《フリー出版》ということ

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その41)

いよいよこの訳読も大詰めに入ってきており、今回では、その結論部の最初の章、「ユートピア」の議論を読んでゆくこととなります。

そういう流れで、本書の集大成部に踏み入って行くのですが、ただ、そういう性格がゆえに、それが逆に含んでしまう、つまり、かなり理念的議論に終始するという特性がゆえに、この章のみを読んだ場合、ある種の退屈な「観念論」との印象を持ってしまいかねない弱点があります。

そうした場合、その前にまず読者に心してほしいことは、読者は本書の一連の訳読を、《フリー》つまり「ただ」で――しかもオンラインで――読むことができている、ということです。

それはすなわち、私という「訳読者」も及ばずながら、ことに本書の著者であるブラッド・オルセンが、本書の翻訳をこういうスタイルで《フリー出版》することを了承し、それをあえて行っている、ということの意味です。

言い換えれば、本章の中でも触れられ、この先の章にも独立して取り上げられる、「お金のもたらす落とし穴」の指摘が、本書の議論の――ある意味で最重要な――骨格でもあることです。つまり、そうした結論としての重きをもって、《マネーのもたらす陥穽》から脱出し、それを乗り越えるねらいは、文章上のそうした議論に加え、さらに、この《フリー出版》の実行によって、その実践行為としても明瞭に裏打ちされていることです。

そういう意味で、《フリー出版》にたずさわるとは、「有料出版」にこだわる他の出版行為とは、次元を別としています。

言うなれば、本書の議論の真髄をそうして、現実に実行している、ということです。

そこで読者には、「でも、人間、喰ってゆかねばならないじゃないか」と反論される向きがあるはずです。

つまり、本書の議論の核心は、まさにそのジレンマにあり、そうした構造を誰がこしらえたのかの問いにあります。

そしてすでに読者は、これまでの各章での議論から、それが「誰であるのか」、その解答をえていることと存じます。すなわちその「ジレンマ」とは、不可避な宿命ではないのです。

だからこそ、この章はその冒頭で、以下のように書いているのです。

すべての人のために、フリー・エネルギーを構想し、その開始のために、お金を消滅させよう。人類にとっての黄金時代は、もうそこまでやってきている。

 

では、本章「ユートピア」へご案内いたしましょう。

 

 

 

 

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