人間誕生(第六章)

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第六章

ヴァギナの逆襲

 

さて、今から20年近くも前だろうか、私もまだ40代頃の話。ある女性との談話のなかで、性生活の話が出てきた時、彼女が、私にこう言った。

「ご主人からのお誘いを断ってはだめよ。あなた、誰に食べさせてもらってると思ってるの?」

これにはどう応じたらいいものか、私は途方に暮れた。女も生身の人間、気の進む時も、進まない時もある。断って悪い筈ないと私は思ったが、即答もできなかった。その後の、食べさせてもらってる云々の発想について行けなかったからだ。一体いつの時代だ? 昔、女性の経済的自立を故意に阻(はば)んで、男に頼らざるを得ない社会を作り上げた連中がいたが、その罠にもろにハマった思想ではないか。今時(いまどき)パート勤めもしない全くの専業主婦は少ないし、また全くの専業でも、主婦自体が一つの職業。主婦に現金収入がなくても、夫に養ってもらっているとは言えない。家事労働を賃金に換算したら夫の収入の約半分という数字も出ている。それに加えて、外で買えばけっこう値の張る性的快感も提供しているではないか。

意気投合して事に及ぶ時は、ウィンウィンで、恩着せがましい気持ちにはならないが、こちらが気乗りしないのに応じる時、それに値段を付けたくなる。心身共に全くゴメンと思うときは断るが、そこまで嫌ではない時は、相手の無理を聞きいれることもある。その代わり私の無理も聞いてね、という感じだ。この人にはそういうことはないのかな?

 

私は、彼女に訊いていてみた。「ご自分からお誘いすることもあるの?」

すると即答だった。

「ないわよ、そんなの。はしたない。それに、用事を増やしてどうするの。しなきゃ死ぬものでもなし。お父さんが言って来た時、応じるだけよ。はいはい、って。他(ほか)にすることいっぱいで断りたいと思うことも多いけど、放っておけないじゃない、結婚してる以上」

なるほど、オーガズム云々どころか、欲求自体ないのだ。冷感症というわけだろう。不感症の場合はまだ自分の症状を苦にすることともあるが、冷感症は苦にもしない。セックスパートナーを「お父さん」と呼ぶことも、自分からは誘わないことも、日本ではありふれたこと、普通でさえある。というより、そう教わるようだ。母親などから、「女の方から誘うものではない」と。どうやら彼女もそうらしかった。それが常識、心得ごとのように思っている人に、それ以上切り込めない。その人にも子どもはいる。男女計3人。妻の務めは夫の求めに応じること、それで子どもが出来たら育てること。それが女の道だと教わってきたのだろう。そもそも、なぜ結婚した? 皆がしてるから、何となく。しなきゃ目立つでしょ。職場でも売れ残りか?って目で見られて。

 

そういう女性の夫たちは大抵が、妻を「お母さん」と呼べる神経の持ち主である。寝室でもそうだというからどうしようもない。セックスパートナーだと認識していない。そもそもセックスを知らないか、射精をセックスだと思い込んでいるのかも。思わぬ、妻からの誘いにドキッとする「楽しさ」や「プレッシャー」も、逆に断られる時の「がっかり」も経験しないまま生涯終える。だからあんな平和顔?平和で傲慢、身の程知らずの自惚れ顔?「冷感症、不感症」の言葉をわが妻に当てはめる発想さえなく、家事あれこれしてくれる重宝で従順な女性として、食べさせているのだろう。この思い上がりを懲らしめたり、逃げ出したりする気力のない妻、いわゆる耐え忍ぶ妻たち。彼女たちが「亭主を殺してやりたい」と言うのを私は何度も聞いた。「家事や仕事でくたびれ果てた私をねじ伏せ、やるだけやり終えたら、ごろっとあっち向いて、たちまち爆睡。何度、こいつを殺してやりたい、と思ったことか」と。

怨念はいつかは男たちを襲うと思う。膣(ヴァギナ)の逆襲がどんな形で男たちに及ぶのだろう。楽しみと言っては身も蓋もないが、それに近い感覚が私には確かにある。

 

さて、夫が自分の妻を「お母さん」と呼ぶことに抵抗ない日本人は、妻も夫に「お父さん」と呼びかける人は多い。大した根拠なしに、そう呼ぶ人ばかりではない。ある効果を期待し、意識してそう呼ぶ人もいる。

「私が主人をお父さんと呼ぶのは、そう呼べば、あの人を直(じか)に触らなくていいから。子どもにかこつけて呼べば、直接触らなくて済む気がするの」

そう言った友人は全くの不感症でもなく、時々は自分からお誘いにも行くそうだ。次々に3人の元気な子を産んだ健康体。真底触りたくなる男との出会いが望まれる。健康な女は好きな相手でなくても、体が勝手に反応することがある。する方が身体にはいい。いわば、異物に対するくしゃみ、鼻水のようなもので、強姦される女性の苦悩がここにもある。無理やりの挿入で膣が傷つかないように、と、体が急遽潤滑液を出す。自衛の為で、喜んで出すわけではないのだ。なのに、これをいいことに「いやよいやよも好きのうち」などと思いあがる男が出てくるのだ。友人の相手もこの手合いで、知性にもデリカシーにも欠ける男で、確かめもせずに突っ込んで来るという。彼女曰(いわ)く、「そんな時は、私、言うの、お父さん、そこと違うよ」って。若いある日、見合いで見染められて結婚したが、亭主関白に後悔している。例えばこんな誘い方。「おい、今晩やったるからな。よう洗うとけよ」…、こんな言い方、私が別れた男でもしなかった。「今夜、僕、お風呂しっかり入るけど、あんた、どうする?」ぐらいの言い方はするものだ。友人は別れたいとよくこぼす。できるかな?と、私は思う。自分が離婚するときは、他人にこぼしたりしなかった。そんなゆとりはなかった。自らのあらゆる能力、エネルギーを結集し、目標達成にこぎ着けたからだ。他力(たりき)も大いに必要だった。実家の母親始め協力者には今でも感謝している。いやはや、結婚などよりよほど神経すり減らす。なし終えた時には何キロか減っていた。

それにしても、「触らなくて済む気がする」と言ってもこの友人、現実には触るどころか、融合している。めり込ませ、抱合している実態なのに、呼び方工夫で、「触らなくていい気がする」とは、なんとむなしい気休めだろう。

 

現状をこぼすふりして、実は楽しんでいるような彼らには、不思議な共通点がある。「悩んでいたい」あるいは「治りたくない」のだ。自分たちが病気だという自覚がなく、他(ほか)からそれを指摘されようものなら気分を害する。憤りさえ表わし、こよなく自分たちの不運、病気を愛し、守ろうとする。病気ではなく、国民性だという。個性だとも。生まれた時からずっと全盲だった人が、人生の途中で急に視力を得ると、喜ぶどころか、戸惑い、うろたえ、疲労するという。患者の年齢にもよるが、病気は治さない方がいい場合もあるのだ。

 

幼少の頃からなじんだ習慣、考え方、信念などを変えるのは容易ではない。親やその先代から刷り込まれた異性に対する固定観念もそうそう変えられるものではない。幼児にとっては神様のような存在の親や大人に、例えば「女は愛嬌、男は度胸」「男は泣かない」などと繰り返し聞かされたら、そうかと思い、その思想から逃れるのは容易ではなくなる。女は自分を主張せず、男に従い、歩く時も少し遅れて、慎ましく。「女にとって結婚とは、白無垢衣装で、主人の色に染まること。主人の苗字になり、その一部になることです。旦那様、あなた様の喜びが、私の喜び……」の類(たぐい)である。

この思想にからめ捕(と)られた男は例えば次のようなことをのたまう。「女は耐え忍ぶ所にその値打ちがあるんや。男に抱かれて疼(うず)いて来ても、じっと耐え忍び、慎(つつし)む姿にぐっとくるな、僕なんか」。

鍵もかからず、音筒抜けの、木と紙の家の時代の話かい? こういう男には不感症女が適している。感じまくり、あえぎ、泣き出す女は騒々しく、はしたないのだ。おねだりしてくる女など論外で、女に性欲あるなど不潔で耐えられん。自分が望む時だけ従えばいい。断るなど、仮に生理中でも男に対して無礼だと、まるで女の方に非があるかのように見下し、貶(けな)す。

それに類する忘れ難い出来事があった。現実の話ではなく、私が小学生(多分高学年)の頃、テレビで見かけた時代劇の話だ。女がその亭主らしい男になじられていた。どうやら、妻を寝とられた亭主の怒りの様な場面だった。妻を責めて、その男が言うに「死をもって、抗(あらが)えなかったか」とか…。私は時代劇に興味のない人間だったが、これは聞き捨てならず、見入ってしまった。というより、時代劇嫌悪の根源はまさにこういう所、と感知し、見入ってしまったのだろう。怖いもの見たさで。

犯された妻に対し「なぜ死なん?」と言い放つ男に私はムカついた。女は胸のあたりを押さえて苦しそうに耐えていた。黙って。私は思った。「おっさん、あんた、襲われる妻を助けにも行かんと、何言うてんねん? やった男を捕まえんかい。そんで、もし妻が自殺しとったら、気が済んだんか? その原因判るんかいや? いかにも強姦されて死んだと丸わかりな死に方せな、わからんわな。死体が行儀よく、そこにコロンとあったらわかるんか?」。様々な思いが私を駆け抜け、こうも思った。そんな男に限って、自殺されたら、死体に縋(すが)っておいおい泣き、「こんなことぐらいで死ぬことなかったのに」と言うのではないか? あるいは正反対に、汚れた女に用はない、とばかりに次の妻をさがし始めるのか? 「汚れた」と言う概念も失礼である。複数の男と性関係を持った女をそう言うことが多い。実際はそういう女の方が清潔である。手入れも行き届いて。

因みに、ある日突然、見知らぬ男に強姦された女性が、自分を汚(けが)れた女のように思ってしまうのは仕方のないことだろう。独身女性なら、なおさら。そのことを婚約者に打ち明けられないまま一方的に、婚約破棄した女性がいた。これは実話だ。性暴力救援センターが取り上げた実話で、女性は匿名、顔を出さずにインタビューに応じていた。独り暮らしの自宅玄関で帰宅早々に襲われた。「言うこときかんと殺すぞ、やらせろ」と押し倒され、余りにも突然で、何が起きているかも判らなかったという。半年間、誰にも言えなかった。妊娠せずにすんだものの、事件後、死ぬことばかり考え、何種類もの精神安定剤で、気を紛らわしている。それでも人生ロスした切なさは紛らわし難く、未練っぽく婚約指輪を見せていた。……私は、その映像を、婚約者だった男性が見て、彼女に連絡したらいいと思った。指輪を見て驚き、彼女の不可解な心変わりの謎が解け、慌てて電話入れて、彼女に会いに行く、そうなったらいいと思った。私がその男性なら、「殺されなくてよかった!」と、抱きしめる。また、私がその女性なら、婚約破棄する前に、すっかり事件を打ち明けて、彼の反応を見る。ダメ元(もと)だ。打ち明けて、新たに失うものは何もない。彼のことをよりよく知るいいチャンスだ。それもせずに、うやむやのまま別れるという彼女の神経が私には理解しがたい。精神安定剤よりも何よりも、有効な治療法がすぐそこにあるのに、なぜ見過ごすのか。

私が最も不可解だったのは被害者が、事件を誰にも知られたくない、特に彼にだけは知られたくない、などと言っていたこと。他の誰を差し置いても、彼にだけは知らせるべきだと私は思う。なぜ急に彼女が心変わりしたかもわからぬまま、捨てられる男の気持ちにもなってみろというのだ。

被害者は古い考えの女性で、「婚約者には自分の処女を捧げたい」の一念だったかもしれない。彼氏もそれにお似合いの男だったかも。今時(いまどき)、処女崇拝など珍しいが、ないとは言えない。

同様の被害者で、一(いち)か八(ばち)か、彼氏に打ち明け、理解を得、治癒に向かう女性もいると聞く。それでこそ人間、人形ではない、人間だろう。打ち明けて、万一理解得られず振られても、治癒は妨げられない。もっと理解ある男に巡り合える機会もある。じくじくと自身の傷を弄(もてあそ)んでいては、自身だけでなく、他(た)をも損なうだけである。

 

一体、どんなモノを食い、どんな親に育てられたら、こんな男女ができあがるのか? トランス脂肪酸か電磁波の仕業(しわざ)か? 自分を果てしなく見失う女と、閻魔(えんま)大王のように思い上がる男。時代劇の中だけでなく、現実の男たち、親、教師、親戚の男たちもそうだった。男は偉いとか、女の浅知恵、とか、何やかや威張り散らしていた。「女子供」をひとくくりにして、「男」に対峙(たいじ)する愚者のようにあしらっていた。

 

あんたら男は誰から生まれてんねん? と、子どもの私はよく思った。

生殖の仕組みを知った後も、この思いは大して変わらなかった。女の卵子を突(つつ)いただけで、すぐ人間になるか、女の腹の中で10カ月養うてもらわな、いっちょまえになれんやないか。そんなに威張りたければ、女なしでやってみろ、と。

これよりは少しましで、女なしでは立ち行かないことを自覚する男たちでも、お寒いお方は多い。ご自身の持ち物のサイズこそが男の値打ち、自分が気持ち良ければ相手もそうに違いない、などと思い込む初歩的勘違い組始め、女の股間はピンクが上物、黒ずんでるのは遊びすぎ、など、俗説、迷信に惑わされっぱなし。こういう衆生のためにこそ性教育が必要なのでは? 小中学生どころか、大の大人にこそ、必要だろう。性だけでなく、下半身全般の基礎知識、心得。お尻洗浄便器普及のおかげで、ビデ洗浄や肛門洗浄しすぎの患者急増、巷の医院は大繁盛。

しかるべき理由あって、締まり失う妻の膣を、ユルユルつまらんと蔑(さげす)み、ソープ嬢の締まりいい膣を高く評価する男には、マグロ女がお似合い。ダッチワイフで十分。一体、商売女が、いちいち客に感じていられるか。身体もたんよ。彼女らは「早くイケ!このノロマ!」の一念しかない。感極まる訳も、ゆるゆるになる筈もない。

妻の貴重な快感に気も留めず、自身の快感追及だけに汲々の、こんな亭主が日本にはいっぱいだ。

ついでに言えば、双方いい加減満ち足りた時にでも、そのあと漏らす男の一言で、女はすっかり興ざめすることがある。「何回イッた?」これを言われて平気で答える女も、(イカないので)答えに困る女もいるだろうが、イッても答えに困る女の心は「数えてないわ!」だ。「回数やないわ、程度やわ」かもしれない。いずれにしろ、そんなことは、まだ肌触れあっているうちに感じ取るもので、「質問」するものではない。ウブな初心者の男でもあるまいし。そういう男ならありだろう、そんな質問も。

男同士で自慢しあっているのだろうか?「俺、1ラウンドで相手を○回もイカすんやで」とか言って。イカせる男が上手いからでもあろうが、イク女が感度いいからなんだ。よすぎて失神することさえある。

実は、いくら感度いい女でも実はそうそう簡単にイキはしない。自身の体調始め、相手への好意、その場の環境、雰囲気等々、色々条件整わなければ、そうはならない。男のように単純にはいかない。それを知らない男はごまんといる。または、知っているとうぬぼれている。事後、相手の顔や体が紅潮もせず、痙攣もしていないのに、「イッた」と言われて信じる男がいる。ここは日本の母親たちも悪いのだ。「亭主はおだてろ、うぬぼれさせておけ」式の躾(しつけ)を娘たちにして来た。亭主に食べさせてもらうために。つまりはカネの為。この点だけなら風俗嬢と変わりない。主婦業とは住宅街の風俗業だと言ってもいい。だが、風俗嬢は、妊娠、出産はしてくれない。この重要事項だけは、風俗では扱えない、人権問題、重要な意思決定問題であり、しかも、女性にその自覚があるなしにかかわらず、決定権は女性側にある。「住宅街風俗業」にすぎない主婦業の中に、妊娠・出産・育児が自動的に含まれるなどと思うのは、夫たちの勝手な思い込み。これだけは別勘定で、家族の新たな「お出まし」には、夫自身も「お出まし」を願がわねばならない。他人任せで人の親になれはしない。平たく言うなら、出産、育児を母親任せにしてはいけないということだ。

 

ところで、つい見落としがちな人たちのことに触れておこう。インポと言うのは昨今品がないようで、EDと言うのがよろしいとか。女は冷感症でも性交不能というわけではないが、男のEDはもろに不能。物理的に、歴然。これに本人の困惑や劣等感が伴えば、まだ治る見込みがあるが、それが皆無となる場合がある。更に、それ(「自分のED」)を誇りとして、性的活動全般を見下げる方々がおられる。性的活動全般を、動物的だ、卑猥だとまではおっしゃらないが、そういう目で見る。高学歴、社会的地位も高い方々が多い。そういう方は独身で通せばいいものを、その地位の要件の一つと思うのか、見合い結婚などしてしまうから、面倒なことになる。地位や学歴に女性が飛び付き、縁談成立となることが多い。すらりとしたイケメンなら射落とされるのも早い。惚れた側の女性が寛大にも治療に協力して、医者に通いつめても、やっぱモノにならんわ、という結果になることが多い。多くは幼少時の母親の躾(しつけ)の賜物。おしっこの時以外、オチンコ触るなと躾(しつ)けられ、忠実に言い付け守って30年間、たった一度の皮むきもせず、医者を驚かせる男もいる。まあ、本格的な皮むきも射精もしなくても、精液たまりすぎて破裂して死んだ人の話は聞いたことがないから、それでも生きのびてはいけるようだ。人生の初っ端、母親に躓(つまづ)かされた男たちは、その後いかなる名医でも、美人妻でも、立ち直らせること超困難。

そういう男は最初から、冷感症女がお似合いだったのだ。独身ではないという見栄も張れ、自身の病気を苦にする必要もない。実際にそういう相手を探し当てるのは至難の業ではあろうが、EDと冷感症が、がっちりタッグを組むと、最強のプラトニックラブカップルができあがる。うっかりセックスレスカップルなどと言わないこと。彼らも手をつなぐことぐらいはするのかな、キスはどうかな?と勘繰(かんぐ)るのはいいが、不毛だとか、非生産的だと決めつけないこと。子どもを望むカップルには養子という手もある。同性カップルにでも言えることだ。

 

さて風俗の話に立ち返ろう。

女性の中には(色っぽさ演出の為)メイク落とさず行う人もいるらしく、またそれを望む男もいる。顔は洗わず、胸と股間をボディソープで洗うなど、暴挙もいいとこ。信じ難いが、現実だ。亭主に素顔を見せたことがない、化粧は女性のたしなみだと信じる女性は昔多かったし、今もいる。男にだけは、すっぽんぽんの解放感許して、自分は化粧崩れ気にしながら、デオドラントや脱毛やと気を使い、あるいはきれいに整えた、アンダーヘアのその奥にはゼリーを仕込んで、タイミング外(はず)さぬようにと、相勤(あいつと)めるわけだ。せっかく仕込んだそのゼリー、一緒に風呂へ入った客に、洗い流され、クサるソープ嬢もいるという。自分がイクどころの話ではない。その瞬間つけまつげがハズレでもしたら、大なしだ。

春画の日本髪女性を見るたび、私はドン引き。あからさまな巨根よりも違和感ある。あり得ない体位や巨根は漫画だとすぐわかる。しかし髪型はどうだろう。崩れた髷や洗い髪のような絵もあるが、きちんと結いあげた髪の女性が多く描かれる。客をイカせるのが本分の花魁(おいらん)や芸者は仕方ないとして、そうとは思えぬ女性まで、結いあげた髷(まげ)はむろん、くしやかんざしまで挿(さ)して…。あられもない裸体ポーズとはおよそ不釣り合いな、畏(かしこ)まった日本髪。あれを私は漫画っぽく感じるのだ。私なら、それが気になり苦になって、とてもイケない。彼女らはあれでイケたのだろうか? そのような顔にも描いてあるが、そもそも描き手は男ではないか? 作者不明も多いという。春画展などが盛況だという、虚構の絡み合い図がなぜ人気を呼ぶのか。理解に苦しむ。

春画だけではなく、古代エジプト美術でも露骨な性愛描写がある。古今東西、キスもクンニもフェラもあったようだ。心許した二人が何をしようが自由だが、下心なしに男性にフェラをしてしまう女というものは、いるのだろうか。ソープなどでフェラ慣れしてしまった男は、それが女の計算尽(けいさんづ)くというのを忘れて、いい女はフェラする女であり、それを拒否する女とは結婚しないとさえ思うようになる。自分がクンニをしたから、相手もフェラをして当然という言い分だ。こういう男に考えを変えさせるのは容易ではないが、彼らも次の一般論を知っておいてもいいだろう。

えてして男は女から求めなくても股間愛撫をしたがるが、女はそうではない。射精も排尿も兼用という男性器の粗雑さへの戸惑いが大きい。男が吸い込まれるように女の股間へ赴(おもむ)くのは、自分が生まれ出てきた体験を懐かしむかのようだ。ついでに、割れ目の次第にぷっくりしてくる変化も楽しめるようだが、女は男の小便の管(くだ)などに何の楽しさも懐かしさも覚えない。それを口(くち)に含むなど、ソープ嬢や膣に問題ある女性など、特殊な事情ある人以外は、煩わしいことだ。

妻が生理中だったのかどうか知らないが、膣の代わりに(くち)の使用を望んだ夫が捨てられた。(私のよく知っている男)

女の気持ちはよくわかる。カネが絡まず、対等な立場での交わりでは、まず、したくなることではない。赤ん坊のような、つるり、ちょこんとした可愛いものでもないのに。

念の為、付け加えておくと、私はフェラを全面的に否定するわけではない。一般論はあくまで一般論に過ぎない。特殊を排斥するわけではなく、むしろ見い出したいという儚(はかな)い野望さえある。自分の体験では、男性のその部分に思わずキスしたくなるようなことがなかっただけだ。それ以上になる筈もない。それは相手の男性のせいかもしれないし、私の体調や思いこみによるものかもしれない。そもそも私は世界中の男に出会えたわけでもなく、出会えた男たちにしても、心身ともにベストコンディションだとは限らなかっただろう。

私の考えを覆すような男性が出現したら、それは素晴らしいことだ。下心なしに、つい、その部分に、自分の可能な限りの、あらゆる手段を尽くした愛撫をしたくなるような男性に出会えたら! 文字通り食べてしまいたくなるような男性に。

現実にそういう男に出会える可能性は恐ろしく低いのを、私を含め、女たちはよく知っている。

現実の男たちの男根は、洗浄不足だったり、貪欲に摩擦を欲しがったり、口中で射精や放尿したがったりと、迷惑千万なのだ。こんなことにも気付かず、自分はクンニをしたのに、お返しのフェラをしてくれないと不満をいう男性が日本には溢れている。

しかし、敢えてこれに気付かせず、男の持ち物を金科玉条のごとく奉り、かしずく女たちがいる。フェラはさておき、男性優位、男系偏重の前時代的女性は、やはりいるのだ。

 

夫に本音を言えないまま長年連れ添い、私に、「オーガズムってどんなの?」と尋ねる女性がいた。子持ち。恋愛結婚。私は、「うーん、口ではうまく言えないけど…」と口ごもりながら、内心「へー、意外ね、あなたがそうだったの?」と思い、それが自分の顔に露骨に出ていないか心配だった。出ていても相手は気を悪くすることはないようだった。とにかく、勇気を出して訊いてきているのだから、答えてあげなくては、なるべくわかりやすく。

「強いていえば、くしゃみと似てるのかな…。それに、ドキドキ、ピクピク、そして、ぐったりと言うか…。何か別の生き物が自分の中にいて、勝手にやりたい放題始めるみたいな…。でも、私に訊かず、ご主人に訊いたら?」

すると、彼女が言うに、

「ダメよ、そんなこと訊いたら、感じてないことがバレてガッカリさせるわ。それに、叱られる。20年以上も演技してたのかって。主人は私もいい気持ちになってると思い込んでいるのだから。だっていつも色々してくれるの。私を喜ばせようと、あれこれ手を変え品を変え、優しいの、ほんとに…、若いころから、付き合っている人の中で、いちばん優しかったわ…」

こちらが本気で答えているのに、なんだ、この女、亭主のノロケか? いい加減にしろ、と私はムカついてきた。この女も女なら、相手の男も男、女の言葉だけを信じる男もいるんだ、言葉に見合う身体の反応や変化を確かめずに済む男もいるんだなと感心もした。彼女が本当に不感症なのか、彼の方がひょっとして彼女の陰核にも届かないやり方している間抜け野郎か。生れてこの方、女は妻一筋、他に試したことないという男のありがちなことだ。現実の人体は物の本に描かれているような定型であることは珍しく、皆てんでバラバラだ。内蔵でも、性器でも、鼻や頭の形でもそうだ。こんな簡単な道理が、こと女性器になった途端、通用しなくなる。一律医学書に描かれる図があるべき形ということになり、これに取り憑かれた女性が整形を希望してやまないことにもなる。セックスパートナーの男性からの無知な指摘もあるのだろう。

今になって、私は、そもそも、彼女、自分の性感帯を知らなかったのか? と思い、それを訊きもらしたことを悔やむ。男でなくとも、人は思春期になってくると、何かのきっかけで自分の感じ易い所に気付くものだろう。そこに当っていなければ、当たるように仕向けることぐらい誰でもすると私は思うのだが、ひょっとして、いわゆるマグロ女ではそんな気も利かないのかもしれない。

始末悪いのは、彼女が感じているとウソをつき、それを夫が信じてしまっていること。これでは手がつけられない。まずは妻一人、医者にでも相談してみることだ。私の知ったことか。彼女の夫の顔を見てみたい気もしたが、面倒の始まりと思い、彼女とは疎遠になった。彼女の的外れな男への思いやりには閉口した。私を巻き込まず、あんたら夫婦で思う存分取り繕い続けるなと、揉(も)めるなとしてくれ。そもそも何のためにお互い裸になったんだ? ウソつく為か。最初から、正直に対等に付き合わなかったあんたのドジ話をなぜ私が聞かされるの? 

 

【つづく】

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