前回そして前々回にも述べましたように、このシリーズに取り掛かる動機には、私の人生行路が、遠望ながら、永遠の旅立ち〔注〕がしだいに視界に入るところまできていることと、それに同期して、何やら日本や世界が、文明的な終末観をすら漂わせ始めていることとも関連しています。そうした個と世の両方にわたる大転換の気配と、だからゆえの、旧次元を越えるパラダイム変化への要請を意識しないでは済ませられない空気を呼吸しています。つまり、そこでは、文明の根源である、生命とその再生産にまつわる人的営みへの再考察に踏み込まざるをえません。
〔注〕 ある意味で、本稿は「終活」論です。ただし、いわゆる「終活」は、海外旅行に出るのに、肝心な旅先のことを、言葉や地理や文化など、何の知識も持たずに出かけるようなものです。本シリーズは、その知識にも関するものです。