自滅に向かう惑星=地球

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その16)

今回の訳読は、「教科書的」と受け止められそうな議論です。ただし「教科書的」とは、初歩的とか入門的との意味においてではなく、それほどにも原則的で正鵠を射ており、誰にも共有されるべき議論であるという意味においてです。

ことに、動植物種のいわゆる「絶滅」の問題について、私たちは日々の常識感覚として、そうした事例は、特異な弱体の生物が消えてゆく、地球環境変化によるやむを得ない末梢的結果と見ることで、どこか“自己慰安”させている傾きがあります。

本章で展開されているように、地球上にいまや日常的に発生しているそうした絶滅を端緒とする環境変化の問題とは、もはやそのような「特異に弱い生物」という例外的問題の域を越えて、地球自身の大規模な《自己破滅》の問題にすら迫っている次元の問題であるとも言えます。

宇宙全体から見れば、そのごくごく片隅に位置する太陽系の一惑星が消滅したからといって、まさに些細にもならない微々たる問題にすぎないでしょう。それに、宇宙では、一つの恒星系が大爆発して霧散するのも、頻繁に――といっても宇宙的時間スケールにおいて――生じている現象です。

ところが、この地球に生じている環境変化とは、人間による、あまりにも愚かでエゴ中心の「自滅」の袋小路への陥りであり、そうした大宇宙の摂理に並べるには、あまりに次元の劣る問題です。

むろんそれでも、その問題の深刻化には長い時間を要し、まあ、一人の人間の一生の範囲では、その決定的終末はまだまだ先のことと高のくくれる問題でしょう。

「茹でカエル」との話があります。この話は、この手の問題にもいかにも滑稽さをあてこするたとえ話として使えそうですが、先に私が体験した前立腺ガンは、そうした自己茹で現象のリアルストーリーが、いよいよ私にもやってきた一例であったかと受け止めています。

もう、つけは完全に、自分の首をしめる段階に至っていると言えます。

本章が述べている結論は、そういうことです。

では、今回で完結する、本章後半にご案内いたします。

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