宗教にも満たぬ「象徴」を戴く国って?
私は世界中の宗教を知っているわけではないし、日本国内の宗教も、ごく大まかに、知っているだけだ。仏教、神道、キリスト教、といった、いわば通称を知っているだけで、現実の事細かい宗教法人名は知らない。それぞれの宗派や系統がそれぞれ宗教法人としての登録をしているようだ。2014年の日本の宗教法人数は181,810だという。少なくとも日本国内のそれらをことごとく検証した上で言うのが理想だろうが、ここでは乏しい自分の宗教遍歴をもとにして述べさせてもらう。それでも、10かそこらの宗教には係わりあってきた。それらの宗教には教祖がいて、教義があり、経典、教科書あり、救済や許しがあった。神道のように無い無い尽くしはあり得なかった。
今日、正式に神道に関わり、宗教法人登録している人々は別として、神道を生半可に知っている人ほど神道は宗教ではないと言いたがる。それも実は一理ある。
現に昔はそうだった。
明治の時代に「神道は宗教にあらず」と政府が言ったのが今日にまで尾を引いているのだろう。当時すでに国民の信教の自由は侵せないことになっていたから、国が特定の宗教を国民に強制するわけにはいかなかった。それで、神道は宗教ではないと言って、神道を国民に押し付けたのだ。その宗教臭のなさゆえに国民は大した抵抗も感じず、国家全体の祭祀とされた神道に馴染んでいったという。いわゆる国家神道である。天皇を現人神と仰がせるために皇室から仏教信仰が一掃され、皇室も国民も信教の自由が奪われたという。しかし奪われたなどという自覚は彼らにはなかっただろう。ひたすら上位の権威に、環境に、なじんだだけだろう。教えず、救わず、因縁付けてくる現人神(あらひとがみ)、天子(てんし)様に。国民は皆その赤子(せきし)。天子様の赤子だったそうだ。
こんな大掛かりで恣意的な仕掛け、誰か一人の知恵じゃなかろう。仕組んだおっさんたちの顔見たいと、色々調べたこともあったが、名前だけ何人知っても空しいだけ。故人と今更談判できるわけじゃなし。顔も何人かは写真があったが、昔のもので、頼りない。
神道が信仰であることは昔も今も人々に受け入れられている。そもそも宗教という言葉も、その始まりはreligion の訳語で、古来の日本にはない概念であるらしい。信仰はあった。江戸時代やそれ以前にもあったらしく、ただ、多くの言葉が現代語のような発音ではなかったらしい。歴史で習ったことが本当かどうかタイムスリップして確かめたくても、何百年も前の日本語は、今の日本人には理解不能。発音も、何もお手上げのはずだ。それは、ほんの300年前の書物でわかる。いわゆる古語辞典の要るような書物は、凡人には容易には読みこなせない。エロ本感覚で『好色一代男』を読もうなんて、大それた野望である。
さて神道の話だった。仏教が伝来する前から、土着の信仰として、敬神崇祖の念が人々に根付いており、それが神道の始まりだともいう。
私自身は生家に仏壇はあった。当時は大抵どの家にもあって、わが家にもささやかなものがあった。中学だったか、学校の教科書で、世界の宗教地図があり、日本は仏教一色に塗られていた。仏壇のある家は全員仏教徒とみなすのだろう。大雑把な話だ。その仏壇を、私はまともに拝んだ記憶がない。幼少の頃、家の中だが、位牌を持ち出して遊んだ記憶はある。おリンの棒で、叩き鳴らし、チンドン屋の真似をして遊んだのだ。それを見た母親は、たしなめはしたが、叱れず、笑い転げたという。神道になじみもなく、入ろうと思ったことはない。しかし若い頃、やむなく、宗教遍歴する中で、神道的な新興宗教にも出会った。宗教がどのように人々に取り入り、どのように人々を操るかも大体わかるようになり、今はどの宗教とも関わりを持っていない。そもそも誰にも教わらないのに、私には確信のようなものがあった。子供のころから。
「家族同士がとことん話し合える家庭には宗教など必要ない」というものである。逆に言えば、全員が宗教に埋没しているような一家は実は家族としては空虚だということだ。家族で話し合い、努力工夫すれば解決できることを、怠慢、恐怖、などで逃げ出し、神様に話す、他人に話す。解決するわけがない。どんな方法をどんな経典や何やで授けられても、自分専用であるはずがない。特に、虐待する親について、宗教に相談しても一向に埒が明かない。私はそういう体験はうんざりするほどした。虐待という言葉さえ思いつかずに、苦しむ子供に対して宗教は、すんなり救済するよりは、親への感謝が足りないと説教する。自身が虐待された体験のない者ほどそういう説教を垂れる。
親には、生んでもらった後は何をされようが、逆らえない。服従、忍従、従順さが子としての美徳のすべてで、およそ殺されない限り、敬え続けろというのだ。暴力、強姦、人身売買すべて許せ。なぜなら、自分たちも親にそうされてきたから。または自分が過去世にそうしたかもしれない罪がチャラになるからだ。
このお粗末極まりない理論に納得する人々とは、私はどうしてもやっていけなかった。更に、宗教のある側面を見てその本質に触れた気がした。きちんと教理教義がある宗教にしても、それは真実や事実でなくてもいいのだ。出まかせや思いつきをぶち上げても、信者がそれを嘘と見抜くまでは時間稼ぎできる。いい例はキリスト教の、アダムの肋骨からとった骨でイブが作られた、というもの。何でも男が先だというわけか。これに至っては噓だと判り切っていても、信者から容認され続けている。マリアの処女懐胎と同様。
これらと比べたら、日本の国生みの神話、イザナギ、イザナミの身体の、それぞれの成り余りを成り足りない所に挿し塞ぐ話の方がよほど宗教離れしている。率直で科学的だ。現在の日本の婉曲な性教育より、よほど判りやすい。今の日本は性教育においてひどい後進国だ。性交の言葉を回避し、性的接触などとぼかすから、わけわからなくなる。教える側がごまかしをやりたがる。クリスチャンでもないのに教会で結婚式挙げ、赤ん坊はコウノトリが運んでくるという、異国の童話を聞きかじって育つうちに知らぬ間にキリスト教徒化されたのか。初詣に神社にお参りしたところで、急には西洋かぶれは治らない。
そんなこんなで私は宗教への依存をやめ、長年の親とのぎくしゃくも直接対決で解決した。自分の誕生の契機についても、その具体的な性交について直接親にあれこれ訊いた。宗教がこぞってぼかし、神聖なこと、子供が立ち入るべきではないとしてきたことだ。私に言わせたら、子供こそが知るべきこと、知る権利がある。親の強い抵抗や、侮蔑にもめげず、私はがんばった。彼らの目ん玉黒いうちにすべき急務だった。彼ら自身に訊かずに誰に訊くのだ? 実際それで色んな疑問も解け、自分の、男親へのえも言われぬ嫌悪感に後ろめたさ覚えることもなくなった。
自分たちの交わりが快感過ぎて、幸せ過ぎて、そのことを子供にも言えない親を持つ人を羨むのはよそう。私の母は苦痛過ぎて、惨めすぎて、言えなかったのだ。断片的に、小出しに聞き取れた話だけでも私の想像を絶するものだった。そういう目に遭って自殺した女たちの話を私は幾つも思い浮かべた。私の母がそうしなかったのはなぜかとも思った。
思うに、性知識がないということは、凌辱(りょうじょく)にも思い至らないということだ。強姦による苦痛がいくらひどくても、凌辱という発想がなければ、死のうとまでは思えない。彼女は強かった。色んな意味で。幼少の頃から元気いっぱい、鬼ごっこして遊ぶ仲間は殆ど男の子ばかりだったという。彼女は負けることなど念頭になかったのだろう。自分を損なったヤツにどう復讐しようかと考えることはあっても、屈服することなど念頭になかった。そしてその通り、先に倒れたのは男の方だった。彼女はその後、30年余り生き延びた。男が見ることもなかった元気な孫息子にも出会い、慕われながら。
あんたは勝った。あの、ど甲斐性なしの色ボケにも、そんなヤツをしょい込ませたあんたのオヤジにも勝った。でかいばかりで知恵無しの、あの6尺男に勝ったんだ。殴るしか知恵ないあいつにね。親きょうだいの為に身を粉にして働いた見返りが嫁入りと称した追放だった。そいつの死にざまが惨めなものだったというのは当然だ。あんたが涙ひとつこぼせなかったのも当然だ。あんたは勝った。そいつら皆に勝ったんだ。
でも、あんたは戦いに来たんじゃないよね? そんなことの為に生まれてきたのではないよね。せむしみたいな背中になってしまうほど重い荷物を背負いに来たんでもないよね。10歳の頃にはすんなりした背中で、男の子たちと笑い転げていたあんたは。
無知な娘たちが何の性知識もないままに嫁がされ、手籠めにされても、「結婚とはそういうもので、皆それを乗り越えていくものだ」とされていた時代があった。結婚とは親から課された義務であり、避けることはできなかった。相手選びも親がした。花嫁は処女が価値あるものとされ、一方、婿の童貞は問題にもならず、むしろ見下げられた。処女を抱く男は、それ以前にお筆おろし(初体験)し、けいこを積んでいてもよかった。自分の性欲が満たされさえしたらいいのであって、女の性欲など、どうでもいい。というより、自分が快感なら相手もそうだなどと勝手に思い込む。女が、拒否したり、不快や嫌悪の表情見せると、気に入らない。「よその嫁は自分の方からおねだりするのに、お前は一度も言うてこん」などと嫁をなじる。さらにそれを理由に仕事をさぼる、盗みを働く、ギャンブルに走る。
私は子供の頃から「結婚は人生の墓場」と思っていた。いくらドラマや映画で結婚は素晴らしいようなことを見せつけても、それは作り話。自分が見てきたことが結婚の実際だと信じていた。友人知人が幸せな結婚をし、それを言いふらしたり、私に勧めに来たりしても、私には、彼らもいつかは後悔するだろう、としか思えなかった。実際、苦労したり別れたりするカップルがいくつもあって、私は内心「それ見たことか」と思った。
結婚の概念がつかめないまま大人になるのは難儀なことだ。夫婦や夫妻という言葉にも抵抗を覚えた。しかし、私の卵子は世に出かったらしく、遅まきながら、そのまま人の親になったから更に苦労した。子供には殆ど何も教えられなかった。教わることの方が多かった。子供には何かと苦労させた。今でも頭が上がらない。
自分の親や、それにもまして、祖父母が結婚の冒涜者だったことに気づくまでには時間がかかった。それでも、気づかないよりは各段にめでたいことで、やみくもに、先祖の供養や祭祀に励まなくて済むようになったのは収穫だ。正確には、それをした時期もある。時間とカネの無駄遣いをした時期も。世の中には丁重に祀るに値する先祖もいれば、そうでない先祖もいる。十把一絡げに先祖祭祀の説教を垂れる宗教にはご用心、ご用心、だ。
私が親との直接対決で、自分の疑問を解決できたからといって、誰にでもそれを奨励するものではない。私の場合は男親が知能は幼少時の髄膜炎後遺症で壊れていたくせに、体力だけは結構あって、一筋縄ではいかなかった。それでも彼なりのストレスもあったのか、晩年には癌になった。その体力低下時、私は尋問を実行した。幸い彼に受け答えのできる程度の力は残っていた。それをフルに活かして、いくつかの重要証言を得たのだが、しかし、死ぬ直前までクソ元気なオヤジもいるだろう。対話や質疑応答など、到底無理という事態も十分ありうる。
直接対決が危険な場合もあって、(宗教以外の)カウンセラーやセラピストの介入が必要な場合もあろう。私の場合には切望してもそんな適任者が見つからなかった。それだけのことだ。解決しても、宗教がもたらすような幸福感などはなかったが、私は満足した。作り話に惑わされて喜ぶよりは、事実に愕然としたいというのが私の望むところだ。何にしろ、知りたい。知ろうとすれば知ることのできることに目をつむっているような器用さが私には不足している。
といって、私は宗教を全く否定するものではない。自分は今その必要がなくても、それを必要とする人もいるだろうし、かつて私も必要としてきた。信者として抱える問題の深刻さや内容によっては宗教で充分解決する場合もあるだろう。宗教という言葉もかなりよくできていると思う。仏教に由来するともいわれるが、英語religionの訳語として広まったという。定義は辞書や学者によって色々あるが、おおよそ「神または超越的絶対者、あるいは卑俗的なものから切り離された神聖なものに関する信仰、行事」というところだ。同じように外来語の訳語から出発しても、象徴のように難解ではない。「宗教法人に登録している集団」と理解すれば、さらに解りやすい。
さて、我々は、ある種の(しかも大多数の)人々にとって、二代目象徴天皇アキヒトが超越的絶対者であるのを見せつけられた。憲法も法律も超越した絶対者だ。それを引き継ぐことはしても是正するチエのカケラもない三代目に至り、全く象徴天皇制は「超越的絶対者に関する信仰、行事」と化してしまった。信者たちは以下のような文言も練り上げ、天皇賛美に余念がない。
天皇の退位等に関する皇室典範特例法
(成立:平成29年6月9日、公布:平成29年6月16日)
の概要
この法律は、
① 天皇陛下が、昭和64年1月7日の御即位以来28年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、83歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること
② これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること
③ さらに、皇嗣である皇太子殿下は、57歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられること
という現下の状況に鑑み、皇室典範第4条の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする(第1条)
- 1.天皇の退位及び皇嗣の即位
- 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位するものとする(第2条)
- 2.上皇及び上皇后
- (1)上皇(第3条)
① 退位した天皇は、上皇とするものとする(第1項)
② 上皇の敬称は陛下とするとともに、上皇の身分に関する事項の登録、喪儀及び陵墓については、天皇の例によるものとする(第2項・第3項)
③ 上皇に関しては、②の事項のほか、皇位継承資格及び皇室会議の議員資格に関する事項を除き、皇室典範に定める事項については、皇族の例によるものとする(第4項)
(2)上皇后(第4条)
① 上皇の后は、上皇后とするものとする(第1項)
② 上皇后に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太后の例によるものとする(第2項)
(3)他法令の適用・事務をつかさどる組織(附則第4条・附則第5条・附則第11条)
上皇及び上皇后の日常の費用等には内廷費を充てること等(附則第4条・附則第5条)とし、上皇に関する事務を遂行するため、宮内庁に、上皇職並びに上皇侍従長及び上皇侍従次長(特別職)を置くものとする(附則第11条)
- 3.皇位継承後の皇嗣
- ① この法律による皇位の継承に伴い皇嗣となった皇族に関しては、皇室典範に定める事項については、皇太子の例によるものとする(第5条)
② ①の皇嗣となった皇族の皇族費は定額の3倍に増額すること等(附則第6条)とし、①の皇嗣となった皇族に関する事務を遂行するため、宮内庁に、皇嗣職及び皇嗣職大夫(特別職)を置くものとする(附則第11条)
- 4.皇室典範の一部改正
- 皇室典範附則に「この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法は、この法律と一体を成すものである」との規定を新設するものとする(附則第3条)
- 5.その他
- (1)贈与税の非課税等(附則第7条)
この法律による皇位の継承があった場合において皇室経済法第7条の規定により皇位とともに皇嗣が受けた物については、贈与税を課さないものとする
(2)意見公募手続等の適用除外(附則第8条)
この法律による皇位の継承に伴い元号を改める政令等を定める行為については、行政手続法第6章の規定は、適用しないものとする
(3)国民の祝日に関する法律の一部改正(附則第10条)
国民の祝日である天皇誕生日を「12月23日」から「2月23日」に改めるものとする
- 6.施行期日・失効規定
- ① この法律は、一部の規定を除き、公布の日から起算して3年を超えない範囲内において政令で定める日から施行するものとする。当該政令を定めるに当たっては、内閣総理大臣は、あらかじめ、皇室会議の意見を聴かなければならないものとする(附則第1条)
② この法律は、この法律の施行の日以前に皇室典範第4条の規定による皇位の継承があったときは、その効力を失うものとする(附則第2条)
このような讃美歌か、お念仏のようなものを、法律などと称し、交付、施行に及ぶ国家はもはや、法治国家とは言えないだろう。立派な宗教国家である。明治の国家神道に逆戻り。いや、もっと重症かも。前代未聞、敬語だらけの条文は明治の現人神の時代にでもなかっただろう。あったら、どなたか、知らせてほしい。これが永続的な恒久法ではなく、その場しのぎ的な臨時法であっても、私は見逃す気になれない。
条文の中には、「国民が天皇の気持ちに共感している」と勝手なことも書いてある。ただの一度のアンケートも実施されていないのに!
2019年12月
【完】
【第三回へ】