私を産んだ<チンポ>(その4)

著者:幸子

第四章

シズの至言

 

シズの至言。 あんたの名前「シズ」だが、戸籍謄本には「シツ」とある。濁点の無い昔の表記か、ともかく我々には「シズ」で通っていた。我々の父親ということになっていた男トシローを産んだ女、そのあんたの口癖。「戦争があの子(トシロー)をあんなにしてしもた」「あの子は戦争で、あないなってしもうた」。これがあんたの名言至言だ。

戦争へ行かない頃の「あの子」を知らない私に、そんなこと言ったって…?

いや、別に私に言っていたのではなかったのだろう。ひとりごとのように、自分に言っていた。

実はあんたは必至で自分のミスを覆い隠そうとしていたんだ。カズエを嫁に迎えて間もなく、うっかり喋ってしまった脳膜炎事件。「トシローは脳膜炎で死んどった。幼児期に脳膜炎になり、医者がさじ投げ、死んだと諦めたが、2~3日して、見たら、生きとった」

生き延びはしたが、後遺症が残り、両親の苦の種となったことだろう。なぜ長男が脳膜炎(髄膜炎)にかかるようなことになったのか、子供をどんな不衛生、どんなずさんな扱いをしていたのか、いなかったのか私は知るすべもない。

私がその子の親なら、知的障害者となってしまった息子に健常者と同じ生活を強いるのではなく、その時代ではあっても、それなりの環境を整えてやる。家庭を持たせるなどとは考えもしないだろうが、あんたらはそうしなかった。私ならこの息子の世話に生涯をささげ、さらに子を産み増やすことなど考えもしないが、あんたらはそれもしなかった。その長男の後も8人の子を産み続けた。長男の前に生れて若死にした長女も含めると計10人の子の親となった。

 

私が物心ついた時、もう、シズの夫というものはいなかった。伝え聞けば、カズエが嫁いで来て日も浅い内に死亡したという。往診受けた直後、苦しみだして、あっという間に死んだらしい。今でいう医療過誤かもしれない。カズエの疎開中に。私が生まれる何年も前だ。

シズよ、カズエの婿を産んだあんたは、夫亡き後も、長らく生き延びた。カズエの婿である長男と同居するのが当時の習わしなのに、あんたはいつも娘の嫁ぎ先を転々とし、長男の家に居付かなかったね。時々帰ってくるあんたは「この家は陰気や」と言いながら入ってきた。誰のせい?

亭主が長男トシローに嫁とろうという話に、あんたは何の反対もせず、罪悪感もなかったのか?

トシローについて、あんたの口癖は「戦争であの子はあんなになってしもうた」「戦争があの子をあないした」

最初は私もそれを信じたこともあった。でもすぐに変だと思うようになった。他でもない、あんたがカズエに言った脳膜炎の件。カズエをたまげさせたあの件だ。

あんたの亭主はそれが漏れたとは知らぬまま死んだかもしれん。ずるさこの上ない。

まだ、うっかり喋ってしまうあんたの方がまだマシだよ。

でも、そのあと後悔したかも知れんね。亭主に口止めされていたろうから。

 

その、ずるさこの上ないオヤジに言おう。「あの子は戦争に行く前から変だった。脳膜炎後遺症で十分壊れていた。でも戦争にも使えないほどの壊れ方でもなかったから、採用された」

それでも多分、戦地での生活で壊れ方は酷くなりこそすれ、マシになるようなことはなかろうから、シズはそこへしがみついた。腹壊すまでのガツガツ食いや、その他の行儀悪さ、物覚えの悪さも、何もかも、軍隊生活のせいとしたわけだ。

多分、カズエと同様、彼の戦死を心待ちにしていただろう。

そういう場合に限って戦死しない。物事は思うようにはいかないものだ。

 

しかし、とにかく、見たくはない。自分の失敗作を見たくない。婆の本音はそんなところ。

 

それはさておき、おシズ、あんた、嫁のカズエをとことんこき使ったね。

金品もむしり取った。着物や石鹸、化粧品…使おうと思うと見当たらない。

カズエが嫌がると、シズやその取り巻きはカズエを「水くさい」と非難。

 

カズエを所帯の買い物に行かせるにも、カネくれん、カズエの所持金あてにしたそうだ。

聞いたことないよ。日々の買い物も嫁の財布に手をつっこむとは。

 

シズよ、あんたについては、あまり書き連ねたくない。あんたの息子と並んで、思い出したくもない相手だ。雑巾もフキンも区別なし、不衛生この上なかったし、悪臭まで漂ってきそうだ。

大好きなばあちゃんになら、自分の名前をまちがって呼ばれたら、大ごとで、すぐさま言い直してもらうが、あんたにならどう呼ばれようがよかったよ。よく別人の名前で呼んでいたね。どうせこっちも返事しなかったから、なんてことないが。

結局は、まともに私の名を呼ぶじじばばなど、どっちにもいなかった。男親側にも女親側にも。

 

ともかく、口を滑らしてくれたことは評価しておく。謎解きの大きなヒントになったからな。

 

つづく

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