新しいもの崇拝症

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その9)

おそらく誰もがそうではないかと思うのですが、私には、「新しいもの崇拝症」といったようなところがあります。たとえば、薬屋で売っている薬品のほうが、野原でとってくる薬草を使うより、正しくかつ進んだことだという暗黙の信念があります。いや、正確には、ありました。そういう、いわば「近代的なもの」への信頼が、ここのところ日増しに揺らいできています。

年寄りの復古主義と言われかねない傾向で、その一例かも知れませんが、他方、「年の功」という言葉もあります。

ともあれ、今の自分が過去の経験の上に達した、一連の「知恵」とよんでいいようなものがあります。今回の訳読は、そうした私の傾向を、きわめて力強く後押ししてくれるものです。

たとえば、以前からちょっと不思議に思ってきたことがあります。それは、ことにオーストラリアで信じられている、日焼け止めクリームが皮膚ガン予防になるというものです。確かに日焼け止めには効きますが、そうして日焼けさせず、長時間にわたり強い日光にさらせば、皮膚の内部組織をまるでソーラーオーブンで料理しているように、何らかの変化をおこさせるのではないか、と思えるからです。それに、もともと私たちの体の日焼けとは、それなりの自然の理由とバランスのためにそう備わってきたものでしょう。そのバランスの一端をそのように崩してしまって、他になんらの影響ものこさないのでしょうか。

この疑問に答えてくれる見解を、今回の訳読、「寿命200歳への展望」の中に発見しました。結論から言えば、ガン予防どころか、かえって逆に、ガンの促進効果を果たすのではないか、というのが私の到達した見方です。

詳しくは、本文(特に最後の「色ヒーリング法」セクション)を読んでいただくとして、そのポイントは、ある波長の紫外線が、DNAが体内細胞の分裂を停止させる指令を出すことに関連しているということです。つまり、日焼け止めクリームで日焼けを起こす紫外線をカットして体内に入ってこなくなれば、DNAは細胞の分裂をストップさせる指令を出せなくなってしまい、ガン細胞の増殖は野放しになってしまわないか、というのが私の見方です。

それに、日光浴によって生産されるビタミンDがガン予防によいのであるとすると、日焼けそのものを悪いことと見るのは、根本的に誤っていることとなります。

 

それでは、「寿命200歳への展望」へご案内いたします。

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