【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:コスモス

撮影場所:昭和記念公園

コメント:風の無き時もコスモスなりしかな 粟津松彩子

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今回、本稿で述べたいことは、「実験台としての生」という、私にとって「定石」とも言える、究極の立ち還り点です。

というのは、前回前々回と「架橋としての情報」と題した連続記事を足掛かりに、残り「四分の一」に臨むにあたって、見定めた境地を考えてきました。

そして、誰もがそうであるように、自分の意識は自分自身のものであると信じて疑わない自明の事実らしきものが、実は、なかなか怪しいものだったとの思いに端を発した末の、「意識」たるものへの、ある種の疑いです。

その怪しさを言い換えれば、時に「自己責任」などとレッテルを張られ、あらぬ因縁の侵入を許してしまう、その誰もの信じ込みが故のそうした見透かされやすさです。権力側にしてみれば、それは、いくらでも揺さぶれる、旨い汁の搾り処です。 詳細記事

本サイトに、「相互邂逅」と題した、私の言わば「半自伝」があります。

それは、私が十代半ば以来書き残してきた数十冊のノートを、還暦をきっかけに再読した体験にまつわる、自人生の振り返りの記録です。つまり、十数年前、私はその「半自伝」風の回想記を書きながら、その古きノートに全精魂を傾けて表わされている40年ほども昔の自分――もしその再読がなかったら、そのかつての自分は、おそらく記憶の中の遠いかなたに消えかかっていたでしょう――と、その本人がそのまま、今ここにそう息づいているかのように、まさにリアルに再会していたのでした。

こうして、一人の若き人格の生きざまをそう目の当たりにして、あたかも、時代を隔てた二人の自分同士が「邂逅」するかの、ありえないながら実際に起こった、感慨深い体験をそう書き留めていたのでした。

その「相互邂逅」が、最近、どちらかの読者によって、丹念に読まれているかのデータに接し、あらためて、その一連の記事を、再度、読み直す契機となりました。 詳細記事