夜明け前(MOTEJIレポートNo.15)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第21話>

MATSUにとって、今回のくも膜下出血体験はひとつの臨死体験――俺なんぞは臨死どころか“実死”体験――だったわけだが、一度それを体験してみると、確かに、これまでの世界観なぞは吹っ飛んでしまう。そして、それまでの自分の長い人生も、あるいは膨大で複雑な現実社会も、その体験を境に雲散霧消してしまい、自らやこの世の存在の背後に潜んでいたとてつもなく巨大な深淵に、いきなり放り出されてしまう。それこそ、これまでの自分や現世界が、まったく砂粒のようにちっぽけで、かつ、スクリーンに映じた画像でしかなかったことを覚ってしまうわけだ。

いうなれば、脳とは、人間という高等生物がもつ自家発電式の投影装置であり、それが壊れて映像が消えた時、上映中の映画館が突然の停電に襲われたように、その観客はいきなり真っ暗闇の中に放置され、それまでの映像起源の興奮という自分の存在自体は宙に浮いてしまい、それをいったいどこに持って行けばよいのか、そのやり場のなさに当惑してしまうのだ。

ついでに言っておけば、地球上の人間社会なんて、そうした自家投影装置による興奮同士の狂乱パーティーのようなもので、ある意味で、おめでたくもあり、ばかばかしくもある。そして、その電源が断たれて暗闇におおわれた時、それまでの興奮が幻影以外の何ものでもなかったことに気付かされ、確かなのは今の暗闇のみであることが明白とさえなるのさ。

俺はこっちにやってくる道すがら、むろんそれを体験したさ。だからこそ、その発見をなんとか、MATSUをはじめ、現生のみんなに伝えたく、いろいろ模索してきたところなんだ。そして、それを暗闇体験とは表現するのだが、とても大切なことを付け加えておけば、その暗闇体験とは、恐ろしいことでもなんでもなく、何か、すべての重みがなくなった、無重力のとても快適で幸福な感覚なんだな。MATSUも「果てしなく広がる宇宙と一体となった、ゆたかに充実して安らかで、とても幸せな」と表現してるね。

だが、そういう俺のこころみも、いかんせん、それを伝える方法がなく、現生間のように、電話もなければメールも送れなくて、立ち往生しかかっていた。だが、俺の感覚にしてみれば、実体験してきたように、この世とあの世と克明に線引きされてはいても、その内実は連続したもので、その交流ができないということが、実に歯がゆくて仕方なかった。

だが、何とかならんかともがいていた時、MATSUが自分のサイトの中で、「霊理」ということを書いているのを知った。そしてその「霊理性」を高めるため、たとえば「太陽凝視」といった自己訓練を始めており、この世とあの世の間に一種の通信チャンネルを設けようとしている工夫を見つけたんだな。

その時、「これだ」と俺は思ったね。言ってみれば、MATSUはそうして、自分の中に一種のアンテナを立て始めたわけだ。これを使わない手はない、そう思ったのさ。

そこで俺はにわかに、俺のメッセージを手当たりしだいに発信し始めた。だからそれは、俺の女房にも伝わっているはずなんだが、あいつにとっては、そういうメッセージは、いかんせん、思い出のひとつとして大事に収めておく話なんだな。まあ、それはそれで嬉しいことなんだが、仏壇にむかって線香と「チーン」だけじゃあ、なんせ発展が出てこないじゃないか。

ところがMATSUの場合、まるでHAM無線でもやっているように、俺の発信をなんとか受信して聞こうとしている。そこで、これはいけるとばかりに、それを意識したレポートを発信しはじめたのさ。そしてことに、MATSUの脳負傷を知った時、これぞチャンスとばかりに、俺の発信を集中させていったのさ。そして、そうしたコラボレーションがどのように発展していったのかは、これまでにレポートしてきた通りだ。

ところで、俺の経験から言って、どうも俺の発信は、地球の特定場所の夜明け前ごろがいちばん効率がいいようだ。どうやら、発信した俺の通信は太陽風にのってゆくみたいで、その頃の時間帯がもっとも届きやすい。また、夜が明けきってしまうと、人々の活動も開始されてノイズも増えるし、受信者も動きを開始してしまう。

そんな次第で、「夜明け前」が交信最適時というわけだな。

 

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