エベレスト、K2につぐ世界第三位のカンチェンジュンガ(8598m)。その高峰を、その南壁直下より、氷河のみをへだてて直望できるゴチャラ峠(4950m)。その世界でも稀有な地点を目指すのがこのトレッキングです。
その正味所要日数は8日間。そのうち、標高3000m以上に滞在するのが6日間、さらにその6日うちの3日間は4000m以上の高地での滞在です。
そしてその体験は、体力の必要は言わずもがな、それ以上に避けられないのが、高度障害との格闘です。
2500mを超えるあたりからの頭痛をはじめとして、薄い空気による呼吸困難は、体の行動能力を極端に低下させます。加えて、ボケにも似た脳の働きの鈍化も伴い、判断能力も弱らせます。
ちなみに、大気中の酸素濃度は、標高4000mで平地の60パーセント、5000mで53パーセントまで減少します。つまり、それだけの大きな負荷を体に与えての行動ということになります。
また、体力の面でも、年齢による弱化があります。それに私の場合、昨年の脳負傷による致命的体験により、それまでまずまずの健常を維持してきた体力を、治療と回復のために振り向けてきたという経緯もあります。
確かに、事前に脳の専門医の太鼓判をもらっていたとはいえ、いよいよ出発となった段階では、余計な負担を意味する体重の増加や、膝、股関節、腰痛といったいくつかの故障も感じさせられていました。
つまり、正直なところ、それだけの懸念面をかかえて踏み出したこのトレッキングには、できる限りの準備を重ねてきたとはいえ、あたかも諸不具合を満載した“欠陥車”であるかの気分を伴なわざるをえないものした。
さて、そうした様々の不安面をかかえて臨んだこのトレッキングでしたが、それを無事終え得た今において言えることは、恐れていた各関節痛も不思議なほどにほとんど出現せず、日程も予定通りに完璧にこなせて、今では非常に満足し、かつ爽快な達成感を満喫できていることです。
あれほど心配し、その対策にいろいろと頭を悩まし、手を打ってきたことが、今となっては全くの杞憂であったかの如くです。
こうしたトレッキング実行前後の実感の極端なコントラストは、一体、何を意味しているのでしょうか。
それは、単なる個人の心理的特性なのか、それとも、そもそも私たちには、それほどの秘めたるポテンシャルが内在しているということなのか、深く考えさせられています。
それに、72歳という自分の年齢についても、それは事前には、何かと否定的要素として受け止めがちでした。しかし終えてみると、たとえば、このトレッキングの行動中、同じルートで先になり後になり、共に格闘している他のグループの人たち――どれもみなはるかに若い世代ばかかり――から、一様に、驚きとある種の敬意の目をもって見られている様子に接し、事前にはまったく予想もしなかった、励みと誉れ感をもたせてもらいました。
ちなみに、このトレッキング・コースを過去に達成した最高齢者は、73歳のニュージランド人女性で、72歳の私は、彼女につぐ高齢者といいます。いうなれば、世界ナンバー2です。
こうした、点ではない広がった感覚を、何と表現すればよいのでしょう。自分のみでの満足とは一味も二味も違う、世代や国を越えたつながり感とでもいうのでしょうか。確かに、そうした人たちはいずれも、国籍や言語や年齢を異にする人たちです。
つまりは、自分の健康を維持してきたことの効用が、これほどまでに貴重で広大な、予想をはるかに超える成果をもたらしてくれている。この点はいくら強調しても、決して強調のし過ぎはないものと確信します。言うまでもなく、お金で買えるとすることなぞ、絶対に不可能な領域です。
そこで、この究極体験にまつわって、さらにある特異点へと踏み込んで行きたいのですが、そこには、これまで私が取り組んできた、ひとつの思念上の開拓が関係しています。
それはことに、昨年の臨死体験からいっそう深化されることとなったのですが、いわゆる物と心の問題、別の角度から言えば、「《し》とは通過点」という発想です。
それはまた他方で、どうやら現代の科学は、曲がり角に差し掛かっているどころか、量子理論の発展とともに、完全に脱皮を必要としていると考えられ始めていることが、明確となっていることがあります。
こうした巨大な分野の進展に、今回の私の卑近な体験を引き合いに出すのはいかにも不釣り合いなことなのですが、どうやら私たちは、そうした科学的大転換の時代と重なり合って、日々の生活を続けているようなのでもあります。
ともあれ、そうした量子理論のもたらす重要な刷新として、「観測問題」、すなわち、私たちが客観性として観測してきた世界が、もっと巨大な世界のほんの一面でしかなかったという根本的見直しがあります。
それを私なりの用語で表現すれば、この大宇宙世界には、少なくとも、「物質界」――これのみを従来の科学は対象とし、厳密に「観測」してきた――以外に、「霊理界」があり、いまやそれが、あらたな“科学的”パイオニア領域となり始めていることです。
ちなみに、この私の用語である「霊理界」とは、そうした量子理論でいう、「エンタングル」関係とか、「ローカル」と「アンローカル」の関係における後者に相当する領域をカバーする分野です。
もちろん当然に、この分野の取り上げはただごとではありません。例えば、それが議論のまな板に乗り始めた20世紀の初頭、あのアインシュタインでさえも、それを「spooky〔気味の悪い〕」ことと呼んで、死ぬまで拒み続けたものです。
そのようであるこの分野なのですが、そんな大仰な世界が、今回の私のトレッキング体験と、どう関係しているというのでしょう。
それは、トレッキング日程5日目から6日目にかけての夜、午前2時半に出発して12時間にもおよぶ行動により最高標高地点の峠に達するという、翌日の山場を控えての夜半のことでした。
緊張や高度による頭痛に妨げられて目が覚め、眠れないままに、不安に悶々とさせられている時でした。自分の脈を計ると、普段は60を下回っているものが80にもなっています。こんな状態では翌日の行動が一体どうなるのか、それはもう、不安を越えて恐怖にも近いものとなっていました。
その時です。「自分は本当に、こんな恐怖に押しつぶされるために、好きこのんでここにやってきているのか」、と問うものがありました。つまり、そうした困難は予想されていたことで、それでもここに臨んだのは一体何のためか、とそれは詰問していました。
その時、頭をかすめたことがありました。すなわち、ひょっとすると、この恐怖感が量子理論でいう「ローカル」の意識で、それに対する「アンローカル」な意識があるのではないか、という閃きでした。
つまりそれは、こういうことでした。分かっている積もりの自分自身についての知識が「ローカル」、つまり一面で局地的でしかないものであったとするなら、その恐怖は自分で作り出している自己呪縛にすぎないではないか、という視界でした。
ならば、そうした限定知識を取り去り、もっとオープンで非限定的なものに自分を託すことが可能ではないか、と促すものがありました。その非限定なものが何かは描き切れないものの、少なくとも、そうした恐怖の措定を乗り越えるものでした。
その時でした。それまでの恐怖感がすぅーっと消えてゆき、息苦しかった呼吸が和らぐ感覚がありました。そして念のためと再び脈を数えてみると、何と、70少々へと下がってすらいます。
そうして、この「アンローカル」の発見こそが、自分があえてそこにやってきている意義なんだ、と教えるものがありました。
そしてまさに、本当にまさに、その瞬間でした。闇の中に「ドドドーン」と響きわたってくる雷鳴のような音が聞こえてきました。まるで、誰かが私のその発見に呼応しているかのように。それは、雪崩の音でした。おそらく、私たちがキャンプしている谷間の東側にそびえ立つ単独峰――パンディム山――から、氷壁が崩れて、二千メートルにおよぶ落差を一気にくだけ落ちているのです。後で知りましたが、このパンディム山は、シバ神を体現するとして崇められている聖山だといいます。
むろんこのタイミングは、常識的には偶然としか見られないものに違いありません。しかし、私にとっては、偶然といった「ローカル」な見方は、もう無味乾燥そのものでした。そしてむしろそれを、「アンローカル」に、それこそ「エンタングルメント〔もつれ合い〕」の実例ではないか、と受け止めるものがありました。そしてさらにそれにひとつの解釈の血肉を与えれば、そういう大自然側からの、私のなにかへの「返信」であり、「エンタングル」関係の実の発生ではないかというものでした。
その後、やがて起床して始まった寒さと暗闇の中を進む行動は、むろん、身体的には極めて苦しいものでした。しかし、私には妙に励まされるものがあり、恐怖なものはすっかり消え去っていました。
そして、数時間後に達した峠では、目的のカンチェンジュンガ峰が、朝日に身を照らし出させて、まばゆく神々しく、私を迎えてくれていました。
以上の体験に合わせて、このトレッキングのもう一つの特異性を述べておくと、これは同行している私の相棒の得意とする分野なのですが、そうした環境中で発生してくる人的な遭遇があります。
このトレッキング・コースは、インド・ヒマラヤ中の多くの他のコースが、ヒンズー教の聖地に達する巡礼路でもあることと異なって、どちらかと言えば純粋に登山好きな連中によって選ばれているコースであることです。
したがって、今回、その行動中に出会った人たち――予想外に、インド以外の外国人たちは少なかった――も、そのほとんどが、インドの各大都市からの新興“中産”階級、つまり西欧化されたビジネス・クラスの人たちで、自然志向の生活スタイルを楽しむ連中でした。ただ、「中産」階級といっても、いまだに根強いインドのカースト制度の中で、まだまだ、先進国でいう現代的中産階級は少なく、上位カーストに属する裕福な事業経営者たちが、私たちが出会った人たちの大半でした(なんとその内の一人は、家には18人の使用人がいるという)。
私などは、トレッキングの行動中は、黙々と歩くことが多いのですが、同行の相棒は、その巧みなコミュニケーション力を発揮して、ほぼ終始、遭遇する人々と積極的に対話を交わします。通常、トレッキング行動は、日に何時間もかけて実行されているわけで、その意味では、対話に要する時間枠はたっぷりと用意されているわけです。その条件を生かし、また、同一行動を伴にする一種の同胞のよしみも活用して、そうした対話から生まれてくる、意外な人的関係の形成や発展が大いに期待しうるのです。言うなれば、人脈つくり――ヒマラヤも奥深い山中で!――の恰好な手段ともなりうるのです。
実際に今回も、今後の日・印・豪間のビジネス開発に役立ちそうなチャンネルが開拓できたのでした。
私や相棒にとって、山歩きは、単に物理的に、地球上の凸凹をたどることではありません。そうした行動をもとに派生する、非物的効果にむしろ焦点があります。
山という外的環境が要求する、あえて苦しい肉体的作業を経ながら、その結果に生まれる、通念に乱されぬ内的環境を見出すことにそのねらいがあります。言い換えれば、そういう大自然ならではの「spooky」な“演出”効果に期待を置くものです。
もとはと言えば、それはけっこう古代的なことであり、山に神を見出す発想と大差はありません。しかしそれが今や、超最先端の科学分野と呼応し合い、私たちの未来への確かな開拓手法となってきていることが、そのように実際に確認可能となってきているのです。