「ローカル」という共通項

〈連載「訳読‐2」解説〉 グローバル・フィクション(その81)

もし私が「ブッダ(仏陀)」と題する本章をもう二十年も前に読んでいたなら、私はその言わんとしていることを理解できなかったか、相当に違った思いで受け取ったことでしょう。しかし幸いにも、私はこの章を、この今になって読むめぐり合わせとなり、それゆえ、それをよく理解しながら、楽しみさえしつつ、訳読できています。それほどに、いわゆる人生経験を必要としたということなのでしょうが、ことにこの数年の経験は、それを決定的に分けてきました。

例えば、今回の訳読の末尾の「悟り」の節で、私はあえて「ローカル」という原語の表現を入れました。この「ローカル」という用語を、私は先のヒマラヤ・トレッキングの究極体験記にも用いたのですが、両者はまったく同じ意味で用いられたものです。

それほどに、我が身の体験と重ね合わせて読めたことは間違いありません。

もちろん、本章は、そのタイトルを「ブッダ(仏陀)」としており、そこでいう「悟り」も、ブッダの達した境地のことです。

この「ローカル」という用語に関してのこうした共通性は、私のもっている心境が果たして、ここでいう「悟り」に相当するものかどうか、自覚としてははなはだ心もとないものです。しかし、何やら、似通ったものを論じていることは確かなようです。

それでは、「ブッダ(仏陀)」の章にご案内いたします。

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