結 語

〈訳読‐2〉「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性(その35)

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

結 語

「君たちの時間は限られているから、誰か他人の生き方を生きて、それを無駄にしてはいけない。教えに縛られてもいけない。それは他人の考えた結果であるから。 他人の意見の雑音で、君たちの内なる声を惑わしてはいけない。そして最も重要なことは、あなたの心と直観に従う勇気を持つことだ。 それはどういうわけか、あなたが本当に望むものをすでに知っているから。それ以外はすべて二次的である。」 ――スティーブ・ジョブズ(スタンフォード大学2005年入学式挨拶)
 

私が2008年にこの本の編纂を始めた時、ある雑誌の情報や見解をただ書き留めていただけで、その作業が何をもたらすのかという見通しはなかった。その際に私に解っていたことは、そこには様々の主題があり、それを理解して明確にしたいという情熱が私にはあるということだった。ただ、そうした主題はほかではあまり関心を持たれておらず、私は、自分の文章の追求のなかで、その魅力的で包括的な「代替的言説」を繋ぎ合わせていた。最終的には、この本のタイトルは私がシャワー中に頭に浮かび、その時、すべての部と章がひとつに組み上がった。私は、それらがどのように出現してきたのかは解らず、時にはそれが価値あるものかどうかさえ見当がつかなかった。だが、仕事が進むにつれて、多くの芸術や文学の先達たちが、自己疑問に捕らわれていたことを思い出した。偉大なアーネスト・ヘミングウェイでさえ、こう述べている。「私は作家としての自分自身を完全に恥じていた。私は単なる言葉の大工で、仕事に関連するものなら何でも拾い集め、ひとまとめに釘付けし、まるで粗末な豚小屋を作っているだけだと感じていた」。私は旅行ジャーナリストだったので、この本を書くことは私にとってまったくの出発点だった。しかし、どこへであろうとそれが求める道をたどり、そして、私の筆致は、私の旅行記としての様相を呈していった。 ヘミングウェイのように、私は粗末な豚小屋を建てたいと思っている。 私を良くも悪しきもこき下ろしてくれるよう、私は読者のためにこの本に全力を注いだ。私は、もし私が本を買うとしたら、私はその中に何を学び何を発見したいのかと考える。そして、自分の本を書くにあたっても、常にそれを追求してきている。すなわち、私は、この本の内容を今後何年も参考にし、他の人にもこの本を勧めうるか、と。

もしこの本が、かってない注目――その価値は十分にあると思う――を集めたとすれば、批評家の中には、私にはこの手の本を書く資格がないと言うが人がいると思う。彼らは正しいかもしれない。というのは、私は以前に、これらのテーマのほとんどについて、何も書いていないからだ。私は、一度のUFO目撃体験を別にして、自分自身をUFOの専門家とは考えておらず、よく知られた目撃者でもないことを何よりも先に自認する。また、私は内部告発を行う特定組織関係者でもなく、安全保護を求める宣誓をしているわけでもない。さらに、私は科学の専門家ではなく、私が述べる分野で高等学位を取得してもいない。私がどういう人物かと言えば、私たちの周囲のあらゆる現象や抑圧状態にあるかの人間の状況に関し、限りない好奇心を持っている一介の物書きである。そのようにして、私は何十年もの間、これらの主題――自己発展と知的探求を軸にした私的関心分野――を研究してきた。またこの本の執筆中、私は多くの新分野にも自分の注目を喚起させられた。かつて、ラルフ・ウォルド・エマーソンは言った。「才能だけでは作家になれない。その著作の背後には人間がいなければならない」。その点では、この本の背後には、常に真実――UFO研究という探求の世界は地味だが――を探し求めてきた人間がいる。私は、世界平和が可能であると強く信じており、他の人たちと教育的な非営利組織を設立し、人類の前向きな発達を支援する「友好的」技術を研鑽する思想的進展に貢献しつつある。私は、「代替的言説」を可能な限り包括的かつ正確に提供する以外に、この本を発表する上での目的はない。この本は、数十年にわたるデータの収集、定式の認識、そして、自らの直観に従う勇気の産物である。私は本書『Future Esoteric』の提言が、将来の世代に大きな影響を与えうると信じている。それは、人類が隠してきた最も重要な情報提供、もしくは、私たちの時代の神話の記述として、歴史に残るものとなるだろう。いずれにせよ、私はこの成果に満足している。

 

今日の謎の「揚げ足取り屋」

私が2冊の『Esoteric』シリーズの最初の本の原稿を書くにあたり、その内容が、多くの読者には、まったく考えられないことではないにしても、空想的と受け止められることは明らかなことだった。 論理と科学的手法を信じる者として、私は、この議論に懐疑や反論をもって参加しれくれる人たちを歓迎する。私は共に無神論者である両親によって育てられた。その両親は、私と2人の子を、自身のために人生を切り拓き、その先へと到達するよう奨励した。 10代の頃、私は『Skeptical Inquirer』誌を購読したり、アメリカの無神論者集会に参加したりした。しかし、年齢を加え、経験と知識を積み重ねた結果、私たちの信念はそれに応じた変化をしがちである。自尊は基本的な人間の弱点だが、知恵は私たちを知的に成長させる。私は引き続き好奇心を持って成長し変ってきたことに感謝し、それを恥ずかしいこととは考えていない。知識は力であり、問いは愛国心にすら通じる。

多くの人たちにとって、この本に含まれるような情報を飲み込むことは難しい。というのは、私たちは誰でも、その育った文化や社会、特にその両親が教えたものによって大きく異なった世界観を持っているためだ。社会心理学者は、自分の中核をなす世界観と矛盾する情報を得て、その結果に生じる不安を「認知的不調和」と呼ぶ。そうした認知的信念のひとつに、UFOは実在しないという公式の見方がある。だが、そうした公式見解が真実ではないことを伝える証拠が増加している。今日、私たちは安心感を失い、壊れやすく混迷させられている。人はその中核的な信念に疑問が生じたとき、あるいは二つの支配的な信念の板挟みになった時、その「認知的不調和」に陥る。ほとんどの人は、パンドラの箱を開ける時、自分の根本的信念に挑戦するかどうかの試練に立たされる。そして私たちがその世界観に挑戦すると、恐怖と不安が生まれる。そしてそれに応じて、私たちの心理的防衛が働き始め、そうした圧迫感情から自分を守ろうとする。その際、私たちの中核的信念が挑戦された時に起こりやすいことが、それの否定である。否定は、私たちのもっとも原始的な心理的防御のひとつである。中核的信念を守ることは非常に重要で、それと食い違う新しい事実に直面した人々は、しばしば自分を合理化し、その事実を無視し、その中核的信念と食い違うものを否定する。そして最終的には、私たちの心は過負荷状態となり、自らを閉ざしてしまうことになる。新しい情報を拒否したり、元の説に立ち帰ったり、それに固執したりするのは、もっとも容易な道であるからである。信念は科学的事実ではなく、信念によっては、経験的にえられた証拠でさえ客観的に見ることができなくさせられる。拒否は確かに人々を不安から守る。だが、恐れの感情は私たちに、追放、疎外、忌避の感情をもたらし、生活の上での苦痛となり、無力感や混乱や傷つきに落としこむ。私たちは自分を守り、防衛したいと思っており、そしてしばしば、どうしもできずに怒りさえ感じてしまう。このようにして私たちは、異説の提供者を、攻撃したり、憤慨したり、嘲笑したり、排除したりしようとするのである。

 

認知的不調和は、入ってくる情報と矛盾する信念、価値観、または感情的反応など、異なる認知に遭遇することによって引き起こされる不快感である。だが人は(逆行的な)不調和行動をとった後、防衛のため外部との調和を見つける必要に迫られる。スネーク・オイルを〔Elixir(万能薬)として〕売りつけるセールスマンは、自身の利益のためとその偽りの正当性にすがるかもしれないが、結局、偽ること自体についての彼の見解を変える必要に遭遇する。(with permission, (c) Brad Olsen, 2016)

 

 

 

以下に、ET現象に関する新しい情報の扱いに戸惑う典型的な一例を挙げたい。

仮に、〔ETとの〕膨大な数の「接触例」と〔ETによる〕拉致被害者が真実の片りんでも伝えているとするならば、異星からやって来た彼らの友人たちは、自分の存在を秘密にはしていないということである。ならば、どうして彼らは、一枚の写真以上のものになろうとしないのだろうか。地球上に存在しない小さな金属片や、生体組織の小さなサンプルはもちろんのこと、〔彼らを映した〕映画フィルムで、カットされていないものは一つもない。加えて、その存在のほとんどは、常に、SF漫画で提供されるETになぜか類似している。アルファ・センタウリ(好ましい出発地)からの旅行は物理原則の何らかの違いをへてきているために、〔地球上では〕物質の極小粒子ですら広範な用途をもち、その代りとなる物質は何もなく、文字通り地球を粉砕する効果をもたらすだろう。そして何もないがゆえに、巨大な新しい迷信の成長はもとより、少数者のみに出回るオカルト文書やその類に頼る以外に方法はなくなってしまう。

上の見解を著すクリストファー・ヒッチェンズのようなプロフェッショナルな“揚げ足取り屋”たちは、そうしたことなぞ起こらなかったか、もしくは、仮にあったとしても、慎重な考慮と深い注視に値しない「お伽話」に過ぎないとレッテルを張り、イデオロギー的な抹殺をはかろうとする。そうした偽装合理主義や、防衛機制や、既成の枠組みを外して考えられない臆病な拒否は、ただ、そうした著者らを無名と埒外に追いやろうとしている。なぜなら、そうすることが、私たち各々の〔科学の原則である〕復元性や反復性や測定性そして事例を判断する主体的能力を否定することとなるからである。ヒッチェンズは、議論に枠をはめ、議論をその場限りの見下しで矮小化して、ET現象の全体を、漫画的な茶番劇とさせている。彼は、容赦なく実用的であることで、どんな代替研究にも扉を閉ざし、そうすることで、本質的にその論争に終止符を打ち、自らをこの主題についての将来の発見からも遠避けてしまっている。

ヒッチェンズや他のUFOの“揚げ足取り屋”はまた、圧倒的な物的証拠――そのほとんどは本書の中で紹介されている――を、重視しないのはもとより、それをことごとく否定し、また、この主題についての数百万という大量の目撃者と大半の人たちによるその受け入れを考慮することをも拒否している。1947年以来、世界中でUFO目撃者として1億5000万人以上の人々が数えられており、2万人を超える人々はその着陸を文書として報告しているということが繰り返されてきている。米国で行われた最近のローパー世論調査によると、米国人の70%は、政府がUFOやETについて知っていることを国民に知らせていないと考えている。拉致、牛の切除、クロップ・サークル現象と合わせて、厳密な秘密の裏に管理されている、膨大な何かが明らかに存在している。

 

常に自分の熱意に従おう

私は宗教に関わったことは一度もない。仏教にも大きな敬意を払っているものの、自分自身をその信者だと考えたこともない。しかし私は20代後半から自分自身を霊理的だと考えてきた。以来、私が多くの宗教的文書を調べてきたのは、すべてそこに、同種の興味をそそる内容を含んでいると見たためである。誰もが、さまざまなニューエイジの書籍や古代宗教経典から、深遠な知識を見つけることができる。これらの情報源の多くは、この『Esoteric』シリースで取り上げている。私は、人間としての私たちは、創造主のように本質的に創造的である――その呼称がたとえ何であれ――と信じている。 そして現時点では私たちは無意識のうちに協力しているだけだとしても、今後、より高次元の意識に移行すれば、意識的にも物質的にも世界を共創することができると信じている。

私たちの生涯には、私たちの人生の道に沿って私たちを導き、私たちの目標と方向を気付かせるための道標がしるされている。よくあることだが、私たちのほとんどは、その道標に注意することを忘れたり、あるいは、私たちの各々が固有の道筋に従っていることに気付かないでいる。たとえその教えるものを忘れてしまっていても、それでもそれは私たちの生き方に影響を与えている。従って、直観的にその教えに日々従うことができれば、幸せで健康的な生活を送れるだろう。あなたの高い自己は自分の人生の使命を忘れることはない。それに気付いているかどうかと「現世学校」を卒業しようと努めている限り、毎日、自分の人生からの教えを学んでいる。生まれる以前から、私たちは誰も自分の人生の大筋をほぼ与えられている。それは、私たちが選ばれた目標に向かって進む中で、迷路に迷い込まないようにするためである。私たちが出会う教えのように、あらゆる人生は選ばれてものである。私たちは時々、誠実さをつらぬくと言ったような、私たちの在り方の特定面を改善する必要性を感じることがある。人生路とは、この教えを達成するために選択される。生涯の盗人は、しばしばその人を問題にさらし、投獄の判決を受けることになり、人生の教訓は失われてしまう。しばしば私たちは気を取り乱し、選ばれた道を忘れ、ゆえに、教訓は生かされず、再度やり直さなければならない結果となる。時には、それが何らかの進歩が起こる前に起こってしまう場合すらある。カルマ〔前世の結果がもたらす今世での応報〕は宇宙の全体をおおうまさしく真の法則である。人生の大筋は、その実現以前から、人が目標に到達するためにどういう選択をすべきかを自覚する助けとなるが、それでも、それは簡単に忘れられてしまう。人が眠りから目覚めた時、見ていた夢を忘れるのと同じように、いったんあなたが生まれると、たやすくその選ばれた道を忘れてしまう。よく言われるように、実践はおのれを磨き、そして経験が増えるにつれ、自ら設定した目標を目指すことが容易となる。したがって、年老いた経験の豊富な心は気を取り乱すことが少なく、競い合いに没頭せず、お金に目をくらまされることもなく、常に、名声や富の達成者に賞賛されるより、全く異なった理由のために際立つこととなる。

あなたの意思、喜び、苦痛、悲しみなど、あなたの感情的エネルギーはすべてあなたの感情的な痕跡となる。あなたの情熱を追うことによって、あなたの心(あなたのより高い自己)は、これらの身体的な奮闘のなす不思議な興奮に浸る機会をもたらす。あなたを興奮させることを追うまさにその行為によって、あなたの身体的制限を広げる負のエネルギーはほとんどなくなる。負のエネルギーは人の中で最も頻繁に病気を引き起こさせる。肯定的な態度を保ち、あなたの周りの世界を多くの肯定的な方法で変化させよう。暴力は暴力を生み、否定は否定を生むが、逆に肯定的な態度は明確な恩恵をもたらす。

 

奇妙な宇宙

現世に立ち帰ってきた時、私たちの誰もがが耐えねばならないプロセスがある。それは通常、別世界や過去の暮らしの中で生じたことのすべての記憶を編集することである。それは、私たちを正常な状態に戻す身体的なプロセスで、それを人は、より高密度な存在とか、より圧縮された自己と呼ぶ。言い換えれば、それぞれのその新しい生活においては、私たちはただ、別の身体的経験を持つまさに霊理的な存在となっている。私たちが非身体的な存在として吸収した新しい材料、集められた新しい情報は、かっては保有されていなかったものだ。それは私たちの夢のようなものである。実際、まさにそれは夢の記憶と言ってよいものである。私たちはそのいくつかのごく小さな断片を覚えているかもしれないが、その細部はたちどころに消え去り、努力しても、思い出したもののほとんどが失われてしまうだろう。だがしかし、近い将来、あたかもケーキを切るのと同じほどに簡単に、時間、空間、次元を旅することができる技術を利用することができるようになるだろう。すなわち、こういう装置を想像してほしいのだが、あなたの心に作用して、歴史的出来事のホログラフィック像を描き出し、また、過去の生活のすべての詳細を完全に明らかにすることができる、そうした携帯電話サイズのデバイスというものを。それはまさに、次世代の「キラー装置」となるにちがいない。

私がこの本を書き始めた時、私は遠い宇宙から地球を訪れるETを信じていたが、それはただ立ち寄るだけのもので、悪意をもったものとは考えていなかった。だが今、私は、この惑星に非常に長い間存在し続けている実存在により、私たちが一種の魔力のもとに置かれていると考えている。以前、私はグレイが地球を訪れていると信じ、今でもそうであるが、現在は、その主であるドラコニア爬虫人種がやってきていると見ている。つまり、私たちのこの惑星は、その指導者層にアルファ・ドラコのテレパシーが作用することによって、その意志が牛耳られている。「私たちの惑星は、テレパシーをつかうアルファ・ドラコにより、人類の指導者の心が脅かされ、堕落させられ、そして強制的に動かされている」とアンドロメダ人と遭遇したアレックス・コリアーは述べている。彼はさらに、「アルファ・ドラコは、トリックとだましを駆使して、この銀河系全体をも征服しようとしている」と言う。こうした話をここに引用することで、私は読者からの信頼性を失う可能性はあるが、しかし、私はそれは真実であると信じ、やがてそれは、共通の常識になるだろうと考えている。むろん、私が誤っているかも知れないが、グレイとドラコは、私たちの現代までの民話のあちこちに登場し、もし、私が正しいとすれば、私たちは人類史上最悪の謀略にさらされていることとなる。この理由からだけでも、私は読者がこうした見解を真剣に検証し、自分自身の頭で考え、自分自身の結論に至ることを奨励したい。

私たちは、圧倒的なET侵攻に襲われることを恐れるが、彼らは、人類を奴隷にする目的をもってやってきている。強く、知的で、テレパシーを使い、技術的にもはるかに進歩し、彼らは地球の地下基地に住み、人間を凌駕する巨大な優越性をもっている。今日の世界のトップ意思決定者の多くは、インプラント、テレパシー、または脅迫によるコントロールの下で彼らと妥協している模様である。私たちは数において優っているかもしれないが、彼らははるかに進んだ技術をもち、加えて彼らは、彼らと確固な同盟にある秘密集団や裏の政府によって作り上げられた強固な機密で隠蔽されている。彼らの存在を明すという簡単な事実でありながら、それは、大半の人々の信念を超え、今だに最大の保護下に置かれている。グレイとその主アルファ・ドラコは悪者だが、他方、「神的」な次元間存在は善者で、「高次の心」と接触し、プラズマ船で旅している。これもやはり、宇宙の二元性の象徴的な事例である。

古代と現代の双方にわたる民間伝承に、真実の核心が潜んでいるように推察される。私は、キリスト教徒にならなかった人間として、聖書の物語やユダヤ教・キリスト教信仰の原理を拒否する傾向を維持している。だがこの本を書き始めて、私はキリスト教に関する私の立場を見直すこととなった。すなわち、イエスは、良いこととして、常に、平和と愛を説いた。おそらく、天とは死後経験のためのアレゴリー〔寓意〕である。古代民俗学では、天使、エルフ、レプラコーン、フェリー、ジンなどのような「地球外人間」は、私たち全員を導き助けてくれていると広くみなされていた。すべての古代文明は、事実上、書き文字、数学、農業、灌漑、畜産、建築技術、天文学、広範な心霊的な教えをもたらした人間の姿の「神」について述べている。しかし、そのほとんどの〔現実的〕顕現は、悪魔とその悪魔の軍団によって支配された地獄の光景である。かつて空想として容易に却下されたことが、私には、今やその真実の核がそこに提示されているように思える。悪魔の話とは、グレイの手下を伴うアルファ・ドラコのことではないだろうか。ドラコニア人種は、悪魔のように身長が高く、筋肉質で、鱗をもち、立派な角やヤギのような縦割りの瞳孔をもった瞳を特徴としている。悪魔と爬虫類人種はどちらも善良な人々とは不和で、彼らの邪悪な性質の一部は、無垢な人類を精神的に乗っ取り、支配している。これは悪い人間は、悪魔と同盟を結ぶというアレゴリーだろうか。爬虫類人と悪魔の両人種が地球の地下に生息していると言われている。地下世界のこれらの主は悪意を持って人間を操作し、私たちが悪と呼ぶものを好む傾向にある。古くからの悪魔のイメージは、ドラコニア人のことであるのだろうか。それは魔法使いの呪文や黒い魔法の儀式に登場する、恐ろしい生き物のことなのだろうか。結局のところ、悪魔が人間に対してなした最大のトリックは、彼らが存在しなかったと私たちに信じさせてしまったことである。

人々が霊理性を失うと、多くの人はカルト礼拝に向かう。これらの誤って導かれた人々は、どんな現実であり次元であろうが、未知の異星人――その暗黒のエネルギーに助けを求める人々を探して、惑星から惑星へと移動する――を主宰者として崇めやすい。そうした「暗黒勢力」の狙いとすることは、目に見えない戦争であるかのようだ。それは、実際には人間の心への戦争である。 UFOの研究者ジャック・ヴァリーは、その著書『Confrontations』に「拉致被害者がしばしばサディスティックな性的操作を受けているとされる医学的診断は、悪魔との出会いに関する中世の物語を思い起こさせる」と記している。

『Revelation〔黙示録〕』は、「悪魔と魔王と呼ばれる古代の蛇であるドラゴン」と二度引用し、明瞭に比喩的で広い多義的な解釈をしている。この記録は嘘つきにも言及し、一般的な「大嘘つき」を引用している。その一例は、キング・ジェームス版の聖書のヨハネの黙示録9:11で、「彼らには王がいた。彼らは底なしの穴倉の天使で、その名はヘブライ語で アバドンだが、ギリシア語ではアポリオンという名である」。これは第12章の、サタンあるいはアザゼルの偉大なドラゴンである。 彼は多くの名を持っているが、いずれの場合も、悪魔のすべてうちの王である、ルシファーが魔王となった。(with permission, (c) Brad Olsen, 2016)

 

そして最後に

私たちが死に際して抱く死の恐怖、死後の世界、そして輪廻転生といった古来よりの疑問は、神秘主義者や導師らによって唱えられてきた永年のテーマである。幽霊の目撃、トンネルの先の光明、アストラル・ヒーリング・センター、そして魂の家族など、様々な話が伝わっている。死後の活動、死者とのコミュニケーション、そして次の人生のための準備が語られている。私たちは誰でもこの世に二つの体――身体的と非身体的――を持ち、決していずれか単独でいることはない。この世に生きるほとんどの人はこれを本来的に知っているが、私たちの科学はそうした霊理性との融合を遠ざけるように努力している。最も偉大な人間の進歩――現代の究極のエソテリック研究――は、人類のこれらの二つの側面を一つの総合体に融合させることである。言い換えれば、私たちにとっては、もう一人の自己は、完全に自覚できることである。この世界における人間の可能性、私たちの実際の人間的体験、そして、他の多くの魅惑的なテーマは、本書を含む2冊の本で扱われている。このエソテリック・シリーズの二冊の本とは「Modern Esoteric:Beyond Our Senses」と、2018年に完成予定の「Beyond Esoteric:Ultimate Journey」である。

人類がその可能な力に完全に到達するには、絶対的真実へのアクセスが必要である。多くの嘘、ごまかし、半事実がねつ造され、もはや誰も、何を信じるべきか解らなくなっている。最近、〔米国〕政府には非常に多くの不信がある。私たちは、何らかの水準で、政府が信頼しうるという点を過ぎてしまってもう長い。私たちは、いかなる政府についても、その完全な透明性を主張しなければならず、国民のために働き、どの国民をも代表することを求め、それには、軍隊、諜報機関、秘密の行為など、政府あらゆる活動を含む。新世界秩序の狙いは暴露され、否定されなければならない。搾取的な通貨制度、ことにアメリカの資本主義制度は、絶対に変えられ、あるいは完全に排除されなければならない。私たちは、過去から現在まで、地球の真実の歴史を、銀河系を越えてまで、知る必要がある。私たちは他のET文明――宇宙の遙か彼方からやってくる人種や、すでに地球に存在している人種――と折り合いを付け、理解し合う必要がある。だが、最も重要なことは、私たちの個々が、霊理的な存在として誰であるかを知ることであり、私たちが最も高い可能性を達成するために、必要な方途を再発見することである。

私たちは誰でも旅人である。 私たちはその道程において、自然の秩序と一体となる。 私が唯一願うことは、あなたの人生の旅が私のそれと同じくらい、報われていることである。あなたにとってのすべての呼吸が祝福であり、いつも自由であり、光明と共にあることを忘れないでいただきたい。透明性の時代が既成の事実となるまで、すべてを知ることに努め、それが実現されるまで何も信じないようにしよう。 最も重要なことは、あなたが自身を愛していることである。 幸福な旅を。

 

【本章完了】

 

参考文献

Hitchens, Christopher. God is Not Great: How Religion Poisons Everything. Hachette Book Group, New York, NY, 2007

 

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2nd edition


Future Esoteric: The Unseen Realms (Second Edition) by Brad Olsen

http://cccpublishing.com/FutureEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2016


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