透明性の次元

〈訳読‐2〉「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性(その30)

 

== 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==FutureEsoteric-cover-2-web

【新版(Second Edition)に基づく】

 

透明性の次元

「真理に到達する道を行くにあたって、おかす間違いは二つしかない。道を完遂しないか、それとも、出発しないかである。」 ――ゴータマ・ブッダ
 

いわゆる新世界秩序の構成員は、連邦準備制度が米国に設立された1913年以来、アメリカの権力掌握のために任命されてきた。1933年、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、「時代の新秩序」のラテン語であるNovus Ordo Seclorumをモットーとし、全面的な目を1ドル紙幣〔ママ〕に注ぐよう命じた。そうした「揺りかごから墓まで」との政策に則ってきた権力基盤は、今や歴史上で初めて、インターネットと呼ばれる新潮流の圧力にさらされている。現在、一般市民は、秘密集団の悪魔的な議題について議論したり、ウェブサイトにコメントしたり、画像を共有したりすることができる。だがインターネットは、嘘や秘密を隠すことができない透明性の時代に向けた新たな夜明けのの出発点に過ぎない。

インターネットとソーシャルメディアが世界中の既成権力構造を震撼させた影響は、まさに注目に値する。歴史で初めて、一般市民が逆境の中でコミュニケーションをとり、戒厳令の中で集まり、自分のアイデア、写真、動画を投稿することができる。ソーシャルメディアは、ニュースの収集と配信のための新しい手段となっている。政府が市民に対して説明責任を負わず、行政において透明性を持たなければ、最終的には崩壊に直面することとなる。これは政府と企業活動の透明性の向上を求める大きなうねりの一環である。インターネットの接続性と透明性の組み合わせにより、市民による新たな監視が登場している。ソーシャルメディアは、より多くの人々が周りで起こっていることを見て、共有し、それが何かを知る機会を提供している。突然、既存権力は、これまで以上に自らをいっそう暴露することになっている。その結果、社会エネルギーの巨大な増加があり、それはいろいろな方向で進められており、これまでは強力であった西側諸国政府の没落につながる可能性がある。

 

真実に立つ政策

吹き荒れた「アラブの春」の後、オンライン抗議者やソーシャルメディアが北アフリカの独裁者の転覆に重大な役割を果たし、ウィキリークスの軍事情報源であるブラッドリー・マニングが裁判にかけられ、インターネット自由あるいはネット中立性は、目下、大きな脅威にさらされている。片やの権力と、他方の真実とアクセスと透明性、そして「小規模化した」民主主義との間の衝突は、私たちの新たに高度化したネットワークのもとで展開されている。ウィキリークスによりもたらされた情報とその創始者によって引き起こされた緊急の議論に鼓舞されて、インターネットは現状を変えつつあり、ちがったものを創りつつある。

著述家であり講師でもあるディビッド・アイクは、数年前、著作権法がインターネットを禁止する理由として使用されることを警告した。詳しく調べてみると、オンライン海賊版禁止法(SOPA)の導入を率いる娯楽産業企業――学生やシングルママを著作権法違反で訴え、数千ドルの賠償を求めている――は、もとは、ソフトウエアの海賊版を製作しそれをばらまいたのとまったく同じ企業である。ファイル共有ソフトウェアBitTorrentをリリースしているC / Viacomと共同ブランド のC / Netおよび他のメディアサイト――Time / WarnerとMSN――はKazaaをサポートし、 ディズニーはScour検索エンジンをサポートして訴え、そして、ユーザーに海賊行為を誘発させている大手メディア企業の例もある。 SOPAは、彼らのコンテンツを独占的に見させるためにインターネットを制御する目的をもつ、大手メディアによって仕組まれた、大きな餌で釣り上げる詐欺行為であった。

 米国政府は、侵略者から国境を守るために執拗かつ強迫的である。そして私たちは現在、こう告げられている。ラップトップで武装した裏切り者の小規模な国際的一味によって、米国政権は冷戦の終結以来の最大の危機にさらされている。かくして、ほぼ全会一致で上院の支持を得、下院を通過した国防権限法(National Defense Authorization Act)は、国内の敵に対し、効果的なサイバー戦争を起こすことをペンタゴンに可能にする文言を含んでいる。また2015年には、もし中国が米国の国益に反してサイバー攻撃におよんだ時は、戦争行為とみなされると宣言された。 国防権限法は主に、ウィキリークスによって大量の秘密公式文書――政治家をろうばい、苛立たせた――が公開されたことに対応したものであった。同法は、真実というものの内容に制限をつけ、インターネットが政府に政策、判断、行動に関する一層の責任を持たせるための道具とならないことを目的としている。しかし、この論法は両刃の剣である。政府は、もし私たちが何も間違ったことをしていなければ、政府の検閲を恐れる理由はないと警告する。だが、市民側は、もし政府が何も不適切なことをしていないのなら、何ら自由な発言を恐れる理由はないと反論している。

真の民主主義は、選出された政府高官に、市民に対する説明責任を負うことを要求し、あらゆる状況において、彼らは市民の願いに従うことが課される。真の民主主義は、例えば、選出された政府高官が何らかの形で国民の自由な発言権、公正な裁判の権利、または無期限の拘禁からの保護の権利を損なわせた場合、それは反逆的だとみなされる。真の民主主義は、インターネットによって提供されるオープンで自由なフォーラムを積極的に保護するはずだ。だが、米国国民を裁判なしで無期限に拘留することを大統領に認めた2012年の前夜に法に署名された国防権限法(S. 1867)は、以上の前提を逆転させる。幸いにも、SOPAやPIPAといったインターネット検閲法案は、インターネットユーザーからの抗議の大きな反発を受け、棚上げにされた。実際、最大のウェブサイトのいくつかは、2012年1月18日に抗議して「黒」とされた。それに市民が反撃すると直ちに、別の秘密の法律が作られる。オバマ大統領は2012年5月1日、マスコミによってほとんどあるいはまったく報道されることなく、国際法を米国に適用する大統領令13563に署名した。この命令は、議会または司法の監督や同意なしに銃の没収法を制定するために使用することはできる。だが、いったんこれらの外国の法律が様々な安全保障協定の下で米国に持ち込まれると、外国の軍隊を、米国の市民にこれらの外国の法律を強制するために持ち込むことができるようになる。かくして突然に、私たちのかつての立派な民主主義は、全く民主主義ではなくなってしまう。

 

対抗プロパガンダ

 「もし私たちが集団意識の形成の仕組みや意図を知っていれば、それを知らないのとは異なって、大衆の意志の統制や調整を行うことは不可能になるのではないか?」。この見解は、元米国大統領顧問エドワード・ベルニーの著書『プロパガンダ』からである。「大衆の集団的習慣や意見についての意識や知識の操作は、民主社会の重要な要素となっている。この隠された社会的仕組みを操作する人々は、政府の真の支配者である隠された政府を構成している。私たちは統治され、私たちの意識は鋳型にはめられ、私たちの好みは作り出され、私たちの考えはほとんど、私たちのあずかり知らぬ者たちによって構想されているのである」。

あなたは自分自身に問うてみなければならない。テレビのアナウンサーから政治について学ぶものは本当にあるのか?  あるいは、巧妙なテレビプロパガンダが告げているように、プログラムされたことをオウム返しにするだけなのか?  主流メディアの大部分は、もう「ニュース源」を精査に取材することをやめたようである。ジャーナリストは、二次的記事の読み手に化してしまった。 こうした「無力化されたメディア」は、真実を知らず、歴史を無頓着で、特に自分自身の判断をしないといった、考えることをしない人のために働いている。それは、聞いたことを鵜呑みする者のためにのみ働いている。ニクソン大統領は、プロパガンダの力を熟知しており、こう述べた。「アメリカ人は、それをテレビで見るまで、何も信じない」。

現代生活は、毎日、広告と政治的メッセージで完全に飽和されている。プロパガンダの普及力やそれへの対抗法は、ほとんど知られていない。 そのひとつの方法は、森に住み、あらゆるメディアのメッセージから自身を守ることである。 別の方法は、プログラミング効果を理解することによってプロパガンダを認識し、それを見とおすことである。効果的であるために、プロパガンダは常に論理的な推論をすべて短絡させようとする。理想的には無意識のレベルで個人に作用しようとする。この種の「潜在的な誘惑」は、人々が外部の力によって操作されていることに気付かず、意識しないで行動するときに最も効果的となる。

視覚メディア(主にテレビ)の出現により、プロパガンダ技法を駆使して文化全体を飽和させることで、大衆の思考や意見を形成することが可能になった。新聞、ラジオ、映画、テレビの総動員により、逃げるのが難しい、永続的かつ隙間のない環境を作り出した。マスメディアは、個人と技術社会の要求との間で、不可欠な媒体となっている。しかし、私たちが知っていると思っていることは、常に物事が本当にそうであるとは限らない。プロパガンダに対抗するための第一歩は、制御されたマスメディアと呼ばれる極めて組織化された知覚形成装置が存在することを認識することであり、それは実際、「静かな戦争のための静かな武器」なのである。

 

透明性のための闘い

ウィキリークスは、インターネットが政府や企業にとっての広範な監視ツールと化さないようにすることが、継続的な「闘い」であると表明した。 ジュリアン・アサンジによると、インターネット自体は「過去にない最も重要な監視マシン」になっている。そこで彼は、人々がオンライン上で提供する詳細な情報の非倫理的な使用を目指していた。 だが彼は、「今は透明性の時代ではない」と言った。 事実、「秘密情報の量はこれまで以上に増えている」と付け加えた。情報の流入は続いているが、政府や他の強力な組織からは流出していない、と付け加えている。「私はそこが本当に私たちにとっての大きな戦いだと思う。 技術はもたらされるものではあるが、奪うものでもある」と彼は結論する。

ウィキリークスのウェブサイトが発信する情報は、しばしば政府にとって煩わしいものだが、情報の流れを特徴付ける抑圧的な状況であるという問題に取り組むにあたって、それ以外の方法は考えられない。人々は現在、情報の自由が暴力にさらされている時に生きているのであり、警戒が避けられず、ある意味では、誰もが監視者となりうる、とウィキリークスは考えている。

政治分析者兼著作家であるマイカー・シフリーは、ウィキリークスが情報の自由を保護するということを全て担えることにはなりえないと主張する。ウィキリークスは、問題に注意を喚起し行動を起こす一例ではある。それは、古くて閉鎖されたシステムと、インターネットの新しいオープンカルチャーとの間で進行中の、世代的および思想的闘争の一つの現れである。アサンジの軟禁にもかかわらず、秘密文書の公表は続けられている。ナップスターの閉鎖が不正な音楽ファイルの共有を止めなかったのと同じように、米国政府のウィキリークスに対する厳しい弾圧も無駄になるだろう。 そのウェブサイトが強制的に閉鎖されたとしても、多くの新しい内部告発サイトがそのモデルに倣って噴出するだろう。

「国境なき記者団」の2014年次報告書は、その「自由メディア」順位において、 CIA情報漏れの捜査で、NSA内部告発者であるエドワード・スノーデンとAP電話記録の司法省摘発の追求を理由に、米国を、14ランク下げて46位とした。ジャーナリストを脅かす中東の他の国々もランキングで大きく落ち込んだ。 国境なき記者団は、メディアの自由を抑圧する市民的自由の欠如や抑圧という明快な基準を使ってランク付けを行っている。 独裁者は、特に支配が危うくなっている場合には、発言の自由と禁止情報の暴露を恐れる。同報告書によると、「情報の自由ほど民主主義と密接に関連しているものはない。 ジャーナリストほど、その記事を通じて自由の敵を苛立たせる者はいない 」。

 

人的直観

直感がわずかに先を行っているものの、欺瞞は根強く蔓延を見せている。この混乱の時代には、効果的な感知能力を使って「籾殻から小麦を」分離することが肝要となる。自分の直感を磨くことを望む人は、まず、人間の能力を高めることができると信じることが重要である。それは真実と嘘を区別する能力である。これらの感知能力が発達するにつれて、真実だけが意味を持ってくる。嘘と欺瞞は、それを行う者が誰であるかを告げる情報として見えてくるだろう。身体上でも表現上でも私たちを害する者は、自分でそうと感じるまで自分を露呈するものである。遅かれ早かれ、あらゆる嘘つきは誰でも、他人からどう「見られているか」に気付くようになり、そこで自らの道を変えることとなる。それが実行されるまでは、私たちには可能な限り最良の個人であることが任されており、それは私たち自身の直感能力を高めることとなる。これは絶対に重要である。私たちは誰もが、嘘つき、だまし、盗み、またはその他の不正行為を行わないという原則を維持しなければならない。正直と真実への全き人的献身のみが効果を持つのである。

不誠実行為を検出する個人的能力は、それがいったん開発されたならば、最終的には、自らの核心、自らの霊性的自己を知ることを可能にする。私たちが誰もと共にあり、この惑星と宇宙のすべてと真に共存していることを知るやいなや、私たちはたちどころに、世界が直面している誤った幻想の中で私たちを隷属させているものを洗い流すことを可能にする。思想的神秘主義者で詩人のウィリアム・ブレイクは、それを、「知覚の扉が浄化されれば、すべてがありのままに現れ、永遠に続くだろう」と最もふさわしく表現した。

人間の高まった受容力を備えるという考えは新しいものではなく、普通、何らかの瞑想行為によって達成される。元々ヒンズー教と仏教で使われていたマントラは、瞑想の集中を助けるために繰り返される祈祷である。マントラはヴェーディック〔古代インド語〕の賛美歌でもあり、サンスクリット語では文字通り「思考の道具」を意味する。アントラは幾何学的な図であり、崇拝の瞑想の援助として使われている。サンスクリット語では、ヤントラは文字通り「保持または固定するための装置」である。タントラは、マントラ、瞑想、ヨガ、および儀式を含む神秘的または儀式的なテキストを指す。これらの東方の技法を西洋に適応させた新思考運動(19世紀に始まった)は、より高い能力がすべての存在に浸透するという確信を持つものである。人や他の生き物をめぐるオーラは、訓練された目には微妙に表れる。個人は、肯定、瞑想、祈りを通して、自分の現実(より正確には、その経験)を創造することができる。初期の新思考運動のグループはキリスト系科学の背景から現れ、いくつかの新思考の著作家は、聖書の選択された部分を基礎テキストとして参照している。他の新思考グループは聖書的なつながりを打ち捨てている。

 人間の直感を高めることは、私たち一人ひとりが健康で幸せで有意義な生活体験を得ることを助け、私たちの最大の利益にもなる。最終的にはすべての嘘が知られて忘れられ、真実だけが長く生き残ることとなる。一方、今日の最高水準の倫理基準にそくし、例外をもうけることなく、それに基づいて暮らすというあなたの個人的な信条は、決して揺るがない指針でなければならない。それはあなたとあなただけの間でなされる約束事である。他の人たちへの奉仕に謙虚に向き合い、紛争解決のための非暴力をあなたの揺るぎない信念とし、あなたのエゴをなくし、宇宙の中の偉大な力に降伏しよう。 今までに呼ばれた「神」という名のすべてを語るか、まったく何も語らないようにしよう。無神論者でさえ、生き残るために苦労しているすべての生き物の中に浸透している生命力を認識することができる。すべてのものに生きる偉大な意識をともなう宇宙の前で、自分自身を謙虚にしよう。あなたの心の中で聞いていることはあなたの成長の助けとなり、真実を守るためのあなたの献身を強化することに気付こう。これは人間の直感を劇的に向上させる方法である。私たちは自発的に、思考を否定的にも肯定的にも向けることができる。私たちが否定的な判断と態度を特定し、それを放棄すると、霊性的に進化し、次の次元に昇る準備のために、常にポジティブになることができる。

 

次元というもの

私たちの直感を磨くことは、私たちが次の次元に進む際に要する高められた能力のほんのひとつである。しかし、正確に4次元または5次元の存在とは何であろうか。まず第一に、私たちが3次元に住んでいることを確認し、それを知っておこう。それは単に、私たち誰もの周りに3つの方向の自由な動きのがある。すなわち、それらは左右、前後、上下である。これら以上の各次元は、明るさや尺度の度合いが異なっている。

次元尺度には11の段階がある。究極の目標は、個体の基準上でも、そして種の基準上でも、共に進化することである。人間は3次元空間に住んでいるので、私たちは4次元の存在を理解できず、それを恐れるかもしれない。私たちは知らないことを恐れ、恐れは、透明性の次元に対し、それに尻込み、否定的な感情となる。だが、私たちはその過程で、すべての否定的な感情を克服し、本当に幸せな人となる。

高次元の存在は、人間のオーラを読むことができ、直感的に私たちのエネルギー界を感知し、文字通り私たちの体を見通すことができる。それらは高度にテレパシー的であり、3次元の存在には見ることができない。彼らは集団意識以上のものを持っている。 誰もあなたを見通すことができるので、誰も隠れた意図を持つことはできない。秘密も、欺瞞も、陰謀を取り巻く謎もまったくありえない。透明性の次元にあっては、 これまでに起こったことはすべてが明らかとなる。ちょうど太陽光を太陽から分離できず、波を海から分離できないように、私たちはお互いを分離することはできない。物事の壮大な計画では、私達はすべて、広大な愛の海の一部であり、不可分で透明な神の心である。しかし、この認識に到達することは、地球上のほとんどの自由人にとって最大の課題である。

 

エネルギー界を感受する

人間を含むすべての生物、さらには結晶のような固体物でさえも、オーラが非常に微妙な形で現れる。エネルギー界を感受するということは、一部の人にとっては、知覚することも、自発的に努力を要せずにおこなうことが可能だが、他の人にとっては、その訓練や実践には一生の献身を要する。そのような受容は、ヒンズー教の霊性である第三の目に匹敵する。オーラの各色彩には意味があり、明確な感情状態の違いを示している。オーラは実際の光ではないが、人の視覚処理に感覚的読み取りや感受を加える。オーラは完全な暗闇の中で見ることができず、オーラを発する人または物体の一部を見ることができない限り見ることができない。オーラは、千里眼や個人の霊性やエーテル体、あるいは「人間のエネルギー界」の最下位層と関連している。エーテル体は物理的な身体と直接に接触し、それを維持し、それを「より高い」身体と結びつける。オーラは精神的で情緒的な発散である。

第4の次元に移行すると、お互いの心を読み取る能力が実現可能になる。 私たちは千里眼的になり、私たちはテレパシーで交信する。 すぐ近くの表現は、思考と同時に発生する。あなたは見知らぬ人の前を過ぎて歩いている間にあなたの能力に気づき始め、ただちにその人のすべてを一見で覚るかもしれない。私たちはまた、将来の事態への急激な変化、より既視感的な経験、将来の出来事を故意に変えることのできる状況をますます増やすこととなる。 車に張られたステッカーは次のように推奨している。「将来のあなたが感謝することを、今日、行おう」。 

透明性の次元では、すべての証拠がすべての人に明らかになる新しい種類の裁判制度が必要になるだろう。裁判官と陪審員は千里眼的であり、被告人のエネルギー界を読むことができる。それでも私たちが何かを隠そうとすると、みんながそれを見るだろう。人間が種のレベルでテレパシーを発達させることができるとき、私たちはお互いにコミュニケーションするための非常に明確な方法を持つようになる。地球上の様々な言語は、すべてのメンバーと社会のグループがテレパシーでコミュニケーションするので、なんら問題とならない。その結果、隠された課題はなくなる。誰もが問題の真実が何であるかを知っているので、それを解決するのがより簡単になるだろう。

新世界秩序は、普通の人を三次元の恐怖と怒りの状態に閉じ込めることを望んでいる。既存権力が最も恐れ、それを何とか防止しようとしていることは、人々がより高い次元の能力を発達させ、世界をまったく新しい光で見ることができるようになることである。その時、私たちの考えが現実の自分の経験を生み出す。すべての人が見ることができるように全面的に歴史を調査することができれば、まだ生きている有罪の当事者はその犯罪が知られることとなる。彼らに暴力を加える代わりに、真実と和解機関を設置して、収監の判決を決定し、彼ら以外の人たちには、彼らによって長く課されてきた錯覚から離脱していく道を開くのである。

 

%e9%80%8f%e6%98%8e%e6%80%a7%ef%bc%91

作者不明のこのファーマリオンの版画は、1888年のカミール・ファーマリオンの著書L’atmosphère:météorologiepopulaireに最初に登場した木彫版画である。その絵は、大空の端をめくって覗いている男を描いている。その男は神秘的な天国の世界を見て驚いている。(with permission, (c) Brad Olsen, 2016)

%e9%80%8f%e6%98%8e%e6%80%a7%ef%bc%92

この「ミルクヒル・ギャラクシー」のクロップサークルは、2001年8月13日に一夜にして出現したと、最初に報じられた。このクロップサークルの形成を調査した専門家は、その創造プロセスには多次元が関係しているという。クロップサークルは、英国で最も一般的なものでは、穀物の畑で生成される光の管または光の球によって作成される。クロップサークルの形成に関連する次元の思想的解釈は以下の通りである。第8次元(8D)は神の心の中の形。 7次元(7D)は形式を明示できる神聖な音。 6番目の次元(6D)はフォームを作成する幾何学的分野。 第5次元(5D)は無条件の愛であり、創造が起こるときのエネルギー。 第4次元(4D)は、物事が現れるようにエネルギーが分極する場所。 第3の次元(3D)は、作物円の形成が行われた分野。(with permission, (c) Brad Olsen, 2016)

【本章完了】

 

参考文献

Sifry, Micah L. Wikileaks and the Age of Transparency, Counterpoint, 2011

More explanation on 4th and 5th dimensional beings here: http://accnl.tripod.com/chakras2.html

 

 

== 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==

2nd edition


Future Esoteric: The Unseen Realms (Second Edition) by Brad Olsen

http://cccpublishing.com/FutureEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2016


Bookmark the permalink.