豪「メディア王」と米国、そして今の大統領選

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その22)

今回に登場する「メディア王」ルパート・マードックは、もとオーストラリア人で米国に帰化した人物です。私は、オーストラリアにあってその「米国市民権獲得」の話を聞いた時、その理由が気になりました。それが今回の訳読を通じ、そのねらいの実相がようやく明瞭となったとの印象があります。つまり、「王国」と称されるメディア支配体制を完成させるには、まさに、米国がその最適地であったわけです。そしてそれでは、なぜ、米国であったのでしょうか。

ほぼ一世紀の歴史をもつ、アメリカの「公正主義政策」が今日までも維持されていたら、マードックはアメリカを根拠地にする必要はなかったでしょう。あるいは、自身にアメリカ人となる動機もそうするに足る見通しもなかったに違いありません。彼は、出身国オーストラリアでメディア支配を完成させた後、英国にその触手を伸ばし、そして最終的に米国に拠点を定めたわけです。

ウィキペディアによれば、彼の米国帰化は1985年のことですが、彼はその時までに、情報独占による支配体制のアメリカ化を決断していたのでしょう。そしてその時とはまさに、レーガン大統領( 任期1981―1989)の時期でありました。そして、今回の訳読が述べているように、1987年の同大統領による、公正主義政策復活への拒否権発動です。

 

こうした歴史背景のもとで、いまや〔本稿は1月31日記〕アメリカは11月の大統領選挙を前にした、共和、民主二大政党の大統領選候補者を選ぶ予備選の真っ最中です。

ことに今回の同選挙は、共和党の異色の候補ドナルド・トランプの急浮上をめぐって、米国民がそうした「トランプ大統領」を選ぶのかどうか、選挙論争の焦点となっている感があります。

トランプ候補のこうした躍進は、アメリカの没落著しい中産階級の中で、ことに学歴の乏しい白人層の不満を、彼独特の歯に衣をきせぬ、人種あるいは性差別的な発言を通して、独走的に吸収しているからだとの分析です。

そこで、今回の訳読部にからんで興味深いのは、こうした注目のトランプ候補と、今やアメリカメディア界を支配するまでにのし上がったマードックの間に生じているという、現代アメリカをいかにもリアルに反映したかの対立です。

その対立とは、マードックの最高視聴率を稼ぐ「フォックス・ニュース・チャンネル」が独占放映するアイオワ州の共和党論争に、トランプ候補がその参加を拒否したことが目下の発端です。

昨年8月、フォックスが中継した共和党論争の際は、同候補も出席して驚異的な2500万の視聴者を稼いだといいます。そうした定評のフォックスの共和党論争中継とその目玉のトランプ候補にとって、その拒否は双方にとってダメージであるはずで、片や視聴者の減少、他方はアピールの機会をのがすことは避けられないでしょう。

この拒否の背景には、昨年8月の論争の際、同中継番組の女性司会者が、同候補に辛辣な質問をあびせたことや、フォックスのボスたちが米国保守政界と親密な関係を保っている、そうした彼らとトランプ候補との愛憎同居した人的関係があります。

かくして、アメリカの現在の保守政界をいろどっているのは、従来の練れた政治的狡知の駆使か、あるいは、たとえシンプルで差別的であろうともポピュラーな支持層の開拓かをめぐり、“伝統保守”と“新参保守”といった表現も可能な、決して建設的とは言いにくい分化を生んでいる図柄です。

 

ここで再度、本訳読の文脈にもどれば、アメリカ社会の主体をになってきたというべき中産階級が、その経済的犠牲をこうむらされる中で、訳読の分析のように、メディアの支配によってその正しい判断のための情報が隠され、トランプ候補のような、いわば粗野な火付け役による「目先の議論」に踊らされる状況が生まれていると言えます。

そもそも、そうした経済的犠牲すら、利益優先の企業主義が伝統の民主主義より優先され、経済的繁栄の成果が偏って配分されてきた結果です。にもかかわらず、その犠牲がその中産階級をさらに政治的に二分化させる結果を生んでいるわけです。あきらかにアメリカの民主主義は、二裂、三裂との分化の結果の、あたかも「まわりを見れば敵ばかり」といった惨状へとも陥らされてきている状態です。ひっくり返して言えば、「分断支配」の原則は、着実に実を結んできたと言えます。

 

それでは、こうした変化が実際にどのようにして起こされてきたのか、その過程の詳細を述べる「メディア操作(その2)」へ、ご案内いたしましょう。

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