結論から先に言うと、「離身体験」と「文章表現」とは、同じものとは言えないまでも、同列の行為ではないかと考えられます。むろん、この両体験は、日常行為としては大いに隔たったもので、後者に比べて前者は、極めてまれな非日常体験です。にもかかわらず、それを「同列」とするのは、いずれも、その体験者を、人生の一種のよどみの底から救い出し、まるで羽根でも生えたように、空から鳥の目で地上の自分の姿を見渡すに等しい効果があることです。 詳細記事

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離身体験

私たちの離身および臨死経験もまた、心や霊性が、身体を離れたり、自分の身体が体験する時間や空間の外部で働くことを明白に示す事例を提供している。こうした事例は、生まれ代わりの概念を間接的に立証している。記録されている最も古い離身体験、または臨死体験の報告は、プラトンの『国家』の中で語られている「エルの物語」にも見られる。エルは、戦闘で「殺された」後、火葬にされる寸前で生き返り、あの世への旅について語った。彼は復帰し、そこで何を見たかを現世の人に告げることで、人間界への使者にならなければならないとされたと述べられており、これは古代ギリシャ人に大きな影響を与えた。 詳細記事

第三章

ユーキチじいさん

 

ユーキチじいさん、テツよりは利口だったようだが、惜しむらくは、その熱心な稲荷信仰。熱心すぎて、いなりのいーなり。すっかり食われてしまったことだ。

カズエから聞いた話では、じいさん、自分が60過ぎで死ぬというお告げを信じていたが、それを過ぎても死なないので、自分は生き過ぎだと、断じ、自殺したという。80を過ぎていた。猫いらずか何かの服毒自殺だったらしく、カズエは家族からではなく、近所の人の話を小耳に挟んで知ったようだ。

信じ込むというのは怖いなと思う。この話を聞いて、我々なら、先ず、吹き出してしまう。 詳細記事