以下は「牽強付会」〔(けんきょうふかい)自説への無理なこじつけ〕も甚だしいと言われかねない話です。そこで最後までお付き合い願えるものかどうか心もとないのですが、そう願って書き始めることといたします。

そのまずはじめに、これがどう“牽強付会的”なのかを言っておきますと、ここに挙げます二つの話は、結局、同じことではないかという、私としては一種の発見談なのです。ただ、その二つの話の出どころが、あまりに隔たり過ぎているがゆえに、両者を結び付けることに、一抹の危惧があるからです。

そういう次第で、“冒険”をかえりみず、むしろ、その「こじつけ」を武器とすらして、今回より「“KENKYOFUKAI”シリーズ」を開始し、先に連載した「パラダイム変化」シリーズの第二弾ともしたいと思います。

そこでまずその初回として、そのイントロともいうべき一つの発想――違って見えても「同じもの」――を提示いたします。

詳細記事