輪廻転生(その2)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その43)

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離身体験

私たちの離身および臨死経験もまた、心や霊性が、身体を離れたり、自分の身体が体験する時間や空間の外部で働くことを明白に示す事例を提供している。こうした事例は、生まれ代わりの概念を間接的に立証している。記録されている最も古い離身体験、または臨死体験の報告は、プラトンの『国家』の中で語られている「エルの物語」にも見られる。エルは、戦闘で「殺された」後、火葬にされる寸前で生き返り、あの世への旅について語った。彼は復帰し、そこで何を見たかを現世の人に告げることで、人間界への使者にならなければならないとされたと述べられており、これは古代ギリシャ人に大きな影響を与えた。

一方、離身体験は、典型的には自分の身体の外に浮かぶ感覚を伴うものだが、いくつかのケースでは、自分の霊性が身体から除去されたり身体の外にあると知覚するもので、これは「オートスコピー〔自身視〕」と呼ばれている。離身体験についての最初の広範な科学的研究は、1968年にセリア・グリーンによってなされた。彼女は、合計400人の被験者――主流メディアを通じて呼びかけ、後に質問用紙を用いる方法――より、文面による直接の見解を収集した。そのうちおよそ80パーセントが、外部にあって身体感覚を全くもたない「離身体験」をしたと述べている。また、およそ10人に1人が自分の人生で何回か体外の離身体験を持ったと報告している。離身体験をもった人は、事前には知っていなかったことの詳細を何回か観察したと述べている。

自然な離身体験の別の形態は、臨死体験の間に生じている。臨死体験の現象には、通常、身体の外にいるといった、生理学的、心理学的および超自然的な要素が含まれている。典型的には、その体験は明白な発展があり、最初は自分の身体が浮かんでおり、周囲を見ている感覚から始まる。最もよく知られているのは病院での研究で、最近死んだ霊性が他の場所で実際の会話に遭遇し、後に生きかえった場合に、その観察の詳細と結びつくことである。そしてそうした会話は、その霊性が観察した人々によって確認されている。そうした会話の内容は、他の誰にも知りようのないものであることも証明されている。

離身、臨死、あの世への旅、遠隔視、さらには幽霊視を体験した人たちは、そうした領域にまつわる様々な霊性的な体験も合わせてもっている。これらの体験は、私たちが既に持っている人的関係や共有したり夢で見たものとパラレルな現実関係にある。幽霊はこの領域の幻像である。肉親たちは、最近亡くなった家族をよく体験し、そして彼らは元の場所に幽霊のように現れる。時には会話が共有される。患者が蘇生した場合では、その人は親族と交わした話の内容を覚えていることがよくある。

臨死体験は、死によって肉体から分離した、エネルギー体あるいは霊性体が存在し、それが異次元の世界で生きていることを示唆している。しかし、懐疑論者や揚げ足取り屋たちは、どんな新しい臨死体験の報告をも捨て去り、そうした経験について語ることは、人々がそうした臨死体験の現象的特徴――身体を離れ、暗いトンネルを抜け、「光」の中に入り、死んだ親族や友人に会い、生涯を一望し、そして、そうした故人や霊性から、まだそのベールがかった側に来る時ではないので肉体に戻るようにと案内された等――を想像したり期待したりするよう「プログラム」されているからだと主張する。なぜなら、すでに他の人たちがこうした経験を詳しく語ってきているからとして、懐疑論者らはそれを棄却したり無視してしまう。しかし、臨死体験や離身体験に、それぞれ確かな類似性があり、容認可能なパターンがあるならどうなのであろう。さらに、いっそう切実なのは、そうした畏敬と誠実さを体験した個人に会ってみると、そうした経験がその個人にとって、完璧に人生を変えてしまう出来事であることなのだ。

2013年、ロシアの科学者コンスタンチン・コロトフは、生体電子カメラを用いて魂が徐々にで体から抜け出るところを撮影した。このこま撮り画像は、ガス放射映像化技法――キルリアン写真法の高度技法――を用いて撮られた。そのアストラル離身――生命体が身体を離れる――タイミングは、死の瞬間に撮影された。 コロツコフによると、臍と頭は、生命体――魂とも呼ばれる――を最初に失う体の部位である。鼠径部と心臓は、最後のに霊性が身体を去る部位である。(with permission, (c) Brad Olsen, 2018)

 

隷属による記憶喪失

人間は、前世の生命について、きわめて長きにわたり、記憶喪失同然に陥らされてきた。宗教が創案された時から今日まで、聖職者の権威は、個人とは単なる物体であり、不滅の霊性的存在なぞではないという考えを強いるため、宗教を使用してきた。未だにその権威階層構造に依拠するほとんどの西洋の宗教にとって、個人は自分自身の「司祭」であることはできず、無力で、前世の概念すら無意味とされている。宗教改革以前の最も極端な時代では、司祭たちだけが神を仲介できる特異な権力を持つ独占的権威を維持していた。そうした「神権」は、裁きと処罰を行う絶対神と解釈され、不完全なすべてのつみ人たちを断罪していた。そして人々は神権の命令に隷属し、もしそれを守らなければ、永遠の霊的罰を持って脅かされた。

世界規模の宗教組織の概念は一元性にあり、その木ばかりを見て森を見るのは困難である。 それのもつ癒着関係――何世紀にもわたり維持された巧妙な権力構造に起因――は、私たちが生存中には自分の霊性的な自己を考えないように働いている。この牢獄社会――司祭も含めてすべての囚人は、記憶喪失に陥っている――に何か期待できるだろうか。古代の司祭たち以来の秘密のマインドコントロールは、今日までも続けられている。この記憶喪失の手法の展開は、何千年もの間、地球上の人々に影響を与えてきており、私たちの本当の本質――生まれ代わりを経ることは、心の拡大の道となりうる――を理解することを妨げている。

このような改変された神権概念を、無垢で何も知らぬ人々に恐れ多きものとして教える――時代や権力やむろん神の犠牲者にすらさせられてしまう――ことは、高位の聖職者にとってはいとも簡単なことであった。人が、創造や存在や他者に対する自分自身の考えや行動の個的理由への責任を背負い込むことを選んでいる限り、その人は奴隷、すなわち犠牲者である。こうした嘘――イエスの説く無条件の愛の創造主とは真反対の執念深い神――の永久化は、大衆支配の目的のために多くの自称預言者よって作り出されたその産物である。彼らは明白に、人々の状態を改善することや大衆の心を解放することには関心はなかった。誰しもに不可欠な、霊性的な気付き、アイデンティティ、能力、そして記憶を消し去ろうとすること以上に、どれほど大きな残虐行為があるだろうか。

 

束縛を断つ

この見出しが示唆するように、まだすべてが終わったわけではない。暗黒勢力はその勢力を失いつつある。地球惑星の人々は、ますます目覚め始めている兆しがあり、人類が存続するために、協力して効果的な解決策を見出す必要があることを認識し始めている。人類はその物的存在以上に高まらなければならず、私たち各々は永遠の霊性的存在であることを発見し始めている。街中の車に張り付けられたステッカーは、それをこう言い換えている。「私たちは霊性的経験をもつ人間なのではなく、人間的経験をもつ霊性なのである」。私たちの誰もがこの考えを十分に認識する時、私たちはその身体を超越することができ、霊性的存在に自己を再統合することができる。こうした認識が人類の集団的意識となる時のみが、現在の囚人状態から逃れることを可能とする。地球は何千年もの間、霊性的な刑務所たる惑星として使われてきた。私たちがこうした考えを把握できず、すべての違いを癒せず、真の世界平和を築くことが出来ない時、人類にとっての地球上の将来は、暗いままとなるだろう。

一部の人間の霊性は、この地球に、他の霊性――遠い昔の他惑星での前世を記憶している――よりも、はるかに最近に移ってきたものである。他の霊性は、ほんの数百年の間の数十世代しか地球上におらず、他の場や地球上でのもっと古い文明との自身の経験を持っていない。彼らは地球上で暮らした経験がないので、たとえ記憶が回復したとしても、地球に以前の存在を記憶していない。だが彼らは、他の惑星や他の宇宙のどこかに住んでいたことを思い出すかもしれない。最初の前進宇宙植民地が設立されて以来、少数が地球に住み、それらが、レムリアやアトランティスの高い文明となり、他はいまだに私たちの遠い過去にある。幾人かの人々が、最近、動物から進化したが、過去の人間の記憶を持っていたとしても僅かでしかない。いずれにしても、地球の人間の霊性は、私たちが記憶喪失サイクルを壊し、遠い昔、私たちを捕らえた者たちが設置した電子トラップを打ち破り、自分自身を解放するまで、永遠にここに居つづける。太陽系の電子スクリーン・トラップについては、本書の姉妹書『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来:未知次元への飛躍』に述べられている〔訳注:「地球痴呆化機構」を見よ〕

私たちが不滅の霊性的存在であるという大規模な集団意識上の突破口を形成するまで、私たち地球上の人間は、繰り返しくりかえし、一連の生涯を続けるであろう。それと同じ永遠の霊性的存在は、かつて、インド、中国、メソポタミア、ギリシャ、ローマの文明の勃興と滅亡の時代に生き、かつ今では、アメリカ、フランス、ロシア、アフリカ、そして世界中で生息している存在である。それぞれの生涯の間に、人間の霊性は、再び送り返されてきて、その新しい生命はあたかもかつてなかった唯一の生命であったかのように、その全てを開始する。彼らはその中で、苦痛と悲惨と神秘を新たに始める。そうした人間の状態は、人間が生まれ代わりの概念を受け入れるまで、偉大な飛躍を遂げることはないだろう。それまでは、地球上の他のすべての霊的存在と同様に、永遠の牢獄状態に置かれる。しかし、もし私たちが月や火星の電子力スクリーン・トラップを無効とし、私たちを永遠の記憶喪失の状態にさせている「暗黒の騎士」衛星を無くすことができれば、希望が戻ってくるかもしれない。その「古代帝国」が残っている最大の武器は、地球上の不滅の霊性的存在全てに対して、彼らが何をしているかについて無知なことである。不信感と秘密が、彼らが力を発揮する最も効果的な武器である。

私たち人間が、その霊性を非常に迅速に進化させることができた時、私たちの過去の生活を自由に思い出すことができるだろう。これを起こせる唯一の方法は、私たちが交換と協力をし合い、私たちを記憶喪失させるように設置された障壁に抵抗することである。私たちは他の人に告げねばならず、互いにオープンに議論しなければならない。秘密と抑圧に対する唯一の効果的な武器は、コミュニケーションである。それは私たちが携えてきた罪業を解放するのにも役立ち、それによって私たちの霊性的な生活が大きく進展する。私たちが真の前世をもっと思い出し始めたら、残りの私たちの人生に未来があることに気付くだろう。永遠はただ過去のことではない。未来も永遠なのである。

 

自己の霊性を自分に理解させる

まず第一に理解しなければならないことは、私たちの真の霊性的自己について、支配階級は何世紀にもわたって、それを私たちが知ることを許してこなかったことである。私たちは、自分の霊性の現実、死後の世界、そして生き代わりの構造について、誤って知らされてきたことである。第二に、西洋の宗教は、死後の世界について、科学的に誤った知識――偽で信念的秘密の文書に基づいて――をもたらす最大の情報源である。経験的な証拠によって裏付けられているにもかかわらず、学問研究が死後の現実を教えることを禁じている。したがって、科学体制は人間の現実の誤った見方を永続させている。キリスト教対イスラム教などの宗教戦争は、このような無知の結果である。もしそれが許されたならば、科学は霊性的側面と外政治的側面の両方で魂とその生命の真の特性を実証することができよう。

実像は、宇宙のどこにでも意識が存在するということである。私たちの心は、意識の特定の分野を描写し、それに名前を付けることによって、物的事物の定義を行う。例えば、人、岩、星、および他の対象はすべて、それらの物的属性をもって特定される。人が前世を思い起こす時には、その人はおそらく変化した意識状態に入り、宇宙意識の特定な超越部に「波長を合わせ」、そして、記憶を意識的な心にもってゆく。意識的な心はその経験を解釈し、前世と呼ばれるフィールドを作る。この「波長合わせ」のプロセスは非常に多々あり、人物、プロセスの経験、および使用されている変化状態の特定のタイプによって異なる。サイエントロジー〔後述〕研究者は、前世や「反応する心」に関連する他の「記憶痕跡」を調べる時、霊性的な放射物を収集するE計測装置を使用する。

ひとたび人が普遍意識に達すると、多くの前世経験が獲得され、同様の筋書きが私たちの時間や場所の理解に関して用いうる。時間と空間は、大霊〔後で詳述〕の普遍意識の記憶には関係しない。時間や場所をすべてに与えたいと欲しているのは、理性的な心〔conscious mind〕――意識のある特定の分野でしかない――である。

 

前世との縁

自身のために自分の霊性の存在を「証明する」ことを望む人は、信奉者、懐疑論者、無可知論者、無神論者、あるいは科学者を問わず、米国の生物学者トーマス・D・S・ケイ博士の以下の言葉を当てはめてみよう。「(黙読や祈りを通じて)『内なる声を聞く』ことによるあなたの解釈は、私たちの霊性の証拠として注目される」。そしてケイ博士は、「それは、耳や、唇や声帯をつかわないで、黙って読んだり祈ったりする際のあなたの内の存在の声なき声」を感知していることなのだ、と指摘する。

東洋の伝統においては、瞑想と読経は、前世の生命活動につながる手法となってきた。スーフィー教は「唱えることが心を磨く」と説く。インドのバウル教は、ブラマンすなわちヒンズー教の絶対全能者にならう古くからの詠唱と音楽の方法を続けている。

1950年代、L・ロン・ハバードは、『ダイアネティックス〔Dianetics〕』という本を出版し、開業医に、恐怖、不安、抑うつ、心身症、その他の病的状態の正確な原因が存在している、患者の過去を見る道を開いた。人が過去を再三再四かえりみる時、今世の生涯の前の出来事の記憶に触れることとなる。そしてこの道は、気付きを深化するという主題の研究へと導き、それは「サイエントロジー〔Scientology〕」として知られるようになった。このサイエントロジーは、まだまだ議論の余地の多い「ニュー・エイジ」思想のひとつだとして、主流メディアからの厳しい批判をあびた。繰り返しとなるが、それはおそらく覚醒への一助となる道ではあったのだが、信奉者にとっても嫌悪者にとっても、ともに歪みをもつ恐れのあるものであった。そして、おそらく長年の専門の実施者だけが、様々な形のヒントをえることができたために、自身の経験を評価できる立場にいたった。サイエントロジーの主眼のひとつは、「あなたにとっての真実が、あなたの真実である」ということで、誰かが真実であると感じていることに対して他者から評価や見下しは行えないということである。過去の出来事を呼び出す唯一の目的は、現在時点での正気で幸せでさらに最適な働きを発揮できるようにすることである。場合によっては、この過程で、過去の人生は、自分の過去を見ている個人によって見出される。サイエントロジーは、人は、彼らの本当の特性を忘れてしまった不滅の存在であると教える。その霊性的リハビリテーションの方法は、点検と呼ばれるカウンセリングの一種であり、そこで施術者が目指すことはこと、自らの現在そして過去の生活の中で痛みを伴い、あるいは外傷となった出来事を意識的に再体験し、自らへの限定効果を取り除くことである。教材や点検法は、一定の寄付金に応じてメンバーに提供される。サイエントロジー教会は、宗教として米国および世界の多くの国で法的に認可されている。

催眠術は、改変された意識の特定の形態で、いくつかの目的をもって、過去の生活の記憶の明快さと一貫性を可能にする。催眠術は通常、催眠誘導として知られている手順によって行われ、一般に、一連の予備的な指示と暗示によって構成される。訓練された実施者は、催眠中に被験者が意識を保持していることに注目する。被験者の完全な同意と明示された目的のもとに、癒しの意図をもって実施される場合、催眠中の超越状態は、心の未知の領域へのアクセスを可能とする。

 

神秘家の知見

人生には、物質的な意味よりはるかに大きなものがある。私たちは、物質界に生きる身体以上のものである。輪廻転生が示唆することは、私たちの本質は、私たちの現在の状況を作っている誕生へと繰り返えされてきた、長い歴史を持った魂であることだ。尊師たちが長きにわたって説き続けてきたことは、私たちが「地球学校」で決定的な教訓を学び、その教訓が何であるかに気付き、私たち個人の使命と進化を完成させるのを助けうるということである。私たちの過去の人生と、私たちのより永遠の性質の一部である日々の自己にいっそう目覚めることによって、私たちは、往々にしてその生活の中でそうした要素――実際に私たちが必ず学ぶ必要があるものだがそれが実に困難――を発見することができる。そうして私たちは、いっそう大きな機会を与えることができ、この生涯に留まる必要についての重要な教訓を学び、それをより意識的に実践し、最終的には光明にいたる。

神秘家たちは、何千年もの間、過去の人生、そして時には「未来の人生」を語ってきたが、それらは、線状の時間によって縛られた経験からの表現だった。そこで、そうした「人生」を思い起こさせた者について、彼らはそうした存在――神秘家はそれを「大霊〔訳注〕」と呼ぶ――について、自分なりに情報を得ようとしてきた。そうした大霊とは、現れたあらゆる〔神の〕具現化(incarnation)についての私的記憶を網羅する象徴的な用語である。実際には、「再‐具現化」(re-incarnation)といったことはなく、「具現化」(incarnation)だけを言うのだが、その親近感がゆえに、生まれ代わり(re-incarnation)という言葉が使われるようになった。大霊に関して語る神秘家らにとって、他の生まれ代わりを「思い起こす」ことを通して、彼らが最終的に望む生命のいっそう大規模な掌握を可能にしている。また普通の人たちにとっては、こうした知識は、私たちが人生として経験している「生命」の「プログラム」を解明する手がかりとなりうるものである。

〔訳注〕:大霊(oversoul):宇宙に生命をもたらし、全人類の霊性の根源をなす神的存在。

大霊という用語を普遍意識に等しいと見なす人々は、私たちすべてが霊性を源としいているならば、それを多くの人が神と呼ぶ概念になぞらえる。大霊は時間の流れの外に存在し、そしてその視点から見ると、そのすべての投影は同時に発生し、私たちが体験するそれぞれの生涯は、単に、大霊を特定の空間と時間設定に投影したものにすぎない。 「シルバーコード」は大霊を身体と結びつけ、通信回路として機能する。死は、生命の力が再び大霊に結合するよう、シルバーコードの除去として描写される。同じように、誕生は、シルバーコードを胎児に伸ばしていると見ることができる。

大霊は時間と空間を超越しているが、私たちは線形の時間軸の中で、それぞれの人生を、時間軸を輪切りにした独自のものとして体験している。私たちはそれぞれの環境――そこには他の大霊たちの存在を含む――を相互に作用させ、同じ環境内で感知し合っているが、各々の視点によるものである。このように、現実の経験はまったく主観的である。しかも各認識点には独自の視点を伴うため、誰もが同意できる同じ客観的現実性を持つことは事実上不可能である。そのように、各人はそれぞれやや違った角度から現実を認識しているが、実際上は、各自に意味ある形での大霊とのつながり――すなわち、再三の教室体験で明らかな、「地球学校での教え」を尊重することの重さ――を体験しえているのである。

 

存在の目的

この世の逆説が消え去った時、インスピレーションは啓発となり、私たちがおちいっている重層した階層構造をもたない、一体性と同等性のパラダイムが明らかとなる。二元的な階層構造ではなく、私たちは内部に閉じ込められているようです。一体性は、未来が過去であることを示し、別の言い方をすれば、その世界はすでにアイデアとして発生しており、それが現在において私たちに「リアルタイム」で表されている。より高い意識、啓発、恐怖の喪失は、意味ある体験と教訓――「愛の理法」として多くの人々に知られた真に唯一の理法が存在するという理解を通じて――をもって習得されている。人がこの信念を表現する人生を実践すると、心と心は新しい現実に開かれ始め、新次元の真理が知られるようになる。

皮肉なことに、真実は宇宙のか細い糸である。そうではあるが、啓発を通して知覚される「あらゆるもの」は、私たちの個的な真実となる。これは、一体性が、究極的な解決――不滅と言われるホログラフィックな平和――を表しているからである。一方、重力にさらされる世界はプログラムされた現実として進行しているが、おそらく、人はそのトンネルの終わりの光を垣間見ていよう。

私たちが現存在と呼ぶこうした現象に対する遠大な計画は、実に複雑できわめて壮健である。私たち小さな人間は、私たちの身辺の環境で実際に何が起こっているのかをほとんど知らず、大きな宇宙の中では独り放置されている。だがもし私たちがより知的で受容的であれば、私たちは、より大きな宇宙の存在やシステム――私たちの眼前で駆動している――からの通知を受けていない理由が容易にわかりうる。
ちょっと古代人の工作物を調べるだけで、時間と空間をさらに認識し、私たちは次の次元の存在の知識を得られる。もし私たちが古代エジプトの石の縞模様を解読できれば、彼らが今日私たちが知るよりもはるかに進んでいたことが分かる。そうしたより上位の人たちとは誰であったのか。私たちは、より高い知性への高揚に準備できていなかったらしく、それを知らない。そしてさらに、ますます多くの地球市民が、この高揚のための準備を整えているようである。私たちの周りには、目下の物的世界と欲望に焦点を当てた幻想を後にした人たちが現れている。

心霊者や神秘主義者が常時知ってきたことを、科学が理解し、用語化し始めている。その決定的なメッセージは、私たちがすべてエネルギーの振動で構成されていることである。そして、あらゆる個人のエネルギーは、他の個人のエネルギーと交信し、相互作用し、さらに宇宙そのものとも交信できるということである。その創造エネルギーが、すべての生き物や私たちの霊性である。それこそが私たちすべてである。私たちの身体は原子でできているが、私たちの霊性はエネルギーでできている。地球物理学者がこのような霊性の科学分野を完全に理解でき、人間の霊性はエネルギーのみからできた神の一部であることに完全に納得したならば、彼らは、神を大きな陽性と知性力をもって宇宙全体を満たしているものとして再定義するだろう。私たちが心を開くにつれて、私たちは現在の現実把握以上の無限の意識的な宇宙に自分自身を見つけることだろう。そしてその時点で、私たちは次の研究を開始するように、すべての人々のために理想的な社会を共に創造できる新しい時代に入ってゆくだろう。

 

 

 

旧約聖書と新約聖書に「セラフィム」または「ケルビム」として表されている第六段階からの二存在。どちらも天使の身分中の最も高い存在と見られている。これらの存在が身体の形で現れることを決めたら、限りない能力をそなえた純粋な光の存在として現れる。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2018)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死への恐怖は、古代的であり原始的である。それは人間の「膨大な未知」への入り口だからである。私たちの体が働らかなくなると、それは骨へと分解し始める。死亡恐怖症は死そのものへの恐怖であり、より詳しくは、死んだり、死につつあることへの恐怖である。死体恐怖症は、死体とか棺や墓石など死に関連するすべてのものについての非合理な恐れである。もし私たちが、死が単に過渡期と理解することで死の恐怖を回避することができるなら、私たちは、かつてには想像もできなかったような、平和と喜びを楽しめるようになる。チェロキー族の諺がいう、「あなたが生まれた時、あなたは泣き、世界は喜んだ。 あなたが死ぬ時、世界が泣き、あなたが喜ぶように人生を送ろう」。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2018)

 

 

 

 

 

 

『一なるものの法則』とのシリーズ本は、ラーと呼ばれる存在からもたらされたとされ、明らかに、地球は霊性的成長の学校であることを論じている。そこでは何ものも偶然に発生しているのではない。私たちは誰もが以前の人生を持っており、よく、私たちの古い伴侶を認識する。左図は、ハワイ、カウアイ島、カパーのヒマラヤン・アカデミー出版によって作成されたものである。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2018)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「死」のカードは、15世紀に作られたビスコンチ・スフォルツァ・タロットの一枚である。1455年に出版されたこのトランプは、存在することが知られている最も古いものである。それは、その図形構成、カードの番号付け、そして近代トランプへの解釈において、大きな影響を与えた。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2018)

 

 

 

 

 

 

 

 

興味深い活動は、最近死んだ女性の様子について、その夫の撮影によって捉えられている。写っている光は、心霊体なのか、魂なのか、アストラルボディなのか、波打つ永遠の魔術幻燈なのか、他の存在なのか。興味深いことは、描像が光とエネルギーの一体性であることだ。 (with permission, (c) Brad Olsen, 2018) 

【本章完了】

 

参考文献

Hubbard, L. Ron, Dianetics: The Modern Science of Mental Health. Bridge Publications, 2007.

Knapp, Stephen, The Secret Teachings of the Vedas: The Eastern Answers to the Mysteries of Life. CreateSpace Independent Publishing Platform, 1986.

Müller, Max, Sacred Books of the East. Routledge, 2000.

Olsen, Brad, Future Esoteric: The Unseen Realms. CCC Publishing, 2013.

Russell, Bertrand, The Problems of Philosophy. Simon & Brown, 2013.

Stevenson, Ian, Twenty Cases Suggestive of Reincarnation. University of Virginia Press, 1980.

Scientist Photographs The Soul Leaving The Body: http://www.adguk-blog.com/2013/09/scientist-photographs-soul-leaving-body.html

 

 

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Modern Esoteric cover small

Modern Esoteric: Beyond Our Senses, by Brad Olsen

http://cccpublishing.com/ModernEsoteric  www.bradolsen.com

with permission, (c) Brad Olsen, 2018

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