《霊性界》を新認識する

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その8)

今回で、「松果腺」の章を一気に完了させました。

そこで見出せたものは、タイトルのように《霊性界》をいっそう「新たに認識」できたことです。それにあたっては、この松果腺の働きの理解は要となります。そしてそれをひとことで表せば、松果腺とは「第三の目」の源であり、可視光線以外の波動――つまり目では見えない電磁派や磁界――を受信して《観る》、言ってみれば、私たちの身体がもつ《自然の「レーダー」装置》ということです。伝統的には、私たちはそれを「千里眼」とか「心眼」とかと呼んできたわけですが、そこにはどことなく非現実的なひびきがありました。しかし、それを《自然の「レーダー」装置》と考えれば、そうしたひびきも大きく後退します。そしてむしろ、この装置を、フルに活用してみたくもなります。

そこでその活用なのですが、私のように逆算のステージに入ったものとして、時間の問題としてやってくるその「旅立ち」に、この《自然の「レーダー」装置》(その受信器が身体臓器のひとつなら、その旅に携帯できるものではなさそうですが)と、それによって開かれる視野や世界は、いわゆる「超自然的」とも解釈されるもので、肉体的な生死の境界を超える《両界的》世界――少なくともその橋渡し――となりそうです。つまり、私のような世代には、世界旅行を前にそのガイドブックに接するような、とかく沈みがちな気持ちを、大いにわくわくと湧きあがらせてくれるものがあります。

ただこの訳読結果は、読み物として、その表現は――訳の稚拙さも手伝って――、お世辞にも理解しやすいものとは言えません。一種の発想の飛躍やひねりを必要としています。

また、全章に目を通すには長過ぎて、さわりのみをとお望みの方には、「人格の関門」のセクションをお勧めします。

加えて、健康についてですが、私たちはとかく健康を、現世的な身体的健康をもってそう考えがちです。しかし、私たちの命に、もし《両界的》な世界にもおよんでゆくものがあるとするなら、先に述べたように、「《し》という通過点」を越えても続く健康も志してみる意味がありそうです。すなわち、健康を身体的なものに限り、霊性的なものを除外して捉えることは、余りに狭すぎる取組み――その旅を旅でなくしてしまう――と思われます。

そこでこの訳読シリーズの次回は、「寿命200歳への展望」と題した、そうした健康にもつうじる章をひも解いてみます。どうぞご期待を。

では今回の「松果腺(その2)」へご案内いたします。

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