私を産んだ<チンポ>(その5)

著者:幸子

第五章

ミユキのこと

 

一人の青年が命を落とすというのは大変なことなのだ。

彼一人のみならず、彼を必要としていた人々の人生丸ごと奪ってしまう。

 勤め先では頼もしい上司でもあり、善き隣人でもあり、嬉しそうにカズエにエッチないたずらを仕掛けてくる幼友達ミユキ。

その青年さえ生きていたら、下らんことはすべてチャラになった。

カズエは,石頭オヤジに苛立ったり、将来八方ふさがりで、死のうかと思ったりせずに済んだ。とりわけ、どこの馬の骨かわからん男に売り飛ばされ、股間に大けがを負わされることもなかったのだ。

馬の骨はとことん鈍感だから、どれほど自分が嫌われているか、人から指摘されるまで、気づこうとしなかった。エロ本読みふけり、「いやよいやよも好きのうち」的な思い込みで生きていた。

カズエのような無知で無力な田舎娘だから、さらわれて来て、いきなりこんな男をしょいこまされたが、少しでもその男を知っている女なら、決して一緒にならないだろう。

そもそも親がさせない。こんな男に嫁がせるなど、まともな親なら、決してしないことだ。

カズエは望み通りミユキと添えていたら、両手に花、資格も伴侶も得られたのだ。ミユキなら、看護学校へも行かせてくれたろうとカズエは言った。悔しさに歯を食いしばることもなく、生涯丈夫な歯でいられだたろう。

カズエの損失は計り知れない。

はかない気晴らしにしかならぬような子の何人かを得ても、ミユキを失った損失は、とてもとても埋められない。

それをカズエは口に出したことはない。しかし私には丸見え。

ミユキを語る様な目で私を見たことはなく、私を見る目は汚物を見る目に近かった。「お父さんとそっくりやな」とまで言われたことがある。とどめを刺されたようなものだ。

他にも言葉にもできないことは幾つもある。

 

思えば、親になる為の何の準備も出来ていない女が、騙され、脅され,死にそこなって、人の親になってしまったのだから、その務めを果たせないのはムリもないのだ。

22歳でニューギニアへ行かされ、帰らぬ人となった青年を私は深く悼む。その時カズエは20歳で、翌年嫁に出されている。

人間だれしもいつかは死ぬが、22歳は若すぎる。

ましてや、その人を当てにし、その人なしでは成り立たない人々の人生も狂わせてしまう死は罪深い。

殺人そのもの。愚昧、低能、狂信的な日本国家は戦後になっても大して改まってはいない。

 

私なんかが生まれてくるよりは、ミユキに死なずにいてほしかったとつくづく思う。

誰が人生狂わされた女の惨状など見たいものか。

 

その惨状から始まった私の命は、なるほど普通の命とは違っていた。

むろん幼い頃には気づかない、自分の命の始まりが愛情や信頼などではなく、言葉にもできない暴行や、虐待、冷遇などから発生してしまった代物だなんて気付かない。

しかし子どもはバカではいられない。気付く日が来る。日々の不自由、他の子どもにはどんどん実現していく幸福が、自分にはちっとも来ない、一目瞭然、衣食住のお粗末さ、体の貧弱さ、体調悪さ、その原因が親だと気付かずに済ますことなどどうしてできよう? まともに熟睡できる部屋さえないのだ。いびき筒抜けの安普請、傾き、たわむ柱や床。甲斐性無しのくせに子を作るからこうなるという単純明快な理屈。自分のいわゆるひねくれも、それなりの理由あったと判ってくる。子どもらしく素直にしろ、等の寝言は自分に通用する筈ないと判ってくる。それは、健全で、気心通じ合った男女の間に生まれた子の話。真面目に働く甲斐性ある大黒柱あっての話。

それとはかけ離れた条件下、生じてしまった命には、その命なりの言い分がある。

要するに毎日が苦痛なのだ。だから、自分の誕生を喜べない、感謝もできない、ただ、死ぬという手間が増えるだけの負の遺産。だと。

こんなに露骨に白状すればスッキリする。これを私は産んだ女カズエに言ってやった。すると彼女は言った。「産んでやってごめん。わるかった」と。

それで私は溜飲を下げたのだ。不思議なことに、その瞬間、私は彼女の守護役を引き受けていいような気持ちになった。お人好しの彼女にあれこれ入れ知恵したり世話したり、やりがいあったよ、それなりに。うっかり死にそびれてるじゃないか、私…なんて思ったりもして…

 

ほんの子どもの頃、私は女親を眺めて、「この人、釈迦やキリストよりも、偉いというか、あてになるんじゃないか」と、ふと思ったことがある。子どもだから「偉い人」という言葉が言い易く、思い浮かんだのかもしれないが、自分にとって、一番確かな人という気がしたのだ。

 

ミユキさん、あんたがいなくなり、カズエはすっかり腑抜けになった。

これこそ確かなことだった。我々に隠したい「確かさ」だ。

かわいそうだったよ。何とか寂しさ紛らわそうと、子どもや、孫やカラオケや、あれこれ気晴らししていたが、やっぱり一番の幸せは、あんたの所へ行くことだろう。

 

年老いて不自由な体になったカズエが、やっとその老体から抜け出せた時、

(ひつぎ)に花束投げ入れながら私は言った。「ミユキさんとこへ行きや」と、

送りだしてやったんだよ、17歳のカズエの写真を白いベールで飾って、

送り出した。あんたの所へ。

行ったんだろうな、会えてるんだろうな。

大好きなあんたに。

 

【完】

 

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