「トランプ騒ぎ」は表面現象

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その44)

トランプ大統領のいよいよの就任に、世界は、同氏をこっぴどく攻撃したり手放しに賞賛したりして、両極端の様相を見せています。しかし、同新大統領の特異性自体をそう“大ブレ議論”しても、それは何ら核心を語ったことにはならないでしょう。

むしろことの核心は、それほどまでにも論議をかもさねばならない異色人物が、世界の最先進国たるアメリカの新最高指導者として、しかも僅差の票決によって選出され、その結果、当のアメリカはいわずもがな、世界随所の混乱要因となっていることです。つまり、アメリカ合衆国は、事実上、国を二分することでしか大統領という自国の代表者を決められない、それほどまでに自己統合力や自己結束力を失くした、まとまりえない“エゴごり押し”の国、あるいは、そういう“最新式独裁制”をもって世界基準をねじ曲げようとしているかの如きです。

私は、今日のこうした事態を目の当たりにし、かつ、昨年の50日間の北米大陸旅行による実見聞も含めて、世界の民主主義の守護神であったはずの米国は、かくの如く、自己統治力を示せず、その守護神の大義も実行しえないほどに、その自らを破壊させてしまったのだと、そう結論せざるを得なく至っています。

そういう意味で、「トランプ騒ぎ」はおろか、こうした混乱や二分すらがその破壊の産物であって、その修復は、よほどの大変革が達成されない限りはなしえず、もうすでに手遅れ状態に入っているのかもしれません。

端的に指摘すれば、このトランプ大統領の選出は、一国の与野党間の単なる政権交代劇ではありません。すなわち、オーストラリアを例にあげて比較すれば、豪州での政権は、いずれが握ろうとそれは《可逆プロセス》のひとつであって、オージーの選挙民は、たとえば十年も一政権が続けば、大した政治的争点がなくとも、そろそろ変え時とばかりに政府をひっくり返します。ですから、いったん新政府が選出されれば、今回のアメリカのような、その選挙結果を認めず反対運動が大規模かつ執拗に展開されるといったことはまず起こりません。従って、その選挙結果が気に入らない者は、臥薪嘗胆して次の選挙戦の準備に入るだけです。むろん他国には、それらはすべて、オーストラリアの国内問題に過ぎません。

しかし、今度のアメリカの大統領選挙結果は、そうした《可逆プロセス》としての大統領の交替とはとても言い難い、なんとも異質なものを提示しています。

だからこそ私は、こうした《不可逆な変化》が発生してしまうほどに、もはやアメリカの制度は、その奥底からして、修復不可能なほどに破壊されてきてしまっていると見ざるをえないのです。

言い換えれば、もしこの事態が完全な偶発事件とは言い切れないとするなら、アメリカをそのように壊してしまっていいと、誰かが考え、そう導いてきている、ということでもありましょう。さらに言えば、もう、アメリカの役目は終わったと。

 

さてそこでですが、今回の「隷属を終わらせる」と題した本訳読の章に述べられている議論には、そうしたアメリカのたどってきた、ある意味で一貫した《自己破壊》の過程が、要点を押さえて明瞭に整理されています。

少なくとも、アメリカという国は、どういう間違いを犯してきたのか、その決定的汚点を、この章の議論は指摘してくれています。

本章は、かく、時宜にかなったという意味でも、訳読に値する内容だと思っています。

それでは、「隷属を終わらせる」の章へご案内いたします。

 

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