メディア操作(その1)

〈訳読‐2〉「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性(その9)

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「ちょっと、自分のまわりを見ればいい。なにもかもが後ろ向きで、上下転倒している。医者は健康を破壊し、弁護士は正義を破壊し、大学は知識を破壊し、政府は自由を破壊し、主要メディアは情報を破壊し、そして、宗教は霊魂を破壊している。」

マイケル・エルナー〔米国の医療批判家〕

もし大衆社会を、容易にコントロールでき、一定の傾向をもって考えるよう仕向けることができるなら、それはひとつの資産になりえないか。もし、成人社会の関心を、深刻な問題からそらすことができるのなら、それは大衆コントロールの手段として有用なのではないのか。もし、社会の関心を生の社会問題から現実には重要でない事柄に向けることができるのなら、新世界秩序を構築するための障害にはならないのではないか。権力を握るものたちは、ある事柄が、まして重大で劇的な問題が、主要メディアで報道されないかぎり、大半の人々はそうしたことの存在すら信じないことを知っている。メディアのプロは、社会感情にどう関わるかを熟知しており、人々の欲望を、セックスと暴力とあらゆる形のいざかいや争奪の洪水といったような、低俗なスリルでいかに飽満させておくかに腐心している。巧みな支配者は、片方では、決断に必要な重要な情報を拒みつつ、他方では、人々に彼らの望むものを、ことに頭のジャンクフードを過剰にすら与える。こうしたもろもろは、隠された戦争の沈黙の兵器である。

ノーム・チョムスキーは、自書『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』〔邦題『マニュファクチャリング・コンセント: マスメディアの政治経済学』〕に、メディアの自由市場経済モデルは、一般的で狭い報道に不可避的に終始する、と述べている。そして彼は、米国政府とその同調企業が、私たちが読み、見、受け取り、聞くことへのコントロールを、どのように実行しているかをこう描写している。メディアの全米ネットワークは、宣伝媒体を通じて利益をあげ、事実上、その生命線は、やはり利益計上を至上とする他の巨大企業との緊密な関係に依存している。それは不可避的に、そうした企業が放送や印刷情報への自らの選択を強いる結果となる。そのようにして、主要ニュースは、何を放送するかの選択と情報に加えられる味付けの双方において偏向したソースにたよることとなる。大手メディアは、その出来事がこと利権への脅威と受け止められる場合、意図的であれ、合理化であれ、その報道を歪めたものとする。憲法に定める発言の自由と報道の自由の履行者は買収されてきた。私たちの民主主義の根本原則は、日々新聞、テレビ、ラジオにおいて傷つけられている。そうして私たちが得ているものは、アメリカの特権階級の利益に迎合し、社会に客観的な情報を流す義務を無視する報道システムである。

公共放送としてのテレビとラジオは、その一つ一つは小さいながらも広範な市民、慈善基金そして政府補助金といった支持がゆえに、上記のような傾向に対し、勇気ある例外をなしてきた。しかしながら、最近、そうした支持の消え去りにより、大手企業による宣伝収入を受け入れなければならなくなっている。そうであっても、問題の両面からの客観的報道や異なった見解は、時に深みをもってなされ、視聴者の選択を引き続き提供しており、主要ネットワークによる重要な話の省略やうすっべらなののしり合いに比べれば、克明な対比をなしている。

ノーム・チョムスキーは、ある特定の話についての民放テレビのニュース番組を追跡してみた。その良い実例は、2011年9月に開始されたウォール街占拠運動の取り扱いであった。最初の一週間は、テレビニュースよりのほぼ完ぺきな沈黙であった。二週間目、サンフランシスコや米国の他の十数都市の連銀ビルで抗議が花咲いたが、全国的な報道にはほとんど取り上げられなかった。運動が始まって三週間目、「チョムスキーの時計」はCBSの「イブニング・ニュース」を30秒ごとに測ってみた。その結果、同ニュース番組の主要な話題は、米国産の資材のみで自分の家を建てた男と、レディー・ガガのファンへのメッセージで、両方で3分間が費やされていた。四週間目、運動は世界中へと広がり、米国と世界の900以上の都市での900以上の集会がもたれ、ようやく、大手テレビニュースの扱う話となった。

社会コントロールの要所は、関心を散漫化させることが主眼で、公衆の関心を重要な問題から、たわいもなく(重要でない)低俗なスリルへとそらせることである、とチョムスキーは指摘する。こうして、人々が現存する実際の重要な論争に関心をもち、その解決のために変化を求めることを防ぐことができる。もっとも典型的ニュースの話題を考えてみればよい。地方局のニュースは、その冒頭に暴力事件を最も多く用いる。2010年の調査では、(テレビよりニュースを得ているとする)回答者の三分の二が、犯罪が深刻な問題であるかと考えた、と答えている。だが、過去十年間に、全アメリカの暴力犯罪は、全体として減少しているとの統計結果があるにもかかわらずである。だが、こうした統計結果は、各地方の夜のニュースからえられる印象とは食い違っている。テレビのニュースやほぼ毎夜のドラマ番組の主調は、怖い話ばかりなのである。怖さは、考えることを停止させるための、確認済みの有効な心理学的道具なのである。

 

テレビでの宗教密売人

既得権者を標準的に定義すれば、「自分自身の目的、計画あるいは議事項目にくみするよう、コミュニケーションを妨げたり支配する人物、集団あるいは組織」となろう。また、私たちの政府やメディアの現状維持は、おおむね既得権によって左右され、脅威や懐疑や無意味そしてほとんど金、権力および支配の根底への脅威とみなされる知識から「人々を守っている」とされている。これは、なにが告げられていないかをほぼ説明している。実際、無知と秘密によって与えられる唯一の「保護」は、情報の流れを規制することによってコントロールを維持しようともくろむ、権力者たちの私的狙い(既得権)を隠すことである。そうすることで、この方法は、出現するかもしれない敵を、迷信や逆情報や無知をつうじて武装解除する。〔言い換えれば〕人々を奴隷と化させる最適な方法は、人々をすでに自由と信じさせることである。今日、ほとんどのアメリカ人は、自由な報道をもっているといまだに信じている。だが、アメリカ憲法によって保障されているこの根本的権利は、多くのアメリカ人が知らないうちに、しだいしだいにかつ巧妙に侵食されてきている。かくして支配者は、私たちの暮らしに、強力で絶妙な影響をおよぼしているのである。

そうした影響の一つは、懐疑的響きと示唆的な解釈の混じった、いうなれば巧妙な編集作用がほどこされた、用語法の常用である。実際に、そうしたネットワークのニュースを見る時、ちょっと試してみるといい。いい感じのニュースがいったい何回、「奇跡的」と表現されているか。天気予報は言う、「日曜の礼拝には傘が必要でしょう」。他の恒常的に繰り返される“よいしょ”的な扱いは、「天使の守り」ニュースで、大きな悲劇のあった時の関連した話題に用いられる。全国版ニュースは、けっして、ユダヤ教やキリスト教の祭日を報道しそこなうようなことはしないのだが、他の宗教がそうした注意を払われることはない。また、ローマ法王の行動に、「次は、法王が・・・と述べたバチカンについてです」と言って、大きな注視を向けるのも恒例のことである。

2011年4月29日金曜日、少なくとも一社の全国版ニュースは、英国皇室の結婚式を筆頭に報道した。南部州を大きな自然災害が襲い、何百人ものアメリカ国民が犠牲となったその翌日のことである。それは、ハリケーン・カタリーナ以来の最悪の自然災害であった。その歴史上で最大の記録となった竜巻が多くの町や住宅を破壊したニュースを報じる代わりに、ウィリアム王子とキャサリーン・ミドルトンの結婚といういい感じの話題を優先させたのである。その巨大竜巻の話題が報じられた時、地球温暖化や、地球的変化の可能性あるいはそうした自然災害に結びついているかもしれない(科学的ないし他の)推測についてはなんらも触れられなかった。この場合、竜巻はEP5レベルという地球上で最大のもので、幅200キロ〔ママ〕メートルの進路内の何もかもを破壊したのであった。それから数週間後、別の巨大な竜巻が、ミズリー州ジョプリンの大部分を一掃した。だが、全国ネットワーク三社はいずれも、神がかった言葉をもちいたその体験談を報道した。曰く、「私がその竜巻から生き残れたは神の意志だった」、あるいは「私は主を信頼して祈っていました」。また、ある記者は、ひとつの教会の被害を表現して、「神は自らの家をお救いにならなかった」、「こんどの日曜には、この宗教心篤い町では礼拝はおこなえない」と述べ、積雲の広がる気象写真を見せながら、「ここに、天国はみあたらない」と解説した。それから数日間は生存者の話が話題をさらい、ことに、一人のベビーシッターがその子の上にかぶさってその命を守ったのは「神の使い」の話とされ、この行動は単なる自然の行動以上のものがあると「解説」した。

 

自由でない新聞

多くの人々は、アメリカは世界中でもっとも自由なマス・メディアをもっていると考えている。だがそれは真実でない。むしろもっともありえる表現は、それが世界中でもっとも金にからんだメディアといったもので、人々は、異なった視点からの報道もえられず、闇のなかをつまずきながら歩かされ、市民は大きな負担をこうむっている。1990年代半ばの情報の自由法の拡大以来、文書による一定の〔情報開示〕調査が可能で、かつ、インターネット情報と合わせて、マスメディアが少数者に握られているばかりでなく、その隠れた少数が、大手ニュース・メディアの末端局をふくむ、戦略的使命をもつ諜報界系の機関をも所有していることを明らかにしてきている。そうした彼らの指示は、選び出した題材を、没にするか、書き換えるか、あるいは別のものにすり替えるかを命ずる。そうした潜りスパイは、大手民間メディアの世界中の末端局に配置され、(もはや推測可能なように)主に国際的企業や金融機関と結びついている。

もし米国が、単に民間寡占企業や政府の宣伝機関の代役にすぎないメディアではなく、〔表現の自由を定めた〕憲法修正第一条にふさわしいメディアを持っていたとしたら、アメリカ人は、人々としてそして国民として、はるかに進歩していたにちがいない。社会の理性的で知的な意見を操作しようとする者は、アメリカひいては世界を実際に支配するほどの力であるにも拘わらず、隠された政府というものを構築する。それは、世論を洗脳しようと指図する者であり、いにしえ以来のつるんだ政策を、世論を縛り牛耳るため、近代技術を用いて実行する者である。ニュース報道は、上意下達で牛耳られる。たとえば、ニュース番組のアンカーは、イスラエルによる侵略、ニジェール、アメリカ・イスラエル広報委員会(AIPAC)、外交問題評議会(CFR)、国際決済銀行(BIS)、中東の真実への寄贈(EMET)、新しい米国の世紀のためのプロジェクト(PNAC)、マッコーリー・インフラストラクチャー・カンパニー(MIC)、アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート(AEI)、三極委員会、ビルダーバーグ、そしてむろん、9・11やイラクやアフガニスタンの戦争の背後での嘘といった問題に言及するのは避けるようにと言い渡されている。マス・メディア〔が報じる内容〕は、選択された話題、たとえば「テロとの戦争」について、穏便な言及の度重なる繰り返しによって構成されている。それは、(その経済的目的である)企業利益が、話題の選択によって左右されるからである。石油会社は、製薬会社とならんで、最大の宣伝顧客である。現在、これら二部門の巨大企業は、テレビのニュース番組の収入の70パーセントを提供している。

ニュースの中で、巨大石油、製薬会社そして武器製造会社を批判するのはきわめて困難となってきており、偏りのない探究ジャーナリズムが望まれている。その数少ない例外は、「60 Minutes」が最近放映した二つの話題である。その一つは、〔うなぎ上りの〕抗うつ剤請求の詳細であり、他は、二人のトップ空軍パイロットへのインタビューである。この二人は、上部上官より、方向感覚を無くさせひどい病的状態に至らせる怪しげなガスを発散する機の飛行を続けるようにとの命令を受けたと告げている。そのパイロットは、この欠陥ある飛行機を飛ばすことを拒否した際の、軍の高級将校によるハラスメントや脅かしを報告している。

1.4.2 media manipulation

主要メディアを信用してはいけない。散漫で作られた題材、そして真実半分の作り物であるからだ。常に自分で調べ、反対をも含む多くの意見を考え、そしてその上でほぼ正しい見解ができあがる。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)

 

大立者たち

1985年、ユステイス・マリンズはその自書『Who Owns the TV Networks』の中で、ロスチャイルド家は三大全国放送局、NBC、CBS、ABCのすべての利権を支配していることを明らかにしている。ルパート・マードックと彼の企業ニュース・コーポレーション――メディア帝国――は、Fox の保守的な世界的放送網と強固に結びついている。しめて5社は、テレビ放送網、主要新聞、書籍、雑誌出版、ラジオ局、そしてハリウッド・スタジオを含む、すべての英語メディア販路を支配している。こうしたメディア大手企業は、その当初から、誰もが同じように考えるよう仕向けてきた。彼らは、主流メディアを通じ、最低、人々の心配をあたかも消滅させるかのように、彼らの考えを〔左右して〕決断させるよう差し向けてきた。

ベン・バグデキアンは著書『The New Media Monopoly』で、米国の大手メディア複合企業は、1983年時の50社から、2004年のわずか5社へと集中されてきたことを明らかにした。そうした5巨人とは、タイム・ワーナー、ウォルトディズニー、マードックのニュース・コーポレーション、ドイツのベルテルスマン、そして、バイアコム(前身はCBS)である。それに、ジェネラル・エレクトリックのNBCは、この5社に近接している。これらの企業は、いずれも、その企画から配給まで、映画やテレビ番組の製作過程の総体を縦に統合し、プロパガンダをばらまく理想的環境を形成している。バグデキアンによると、この5社は、政治と社会価値を製造〔下線は原著者。以下同〕している。そしてこう述べる。「メディア複合企業は、この国の保守的で極右的な政治を形成する主力である・・・ 彼らは、ラジオやテレビを支配する単独のグループとして、(あたかもリアリティー番組であるかのように)勝つための合法的方策として、強欲、虚偽そして嘘つきな人間性がもっとも必要な特性であることを奨励する、粗野で俗悪な文化を作り出してきた」。

1991年6月6日から9日まで、ドイツのバーデンバーデンで開かれたビルダーバーグ会議で、ディビッド・ロックフェラーは次のような声明を出した。「我々は、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムス、タイム誌そしてその代表が当会議に出席したことのある他の有力出版社に感謝し、かつ、その40年以上にわたる思慮分別に尊敬の念を表す。しかし、いまや世界は単一の世界政府にむかっていっそう準備と成熟をとげてきている。知的エリートと世界銀行家の超国家的主権は、過去数世紀にわたって実施されてきた国別の個別決定制度を確実に上回るものである」。この産業界のキャプテンは、(きまぐれな「王の神権」に仕える哀れな奴隷をもつ)中世封建制度は、アメリカの創建者によって作られた民主主義には「確かに好ましい」ものであった、とも実に赤裸々に宣言している。ディビッド・ロックフェラーがこうした見解を明らかに釈明的ではなく、むしろ合理的で優越したものとして誇示していることは、人間性に伴う深い自然な親切心と利他心に対する、肥大な自己欺瞞と悲劇的な乖離である。こうした内心の吐露に私たちが抱かざるをえない冷ややかな反応は、私たちをして、選択をしなければならないという高揚した覚醒へと導く。私たちは、何らの同意も得ようとしない、こうした力の犠牲となってはならない。

 

支配者の望む、庶民に知らしむべきこととは

高揚した覚醒の働きの中で、読者はここで、世論操作の他の工作に注目されたい。私たちの間に分断した見解を植え付けるために、私たちは、「奴らと我ら」といった態度をもって考えるよう仕向けられてきている。私たちは、「奴ら」といった見方を、宗教、人種、言語、教育、愛国心、階級、富、そして、人々の間の違いに焦点を当てたあらゆる分離主義の形をめぐって持つ。私たちは、こうした違いを、互いが類似していること以上に過大視する。だが幸いに、ある歴史ある専心した信条とニュー・エイジの教えは、私たちの霊性的同一性を認識し、それを正した道の開拓を始めている。

操作を目的としたその他の工作は、「国家安全保障のため」という何でもかんでもをくるみ込む汎用句の使用である。多くの重要ニュースは、既存権力が国家安全保障を脅かすと見なせば、いかなるニュース項目――事実上どんな話題でも秘密でおおわれる――をも消去できる「抹殺スイッチ」を持っている。そしてこの方法をもって、形容矛盾したオーウェル式ニュース用語は、マスメディアを通し、辻褄のあわぬあやふやな言葉――戦争とは平和だ。自由は奴隷制度だ。無知は強さだ等――を意図的に用いて、公共意識の中に浸透させている。

エリート支配者らは、メディアをコントロールすることが社会をコントロールすることだと心得ている。彼らが公言する使命は、マスメディアと金融制度をコントロールすることが、法律、政府、そして教育への支配を完成する土台である、ということである。中央集権化された銀行制度は、少数が自らの構想を政府、軍部、マスメディア、教育、そして産業に君臨させることを可能とする。米国の連邦準備銀行、Reserve Bank of England、Bank of Roth、Bank of Germany、国際金融基金(IMF)、世界銀行、そして国際決済銀行は、すべて民間所有銀行であり、ビジネス界が支配している。マスメディアがこうした機関を批判することは、リスクを覚悟で行わねばならない。

最後はハリウッドであるが、このメディアの娯楽部門も、当然の標的となる。この洗練された部門を操作するために、支配者は、製薬業界が(「白々しく」副作用のリストをその製品に付けて)公衆に取り入ったりするよりは、巧妙に姿を隠している。彼らは映画製作者に面と向かって、「我々はイルミナチなんだが、ここに台本があるので、ともあれ、この映画を我々の構想に役立つよう製作してもらいたい」とは言わない。そうはせず、彼らは小さな投資企業を設立し、その会社が自ら気に入った映画に資金提供する。その事業体は、広めたいと思う台本を選び、次に製作者や監督や俳優を雇う。彼らは決して、自分の所属やその動機を公的に明かしたりはしないが、真実を平易なシーンに隠そうとする傾向にはたけている。映画ファンに「サイエンス・フィクション」として提供される作品は、たいていフィクションどころではなく、それは科学的な事実そのものを描いているのである。

北朝鮮政府が、自らの国有メディアをどのように運営しているかを見ることはおおいに参考となる。北朝鮮の人々がどのように、言わば魔力のもとにさらされているかを考えてみるがよい。たとえば、元指導者の金正日とその跡継ぎの息子のことを。2011年12月の金正日の葬儀の際、テレビカメラは、広範な哀悼という事実でない印象を伝えるため、涙にくれる市民のイメージを繰り返すという見え透いた手を使った。だが、近隣諸国からのどんな反応も報道されないので、北朝鮮の人々はその単一の情報源に操作されるしかなかった。これは、私たちがアメリカで一握りのメディア局しか持っていないこと似ている。両国の権力は、テレビ局に「言われた通り」にとどまれと通告し、金正日の葬儀のように話しは作り変えられるか、少なくとも、彼らの求める通りに焦点があてられる。テレビ記者は受け身的か意図的に、あたかも一般的な意見であるかのように「皆が思う」話題へと脚色して取材内容を書き変える。そうしたメッセージは、あらゆる公式ニュース報道で繰り返され、「誰もの考え」を通じることで一般意識が形成される。状況の理解がしずらい場合でも、視聴者はその繰り返された話を、友人や仕事仲間や家族との間でも繰り返して触れ、かくして、プロパガンダは広がり、しだいにその話が真実であると固定化してゆく。

イラク戦争の第二の先制攻撃の偽った理由が、〔イラクによる〕「大量破壊兵器」の所有という、国防省の広報機関がまったくのねつ造として作り出した一般意識が最初の一歩であったことを忘れてはならない。そうしたねつ造が、国連による長期の調査結果がそうした武器のないことを公表したことを含め、たくさんのアメリカの諸組織によって容赦なく批判された時、ブッシュ政府は、サダム・フセインによるイラク市民の扱い(米国への安全保障上のリスクとは考えられない)と主張を後退させ、あいまいなテロ攻撃に結びつけた。そのようにして実際は、一つの国を破壊するには、(大企業によって請け負われた)膨大な軍事契約が必要で、さらに、その復興には、イラク侵略を推進したその主要勢力がおこなったのであった。

 

1.4.3 Hoover letter

この文書は、FBI長官J.エドガー・フーバーに宛てられた作者不明(シカゴ在住らしい)の手紙で、情報の自由法を通じて得られたものである。ここに、いかなるマスメディアからもUFOの話題を締め出そうとした意図、ことにそれが国の最高法執行機関から出された指示であることが明確にうかがえる。この手紙からはまた、陸軍や空軍がその墜落ないし回収した飛行体へのアクセスをフーバー長官に与えなかったことに彼が怒っていることが、他の開示メモから分かっていたためであることがうかがえる。(with permission, (c) Brad Olsen, 2015)〔この文書は以下のように訳読されます〕

J. エドガー・フーバー上官 

ワシントンDC

新聞を締め出すことが貴殿にとって最も賢明とは思われません――(締め出さないのでなく、すべての新聞に協力を求め)それが何であり、どこから来たのか、それが貴殿に判明するまで、そうした円盤のすべてのニュースを禁じる。

我々には、すべての敵は、たとえ国内のであっても、最初に思えた以上に、はるかに重要であると思われます。私の二人の息子は、今回やその他の戦争で、彼のアメリカのために無理をしました。我々はこの先も、それを危険から守られることを真に望んでいます。充分な者たちが死に名をなしました。手遅れにならないうちに、今ならまだ容易です。FBIを除いて、報道するには余りに重大すぎると記者たちが判っていなかったからこそ、新聞はその件を扱ったのです。

いずれにせよ、余りな危険が予想されます。

緊急に。

xxxxxx、シカゴ

 

企業の過剰関与

以下に述べられている操作のほとんどには、心理学的な条件付けがほどこされていることがポイントである。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』と同様に、大衆を一つの型に詰め込んでおくための心理学的な母型が作られている。そうした慣例とそれのメディアによる浸透は、大衆の操作をいかにも容易にしうる。権力を握る者は、何も分からぬ人々に、質の悪い話を流す効果を心得ている。馬鹿々々しいお祭り騒ぎは、分別ある多くの知性的人々を、重要な事柄から遠ざけてしまう。おびただしくあくどい逆情報が公共社会に流され、大半の人々は、不可解な謎の中に置かれ、真実と嘘を区別できなくさせられている。イデオロギー上の違いばかりの強調、微妙なニュアンスの無視、そして単純な言い回しの止むことのない繰り返しは、「情報にうとい選挙民」を作り出し、入り組んだ問題についても、何も知らされない状態に放置されてしまっている。

飽くことのない強欲は、資本主義の最大の欠陥であり、その永続化は、そのとどのつまりの退廃をもたらすだろう。これが、富の集中した1パーセントに見られる、見さかいを失った資本主義の姿である。人々は、自分達が必要と考えることを欠いているため、何が必要かを求める事態に遭遇した時、恐怖にさらされてしまう。「けっして満足せず」「さらにもっと」を求める考えは、私たちを知らずしらずにおとしめる、心理的な偽となっている。

だが、そうした奔放な私的出費をめぐる軽薄な競争を止め、より少ない物的所有にもとずく質素な生活に帰ろうと訴える、たくさんの小さなグループがあり、その数は増加している。企業とメディアは強欲と強制的消費性向をあおる一方、アメリカ中の個人や団体は、「けっして満足しない」誤った態度に気付きはじめて、こうした動向とたたかい、そして、質素な生活への復帰と資源の共有の考えを育成しはじめている。

企業はどのように、その倫理性のコンパスを狂わせたのか。その理由は、企業が多数の人々によって運営されるということに要約される。一企業が従業員数を増やす時、その富も蓄積され、それが自身の成長をもたらす。そして、その力を生かして、その企業は、あらゆる可能な手段を用いて生存につとめ、そうした自らの行動を正当化する研究に着手する。その企業は、政治家に影響をあたえようと、ロビイストを雇い、選挙献金をつうじて、政治家を買収する。富裕な個人――通常は産業の主――は、彼らの金の力を政策に影響を与えるためにもちい、あらゆる政治家は、選挙に勝つためにそうしたマネーに依存する。かくして、企業はその目論見を追求し続け、それがいかに不正であろうと、勝ち抜くことを優先する。だが、そうした組織内の多くの人たちは、そんな方針が長続きしないと疑問に思っている。健康保険会社、石油企業、そして巨大たばこ企業が、どれほどに歪んできたのか、考えてみるとよい。

今日における実態からして、そもそも多国籍企業は発達が許されるべきではなく、もはや超怪物――もはやほぼ神話に登場しそうな存在――にすらなっている、と言うに値しよう。そう言っては誇大表現なのだろうか? いや、ただそれを弱めるべきだと言っているにすぎない。たとえば数千人を雇用する洋上油田開発といった産業もその一例である。またその下請け部分のも弱めたい。この惑星上の巨大100経済団体(企業や国)のうち、半分以上が企業体である。20世紀末、エクソン・モービル社はウルグアイ以上の経済規模を持つにいたった。石油企業は自身で傭兵すら保有している。いくつもの政府は今や、それを選挙した国民にではなく企業に仕えており、これは一種のファシズム(市民の自由意志によって選ばれた代表によってではなく、癒着した独裁的権威によって統治されるシステム)とすら言える。アメリカがひとつのファシズム国家となるに至ったことに、これ以上の証明が必要だろうか?

2010年、連邦高裁は5対4で、企業は個人と同じ権利を持つとする「Citizens United〔諸市民の統一〕」と呼ばれる判決を下した。ウォール街占拠運動はその口火を切った際n、そのプラカードに、「テキサス州で一人が処刑されるなら、企業もその一人のはずだ」と訴えていた。その法廷の多数意見のために、ケネディー判事は、「企業出費の禁止は、大小の非営利あるいは営利企業の発言の自由を抑圧する」と述べた。これは企業を人間とする歪んだ論理――同様なたちの悪い操作を法の最高規範にもちこむ典型的な根拠を欠く話――である。その一方、少数意見側のスティーブンス判事は、「企業は人間ではなく、それは選挙にさいしての重要な識別となっていることに表されている」と語った。また彼は控えめな表現ながら、「企業の利益は選挙民の利益と根本的利害対立をなす」と指摘した。このきわどい5対4の判決は、連邦高裁に独立した判定者を指名することの重要さを表している。

隠れた政府の陰険な影響は、癌のように、産業社会のあらゆる分野に蔓延している。そうした触手は、マネーと脅しで勢いを増し、あらゆる重要さと影響のなかに手をのばしている。それは、メディアからハーバード大学そして国際金融機関へと広がる影響力をもつ集団となっている。不吉なことに、それはあらゆる人の心中にも影響を入り込ませている。それは、ある一定のポイントまでは、ほぼ成功裏に活動している。

繰り返して注目しておきたいが、覚醒は始まっている。個人やグループがその声を発しており、インターネットを通じて人から人へ、私たちの心は私たちのものであることをお互いに忘れないようにと教え合っている。私たちは選択ができる。私たちの心は、私たちの脳によって制約されているわけではなく、その同意なくしてはコントロールは不可能である。事実、私たちはよりよいアイデアを持っている。私たちは恐れを追放し、愛を選ぶことができる。即ち、最も高い意味で、愛は、真実と一致する。純粋な愛のエネルギーに焦点をあてることを選択する人には、毛嫌いや恐れに基づくプロパガンダが侵入することは不可能である。こうした愛はこの宇宙で最も頼もしい力である。そしてそれが共有される時、それは級数的に成長する。

 

【この章つづく】

 

参考文献

 

Bagdikian, Ben H. The New Media Monopoly. Boston: Beacon Press, 2004.
 
Robert Kennedy, Jr. interviewed on Tavis Smiley:
http://www.pbs.org/wnet/tavissmiley/interviews/environmental-advocate-robert-f-kennedy-jr/
 
 
 
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Future-Esoteric-12-cover-small


Future Esoteric: The Unseen Realms by  Brad Olsen

http://cccpublishing.com/FutureEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2015


 
 
 
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