と結ばれる彼女の念頭に、思わぬ災難でやむなく産み落とした子どもたちのことなどあろうか。子どもたちを忘れないでとさえ、私は思わない。むしろ、さっさと忘れてほしいのだ。
私が生じた原因ははっきりしている。それに係わった人物もはっきりしている。しかし、親がいたのかと考えると、いなかったと感じる。今、私が享受する楽しみや快適さを、彼らのおかげか、と訊かれると率直にそうだとは、言いたくない。皮肉をこめてなら別のこと。
いい思いも確かにしている。しかしそれは誰かのおかげというよりは、自分が勝ちとったものだと思える。何かにつけ、甲斐性なしの親でも反面教師として、感謝できるではないか、と言う人がいる。傍観者の寝言だ。当事者だった私は言う。
「感謝出来ない。お手本にもならない大人をお手本にせずに済むほどなら子どもではない。大人だ。反面教師の発想自体が大人のもので、子どもには全き教師の発想しかない」と。
自分の身近な大人の、良いも悪いも区別せず見習い、成長したある日、見習うべきでなかった部分を知り、排除するには人の何倍もの苦労がいる。感謝どころか、迷惑だ。以前は、それを大した苦もなくなし得たような見栄を張った私だが、もうやめた。体に悪いからだ。率直に言おう。酷い親を持ち、私は悲しかった、苦しかった。羨ましかったし、妬ましかった。現実の自分の親をもっと良い親に取り換えたかった。そもそも親孝行という概念がなかった。
さて、その自由な私は、子どものときより、娘時代より、今が楽しい。おしゃべりな子ども相手の子育て中も楽しかったが、それと同じくらいの楽しさだ。その息子は、私が老母の介護を終えた時、言った。私に「あんた、あと死ぬだけやんか」と。これに腹も立たず、その言いたいところは「もう無理せんと、ゆっくり過ごし」だろうと思えた自分が嬉しかった。父親譲りの訥弁(とつべん)、ダサさは、なんともなしがたい。後日息子はその失言を悔い、詫びたが、あれやこれやの失言が減るにつれて、彼を容認する女性も現れてきたのだろう。どちらから言い寄ったのかは知らないが、ひとつ年上の彼女だという。保育士というのも、頼もしい。彼らは人の親になるのだろうか? こんな日本で、子どもがまともに成長するわけないと思う私は、子産みを奨励も歓迎もしないが、それは口に出せない。
彼らの身体だ。私の思うようにはならない。現状の不幸な子が一人でも減る様に、産むより親を必要とする子を貰ってほしいとも思うが、それも、「駆け落ちしてくれ」と逃げ腰の立場では口が裂けても言えない。苗字のことも、「彼女の姓の方が平易な字で便利」とアドバイスしておいたが、本気で受け入れるかどうか。何よりも女性側がそう思わないでは話にならない。
日本人に多いのは、人の親になるに際して、執拗に血縁にこだわる人々。特に男性に多いようだ。年配とは限らず、若い世代にも。彼らに特徴的な発想は女性に子を産ませるという発想。
悲しいことには、女性を子どもを産む道具だとしか考えない男性がまだいる。若い男性の中にそういうのが、まだ。
彼女にプロポーズしたら、子供も産めない体だと告白された。3年も付き合って今更かと腹立たしい。彼女の家族ぐるみで騙していたのか、慰謝料請求したい。
という主旨の相談が、あるサイトに投稿された。私はこの女性の正直さに呆れたり気の毒になったり、一方、この男、自分が種(たね)なしではないという自信、保証でもあるのか?と、その傲慢さ、思いやりのなさを腹立たしく思った。夫はわらった。
「この男、何歳か知らんが、彼女に手もつけず、3年も、よう我慢したな。サッサと関係深めといたら、そういう話も出とるやろに。これだけ正直な女やったら、男がゴムつける時、言うやろ。『それ、あたしには、無意味』とか。そういうこともなしで引っ張ったんやから、女はプロポーズの時しか言うチャンスないわ。それ以前の、いつ言えというんや?」
なるほど。その意見も参考にして、あれこれ回答を考えていたが、うまくまとまらず、ある朝、見ると、ベストアンサーが出ていた。
女は子どもを産む道具ではありません。あなたは彼女を一人の人間として愛していなかった。そういうことですよね。
慰謝料は、そういうあなたに傷つけられた彼女が請求していいと思います。
あなたが請求するなんてお門違いもいいとこです。
完
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