トヨタも到達した「究極の選択」

両生学講座 特設講座

 まずは、以下の5月14日付け日経記事をお読みください。

 

トヨタ、「OR」のワナをどう避ける  

   

  編集委員 梶原  誠

2014/5/14 7:00

日本経済新聞 電子版(有料会員限定記事)

 
 世界中の経営者はうらやむだろう。トヨタ自動車が成長に向けた投資を理由に収益が横ばいになると公表。それでも翌日の株式市場が株高で応じた一件だ。
 今月8日、トヨタが示した2015年3月期の営業利益の予想は2兆3000億円。過去最高だった前期の水準を維持するにとどまる。
 

「意志を持った踊り場」

同時に打ち出したのが、「将来の成長に向けた種まき」(豊田章男社長)。過去最高となる9600億円もの研究開発費、1兆円を超える設備投資などがそれだ。次世代車などへの投資が一因で利益の伸びにブレーキがかかるというわけで、豊田社長は「意志を持った踊り場」と表現した。翌9日、株価は続伸した。

世界中の経営者がうやらむと感じたのは、米コカ・コーラの最高経営責任者(CEO)だったダグラス・ダフト氏に聞かされた悩みを思い出したからだ。「株価の下落が怖くて、巨額投資をためらった」と。

2002年のことだ。ダフト氏は主力ブランドの再編や中国などへの大規模投資を考えていた。ところが果実を得るまでに10年はかかり、目先の収益は圧迫される。短期志向の株式市場は許してくれないだろう――。

ダフト氏は結局、投資を決断した。しかし四半期の業績予想の公表をやめ、事業戦略を詳しく説明する方法に切り替えた。「短期の業績予想は長期的な経営戦略を阻害する」との声明とともにだ。

経営者が株式市場から受ける短期的な収益圧力は、その後も変わらない。「曲が流れているうちは踊らなければならない」という一言を覚えている人も多いだろう。

07年7月、バブル崩壊が近いと分かっていながら目先の業績悪化が怖くて住宅向けの投融資をやめられなかった米シティグループのCEOの発言だ。ウォール街はその後、08年のリーマン・ショックへとあわれな末路をたどった。

トヨタの「意志を持った踊り場」を市場が評価したのは、リーマン危機の教訓を受けて投資家が寛容になった兆しだろうか。日本の株式市場も保有の2割以上、売買の過半が外国人投資家だ。もしそうならば、世界的に注目されてもいいニュースといえる。

一方で、トヨタは新たな課題を抱えた。投資と利益の両立だ。この一件でダフト氏とともに思い出したのは、信越化学工業を率いる金川千尋会長から2年ほど前に聞いた話だ。

「市場が短期的な収益を求めるので『100年の大計』が進められないという経営者もいるが、ごまかしだと思う。長期的な成果は毎月毎月の積み重ねだ。今がちゃんとできない経営者は先もだめだし、私が投資家でも信用しない」

業績が悪化した際に、「長期的な戦略」を言い訳にしてはならない。これが金川氏の主張だった。

 

「ANDの才能」

米経営学者のジム・コリンズ氏は1990年代、60年を超える株価分析を基に、リターンが市場平均の15倍に達した企業群には共通点があることを見つけた。「AND(両取り)の才能」。相反する課題を同時に満たす力で、長期的な投資と短期的な成果は典型だ。(下線は私による)

ところが経営者には、金川氏が警告する「ORのワナ」が待ち受ける。投資するので収益が悪化してもいい、収益を上げるために投資を見送ってもいい――やむを得ない局面もあるだろうが、説明のつかない安易な「OR」は、たちまち市場に見透かされる。トヨタが落とし穴をどう避けるのかは、投資家も、市場との対話に悩む世界中の経営者も注目するに違いない。

 

 

この記事のいう「AND(両取り)の才能」とは、本サイト読者には、どこかで聞いたことのある話と思われているのではないでしょうか。

そうです、この両生学講座で幾度も採り上げてきている、「両方を選ぶ二者択一」と、同じ発想のことです。

私の場合は、企業経営上のことではなく、個人の人生上で遭遇した懸案に関してです。それが、おおむね十年に一度ぐらいの頻度で、深刻な岐路に突き当たることとなり、さて、そのどちらを選ぶべきかと悩まされる体験です。

その際、当初その懸案は、文字通りの「岐路」として、二股に分かれる二者択一の問題として登場してきます。そして当然に、その二者は、一方を選べば他方を切り捨て、また他方をとればその逆となる関係にあり、その板挟みの中で、「袋小路」に追い込まれた“絶対絶命”感覚に捕らわれます。

そうした苦悶の中で、悩んで悩み抜いた結果に出てくる「正解」は、「両方を選ぶ」という、当初ではまったく考えられなかった視野です。両方の現実を引き受けてゆこうとする、器の拡大です。

もちろん、そうした苦悶の中で、第三に選ぶ道が見出されることもあります。そうした場合はむしろ、懸案の煮詰まりが不十分であったということで、本当の岐路までには行き着いていなかったということでしょう。

それが、そうした曲折を経ながらあらゆる選択肢を選びつくし、最後に遭遇するのが、その真実の岐路です。つまりその時には、現実的に考えられるその他の策は、もう完全に塗りつぶされた後のことです。

そうして行き当たったその壁がこの岐路です。

ここでの突破口は、もはや、それまでの次元でものを見ていたのでは、解決点は見出せません。

 

算数や数学に、桁を上げるという手法があります。小学校のころ、なかなか理解しにくかったところです。9まできたものが、桁が上がって0になる、そういう決まりです。

思うに、古代のインドで「0(ゼロ)」という概念を考案したのも、1から始まり9まで進んできたステップが、それ以上発展するには、その終点で、次元を改めてその新たな起点、すなわち「10」とする、そういうアイデアではなかったかと想像されます(それが7でも8でもない10進法となったのは、人間の指が両手で10本だったからでしょう。ちなみに、コンピュータの“指”は on か off かの二本ですので、二進法です)。

そして、いったんその桁上げが定着すれば、あとは、次々にそれがなされ、最終的には、無限という概念にも到達できたはずです。

数字の世界では、そういう決まりさえ理解してしまえば、あとは簡単な世界です。

しかし、それが数字でなく、はるかに複雑な現実世界の場合、自分が今、8にいるのか9にいるのかさえなかなか見出すのすら困難です。

上記のような真の岐路に突き当たった認識とはすなわち、数学的に言えば、自分はいまその9にいる、との意味であったのでしょう。

 

さて、こうして次元を上げたトヨタの、その「両取り」の成果はいかに。

 

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