《地球人には「愛」がある》
「血を分けた子」という言葉がある。
あるいは、自分の手で植えた苗木が成長した成木に、何とも特別な気持ちを抱いてしまう感情がある。
つまりそこには、自分が関与した生命にまつわる、深い思い入れが存在している。
それを男の立場で言えば、自分の性器の分泌液が、女の体内に注入されてその卵子を受精させ、やがてその受精卵は子となってこの世に誕生し、その子がどんどん成長して、どうしも否定のしようのない自分のコピーとなって存在しつづけてゆく。
また女の立場で言えば、そのようにして受け入れた、最初はそれほどのことすらとも思わなかったはずの行為が、やがて自分の体内にはっきりと感覚できる何かに変じ、それは刻々とその度を増し、やがて、苦痛という明瞭な主張をもって、子として爆発的にこの世に出現してくる。その実感覚は、まさにそうとしか受け止められない、自分自身が生み出した生命であり、そしてそれ以上の存在となってゆく。
いずれの立場にしても、そこには、いかんともしがたく自分の意志を超えて働く、性の衝動という発端からは想像もできない、生命の営みの驚異の世界がある。
それを感動と言うか、驚きと言うか、あるいは、苦労と言うか、やむを得なさと言うか、それとも、自分のかつての行為の因果と言うか、その表現は人に応じてさまざであろうと、あらかじめの想定や想像を超える、たしかな超人為的な拡大や跳躍がある。
こうした一連のいとなみを逆の観点から見ると、もし、そうして目の前に誕生してきた存在が、何かの外力によって抹殺された時のやり場のない慟哭を想像すれば、その「拡大や跳躍」がどれほどのものであったかを思い知ることができる。
こうした二世代間の関係を、ひとこと「親子の情」と表現すると、遺伝子工学とクローン技術を基礎に、無機的装置内で誕生した新生命には、誰のどのような「親子の情」を伴っているのであろうか。
数万年、数十万年、あるいは数百万年以上の未来からタイムスリップしてきたETたちが来訪してくる理由には、極めて高度ではあるものの、自分たちの再生産を、遺伝子やクローン技術に任せてしまった結果の究極的落とし穴にはまってしまったことがある。
そしてそれを体験したがゆえに、彼らは過去数千年にわたり、拉致を含む様々な方法で地球人を利用、収奪し、その失ってしまった再生産機能を復活しようとこころみてきている。
確かに、生物学的技巧を駆使して、地球人のコピーやハイブリッドを、工学的に再生産することは、技術的にはいくらでも可能であろう。
しかし、生命再生産のその拡大・跳躍的効果を得るには、両性による交配をつうじた遺伝子情報の偶然で無限な組み合わせが、その種の進化を推進する決定的な要素であることが、彼らの高度な遺伝子工学の結果、判明してきている。
そこでETたちは、地球人の異種な遺伝子をしかも多種にわたって取り入れ、それをランダムに交配させた受精卵をつくり、それを培養させた新世代ETたちを誕生させてきている。
つまり、両性生殖によるランダムな交配の原則さえ貫けば、遺伝子劣化の閉鎖性は突破できるとの構想である。
すでにそうした新世代は、過去、数世代にわたって末裔を生んできている。
もはや神はいらぬと自尊するETたちだったが、だがしかし、そうした人工的ランダム交配では乗り越えられない壁のあることが、彼らの尊大を揺るがし始めている。
それは、そうした方式では、劣勢遺伝の組み合わせは排除されているのは当然なのだが、それでも、その子孫の内に、創造的な種を含ませる可能性がないことが判りつつあるのだ。そして、新世代には旧世代を上回る進化の兆候が見いだせず、ただ凡庸な再生産が続いているだけなのである。
それは一種の皮肉のようでもあったのだが、遅れているはずの地球人の精子と卵子による受精は、ランダムな交配だけではなく、それ以上の何かが作用しているとの発見であった。
地球人には、「親子の情」とそれを呼ぶ、一見は旧態依然ながら、極めて進んだ交換があるらしいのだ。
つまり、受精の際、単なる細胞結合に加わる何らかの意志が作用して、精子と卵子の遺伝子間にある方向づけのようなものが働き、それが何らかの「付加的結合効果」といったものをもたらしているらしい。
そしてどうやらその意志の作用とは、地球人が「セックス」とよぶ、男女二人による性器結合とその結果の精子と卵子の交換の際に働いている、一種の心的エネルギーであるという。
地球人は、それを広く「愛を交わす」と言い、英語という言語ではそれを「making love」と表現するのだが、そこにもたらされるエネルギーが、その「付加的結合効果」を作り出しているのだという。
つまり、ETたちがこころみてきた工学的な新世代の再生産方法には、数学的ランダムさは働いても、ここでいうエネルギーはまったく働いてはいない。さらに、拉致という非道な手段をへているがゆえに、抽出された精子や卵子に残された言わば「嫌悪や怒りといった負のエネルギー」の働きさえ考えられ、それは「付加的結合効果」どころか、それとはまったく逆の効果をおよぼすものと推測される。
すなわち、ETたちが気付かねばならないことは、結局、自分たちが地球人に「愛され」、すすんで受け入れられる両者関係を成立させえない限り、その「付加的結合効果」は絶対に手に入らないことである。
生命のもつそれならではの「超人為的な拡大や跳躍」とは、地球人が「愛」と呼ぶ、そうしたエネルギーを介して生命が発生するところにある。
《アンドロメダ評議会の原則》
地球人の「愛」を動因とする「セックス」とよばれる行為に基づく生命の再生産は、確かに、個別レベルの情理にはそったものではあった。
だが、そうした私心偏重の背後で、社会的バランスを欠くばらついた人口発展を地球上に蔓延させていた。そして終局的には、貧富の差と人口の多寡が交錯した「多貧少富」問題を引き起こし、人間による人間の搾取ばかりでなく、既得階級による優者生存といった生存すらも差別するグロテスクな思想をも生んでいた。
そして地球歴21世紀の前半には、最先端テクノロジーと選民思想が結合した、凄惨な世界的戦争を勃発させていた。
そうした自然衝動を介した生命再生産メカニズムの欠陥の教訓から、その後、生き残った人類の子孫の有力グループは、核戦争と核発電施設の破壊による汚染した地球を捨てて宇宙に逃れ、新たな惑星に移住するとともに、遺伝子科学にもとずくクローン技術を駆使した次世代再生産体制を開発していった。
他方、資産をもたぬ無産階級らは、宇宙に逃れる手段に頼れず、地球に残存し、一部はその安全を地下にもとめて地下都市を築いていった。
また、別の一部は、地球上の島を拠点として、汚染を浄化する技術と、汚染がもたらす遺伝子異常と共に生き抜く生存手段を工夫して、何とか、汚染惑星地球の上で、汚染の影響を最小限に食いとどめて生き残っていった。
他方、宇宙には、すでに別の銀河系惑星からの移民をめざす人種もいて、互いの経験を交換するとともに、愚かな殺し合いを防ぎ、宇宙全体での共同した発展を構築することを謳った条約が相互に結ばれていった。そしてそうした諸条約を総合して生まれた惑星際機関が、アンドロメダ評議会である。
そうした同評議会メンバーがかかえる重大問題のひとつが、生命の工学的再生産方式が生み出している、遺伝子の多様化の機会を封じてしまった結果の健康問題の広がりであった。
そして、その対策として、タイムマシーンを使って進化過程を過去にさかのぼり、性別を通した生殖方式のもつ機会的開放性が注目された。さらに、その改善の具体的手段として、その再度の取り入れを図ることとなったのであった。
つまり、生命再生産に関して、全宇宙で、遺伝子工学か異性交配かをめぐって、壮大なリサイクルが生じようとしていた。言ってみれば、一種の輪廻である。
そうして、宇宙規模の輪廻がまわりだしている一方、もはや宇宙社会で不可欠となった文明の利器たるタイムマシーン利用に際し、原則的な問題があった。
それは同評議会で「時空則」と呼ばれるもので、タイムマシーンで過去にさかのぼり、その過去をむやみに変えてしまった場合、その将来である未来の現実にもその反映が及んで大きな混乱をもたらしてしまう恐れがある。
そうした弊害を防ぐため、過去については、何が起こっていたのかを知るにとどめ、それを直接にいじくることを禁止したのがこの「時空則」である。平たく言ってしまえば、タイムマシーンを運転する上での交通法規である。
そしてその「時空則」には、運用上の細則があった。それは、タイムマシーンある暮らしの定着によって、過去未来間を見渡せる“ナビ”効果が広まり、一種の惑星際常識をもたらしていた。
つまり、時間の経過の中で、結局墓穴を掘る結果となる行為が解るようになり、愚かな行いへの自制を生んでいった。言ってみれ、歴史の発展常識においての行為の善し悪しを定めたものである。一種の倫理規制とも言える。
その細則は、タイムマシーンでの旅行先で、人殺しや人をあざむくことを禁じていたのだが、時間経緯を詳細に観察すると、歴史の発展途上ですでに滅びてしまった惑星や惑星内の特定人種を対象にした限りでは、「時空則」の適用は事実上不必要であった。つまり、その影響はもはやそれ以上の未来にはおよばないものであるため、懸念の必要はないというものであった。
そして、そうした「適用外」にもとづいて、有益な遺伝子や生体組織を手に入れるために、いつかは滅亡する運命の人種に限って、拉致とか事実上の殺人という行為が許容されていたのであった。
《タイムトラベラー》
アルデバラン星系の惑星フィラースを出て、全宇宙をめぐる旅行をつづけているあるカップルがいる。二人はすでに熟年に達しようとしていたが、若いころに始めた旅行という「趣味」が高じて、いわば旅行そのものが人生となる生き方をしてもう二十年を越えていた。
そして彼らは、自分たちに入手可能なもっとも低出力のタイムマシーンを購入し、周囲から危ぶまれつつも羨望も集めながら、未来から過去へ、惑星から惑星へと旅をつづけていた。
そうした「宇宙めぐり」の途上、彼らは、ホロスコープをもちいて次の旅先を物色していたところ、耳よりな情報をつかんだ。それは、「祖先」というキー・コンセプトで検索していた時であった。それにヒットした多くの回答の中に、地球という惑星のあるウェブサイトの発するメッセージに目がとまった。
ちなみに、ホロスコープとは、タイムマシーンの機能を情報のみに絞ったもので、その利用者が実際にタイムスリップすることはできないが、その情報は収集することができた。
「祖先」という入力にホロスコープが反応している以上、その回答は、自分たちの実際の祖先に関連した事項に間違いないはずであった。つまり、そのウェブサイトの作者との間には、遠大な世代の隔たりはありながらも、遺伝的に自分たちとつながった人であるはずだった。
そして、その人の住む世界はまだ、情報装置の主体は「コンピュータ」と呼ばれる2進法演算機の時代で、タイムマシーンはまだ空想上の装置だった。だが、インターネットという地球人がETより学んで開発したシステムが広がり、その人は、その個人間交信手段を使用してその発信を行っていた。
そのように、まだ物語や比喩としてしか「タイムマシーン」は使えなかっが、その人は「私式タイムマシーン」というタイトルをもってメッセージを発信していた。そして、「相互邂逅」と呼ぶ自分史上のタイムトラベルを、その空想マシーンに乗って行っていた。
一方、宇宙旅行中のそのカップルにとって、何とも興味を引かれたのが、その人が地球で「日本人」と呼ばれる人たちの一人で、その人種は、当時の地球の覇権をにぎるメジャー人種ではなかったことだった。そうしたマイナーな血筋を自分たちが引いており、それが未来の主流人種を形成していることに、一種の驚きとともに、何か特異な誇らしさを覚えていたのであった。こうして、彼らはその島国に住む人たちへの興味を駆り立てられることとなった。
そこで彼らが、アンドロメダ評議会の情報アーカイブで調べたところ、その地球上では、米国とか英国とかと呼ばれる国々で、「細則」の適用外規定にもとづき、秘密のうちながら、遺伝実験のための地球人の拉致が広くおこなわれていた。その情報によれば、全地球でその拉致が、少なくとも数万件、なかには、推測ながら百万件を上回るという数字もあげられていた。
だが、その日本という国では、それがまったく知られていなかった。この国で取り上げられた拉致問題とは、いわゆる犯罪目的は別として、その当時、北朝鮮という近隣国による例があった程度であった。
この日本での特異性はどうしてなのか。それは日本が島国であるという国土の狭さと多人口による「目立ちやすさ」がゆえにとも説明された。しかし、狭い島国であるのは英国も同じであった。
と言うことは、同評議会のメンバーたちは、そうした国々を、やがては滅びてゆく――少なくとも自分たちまでには形跡の残っていない――人種として認識し、日本を――一国だけではないとしても――、結果的に生き残りつづけ、その遺伝子をそのカップルたちの時代までも引き継いできていると認識し、そう記録していたということである。
それからまもなくして、二人はその日本と呼ばれる国に降り立ち、その度重なる災難から立ち直っている人々と出会ったのであった。
そしてそれが、彼らのタイムスリップに終わらぬ、「相互邂逅」の旅の始まりとなり、自分たちが引き継いでいるものがどういうものかを体験してゆくのであった。