《地球側よりの情報》
最近、世界、ことに、おびただしい商品バラエティを持つ日本のアダルト・ショップのトイの売れ行きが異常に伸びているという。
最初それは、日本を訪れる外国人が増え、彼らによる「爆買い」や「好奇心買い」がその原因なのだろうと考えられていた。
確かに、それが大きな一因であることに間違いはなく、外国人のお客さんが増え、外国語で対応できる店員を置いている店もあるという。そうではあるのだが、どうも、それだけではなさそうなのである。
というのは、なんとも不思議な感じのバイヤーが出没していて、各種の商品を何種類も、しかも、それぞれを何個もまとめ買いするというのである。
もちろん、そうした大量の買い付けは、最終的にはオンラインで入ってきて、その発送先へと配達されるのだが、その宛先も、明らかに個人の住宅やマンションではなく、何やら大きな建物の一角で、一見して、何かの研究所か倉庫のようだという。むろんそこは、何とか社という一応の看板はかかっているのだが、それも外見のみで、実際には何を扱っているのかはよく判らないらしい。
しかも、そうした大量の買い付けは、それに先行して、その不思議なバイヤーが店にやってきて、いくつかの商品を手にとって熱心に吟味したあと、さらに店員に、その使い方を根ほり葉ほりと尋ねるのだという。
ふつう、大人のおもちゃの使い方は、むしろ、お客さんの方が精通しており、あえての説明はかえってつや消しでもある。そしてむしろ、メーカー側がお客さんのニーズを取り上げ、新製品に反映させているというのが真相でもある。つまるところ、そうした商品はその買い手たちの明白な意図のための、いわば代用とか多様化の道具としてのあれこれであるのだ。
それなのに、その不思議なバイヤーたちは、そうした説明を、まるで新聞記者のような熱心さで聞きとり、質問し、くわえて、その使い方を述べた本や、その実演が見れる映像はないかなどと、さらに突っ込んで尋ねるのだという。それはあたかも、カメラやPCに付随している、詳しいマニュアルをこうした製品にも用意すべきだとの態度でもあるという。
むろん、そうした製品にそんなマニュアルなどは付いていないのが普通だし、その必要もない。むしろそうした製品の使い方は、購入者の興味と工夫にまかされており、そうした広がりを楽しみに、顧客たちはそれを買い求めてゆくのだ。
そこで店員たちは仕方なく、店にあるアダルトビデオを紹介し、その中にそうした商品を使っているさまざまなシーンがあるので、それを参考にしてほしいと薦めているのだという。
店員たちの話では、それにしてもそうした不思議なバイヤーたちは、その態度もまた、いかにも不可解であるという。通常、そうした店のお客さんたちは、その買い物にあたって、人によってむろん違いはあるものの、ある種の羞恥心や秘めたる内心を伴っていて、どこかよそよそしい態度をとりがちである。店員は、そのあたりを承知の上で対応しなくてはならないと心がけている。ところがそうしたバイヤーたちには、そうしたところがまったくなく、なんとも事務的かつダイレクトなのだという。まるで、機械部品を買いに来た調達係というような。
ともあれ、店の側は、いいお客さんであることには間違いないので、彼らを歓迎しているのだという。
《「フィラース」からの情報》
アルデバラン星系の惑星「フィラース」の主要メディアによると、同星が属する惑星同盟の一員であるが、別の惑星にすむ、遺伝子操作技術を駆使した人工的再生産によって子孫を増殖させてきた、アルファ・ドラコニアンと呼ばれる宇宙人種がある。
彼らの生殖器は、すでに退化していて存在していないという。つまり、彼らには、いわゆる有性生殖といった雌雄の無限の組み合わせによる生命再生産メカニズムは働いていない。それに代わって、発達した遺伝子科学とそれを応用した遺伝子工学に基づき、子孫の再生産は、目的に応じて設計されたDNAを通じ、その遺伝情報にもとずいた細胞増殖によっている。そうした工学の成果により、いわゆる病気は完全に駆逐され、身体機能のモニターも完璧で、人々の寿命も、百年以上はおろか、数百年にもおよぶ場合もある。
ただし、そうした工学的再生産過程を幾百、幾千もの世代にもわたって繰り返してきた結果、遺伝子上の多様性が加わる道が閉ざされ、いわゆる遺伝子的劣化が深刻な問題となってきたのである。ことに、神経系統に異常を発する症例が増加し、脳機能にも変容が見られてきている。
そこでアルファ・ドラコニアン人は、天の川銀河の太陽系の惑星のひとつである、地球という発達途上の惑星に目をつけ、その有性生殖による生命再生産メカニズムの移植をこころみてきている。より厳密には、地球も近年、遺伝子工学の端緒には至っている。つまり、同工学のこれ以上の広範な適用によって遺伝子構造の人工化が進む前に、その自然な要素を取り込んでおこうとの狙いである。
こうした取り組みの発端は、その地球暦の1950年代、その全惑星を巻き込んだ戦争が終わった時を機に始まっていた。そしてその最大戦勝国の大統領と話しをつけ、地球人のDNAと動物の臓器、ことに生殖器を採取するため、地球人の誘拐と動物の切断を行うことを地球側に同意させた。アルファ・ドラコニアン人は、その見返りに、地球人に自分たちのもつ技術の一部を提供はしたが、自分たちの優位に脅威を与えるような最先端技術はむろん除外していた。むろん地球人はその全面的移譲を期待していたのだが、両者間の圧倒的技術水準の差に、逆強要する方策を欠いている。
そうして、アルファ・ドラコニアン人のうちに、地球動物のような生殖器を移植された新世代が生成され、その後数十年をへて、それらが成人になってきた。他方、遺伝子操作で作られた卵子と精子を交配させた試験管ベイビーの誕生もあるようだが、その新生児の性器が順調に発達し機能するかは、まだ、実験途上にある。
そこで新たに生じてきている問題が、そうした新世代アルファ・ドラコニアン人に、新たに生まれた――それとも「数万年ぶりに」再生した――男女の性区別に、彼らが大いに戸惑っていることである。
それまで、個体別の違いはむろん経験してきたことだが、そうした新世代を二つに大別する「男女」という新規な違いはむろん初体験のことだった。
ことに、その男女が、次世代を作るために行う男女二者によって行う行為が、そういう新米の「彼ら彼女ら」にとって、それなりの教育は受けてその意味は知識としては知っているとしても、それを実際に行うとなると、いかにも不慣れであるどころか、どうしてよいのか容易ではない事態に至っていたのである。
そして、アルファ・ドラコニアン人の政府の「生命-健康省」のもとに、そうした戸惑いや混乱の報告が大量に上がってきて、いわば政府は、そうした新プロジェクトを推進はしてきたものの、作った仏に魂を入れ込む、新たな課題を抱えることとなったのである。
そうした声のひとつは、たとえばこうである。新たにカップルの使命を負った新世代の男女二人のこんなやり取りである。
「ねえ君、僕のと君のとを使うのだそうだけど、どうするのか知ってる?」
「あなたのを、私のの中に入れるそうよ」
「入れる? どこに?」
「ここよ」
「こんなふにゃふにゃなものを、どうやってそこに入れるの?」
「先生の話では、硬く大きくなるんだって。できる?」
「さあ、どうかな」
といった具合である。
ことに、そうした戸惑いに応えようと、政府当局が詳しく調査して発見したことは、地球人たちが、そうした互いの性器の違いを駆使したり、相互刺激し合ったりして、何とも不思議かつ奇妙な行為を、いかにも熱心にあの手この手で繰り広げている様子であった。
当初、アルファ・ドラコニアン人の研究者は、地球の動物を観察して、その本能行為にもとづく、季節的な問題だと受け止めていた。しかし、ことそれが人間の行為となると、それは季節に無関係であるばかりか、ある意味では、人間の頭の中は、四六時中そのことで占領されているかに等しい状態である。
遺伝情報の多様化のための行為であるなら、ただ、二つの性器を結合させ、両者の分泌物を交換すればすむだけの話である。それをどうして、地球人はそこまでややこしく没頭してしまうのか。しかも人間のそうした行為のほとんどは、どうやら生殖すら避けた、そうした行為をすること自体が目的となったナンセンスな行為ですらある。それはまるで、壮大な不合理にさえ見える行為である。
だが確かに、地球人の繁栄の影には、そうした男女という二つの性が織りなす、それこそ、思春期に始まり、恋愛期、結婚、子供の誕生に至る、膨大なやり取り行為や習慣の広がりがある。それを抜きにして、人間の文明の理解はまず不可能である。
まして、あらゆる男女それぞれの個人史には、自分の性にまつわる目覚めに始まり、好奇心や悩みに翻弄され、一種の想像の世界も巻き込んだマスターベーションという行為もあれば、意中の異性の出現といった現実ドラマもある。そしてついには、一人でも、二人でも、さらには多数ででも用いられている多種多様な「道具」類の使用まですらある。
かくして、新たな器官を設けてしまった新世代たちのために、今やアルファ・ドラコニアン人のこのプロジェクト推進者らは、遺伝子構造の多様化という本来の目的を果たす過程に存在する、予想もしていなかった、とんでもない深みにはまり込もうとしている。
人間のおこなう、「セックス」とよばれる行為の充分な習得を目指し、さまざまな物品や文化・風習の輸入も含めて、目下全力をあげて取り組み中ではある。そしてそれは、アルファ・ドラコニアン人にとって、まさに、その未来のかかった問題なのであるが、地球人たちの間で「愛」とか「愛欲」と呼ばれている非身体的メカニズムの導入には、ほとほと手こずっている。
アルファ・ドラコニアン人は、確かに、地球人より飛躍的に進んだ技術水準をもっていた。しかし、低次元であるはずの地球人のもつ、「愛」と呼ばれる別分野の技術や技巧では、その足元にもおよんでいない。