人間誕生

投稿作品

自分の誕生は、どこまでも、自己選択の問題ではない。どんな自分も、それに気付いた時、すでに誕生してしまっている。だが、もし自分の誕生が、絶対に選びたくない誕生として、誕生してしまっていたのであったなら、あなたはその誕生をどう生きればよいのだろうか。この投稿作品は、そうした望まれない誕生を与えられた命の、自己再誕生の物語である。しかも興味深いのは、その物語が、自らのセックス行為の体験を通して、語られていることである。そのいまわしい誕生をもたらした苦痛と強要の根源でしかなかったはずのものが、あたかも、人生の悦びと実りの根源へと再生しえた如くに。【サイト管理人】

 

第一章

トシロー迷言拾遺(しゅうい)

 

トシロー、この男に関して私が今でも覚えていることは「彼より1センチでも大きくなりたかった」ということだ。それ以外にも大していい思い出はない。快・不快を+-で表すと合計が-(マイナス)は確実。何しろ、この男の死亡は我々の安息だったのだから。それでバンザイ。もう忘れていいはずだった。

しかし、今またそれを思い出し、しかも記録したいと思うようになったのは、私にとって思わぬ収穫、勝利だと言ってもいい。

かつては、それについて、何を思い出すのも苦痛、頭をかすめるのも嫌で、振り払っていた。あいつのことを忘れることのできる薬があれば、借金してでも手に入れたいと思った。

それが、今はこうして少しでも詳しく、正確に思い出そうとしている。これは私が治癒に向かい、あるいは、治癒したのかもしれない。…治癒はともかく、勝利? ……人々が勝ち負けの尺度を用いない所でも、私はしばしばその物差しを使ってしまう。有体(ありてい)に言って、それが私にはいちばん判り易いからだ。

親に関する思い出で、親を誇れる人もいれば、誇れない人もいる。更にはその親から逃げ出せたことを誇るしかない人もいる。逃れ、あるいは、打ち負かしたことを。私はこの類(たぐい)の一人である。

親に虐待されて死ぬ子供を世間は憐れみ、涙するが、その親が死刑になったという話はきいたことがない。子供のうち、殺され損ねた生き残りの子の養育係がいなくなると困るせいか、殺人犯は死刑を免(まぬが)れ、生き延びる。軽微な処罰で、のうのうと。

さてまた、親に殺されそうな子が親に打ち勝ち、生き延びたら、世間はその子をほめるだろうか?

殺されたも同然なほど、親に人生台無しにされた子が、その親を殺したら? 

ほめない。断じて。百発百中、犯罪者にされる。未成年なら鑑別所、成人なら刑務所行きだ。1968年、栃木尊属殺人事件の被告を見るがいい。長年実父に強姦され続けた娘が、ある日ついに実父を殺した。

この事件については、次章で詳しくふれる

 

とかく世間はうるさい。古臭い。子が親の記憶を有体(ありてい)にたどり、供述すると、きく人は眉ひそめ、「親を悪く言うのは天に唾するようなこと」と恫喝(どうかつ)まがいのことを言う。悪く言うというより、ありのままを語っても、悪口と言われては、こちらはよけいに黙っていられない。その弊害から極力逃れ、生き延びた子供の苦労も思ってみろ、だ。親に守られ、慈しまれた子供時代しか知らない者には到底想像もつかないだろう。そんな彼らの言い草も私はよく知っている。

「どんな親でも親は親。彼らがいてくれたからこそ、あなたがいる。先祖や親の恥になるようなことを、なぜ暴露する?」

そういう発想が出来ること自体、彼らは、子供時代を忘れているのだ。親の恥を隠しておこうだって? 子供にはそんなゆとりはない。

子供には「切実な必要」しかない。それを主張するから子供なのだ。親の貧しさを隠してやろうと空腹を我慢する子供は生き延びられない。親の恥になろうがかまわず、金持ちの子の弁当盗む子が生き延びる。「駅の子」と呼ばれた戦争孤児の生存競争は、親の恥を通り越して、国の恥を露呈した現実だった。

試しに、有名無実、機能不全になり果てた親や国家に属してみろ。それらをどう言いたくなるか。

長年の兵役で、持病の後遺症に更に拍車がかかった廃人と、一緒に暮らしてみろというのだ。ヘビースモーカーで大イビキ。それを人迷惑とも思わぬそいつと、ものの3日も同居できたら、大したものだ。少なくとも、人間同士の生活が可能かどうか、体験してから、言えばいい。説教まがいの寝言など。

 

私の場合、きょうだい、親戚たちは屁の突っ張り。他人同然、というより、それより悪い。

他人の中には親戚連中より、よほど捌(さば)けた人もいる。トシローが健常者ではないと気付く人だ。幼少時の髄膜炎(ずいまくえん)後遺症に加え、成人後の兵役体験によるPTSD(心的外傷)。これではとても健常者の生活は無理だと気付き、それを言う人。トシロー自身にもその親にも。

そんな人が一人でもいてくれたらよかった。彼が嫁を娶(めと)る前に。娶ると言っても、自力で何が出来るわけでなく、近所には嫁の来手がなく、親がさらって来た田舎(いなか)娘を手篭(てご)めにしたというだけだ。彼に少しでも知恵が残っていれば、自分に妻子扶養など無理だと解り、結婚を思いとどまるだろう。知恵足らずはそれができない。どころか、何とか自分も人並みに、とばかり、背伸びして「結婚」する。いっちょまえに。

わが息子に障害があることを、ひた隠しにして他人に「婿」として押し付けた父親、その後まもなくお陀仏する。騙(だま)され、さらわれ、子を産まされる嫁の悲惨は見ずじまい。その嫁が子供らばかりか亭主まで養わされるのは、知らずじまいの見ずじまい。あの世でとことん苦しめ、見下げ果てたクソ野郎。幸い、私はあんたの写真一枚見たことないよ。その面など全く知らないのがせめての救い。この世に存在したことさえ知りたくない。

 

さて、テーマはトシローの迷言だった。至言だった。

日常生活においても、我々は何かと彼との係わり合いは避けたかった。彼の妻子3人が3人共それについては一致していた。すると彼は言う

「あんたらは冷たい。他人さんの方がよほど情(じょう)がある」

なんともはや、それはこっちのセリフだよ。呆れて返答もできずにいるこちらを見て、「言い負かした」とでも思い込むのか、態度横柄、仏頂面で棲息続ける。

 

親が連れて来た田舎娘を、親の言うなりに娶(めと)った男。魂胆(こんたん)は子供にも丸見えだった。女郎屋(じょろうや)通いの節約だ。タダで女に触(さわ)れるのは、それしかなかろ? 最初から、家族を養う気などみじんもなく、失業したらしっぱなし。嫁にケツ叩かれての再就職。その嫁が夜の生活に乗ってこんから、働く意欲も出てこんわ、などと寝言のたまう、あのトシローの口癖。

「おまえら冷たい、他人さんらの方がよっぽど情あるわ」

「ほんなら、他人さんに世話してもらえ」と言い返していた嫁。

その嫁の口癖はこうだった。

「あー、あいつには何も言うまい、受け答えもせんでおこうと思うとっても、そこにおったら言うてしまう。ろくでもない返事しか返ってこんのがわかっとっても、ついなあ…」

そうなのだ。我々子供も、つい、何かを尋ねてしまうことがあった。そこにいるから。なまじ人間の服を着て、おはよう、おやすみ、ぐらいは言えるから、もっと別のことも言えるのかと錯覚してしまう。

それで話しかけ、結局言わなければよかったと後悔する。そんなことがよくあった。

何を訊(き)いても尋(たず)ねても、「好きなようにせえ。どっちでもええ」

「こっちか」と訊くと、「そうや」

「あっちか」と訊くと、「そうや」

「一体どっちがホンマや」と言うと

「どっちでもええ」

訊く嫁はかわいそうだな、と私は思った。恐ろしいな、とも。結婚などするからこうなったんや、と。

結婚というのが、その昔、旧民法の時代には、娘たちの宿命のような義務っぽいもので、自分の意向は容(い)れられないことが多かった。それを私は若い頃、知らなかった。娘たちの多くが性知識無しで放り出されることも知らなかった。

そういう娘たちは、初夜(これも今ではほぼ死語だが)で驚き、戸惑い、傷つき、運が良ければ新夫に労(いた)わってもらえ、悪ければ、暴行暴言の憂き目に遭う。

もっと悪ければ私を産んだ女のように、「なんじゃ、こいつ、脳足(のうた)りんのせいか、妙なことする。変な癖(くせ)あるなあ」となる。信頼はむろん信用もできず、嫌悪しか抱かぬ相手からのその行為はただ、その男の固有のビョーキぐらいにしか認識されない。

まるっきり相手を信用しないということはそうなのだ。さらわれ、手篭めにされた娘は相手を信じなかった。「結婚したら皆、こないするんや」と言われても、信じなかった。お前だけの妙な癖や、と思うのだ。彼女は相手を嫌悪し、怨んだには違いないが、凌辱(りょうじょく)されても、死のうとするような気性ではない。

加えられた苦痛ゆえに復讐を企てはしても、死んでしまおうなどとは思わないのだ、彼女の場合。自身の体は何ものにも優る武器であり、自身に宿り、自身が生みだした子供は当然自身のもの。何の、男と関係あろうか。これが彼女の思いだった。彼女にとっての自明の真理だ。

現実にも、出産、育児のどこに男の出番があろう? 出産を手伝うのも、当時は産婆(さんば)(助産師)と呼ばれる女性しかいない。妊娠の原因を知る情報などありはしない。産婦人科医などいても、手の届く存在ではない。高嶺(たかね)の花、自分とは無縁なのだ。書物の類もそうそう手に入らず、そもそも平易な書きようではない。

加えて、庶民の家には電話もない頃、郷里から遠く離れ、女親、姉などとのやり取りも困難では、監禁されたも同然である。

私を産んだ女は、子供を産んだ後、帰省し、女きょうだいなどと交わした乏しい情報で、やっと、妊娠の仕組みを知ったという。知ったというより、いやいや認めざるをえなかった。「えー?どこの婿さんでも、夜、あんな悪さをするんか?」と。それをきいて、私は呆(あき)れたが、許した。彼女に「男のおかげで子を得た」という認識が全くなかったことは、私にとって、せめてものことだった。私より先に生まれて2歳足らずで死んだ幼女を惜しみ、悲しみ、自ら病気になりかけた気持ちもわかった。自身の唯一の分身に先立たれ、後追いしたくなるほど、開けても暮れても泣き暮らしたという。そうそう、その時彼女を更に落ち込ませた一言は、親戚の「大丈夫や、また(子は)できるわいな」だった。

こんなことを彼女がスラスラ自発的に話したのではない。彼女のそばで暮らした私が、折あるごとに訊き出し、なんとか得た断片の数々をつなぎ合わせたのだ。拒否や反発、罵詈雑言(ばりぞうごん)にも屈することなく、執拗に訊き出した。同居する身近な人物の顔が異様に暗ければ、気になるのが当然だろう。「よその母親たちのような明るさ楽しさが全くない、うちの母さんどうなっとるの?」が私の探求のきっかけだった。こちらの素朴な意図にもかかわらず、相手は言う。「おっそろし!(恐ろしい)、いやらしい!子供らしない!」

近所の井戸端会議でエッチな話に嬉しがる、よそのおばさんたちとは、あまりに違う。ひとり顔ひきつらせるわが親を見れば、思うよ、「これは何?」。

そうそう、彼女だけでなく、彼女の姉までが私を咎(とが)めた。小学生だった私は、夏休み、田舎へ帰省中のある日、伯母に説教された。曰(いわ)く「あんたな、あんまり問(と)うて問うて、お母ちゃんを困らしちゃ、いけんのよ」と。つまり「あんた、あまり質問攻めにしてお母さんを困らせてはいけないよ」というのだ。私がぽかんとしていると伯母は言った。「あんたのお母ちゃんが困っとる。『うちの子が、どうしたら赤ちゃんできるの?と問うて来て困るんじゃ』と言うとる」

私にすれば、その質問ばかりを、そんなに、ひんぱんにした覚えはなかったが、あれこれ訊かれる側には、そこが一番痛い所となってしまったのだろう。(早期に性教育を受けない)子供なら、誰でも一度はするような質問を、夫婦円満な両親なら、大して苦もなく受け入れるだろう。子供にわかる説明もできるだろうが、そうでない夫婦はお手上げである。

お母ちゃんを困らすなと、伯母に説教されても、納得いかない私の顔を読みとったのか、伯母は「道端(みちばた)でつるむ犬」を例にして説明した。最後にこう付け加えた。「じゃが、人間さまは外ではせんの。ちゃんと行儀よく家の中に入ってするのじゃ」(それにしても、最近、そんなの、とんと見ない。野良犬が減り、ペットたちは行儀よくお家(うち)に入っているのだろう)

その時、私は小学生の何年生だったかよく覚えていないが、それは知っていた。同級生の物知り自慢の男子が、百科事典の図解を得意げに見せ、みんなにレクチャーしたのだ。翌日、ある女子生徒が言った。「うちのお母さん、そんなの絶対ウソだと言った」と。私を産んだ女以外にも、それと似た目にあった女性がいたのだろう。出来事と出産の因果関係を認めたくない女たちが。

ともかく私は伯母には「うん」と言って、その場を収めたと思う。

「そんなこと知ってるわ」とか、

「おばちゃんが知っていることを、うちのお母ちゃんは知らんのか?」

などと言って困らせることはしなかった。大人を困らせるのは、とてもいけないことらしいから。

 

伯母の回答はズレていた。こちらで修正するしかなかった。問題の根本は、子供からの質問に、親が答えられないことなのだ。互いに信頼しあった上で結ばれた男女なら、自分たちの子供がその出生(しゅっしょう)について質問して来ても、悪びれずに答えられる。照れたりすることぐらいはあるかも知れないが、嫌悪や不快の表情で逃げ出すようなことはないはずだ。ここが問題なのに、伯母はそこをすっとばした。本当に理解できないでいたのか、トボケる方が楽だと思ったのか。大人の側に責任あることを、子供のせいにする。「お母ちゃんを困らしちゃいけんよ」だと? なら、子供でなく人形を置いとけ。子供は人形ではない、目も耳もき働き、脳みそもあるのだ。しかし体力がない。大きさが圧倒的に足りない。自衛本能なのか、子供は黙る。

さて、もっと私が幼く、同級生の百科事典の図解も見ないころ、オヤジに質問したことがある。トシローにこう尋ねた。「世に中になんで男がおるのん? 赤ちゃん産むのも女。ご飯作るのも女、買い物も、洗濯も、本読んでくれるのも女やんか。男おらんでも、ちっとも困らんやん」

すると、彼はちょっと困ったような、にやけた顔でこう言った。

「ほな、そない思うとれや」と。

「違うぞ、男ががっぽり稼いで来るから女が買い物できるんや」とも、言えない実情では、そうとしか言えなかったのだろう。赤ちゃんについては「幼児の浅知恵」と、笑っていたのだろう。「まだ何も知らんのやなあ」などと。自分がそれを教えるべきだとは思いもしなかったようだ。お前も年頃になれば解るわ、とばかりにトボケた。

こういう男は彼だけでなく、ざらにいた。つまり「子供は社会が育てる」と思っている人。「親は子が死なんようにさえしていれば、それで事足りる。その他、面倒なことは、世の中から学ぶわ、放っておけ」というわけだ。

彼の口癖の一つが、「男はべらべらしゃべるもんやない」だった。会社という隠れ簑(みの)へ逃げ込む以外は、喋(しゃべ)らん、稼(かせ)がん、炊事洗濯、家事一切せん、で済むのが男なら、男とは、これほど楽なものはない。

 

喋らないから、家族間の相互理解、意思の疎通などおぼつかない。人の顔色も読めないこの男は相手を押さえこんで、自分が得る快感を、相手も得ていると思い込んだかもしれないのだ。得ていないことが判ったら、それは相手の欠陥…愚昧、思い上がりにはきりがない。とにかく会話の決定的な欠落が彼らの特徴だ。

女側の言い分はこう。「くたびれて眠ろうと思うとるのに、重たーいのが、どさーっと上からのしかかってきて、迷惑な千万。体もたんから、もうやめてくれ言うて、それから一切応じてない」

彼らの寝床が1階と2階に分かれた日があった。男が1階、それ以外は皆2階だった。彼らがまだ40代かそこらのことだ。

 

男の思惑はどうであれ、女は、苦役と引き換えに子供たちという分身、味方を得たのだ。育てるにあたっても、男は邪魔こそすれ、役立つことは何もしなかった。(現に1人死なせた)男については、さっさと消え失せろ、と願うだけだったと思う。目に付くところにいればつい、用事を頼みそうになったり、娘に似ているのかな、と気が散ったり、自分から干された男が、年頃になった娘に手を出さないかと心配になったり、よけいな気苦労をしてしまう。さっさと失せろ、この邪魔者、と。

 

男はそんな女の気持ちをいくばくかでも知っていただろうか。知らないだろう。知る訳ないのだ。

デリカシーのかけらも持ち合わせない男は、自分のおかげで子供の何人かを授かった女が、少しも自分に感謝せず、優遇せず、汚らわしそうにし続けるのを不満に思っていたのだから。

 

本来家族を養うべき自分が、実際は家族に養われていることを考えずに済む人生とはどんなものだろう。それはそれで「勝ち」なのか? 厚顔無恥であり、不幸でしかないと私は思うのだが、壊れた頭ではそうは感じないらしい。

無知も無恥も彼らにとっては武器であり、誇りである。暴力を恥じるどころか、それに依存し、誇示する。

トシロー、あんたは、新妻(にいづま)に、少女を半殺しにする様(さま)を見せつけ、得意になっていたってね。

その少女がどんな失言、どんな無礼をしたか知らんが、大の男が、小学生の妹を、力任(ちからまか)せに暴行する姿は醜いことの上ないよ。あんたの母親もきょうだいたちも、その場にいたのに、誰も止めない。新妻はぞっとしたが、実家でも親父(おやじ)がよく暴力振るっていたので、男とはこんなものかと諦めた。その表情を少しでも読める男なら、妻の失望、軽蔑、嫌悪など、すぐに察知できただろうに。

女はその後、自分の子に教えた。「あの男には逆らうな。自分がどんなに正しいと思っても何も言うな。怒らせると何をするかわからん。自分は、昔、あの男が小さな妹を半殺しにするのを見た」と。

あんたにあるのは欲と衝動だけで、その他、知情意、何もない。「他者の気持ちはどうでもいい」更に「自分を恐れ、自分の言うなりになればもっといい」

その日その日が自分に心地よく、暑さ寒さ、空腹、渇きをしのげたら、それでいいのだ。お気に入りドラマやギャンブルで、タバコふかして失われた青春を取り戻すことが何より大事。「わしの楽しみ」何より大事。

 

この男が、もし壊れていなかったら、などと私も、夢想してみたこともある。この男が髄膜炎にもPTSDにもかからなければ、どんなだっただろう?などと。しかしあらゆる意味でそれは空しい。彼のきょうだいたち、髄膜炎に罹(かか)らなかった兄弟姉妹の生存者数人を私は知っていたが、また会いたくなるような人はほとんどいなかった。それどころか、トシローの病気を、その嫁の冷淡さ故の結果だなどと言いがかりを付ける者までいて、私と弟は強く抗議した。日頃は何かと反発しあう我々が、この時はがっちり組んで、まくしたてた。相手が口ごもり、凹(へこ)むまで。

壊れていなくてもこの一族は、この程度なのだろう。そう私も思い、弟はこの家など絶家してもいいと言い出した。達観である。その後、自らの結婚に際し、オヤジの結婚を見下してこう言った。「自分が結婚するのは、経済的な自信ができたからだ。オヤジみたいに欲望だけで結婚するヤツの気が知れん。こんなヤツに嫁とらせるようなこと、自分がその親なら絶対にせん」と。彼は晴れの結婚式を自分たち2人だけで済ました。彼の母親と私はその記念写真を見た。オヤジは? 知らん。見たかどうかも私は知らない。弟に訊いてみる気もしない。

お手本にならないような親の元で育つ子が、曲がりなりにも、親たるものがどうあるべきかを心得るのは容易ではない。そして、それを実行できたら、世間はその本人をほめるか? いや、多くの場合、親をほめる。「さぞかし立派なお父様に育てられたんでしょうな」とか。

我々子供はしばしばそういう目にあった。しかし、「いえ、違いますよ。オヤジは手のつけられんドガイショナシで、我々子供は艱難辛苦(かんなんしんく)、その害から逃れてきたのですよ」なんて言えないのだ。言ったら最後、我々もその同類だと見做(みな)されてしまう。もしくは親を悪く言うとんでもないやつだ、とか、恩知らずだとか。傍観者の寝言にはキリがない。

 

だから黙るしかない。まるで、親なしか、木の股(また)から生まれたような顔をして。

 

我々の女親はそれも見越して、よく言っていた。「オヤジがアホなことを外へ行って言うなよ。あんたらもその仲間やと思われるから」と。

 

TVのホームドラマは概して我々には有害だった。麻薬のような作用というか、しばし現実逃避はさせてくれるが、現実に引き戻される時の不快感がたまらなかった。友人たちの家庭の話も、苦痛だった。優しい母親や、頼もしい父親自慢の話は聞くに耐えなかった。「宿題、わからん所、お父ちゃんが教えてくれたの!」と、近所の同い年の子が嬉しそうに言った時、私は頭を殴られた気がした。その子は自慢したつもりはなかったのだろう。嬉しかった話をしただけだ。

映画やドラマや、とりわけ、同級生の話からは遠ざかろう、つい、自分にもそういう嬉しいことがあるかもしれないと、夢想してしまい、結局はガッカリするハメになるのだから。

夢想は時間のムダ。反実仮想は時間のムダ。

さて、どんな親でも亡くなればその良さが判るとかいうが、私は判らずじまい。も少し早く消えてくれたなら私の人生もっと開けたかも、とは思う。(病(やまい)ゆえにしろ)悪人だった人間が、死んで仏になるという思想も私にはない。暴君ネロは死んでも暴君。死んで仏になる筈ない。死後、病(やまい)治癒ということはあるかもしれん。あってもあの世での事だ。そのおこぼれがこの世にいくらかでもあるというのか? 治癒するヒマあれば、生まれ変わる方が手っ取り早いようにも思う。

さて、オヤジ存命中の話しに戻ろう。タバコやめたら少しは賢くなるかもと、私は気骨折って喫煙を止めさせようとしたこともある。女親は若い頃のそんな私を不憫(ふびん)だと言った。無駄なことだ、あの男に何をしてもあかんで、と。

その通りだった。口先だけは、「やめる。今度こそ絶対止(や)める」と言うから、余計始末悪い。聞かされた者は期待してしまうではないか。競輪競馬、パチンコ等々、ギャンブル狂もその調子で、治らなかった。体弱り動けなくなるまで。

 

おバカは誰と、どう暮らせばいいんだろう? 誰にでも人権あって、死ねとは言えないとしたら、どこでどうさせたら、家族や周囲をそこなわずに済むのだろう? いわゆる福祉の充実で済む問題?

今の時代、障害者が生まれたり、障害者になってしまったりしても、福祉施設があるじゃないか、その法律もなんとか整備され、頼ればいいんだ、その道のプロに。

それとも、そんな障害者が生れないようにすることこそが重要なのか? 

今では自分に関係ないよ、と突き放せない、私の中に居座り続ける気がかりである。

 

数年前だったか、出産前の検診で、胎児の障害発覚し、出産断念した女性がTV取材に応じていた。裕福でもないその女性は、その子たちが生まれてきたら、養育に健常者の何倍もの費用や気遣いが必要で、親子共倒れになってしまう、やって行く自信がない、と泣いていた。胎児は男女の双子(ふたご)で、とっさに私は、ある冷血夫婦を思い浮かべた。自分の孫子(まごこ)を散々殺(あや)め、抹殺したあの夫婦を。育ち過ぎて自分たちの手に負えなくなった娘は、嫁がせるふりして、捨てたあの夫婦。

 

戸籍上の私の祖父母。母方の祖父母である。

 

健常者である娘を障害者に売り飛ばしたあの夫婦。おそろいのおバカだったね、あれも。トシローの父親から、僅かな結納金を見合いのその場で掴(つか)まされ、丸めこまれた田舎者。子沢山の貧乏親父(おやじ)には、救いの神にも思えたのか。

 

物心ついた頃から「結婚」の胡散臭(うさんくさ)さに手を焼いていた私は友人たちのように、結婚にあこがれたりできなかった。「結婚は人生の墓場」が私にとっての公理。「自明の理」だった。

それで、親戚や友人の結婚式に出たこともなければ、祝意を表したこともない。

彼らの結婚生活が破綻したら、それ見たことかと溜飲を下げた。独り秘かにニンマリと。

でも、近ごろは、その同級生と話してみたいと思う。あの子も2回目(の結婚)しただろうか、それとも3回目…

 

トシローの言葉拾遺(しゅうい)など目論(もくろ)んで始めた作業、うまくいかない。いくはずもないんだろう。私が拾い集めてしまうのは、つい、その嫁の方(ほう)。彼女から、もう縁切れたぞ、嫁なんていうな、と抗議する声まで聞こえてきそうだ。そうだね、すまんよ。

 

あ、一つ思い出した。トシローのこれは至言だ。金言だ。「保証人にだけは、なるな」

 

すかさず女の声がする。「まぐれあたりに、一つぐらいはマトモっぽいことも言うやろ、どこで聞き覚えてきたのか知らんが」と。なるほど、軍配は、やはりあんたの方(ほう)になるのかな。

ついでに訊くが、あんたが産んだ男児がよ、トシローとその一族にあいそつかし、絶家していいとまで言えたほどの男がよ。その後、死んだあんたを迎えに来たが、あんたは行ったのか? 一瞬でも? 息子の家に?

あんたが生きているうちは自宅にも呼ばず、こちらへ出向くのも、ほんの時々。介護のの字も、面会のの字もせん男が、死んだら急に身内面(みうちづら)して、うちへ来るなり土下座した。「兄さん、済みませんでした!」やて。「姉さん」とは言わんのだ。

 

知ってるだろうが、その男、あんたの葬式には自前の位牌携えて、戒名書いて持ってきた。前日に、喪主たる私から、「位牌はこっちの葬儀セットにあるから不要」と念押されたにもかかわらず、当日、自前の位牌を、これ見よがしに持ってきた。葬儀後、遺骨も欲しいと言うので、渡したが、出棺の時、私が

「ミユキさんの所へ行きよー」

というのを聞いて、穏やかではなかったかも。自分が持ち帰る遺骨はすっかり抜けがらで、中身はミユキの元へ行ったとなれば、亡母を祀る自分の立場がない。

ミユキを愛した亡母の気持ちを(私ほどではないにしろ)結構知ってはいるくせに、彼女個人の幸せは二の次三の次。妻や世間への見栄もあるのか。世帯主にふさわしい世間並みの体裁保つことに汲々だ。

 

彼に私は教えた筈だ。トシローの父親は、無知な田舎娘の人生を台無しにした犯罪者だと。赤の他人の純真無垢な娘の人生台無しにした。キム・ジョンナム(金正男)を殺したジョンウン(正恩)より悪いのだ。と。

彼はうなずいた。だから、私は彼に先祖を捨てる勇気ぐらいはあると思っていた。どころか既にそうしている、妻子への見栄で、露骨にはしていないかもしれないが…と。

 

住人が1人減り、(その年金もなくなったので)それにふさわしい慎ましい部屋へ移ると、そこは淡路島を背景に、大橋かかる海が見える。以前よりもいい景色。そこへ尋ね来た弟も言う「前よりええな」と。

「夜景はもっとええから、また夜にもおいで」と言ったのがこの5月。そのうち、ぶっちゃけ語り合おう、チューハイ、ビール、枝豆、スルメで、我々しか知らない艱難辛苦(かんなんしんく)通過、万歳!の打ち上げやろうと思っていた。「きょうだいのうち、私にだけ名前がふたつあるのはなんでや思う?」とか訊いてみて、訊かれて初めて、考え始めるだろう弟を笑ってやろうと思っていた。

「あれ? そないゆうたら、そやな、なんでや?」

 

そんなやり取り楽しみにしていたのに、ある日を境にメールも届かん。せっかく明石海峡大橋の夜景ライトアップ画像送ったのに、なんとエラーで返ってくる。やむなく電話でその無礼を責めると、迷惑メールが毎日多量に来て、受信拒否しているとのこと。全部拒否せず、より分けたらどうかと言って電話切ったが、そばで夫が笑う。「うちは迷惑なんや」

昨年私を振った従兄(いとこ)も、その前、私の方から見切った叔母も、そうだったが、私が身内同士でしか出来ない話をしたがると彼らはスルリとそれを交(か)わし、他人同士でも出来るような話に逃げ込んでしまう。「特殊」を追究したい私と、「標準」に逃げ込もうとする彼ら。気軽に話し、付き合える筈の彼らに、非常な気遣いをする自分。接するたびに募る疲労。割に合わんな。これでは身内の意味がない。それに気付いて、もうやめた。私には親きょうだいなどいないのだ。または、弟などはまだ治癒していない。幼児時代の思い出の整理もまだつかず、触れられることさえ耐えがたいのだ。そっとしておくしかない。

 

盆や彼岸はこの国の風物詩? よくは知らんが、抵抗なくその習わしに染まれる人はしたらいい。キュウリやナスで馬や牛を作ればいい。私はできない。子どもに伝えようとも思わない。我々の遺骨や位牌も無用の長物。むろん墓も。

 

亡母の位牌や遺骨を持ち帰ったあの男、盆や彼岸に墓参りを相も変わらずしているのだろうか。カスのクソの無知と愚昧のご先祖様に、いまだにお参りしているのだろうか? せっかくトシローより何cmも大きくなったというのにさー。

 

トシローの続きを語ろう。もうすぐ終わる。あと少しだ。

 

今でも私に印象深いのは、「保証人になるな」の忠告が、やたら力(ちから)がこもっていたこと。子供にろくなこと教えられなかった自分だが、これだけは自信をもって言える、というような迫力だった。その時、私がどう答えたか忘れたが、わりとすんなり聞き入れたような気がする。むろん内心は、

「そんなこと、あんたに言われんでも知ってるわ」と思ったが。

大事なことはそれをしっかり実行したこと。これをトシロー、あんたに報告するよ。

 

20年近くも前のこと、夫の兄貴が夫に保証人を頼んできた。不動産購入の契約に必要だと言って。「連帯保証人」というヤツだ。その嫁の言い草がこうだった。「何も、お宅に迷惑掛けないわ。そこにハンコ押してくれるだけでいいの」電話口で私は絶句。切った後、夫に言った。「絶対だめ」

うまくは説明できなかったと思う。しかし、この悪名高い保証人を引き受けたばっかりに、人生損ねた人たちの話をあれこれ聞いていたので、私は身体を張って反対した。

「断ったら兄貴と気まずくなる…」とかグダグダ言う夫に私は言った。「絶交してもええから、やめて」 自分たちの別れ話にまで発展しそうな気配に、夫は折れて、断った。絶縁した。義兄夫婦からも、その後、全く音沙汰なし。その後、更に調べたら、この連帯保証人制度は世界に類見ぬ悪しき制度とわかってきた。軍隊や部活の「連帯責任」にも通じる発想。こんなことが随所に蔓延、子どもたちまで惑わそうとする嫌な国だ。連帯保証人制度と皇室制度は日本の恥。

ともかく、訳わからん親戚と縁切れて、私は清々している。その後も連帯保証人に限らず、なるべく保証人は引き受けないことにしている。長期にわたりそうなものは特に。自身が保証人を頼みたいときも、個人に頼まず業者を探す。

そういう気配を察知して、転勤族のわが弟も、うちへ賃貸保証人の依頼をしなくなってきた。

 

しまった、彼の依頼を回避する時、言うべきだった。「亡きトシローの訓辞(くんじ)だ」と。

 

つづく

                               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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