「エリート」とは誰?

〈連載「訳読‐2」解説〉 グローバル・フィクション(その20)

今回の訳読を通じていっそう納得させられることは、(過去もふくめ)現代の資本主義体制にとって、戦争、ことに第二次世界大戦が、いかにその体制確立のための周到かつ巧みな手段――「結果」のごとく言われていますが――となっていたかということです。いわば、軍事力と経済力は、国力という同じコインの両面で、それを相互にあるいは両輪として駆使しながら、そうして、たとえば米国は二次大戦後の覇権国家となり、日本はその野望を完膚なきまでに粉砕され、かつ、上手に利用されたわけでした。

そうして、一見、平和となったかの戦後世界を、ふたたび事実上のそして新スタイルの戦時体制へとしたのが《冷戦》です。ケネディーの暗殺を引き起こしたものも、そうした新たな戦時体制である《冷戦》構造なくして、アメリカという最大覇権国のその筆頭リーダーが殺されなければならなかった“理由”は発見できません。いうなれば、世界には、そうした《冷戦》を必要とする何ものかが存在し、それの意図のもとに組み立てられたのが、《冷戦》体制という戦後世界の大枠構造――いわゆる「パワー・ポリティックス」のひとつ――であったのでしょう。

そういう視点で《冷戦》をあらためて見直せば、大量の血を流す「熱い」戦争を抜きにしながら、大規模な軍備そしてその拡大競争が現実に展開されたという体制は、そうした何ものかの本音と、民主主義という平和志向にならざるをえない現代政治の要請の、その両条件を満たしたという意味で、この上のない恰好の政策であったのでしょう。

考えてみれば、そうして東西の両ブロックで展開される軍備競争に用意された膨大な《両側の》予算が費やされていった先はどこであったのでしょう。それをビジネスと見れば、それはビック・ビジネスであったどころかこの世の最大の「打ち出の小づち」であり、そこから上がる利益を手中に収めるシステムやそれを懐に納めている者たちの存在とは、それはこの地球や人びとを食い物とする、デーモン的存在〔その「ピラミッド構造図」が本章に〕と言うに等しいものとなりましょう。

そして、その《冷戦》構造も1980年代をもって終息し、世界史上はじめての戦争の必要のない世界が出現したかと思えたのもつかの間、世紀の境をはさむ両世紀の尾と頭が見せてきているものは、世界各地での小戦争の連続であり、そのあげくの果ての「テロとの戦争」宣言です。

よくぞここまでやってくれるものだと驚嘆されられますが、そうしたあの手この手で、戦争状態は維持されてきているのであり、それを建前上、民主主義的に実行するために、アメリカをはじめ世界各国の国民は、かつての大戦の深い反省を忘れさせられつつ、一歩いっぽと<好戦的大衆>へとみちびかれてきています。それにしても、どこの母親が自分の子を戦場へと送りだすことを望むでしょうか。そうであるにも拘わらずです。むしろ、そうであるからこそなのでしょう。

戦争状態の継続に投入される天文学的費用とそれから上がる莫大な利益。加えて、それを演出し続ける世界各地での緊張状態を作り出すためのさらなる費用。しかもそれらの多くは秘密になされる必要があり、現に、アメリカの国家安全保障関係の予算や組織規模は公表されてはいません。それにしても、言い古されながらいまだに新鮮でエキサイティングな議論、即ち、そうした両側での膨大な費用が、もし、平和時の建設や福祉に使用されたとしたならば、地球上の貧困問題なぞ、いとも容易に解決されるでしょう。

上の用語を使えば、「パワー・ポリティックス」から軍事をのぞいた――それがそれでも「パワー・ポリティックス」と称せるものかどうかは疑問ですが――、ヒューマンなポリティックスに脱皮されてゆくことが希求されます。それは《現実主義的な理想主義》とも呼べるでしょうか。

 

ところで、以下は翻訳上のコメントでもあるのですが、そうした「デーモン的存在」をさして、原書では「 elite 」という語が頻繁に使われています。他方、日本語上、「エリート」とは、大概の文脈においては、選ばれた優れた少数という意味で使われ、その含みにネガティブな要素はないのが通常です。

しかし、現代英語上では、ことに本訳読書のような「エソテリック」な文脈では、「elite;エリート」には、「意図的に身を隠した一握りの超富豪で狡猾な支配者」を意味する、けっこう強く意識的な言葉として用いられています。そうした原書上の意味にうまく相当する日本語が〔私の知る限りでは〕見当たらず、この訳読上では、それを原語表現のまま「エリート」と表記してあります。読者におかれては、その辺のネガティブな意味をくんでお読みください。ただのニュートラルで平凡な意味での「エリート」では決してありません。

 

それでは、「秘密政府」の章の後半へとご案内いたしましょう。

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