ランナー小説家、村上春樹

両生学講座 =第三世紀= 第4回

 前回、私にとっての村上春樹との出会いは、彼がランナーであるからだと述べました。

今回はまず初めに、その出会いのいきさつに触れておくと、私が最初に読んだ彼の作品は、『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)というエッセイでした。それも、数年前に当地シドニーで、熱心なランナーである知人から、その英訳版を奨められたことが発端でした。

このエッセイによると、彼は、私のような生半可なランナーではありません。日本語によるこの原本が出版された2007年現在で、彼は24回もフルマラソンを完走しています。そして、原則としてフルマラソンを年に一回のペースで続けると言っているところからすると、現在では30回ほどにも達しているはずです。

フルマラソンへの挑戦数で驚かされるばかりではありません。さらにこのエッセイには、毎年6月に北海道サロマ湖畔で開催されている100キロのウルトラ・マラソンを、1996年に、11時間42分で完走した際の苦闘のレポートも載せられています。そして、その完走後の心境を「走るという行為がほとんど形而上的な領域にまで達していた」(上掲書、p. 171)と述べています。

彼がランニングを始めたのは、それまで7年間のジャズ喫茶の経営者から、専業小説家に転身することを決心した頃で、体調の維持のためであったといいます。そして、「僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた」(同、p. 105)と述べ、小説家であり続けるために必要な、才能、集中力、持続力のうちの「才能」以外は後天的なもので、トレーニングによって獲得、向上させることができる、それがランニングであったと書いています。そのため、彼は走ることを日課とし、週60キロ、月260キロを目安としていると言うのです。

彼は、『羊をめぐる冒険』(1982年、33歳時)が、「主流文学」を追及する文芸誌編集者からの冷遇にも拘わらず、読者が熱く歓迎してくれたことで、自流を曲げない小説家としての自信を得たと回想しています。それと、走ることによって、自分の中に、まだそれなりに可能性が残されていたと感じたという自分の未知の部分が、三十歳を過ぎた頃、少しづつ明らかにされていたとも述べています。つまり、この両自覚現象は、彼に同時に起こった同じコインの両面であることは明らかです。

先に、エクササイズによる心身両面の開発効果について、その道の権威、米国カリフォルニア大学のカール・コットマン教授のコメントを引用しました。村上春樹が、三十過ぎの当時、こうした医学的知識に明るかったかどうかは疑問ですが、経験的に、その効果を実感しはじめていたのは確かです。つまり、彼が「ランナー小説家」であるというのは、走ることが、村上春樹にとっての心身ともの創作のインフラであったわけです。彼は、ニューヨークのシティー・マラソンを一ヶ月先にして、こう書いています。

僕は記録に挑戦する無心な若者でもなく、無機的な一個の機械でもない。限界を知りつつ、なんとか少しでも長く自分の能力と活力を保ち続けようとする一人の職業的小説家に過ぎないのだ。(同、p. 182)

私には、彼が毎日を、律儀な職人のごとく日課正しくすごし、石材をこつこつと刻むかのようにして、いくつもの長編作品を生み出している様子が想像されます。

彼のデビューは彗星のようでしたが、作家としての経歴は、才能あふれるきらびやかな態度といったものとはまるで無縁の、実に堅実な姿勢によって支えられているように受止められます。

そういう意味で、前回に述べたように、私にとって、村上春樹体験の二大印象のひとつは、《実直》であったわけです。

 

さて、そういう村上春樹の《実直》な人となりなのですが、しかし、その彼の作品を読んだ直接の印象は、そういう人となりとは相互に結び付けにくい、大いにかけ離れたものがあります。

つまり、彼の小説は、時に推理作品を思わせる謎解き風な展開を見せつつも、それでいて作中の個々のエピソードは飛躍や流転に満ちてその期待を裏切ります。かといって、夢想に身を任せる現実離れした遭遇や宗教セクトめいた舞台設定がゆえに、ニューエイジ風の神秘の世界への展開を予期すれば、ストーリーは逆に、とみに日常的な落ち着きへとも導かれてゆきます。そうした留まるところのない不定な設定に読者は引きづりまわされ、それこそ「主流文学」どころではない、型破りな作風を緻密に披露しています。

彼の作品の中には、時にはくどい――これは私見です――とも受け止められる刻銘な描写や、オムニバス風の多様に独特な挿話は、そのいずれかには、孤絶がちな現代心理にあってもその同感をさそわれるところがありそうで、その扇動に引き込まれる何かを潜ませています。そして、それでいながら、そうしたモザイク状の構成が成す総体は、帰結としては、前回で述べたように、意外に普通な安堵へと落ち着いてゆくのです。

私は、そういう彼の作品の異色な展開を《浮遊》と呼ぶのですが、この取り留めのなさと結末の心地良い落しどころという組合わせこそが、今日の読者を引き付ける彼的魅力を醸し出している秘密ではないかと憶測しています。

 

そこでですが、彼の小説側の表すそうした《浮遊》な世界と、彼のエッセイ側の表すその《実直》な世界という、この相容れにくい異者混合を内在させているはずの村上春樹自身とは、一体、何を意味しているのでしょうか。

私にとって、それは一種の不統合であり、亀裂です。それが彼のパーソナリティーの実相――創作上の“ふり”でない「実直」な表現――であるのなら、彼はそれほどにもスキゾフレニック(統合失調症的)な人物ということとなります。

そういう彼に、読者は、どこまで自分を投入してゆけるのでしょうか。一読者として私は、娯楽として読み捨て扱いにしない限り、そうした食い違った彼自身が大いに気掛かりとなります。

そして、そうした彼の特徴は、たとえばデビュー作では、異色ながらも、個人史風な現実味を保っていました。それが、年期を経るにつれて、長編として仔細かつ多次元的な物語に練り上げられてはいながら、その現実味は、離脱とは言わないものの、ますますと合一感を薄れさせています。そして、現実に生活している市井の読者への真実味という意味では、時に、ある徒労感、あるいは、なぐさむための作品かとも、ある種の疑念すら頭をかすめないわけではない心境にも捕らわれます。

 

そこでなのですが、先に述べたように、以上は、「動と不動」を「動」を3,「不動」を7に配分した、その「不動」優勢の側のもとで論じた見解、ということとなります。

そこで、その3と7を入れ替えて、彼の描く、そういう《浮遊》な世界こそが実際の現実感なのだと「移動」を優勢にさせるとすると、どういうことになるのでしょう。

そうだとすると、上記のような私自身でさえ、20代のころ、現実になじめない自分を、「‎仮の姿の自分」として、毎日を忍んでいたことを思い出します。

そういう意味では、私も彼も、現実との間に、同質な距離感や浮遊感を共有していたのではないかと仮定できます。

この仮定に立って言えば、私はそういう自分を「疎外」という観念でとらえ、いわば、思想的な居場所をこしらえて、その二重性をくぐってきたと言えます。

それをそうとはせず――3歳の年齢差の彼は、我々世代(俗に言う「全共闘世代」)の観念性にある欺瞞を見出していたらしいがゆえ――に、理念や形式としてではなく、現実感覚の二重性をそのまま受け止めようとしてきたのではないか、と考えることができます。

そう考えてみると、確かに、小説家であることを選んだ村上春樹にしてみれば、この世との隔たり感や《浮遊》感を、そうした観念の欺瞞を排して表そうとして、上に述べたような彼の小説の、あえて統合性を欠いたスキゾフレニックな構成に託してきたのも、当然な帰結と言えるでしょう。

逆に言えば、私が自分の抱くその現実との隔たり感を、そうした観念性にすがってなんとか忍んできた、そういう地点へのしがみつき、つまりそうした「不動」こそ、上記の、「動を3,不動を7」に配分する立場です。いうなれば、そのような保守的姿勢に立って、村上春樹を体験してきたというわけです。

しかし、上の仮定のように、根底には同質なものがありながら、それを彼は、違った風に受けとめ、違った風に表現してきたものが彼の一連の作品と見るならば、これらの二者を対象に両眼視野を開き、その《スキゾフレニックなステレオ視野》に寄り添うことこそ、移動による、自我のずれを共有し合うもの同士の産物と言えるものでありましょう。

また、そうした《スキゾフレニックなステレオ視野》こそが、村上春樹の描く世界の本髄であるとするなら、彼の作品の人気の秘密も、それと無関係ではないはずです。

 

そういう《スキゾフレニックなステレオ視野》について、それでもやはり、上記の「動を3,不動を7」に配分するこちら側から見ているのが私です。つまり、ここには、この此岸と彼岸を分けるギャップがあるはずなのですが、一体それは、何ものなのでしょうか。それを次回に考えてみたいと思います。

 

 

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