人間誕生(第五章)

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第五章

快感が教えてくれること

 

人は、子ども時代、と一口に言うが、私のそれと息子のそれとは、思い切り違うものだ。

 

じじばばの支持ない命は根なし草、浮いて漂う根なし草

 

じじばばは、跡取(あとと)り息子の、そのまた息子、その中の跡取り孫だけ後生大事。

それ以外は、皆雑魚(ざこ)だから、捨てるも食うも気分次第。

赤子の手は、ねじる為。娘は売る為、稼がせる為、飼いならしておく家畜。

全く、もの言う家畜は扱いにくい。黙って稼げばいいものを。

おまえさんらはそう思っていたわけだ。

 

じじばばよ、私はその顔を確かに見たが、そっちからは何の言葉もなかったな。

ない筈だ(と、私は、よほど後で判る)お前さんらは、売り飛ばした娘が、

その先で、生き延びるとは、思わなかった。

ましてや、子を産むなどとは思ってもいなかった。

その子らにジロジロ見られる日が来るとはな。

 

我々は知っている。あんたらが孫の幼女や胎児を殺(あや)め、

子は食い物、売り物と、したい放題したことを。

跡取りだけを後生大事にするのなら、それ以外は生まなければよかったんだ。

節操もなく、だらだらと幾人もの子を垂れ流し、排泄物同様の扱いしかしないなら、

多くを語りたくないが、我慢ならん話を一つ聞け。

おまえらが大事にした孫、ただ一人の跡取りは、

子どもの頃から威張りちらし、私にも暴言吐いた。一度ならず。

忘れたいよ、あんな屈辱。

言葉にもしたくない。私はまだ幼く、言い返す勇気もチエもなかった。泣く気力も。

親に言い付ける気力など、もっとなかった。

 

あんなヤツが成長して医者になったってね。外科医だって。

出来すぎた話。何とかに刃物と言うだろう?

あんなヤツ、あんたらもろとも忘れたい。そう思うが、ふと、こうも思う。

あんた方の写真、捨てずにおいとけばよかった。

こういう顔は、こういうことができるんだって、いい資料になるのに、

うっかり破り捨ててしまったよ。

 

あんたらの娘は、残念ながら、あんたらよりも長生きし、90歳にもなる頃、遅ればせに、気付いたよ。

あんたらが君臨するだけで、親としての何の機能も果たさなかった、

そればかりか、自分があんたらの食い物にされ続けたんだと気付いてね、

あほらしく、憎らしくてね、びりびり破いて棄てたんだ。

思い出だけでもいいことあれば、たった一つでもあれば、そんなことにはならなかったろうに。

 

ねえ、じい、あんたが生きているうちに、ききたかったことがある。

うちの母さんが、もっと早く私に教えてくれていたら、

あんたが生きているうちに、訊けたんだ。

何にも知らんで、町へ飛ばされた母さん、ノータリン(脳足りん)にいきなりチンポ突っ込まれ、

大けがして、ゲロ吐いたんよ。

あんたが選んだあんたの同類、チンポ突っ込む以外、何の能もない男。

脳ミソなしの、大食(おおぐら)い。胃袋とチンポだけのヤツだった。

うちらの小遣いくすねては、パチンコ、競輪、競馬と忙しいヤツだった。

 

うちらの日頃の切なる念が届いたのか、

母さんよりも、いいかげん先にくたばったのがせめてものこと。

ああ、もう、全部忘れよう、あの嬉しい日以外のことは。

我々の望む順序で片付いた。母さんよりも先に死んだ、ばんざーいってな。

 

でも、一つ残る疑問がこれよ。

 

うちの母さん、そんな目にあわされるような、どんな悪いことしたん?

 

 

私自身の幼児期の、ほっこりする思い出は、一つはある。冬のある日、親の膝にちょこんと乗せられ、こたつに当たっていたときのこと、ふと後ろへ凭(もた)れると、あたたかく大きな支えを得て、なんと心地よいのかと思ったことだ。覚えている心地よさはそれぐらい。後日、母に訊けば、正月で、たまたま、娘を抱っこし、こたつで一息できた時の貴重なひとときだったという。その時、母の心には、夭折(ようせつ)した色白パッチリ目の長女や戦死した彼氏のことが去来していたかもしれず、または、亭主のギャンブル狂いに気をもんでいたかもしれない。

そんなことは幼児にはどうでもいいことなのだ。後ろへ凭(もた)れて、おおきな温かい支えを感じられたら、幼児はこの上なく心地よく幸せなのだ。

多分、幼児なら、普通はしばしばする体験なので、いちいち覚えてもいないだろう。このように記憶に焼きつくこともないだろう。私にはめったにないことだったので、しっかり記憶に焼きついたのだろう。

私は、子どもの頃、飢えに悩んだ記憶はない。弟もそうだと思う。麦飯(ばくはん)とわかめの味噌汁十八番(おはこ)の女親はむろん、男親でさえ、時々は菓子などを我々に買い与え、子どもと繋(つな)がろうとしていた。もっと幼い頃の思い出は皆無。母乳も十分飲めたようだ。私自身は覚えていないが、1歳ぐらいの私が、ある日「もう、いらんわ」と言って断乳したという。弟は長引いた。何歳と正確には覚えていないが、母親が乳房に恐い顔を描いて遠ざけようとしていたから、かなり標準オーバーだったのだろう。彼はそれを自分の両手で隠し、「これでこわない(恐くない)」と、吸いついていた。彼の、「母体」への愛着は凄いもので、私の何倍も母体を慕い、愛し、まとわりついていた。私には不快に感じる汗臭さも、彼には不快でなかったらしく「いい匂いがする」と言って、母体の脇の下へ潜(もぐ)って行った。これには私は仰天した。私がまだ小学生になるかならずの頃だった。声も出ないほど驚いた。

 

その後、長じていくうちに、自分にも体臭問題が無縁でなくなり、それは人種や食べ物に大きく関係する事を学んだが、嗅覚ほど捉えどころのない感覚器官はない。同じ匂いにも好悪の個人差、個人でも体調次第で変化し、またこの感覚は疲労しやすい。介護を始めた初端(しょぱな)は、気になっていた尿臭が、そのうち気にならなくなり、夫から「あんた、鼻マヒしとるで」と言われるようになる。日本人客にはとても我慢ならない外国人のわきがを、「そんなに悪い匂いでもないはず」と軽くあしらう客室乗務員。「日本人は、時々そんなことを言う。そもそも無臭の人などいませんよ」と。

日本人の感覚では、沢庵(たくわん)鼻に突っ込まれたようでも、あちらの感覚ではそうでもないのだ。逆にセクシーだと喜ぶ向きもあるという。全く。蓼(たで)食う虫も好き好きだ。ドリアやフナずしの世界である。横の座席で、臭う若い母親が、赤ちゃんを抱いていたりすると、日本人は、つい、あの赤ちゃんは鼻曲がる苦しみだろう、などと心配するが、心配無用。赤ちゃんは既に適応しているのだ。母親なしには生きていけない存在は、それなりに適応する。不快を感じっぱなしでは生きられないからだ。

ところでミョウバン。これは重宝。このデオドラント効果は、いつ、だれが発見したのだろう? 古代ローマではすでに愛用されていたという。私の女親は、自分の体臭が気になる年頃に、誰からも有効な情報を得られず、学友たちの噂で物知りの教師を頼って訊いてみたら、教えてくれたと言っていた。生涯で一番勇気のいることだったと言い、その時、快く教えてくれた男性教師のことを、彼女は実の親より誰より敬愛した。彼の処方は梅酢にその粉末を溶いて用いるというものだったという。

さて我々の子ども時代に話を戻そう。子どもに食いはぐれはさせなかった親なので、我々子どもが、親への不満をもつと、世の中はこぞって我々子どもを非難した。「世の中には子どもを飢えさせたり、捨てる親もいるというのに、あんたたち贅沢だよ」と。

 

これは彼らの詭弁だったと今では判る。飢えさせたり捨てたりは犯罪ではないか。より劣悪なものと比べさせて、何となく、自分たちの方がマシと思わせるやり方は、大昔からある。

あのころに戻って、そう言った人々に言いたい。「食わして貰っているだけでは家畜か、それ以下だよ」と。甘えられなくては、子どもをやってる値打ちがないんだ。抱っこやおんぶや、なでなでの記憶が極端に少ない。世に言ういわゆるペットでさえ、私よりは可愛がられていただろう。病弱な弟は、私とはまた違う思い出があるのだろうが、丈夫な私はそれらを求めるたびに、拒否されたり待たされた。とどめは、殺し文句「お姉ちゃんでしょ」で、やられた。これもあの頃に戻って言いたい。「だから、どうなの?」 誰かの姉であることと、甘えないことには何の関係あるの?

甘えることを罪悪のように教えられて大人になったある日、ある人から「あなた、子どもの頃、もっと甘えたかったんじゃないの?」と指摘されて涙が止まらなくなったことがある。その指摘は手紙だったから、泣き顔を見られずに済んだ。泣くことも私は下手だった。そもそも泣いても放置されたり、さらに叱責されたりでは、泣かなくなってしまう。そんなこと,泣くほどのこととではなくなってしまうのだ。身体には悪いだろう。

子どもの私には「甘える」どころの騒ぎではないほど大問題も数々あった。どれもこれも「あとで!」の言葉で棚上げされ、期限切れで、廃棄された。

これは私を産んだ女の人生、そのままの写しでもあると、今、私は思う。彼女は、結婚に不可欠な愛情や信頼、知識、欠落のまま、親の仕組んだ「結婚もどき」にハメられた。今、改めて見えてくる、彼女の両親の焦り、闇取引が。彼らはこの取引を親戚などにも知らせなかった。結婚写真は新郎新婦だけのものだった。田舎の婚礼に付き物の集合写真もない。あの時代、普通、新郎新婦を中心に親戚一同の記念写真があるものだが、それがない。闇から闇へ葬られるように嫁がされ、捨てられた。絶望したが、自殺できずに何人も子を産んだ。そんな女が、自分が生んだという責任感と精々気晴らしとで子どもを世話していたから、子どもにはあんなに冷淡にしか感じられなかったのだ。彼女にとって子どもは自分の分身、さらには武器だった。自分を損なった男に復讐する為、味方につけるべき大事な武器。丸腰で放り出された田舎娘が、我が身を削って得た唯一の武器が子ども。そのうち、使いものになったのは、息子ではなく、娘の方(ほう)だった。夭折した方(ほう)ではなく、生き延びた方(ほう)の。

 

彼女が娘にできた性教育は「ズロースはいつも穿(は)いておけ」だけだった。「穿(は)き忘れると、蛇が入(はい)る」と。その後、娘が少し成長してからは、銭湯で、その股間のびらびらを見ては「黒ずんどるね」とか言っただけ。だから、どうしろとも言えない女。普通の石鹸で入念に洗うのがよくないことも知らなかった。といって、ごしごしされたわけでもないが。娘はなぜ黒ずんだのか、赤子の頃はこんなじゃなかった、先に死んだ幼女と同じ様にピンク色だったのに、と思っていたのか。そう言う本人のは、大人なので、毛に隠れて何も見えないない。本人も自分のことは知らなかったと思う。あの時代の女性は。また息子への性教育は更にお手上げだったろうが、男児の股間は可愛くてたまらなかったらしく、時々キスしていた。赤ん坊のオチンコに。小さいので、すっぽり口中に入ってしまう。後日私が指摘しても忘れていた。いやいやするフェラなら、こうはならない。思わず知らず、やってしまうなんてことには。

 

彼女が、結婚する娘に言えた心得は「亭主の浮気は見逃せ」だった。二度が二度共そうだった。

 

穀潰(こくつぶ)しの甲斐性無し亭主をしょいこまされ、養い続けた彼女は、知りあいや友人が自分の亭主の浮気を愚痴るのを、贅沢な寝言としか思えなかった。愚痴る友に、「だからどうやの? あんたにカネ入れなくなるの?」と訊くと、異口同音に、「それはないけど」と言ったという。「家にちゃんとカネ入れるなら、よその女と遊ぶくらい何やの? 大げさに悔しがったり騒いだりする気が知れない」と、彼女はよく言った。「浮気できるほどの甲斐性や魅力のある男と暮らしてみたい、一度でいいから」とも。

そういう亭主と暮らす友人たちを彼女は羨んでいたのだろう。そうだ、こうも言った。「やきもち焼く女は愚の骨頂」だと。「私という妻がありながら、どこかの女といちゃついてるかと思うと、悔しくて耐えられない」などという女の気が知れんと。「どすけべえされて喜ぶ女がいてくれるなら、もっけの幸い、自分がされずにすんで、何よりだろうに」と。「ドーンと、のしかかられて、重たいだけのあんなこと!」

 

非情な親や、障害者に、体も心も壊された彼女は、その壊されたままの心でしか喋れなかった。彼女本来にもあっただろう温かい心は冷え、硬化し、体の冷えにまで及んでいた。男から解放された後も冷え性を引きずり、猥談ご法度、冷え冷え細々暮していた。結婚する娘に、

「妻たるもの、夫に浮気させない体になっておくべし」

などとは、逆立ちしても言えないのだ。思いつきもしない。そもそも、反応する女、感じる女を彼女は軽蔑していたのだから。そういう輩(やから)は動物的で下品ということになっていた。近所の茶飲み友達で長年親しくしていた友人がいて、ある日、先立たった夫の話をしたそうだ。夫との夜を思い出して「よかった!」と、ため息するのを、彼女は、ぞっとする、下劣だと言い切った。

彼女はいつも困っていた。欠陥車を与えられて、運転しろと言われたように。子ども時代の親の大八車(だいはちぐるま)後押(あとお)しの方がよほど楽チンだったろう。晩年、彼女は言った。「ど甲斐性無しは、やりたかったら、人間より家畜とでもしたらよかったんや。そしたら人間の女や子どもを不幸にせずに済んだ」と。

 

そんな条件、環境で、彼女はよくやった。やりすぎほどやった。私にも、凭(もた)れさせてくれたという思い出を一つでも残してくれたらそれで上出来。

一つでもあれば、無いよりは、よほどいいのだ。「あった」と見栄を張らなくて済む。

 

もう、やんぴ(やんぴ:やめること。やめる宣言。主に子供が遊びをやめる際に使う)

 

幼い日、ほんのひと時与えてくれた心地よさが、その後、何年分もの世話を可能にさせる。子どもによる親の介護は、欧米ではともかく日本では、ありふれた現状である。私にも回ってきた。やり始めには、いつとも終りの見えない、賽の河原(さいのかわら)の石積みにも思えたが、ついに終わった。もう2年近くも前になる。オムツ交換や入れ歯洗いの話はやめておく。終わって肩の荷下りた解放感に浸っていたいから。

介護の期間を確かめると、同居しての介護は5年と1カ月。え? たったそれだけ? 書類を見直すほどだが、確かにそうだ。実感としてはもっと長い。倍以上に感じる。同居以前、彼女がまだ独り暮らしだった頃の世話や何やも含めてカウントしてしまうのだろう。それなら確かに10年以上だ。介護生活終わっても、しばらくは、まだその余韻が残り、体は楽だが頭が空っぽ状態が続く。現実には空っぽと気取ってもいられない、親せきとの付き合いや、手続き的なことがいっぱいあった。

それも片付き、住居も、より簡素な所へ移り住み、本当に自分の日常を取り戻したのは、死後2年目。

 

最近では夫との親密な関係も復活して来て、ちょっと驚き。以前は全く潤いをなくしていた自分が最近変調。感覚まで戻ってきた。声も、つい上げてしまう。これには夫もむろん、私自身がびっくり。もう卒業した、と思っていたからだ。それを思い直すきっかけは、ある時ふと見た記事。「定期的なセックスが体にもたらすメリット」として、いくつか効能上がっていた、その中に,カゼ予防、鼻炎改善、骨密度低下の防止、体型への自信、男性の前立腺がんのリスク低下等、があった。グルテンフリー等の食生活改善で花粉症をかなり改善できていた私だったが、これは更なる朗報だった。骨密度維持にも役立つとなれば、逃す手はない。早速おけいこを再開した。

実は手持ちの古い書物の中に、こういうことを詳しく説いているものがあった。それも複数。ごく最近の荷物整理で判った。関心がないとは恐ろしいこと。引っ越しの時、捨てようかとさえ思ったものだ。かつて斜め読みした覚えはある。しかし当時は見落としたのか、見ても見えていなかったのか、全く知らなかったのだ。「閉経と共に意欲も消える」という俗説がまかり通り、私もそれに傾いていた。

老母と同居を始める前に、私はすでに枯渇状態だった。老母と同居の頃はむろん、彼女が施設に入っていたときも、そういう気分にはなれなかった。夫を干すのはいけないと、便利グッズのお世話にもなりながら、求めに適宜応じてはいたが、義里か厄介。「用事」でしかなかったのだ。億劫がる私に夫は言っていた。「円筒掃除を怠るからいかんのや。しょっちゅうやっておかんと」

その頃、同世代の友人たちにも訊いてみると、私と同様、中にはもっと早く卒業している人もいた。そもそも興味がない、なくなる、煩わしい。要求されたら、しかたなく応じるけど…という具合だ。それが自然な成り行き、露骨にいえば老化かな?と。私も思っていた。閉経と共に去りぬ、と。

しかし自身の体験がそれを否定する。夫は「それだけ、介護は大変やったということや」と、私をいたわるようなセリフを吐くが、もっと切実な本音は「ボクちゃん、とっても得した気分。だって、若い頃のように、ゴムつけなくていいだもん!」だ。そのホクホク顔が白状している。「ボクも手伝ったでしょ、あちこちへの送迎や車イス乗り降り介助や、おんぶとか。そのご褒美よ」と思っているのだろう。

60代半ばまで続けたパート勤めと介護生活が相次いで終わり、無理な早起きもせずに済み、自分の自由な時間も取れるようになったこと、散歩やサプリの効果等々、それらが相まってこうなったのだろう。以前とは違い、日常のありきたりの家事が楽しい。買い物、炊事、洗濯等々の雑用が楽しいのだ。

 

閉経組の女として、もう一つの発見は、これには尿漏れ改善の効果まであることだ。発見なんて、今頃何ズレたこと言ってんの、と、医療関係者たちからは笑われてしまいそうだが、人間、切実に自身で体験しなければ、単に「知識」や「情報」で終わってしまう。「骨盤底筋の衰えは尿トラブル、性生活トラブル等を引き起こす」なんて聞いていても、雑用にからめ捕られている時は、右から左、聞いても、聴かない。聴こうとする心のゆとりもない。

ゆとりないながらも、今思えば、私の体は知っていた。脳ミソよりも体がしっかり。尿漏れ改善体操で、締めたり緩めたりやってるとき私は思った。「これ、何かとよく似ているな」と。実際そう思う人も少なくなく、笑いあって言ったことがある。「体操面倒になったら、あっちの方、したらいいやん」と。

 

40代で性生活と無縁になった私の母は、晩年死ぬまでオムツを必要とした。亭主が死に、晴れて独り身になれたのが60歳そこそこだったから、まだ遊べた筈だ。しかし彼氏の一人も作らなかった。言い寄る男を振った話は何度かした。初体験の痛手は深く、性的なこと根こそぎ全滅だった。私は骨盤底筋強化体操を勧めたこともあるが、若いころからのダメージが大きすぎたのだろう。大した改善はなかった。骨密度もどんどん低下し骨粗鬆症にもなった。普通なら健康に役立つ筈の性生活が、強制されたものだったがゆえに、苦役でしかなかった彼女の人生。望まぬ性交や難産、中絶などですっかり体を損なったのだろう。若いころから冷え性、のぼせ等で悩んでいた。亭主が死に、自由な身なってからの方が、はるかに元気になったほどだ。悲しい女の話はやめよう。あの世で想う彼氏とよろしくやっているだろうから。

 

少数派ながら、生涯オムツと無縁でいられる人々も確かにいるのだ。その人々がそろって生涯現役エッチ組と言うわけでもなかろうが、下半身筋トレに相当することはやっていると思う。骨盤底筋始め、その周辺の筋トレにはあれが一番。何より手軽。

 

介護に携わっていた頃は介護者の集まりがよくあり、参加したが、そのOBの集まりはないのかな。介護者たちは私も含め、介護卒業後は、今度は自分たちが介護されるのを待つだけ感覚でいたようだ。しかし、今、その考えちょっと待てと言いたくなった。しかし…、よそう。これは万人向きではない。

解ってくれそうな人はそうそういないだろう。…ふと思いうかぶ人と言えば、亡母の最初のケアマネ。

たまたま私と同い年の彼女は言った。

「介護保険はとっくに破たんしていますから、我々が(要介護になって)それを利用しようとしても、

損するだけです。保険料を納めることも損ですが、保険サービスを受けることは、もっと大損になります。大穴埋める為にサービス料金、今後上がるだけですから」

十数年前に彼女は達観していた。すでに何年も介護現場を見、制度の形骸化を知っていたので、同世代の女性としての好意のようなもので、教えてくれたと思う。私は彼女に訊いた。

「じゃ、我々はどうしたらいいの?」

彼女は穏やかな笑顔を浮かべて答えた。

「元気でいることです」

惜しいことに、プライベートな付き合いは認められない関係だったから、個人的な連絡先は知らないままだ。町でふと出会うようなことはないのだろうか。会えたら丁重にご挨拶して、思い切り喋りまくりたい。あなただからこそ話せることだと、根掘り葉掘り。

 

日本女性の性的な無知や無関心は大したもので、すっかり気心知れてしまうまでは、うっかりその方面の話はできない。善意でうっかり喋っても、年甲斐もなく、色ボケだとか言われそう。生涯独身の人も、寡(やもめ)生活余儀なくされている人もいるだろうから。

私も少しは日本人のことがわかってきたようだ。この歳でやっと、日本人の国民性が。

 

それより、息子に詫びなければならない。

思春期になった頃の息子が、私に言ったことがある。「お父さんとこへ行ったりや」と。住居の事情で、夫と私の寝室が別だった頃だ。息子は、私に何度か言った。「お母さん、お父さんの所へ行ってやりよ」と。私は、ああ、この子も、自身の「男性」を体験するようになったのかと、ほくそ笑みながら、はいはい、と聞き流していた。息子のお節介は、きめ細かく、「鼻くそ見えたり、口臭かったら相手にされへんで」などとも教えてくれる。ありがたいなと思いながら、現実には息子の進学準備や、夫の早期リストラで、それどころではなかった。ある時、こんな返答を息子にしてしまったのだ。

「もうええんよ、行かんでも。あんたが出来たんやから、もうせんでもええの」

今にして思えば酷い暴言…どうしよう?

女が吾子(わがこ)を得た後は男に用はないと言わんばかり。子が出来ることは恐ろしいことだと息子が思ってしまっていたらどうしよう? 息子は覚えてるわな、そりゃ。いちばん頭冴えてる頃の発言だから。最近彼女が出来たという息子に、どういうタイミングで、どう発言修正しようか……、今の我々夫妻の実情を、まずは知ってもらい、笑ってもらおう。「以前、君が勧めてくれたように、やってるよ、今は」とか言って。

 

昨今、日本では若い人のセックスレスカップルが増加の一途だという。全世代を通しての日本人のセックス下手(べた)、セックス離れは世界でも有数だが、若い世代が特にそうだという。ジャンクフードや環境ホルモンでやられているらしい。滅ぶしかない日本という気もするが、まあ、愛国心もない私は悲しむ気にもなれない。むしろ、滅ぶ日本を脱出して生き延びろ、有能な若者よ、と思ってしまう。

若い女性は、いわゆる草食系男子が当てにならないせいか、自身で膣トレに励む人が増えたと聞く。

『膣トレ!』なる本もある。女性医師の著書で、実に具体的、実践的、頼もしい内容である。これ1冊で大抵の不感症は治ってしまうだろう。医者へ駆け込む前にまずは一読をお勧めする。コスメ、ファッション、ネイルなどの外見だけでは食い足りず、こういう内実に感心を持つ女性が増えることは喜ばしい。この分野だけは見栄の張りようがなく、仮に張ってもすぐバレる。こういうことをわきまえる女性がいてくれるなら、日本もまだ見込みがあるかも。外国では母親が娘に、女性のたしなみとしてしっかり教えるという。男を外見で釣るだけでなく、内実の満足も与え得るよう、また自身も得られるようにしっかり教育する。何よりも、実際に健全な性生活ができている母親が育てたら、大抵は自然にそういう娘に育つのだ。必要な場合は専門医療機関にかかることも常識である。医師以上に患者が賢くなっても何らかまわない。男性側が女性の膣ではなく、クリトリスに触れるようにするだけで治ってしまう場合がある。自分の彼女が上付きか下付きかさえ知らない男がいる。女性自身の方も知ろうともしない人が多いという現実は、さすがセックスレスの国だと感心する。

 

冷感症についての無知、無関心は、日本の、世界に名だたる国民病だという。病気だとも気づかず、従って治そうともせず、相手への加害者意識も薄弱か、ない場合も多い。相手の男性にも被害者意識がないので、手がつけられない。私の周囲にもそういう人はざらにいる。Orgasm(オーガズム)を知らない女は原則、自分から男を誘うことはない。男からの誘いに応じるだけである。日本女性はそうあるべきだとさえ教えられてきた。もっと極端なのは、アフリカやインドなどで、まだ根絶できないFGM。一夫多妻制が合法化、黙認される国々に多い。クリトリス切除で、女性から快感を奪う。妊娠、出産の苦役だけを残す。子産みだけはしてくれても、抱いても反応しない女体に甘んじていられる男たちの神経や如何? 気が知れんとはこのことだ。これには私の夫も深く同意する。

「おっさんら、何の反応もない嫁さんを何人も囲うて何が嬉しい? まあ自分の捌け口(はけぐち)が増えて便利やろけど。年とったら逆にもてあますで。それにしても、嫁さんらが揉(も)めることもなく仲好くできるのは、皆、感じないからこそやろ」

ふむ! と私は気付いた。なるほど、夫が複数の妻とやっていく上で、妻たちが不感症であるのとないのとでは大違いだ。感じない方が世話がない。扱い面倒な活魚より、冷凍マグロの方が気を使わなくて済む。いちいち感じられたり、られにくかったり、あっちの妻にはこうだったっていうのに、こっちではそうじゃない…、私にするよりもっといいことを他の妻にはしてやってるんじゃないの?などと、妬みあったり、もめることもない。切除された女性にとって、性交とは多くの場合、ただ突っ込ませるだけの、快感どころか、苦痛のお務めなのだ。それで、夫たちが心身共に満足できているかと言えば、やはりできていないらしく、感じる女を買いに行く者もいるという。切除されない娼婦を、だ。

いやはや、彼らは大金持ちだということだ。複数の妻を養うカネ、女を買いに行くカネ、カネまみれのFGM。これを最初に思いついた男の顔を見てみたい。だと思う。複数かもしれないが、男側の発想だとしか思えない。複数の妻を持つ事が、何より優先すべき彼らのステータスなのか? 何と不経済な話だろう。こんなことやっていたら、夫はいくら稼いでも追いつかない。貧しさを彼ら自身が招いている。私は彼らに訊いてみたい。複数の冷感症妻を養い、かつ、娼婦を買いに行くよりは、感じる妻を一人養う方が、よほど経済的なのでは? と。しかも人権回復にもなるのだが、これはにわかには理解させにくいだろう、彼らはそもそも人権の概念が希薄だろうから。

 

何年も前に私はFGM被害者の来日を知り、その著書(邦題『切除されて』)が日本でも翻訳されたので、手に入れたが、読み終えることができなかった。7歳の少女が麻酔もなしにカミソリでその手術を受ける場面が出てきて、読むに耐えず、手放した。注射針1本でも冷や汗,心臓バクバクの私にどうして耐えられよう? 著者は13歳で顔も知らない20歳年上の男と結婚させられ、子も産まされる。何人も。艱難辛苦の末、離婚。その後のことも色々つづられていたが、付いていけなかった…。いずれまた気を取り直し、読むつもりだ。快感を奪われた女性たちの悲しい実話を。

この本を再び手にする前に、これに関した別の本を2冊読むことになった。1冊目は先のとは別の被害者による著作。(以前の著者はセネガル出身で、今度はソマリア)。2冊目は日本女性によるドキュメント。一口にFGMと言ってもタイプが様々で、その習慣はアフリカの広範囲に広がっているという。これが出された十数年前より、今は廃止が進んでいるのだろうか。インドでも被害者が多いと最近聞いた。ソマリア出身の被害者の記述は切実だった。

少女が切れ味悪いカミソリで、手術される体験が記されている。筆舌に尽くせないその苦痛も無論だが、手術後どうにか歩けるようになった時、彼女が自分の体の一部を取り戻そうと、それが置かれていた岩場へ行ったというのが悲しすぎる。5歳の子どもの考えそうなことで、もちろんそれはもう影も形もなくなっている。彼女がその時泣いたかどうかは書いていないが、泣く涙もなかったのではないか。それにしてもこの少女は逞しい、その切除から何年か後、13歳で老人とムリヤリ結婚させられそうになるのを蹴って逃げ出す。放浪生活を経て一時はトップモデルとして活躍したあと、国連大使になるが、私生活での勇気がひときわ私の胸を打った。治療不可能な不感症という欠陥を抱えた彼女が恋愛恐怖症だったのは容易く理解できる。それでも、どうしても心惹かれる男性に出会った時、その翌日、彼に彼女はいきなり「あなたの子どもを産むことにした」と言うのだ。狂っていると思われることも承知で。自分のできること目いっぱいという感じだ。最初は戸惑っていたその男性がどのように彼女を理解し、愛するようになったかは詳しく書かれていないが、大変だったと思う。いくらモデルの美人でも、感じないことが判り切っている女性と連れ添う決心をするのは。ほどなく結婚し、彼女の希望通り、子どももできるのだが、彼女は書いている。「私はセックスの喜びを知らない」と。「遅ればせに恋に落ち、セックスの喜びを体験してみたいと思った。でも、その喜びを知っているかと訊かれたら、知らないと答えるしかない。夫を愛しているから、体を寄り添わせるのが楽しいだけだ」と。

生れ故郷ソマリアからロンドンへ渡った時、性器縫合による不具合を改善する手術を受けた彼女にしてこうなのだ。故郷では縫合しっぱなしで苦しみ続ける女性の方が大多数だ。

 

私は、自分が心地よくイケた後、急に涙が止まらなくあることがある。相手が「なぜ泣くの?」と訊いてきても、答えられない。そんなによかったと感激しているのか、と思うなら思わせておく。私は、自分の女親も含め、生来の快感を奪われた女性たちの損失、被害を思うとなんとも、胸えぐられるのだ。こんなささやかなお駄賃もなしに、妊娠と出産の苦役だけを強いられた女性たち。

女性の快感は男性のよりも長持ちするといっても、何時間も続くものもでもなく、妊娠や出産に要する時間に比べたら、ほんの束の間だ。そのわずかなお駄賃さえなく、苦痛でしかない性交の後、これまた不快な妊娠、出産の重労働に駆り出される…。暴行であれ、FGMであれ、その被害を被害だとも認識できず、自分の運命のように耐えるしかなかった女性たち。あってはならないことだ。自分がどうにかしてやれるものでもないという無力感も加わり、泣くしかないのだ。更には、自分がまさにそういう妊娠から生じたという事実が、自分の存在を根底からぐらつかせる。望まれない、祝福されない命から出発したお前が、何をいっちょまえなことを…とでも言われているような。お馴染みの、雑音だ。そう思って自分を励まし、建て直す。生れてしまえばこっちのもんだ!と。

他者の人体に人為的な損傷を加えて、本来享受できるはずの快感を奪う権利など誰にあるのだろう? それも少女に、大の大人が。少女は不感症になるだけでなく、日常生活も不自由で、無感情、無能な女性になり下がる。切除後、傷口をむやみに縫い合わせてしまうらしく、排泄や出産も大仕事の障害者だ。一度の排尿に10分もかかるようでは話にならない。それを体験済みの母親たちが、性懲りもなく、娘たちにも強制する。自分が苦しんだから娘にはさせずにおこうという女性は、なかなかいないようだ。いても少ない。その他大勢の凡人たちは、自分たちの種族の誇りのような感覚で引きずる。日本とはまた異種だが同類の、子どもいじめ、女いじめだ。

 

【つづく】

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