≪反歴史≫≪反事実≫

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その29)

率直に言って、今回の訳読も、「もしこの記述が真実ならば」と驚嘆せざるを得ない記述の連続です。むろん、原著者にも、その確証はとれない事柄で、記述は各所に「伝えられる」とか「報じられている」とかとの表現で扱われています。

その一方、それが虚偽であるとの確証もとれないのであり、私たち読者としては、そういう情報として、それをひとまず頭にとどめておくしかありません。

それにしても、秘密とされている事象の規模の膨大さには、認識の尺度を改め、構えを確かにしておくべき必要はあるようです。

つまり、これを陰陽逆転させて言えば、事実や歴史には、公にされていない秘密の部分が、氷山の水面下部のように、予想や常識を超えて、はるかに膨大かつ多量に存在しているのではないかということです。そう、氷山の比率で言うならば、1対9の割合で、公とされている陽の部分の9倍のボリュームの陰の部分があるのではないか、との覚醒です。

それを歴史で言うなら、教科書に書かれているような表向けの歴史は、権力者の、あるいは、勝者の都合で書かれたほんの一部の事実で、その背後には、葬られて永遠の眠りにつかされた、膨大な非公開部分があるはずだ、という気付きです。

これはよく言われることですが、歴史には一般大衆は登場せず、そこに述べられていることはすべて、権力者にまつわる出来事です。

むろん、それが「歴史」というものなのですが、そもそも「歴史」がそういうものであるのなら、葬られ、顧みられることのないその陰の部分の「歴史」を、その陽の「歴史」と区別して――ことに、一般大衆の私たちの歴史として――捉えることは有意義です。

ここで、そう区別した「歴史」を≪反歴史≫と呼ぶこととしましょう。

そして、まだ、歴史とまではなっていない現在生じている事々についても、世に流布される表向きの「事実」に対する、≪反事実≫も確実に存在することを念頭に置きましょう。

そういう脈略で言うならば、今日、インターネットの定着を通じて世界を覆い始めた個人による無数のブログサイトやその交換は、ここでいう≪反事実≫に属する諸情報でありましょう。

そしてこの私のサイト「両生歩き」も、そういう≪反事実≫を言及してゆこうとするこころみのひとつです。

 

そこでですが、これが完全な飛躍――つまりMETA-MANGA――であることを承知で言えば、宇宙を占める4パーセントの既知の物質に対し、残りの96パーセントは、人類にはまだ未知の何物かによって占められているといいます。すなわち、その96パーセントとは、地球を含む宇宙の命あるものの、そのように葬られて行き場を失った≪反事実≫が、そう宇宙に発散されて漂い、宇宙空間を満たしているのではないか、そのようにすら想像されてきます。

いうなれば、≪反事実≫とは、私たち大衆の葬られてしまった「怨」とか「霊魂」といったものに、宇宙の深遠さにおいて、正当性を与えうる認知法であると言えましょう。

加えて、この≪反事実≫とは、その究極は一種のエネルギー態で、宇宙物理学でいう「反物質」に類するものかもしれません。むろんこんなことを言えば、その筋は大笑いをあげるでしょうが。

まあそれはともあれ、少なくとも、その≪反事実≫に迫る知的方法が「エステリック」の手法であるのは確かです。

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