男原理への風穴

『地球「愛」時代の夜明け』(その4)

投稿:縞栖 理奈

前回や前々回では、一見、“けなし見解”とも見られかねない私見を述べさせていただきました。それもこれも、アバター氏の最近の「四分の三プロジェクト」開始宣言に接し、いよいよ、氏が独自構築の世界に踏み出して行かれるのかと、その出立を、期待と感嘆をまじえて受け止めているがゆえのはなむけの積りです(異論をお持ちの方は、私に構わずご自論の投稿を)。

正直言ってこれまで、量子理論を取り上げるアバター氏のとみに科学専門的な着眼点が、なんとも私の理解のおよばぬ最大の難関でありました。しかもそれを、「牽強付会」と称して自己流のアレンジを施し、独特な味付けに工夫されています。

そうした難物が、先の「四分の三プロジェクト」計画について、『フィラース Philearth』における記事と絡めて説明されているのに接し、ある納得へのヒントを得た気がしています。

それを氏にならって私流に牽強付会して言い換えれば、「男原理への風穴」です。

一抹の光明か

同宣言へのそうした説明には、アバター氏が量子理論の最先端の専門用語に注目され、加えてその生みの親が、75歳の誕生日をむかえ、人生の集成期ともいうべき今後の25年に向けて、その「四分の三プロジェクト」に託す意気込みが述べられています。そしてそれを読む中で、彼がそれをずっと「我流」と言って噛みくだき、「二つの世界――科学と神秘主義――の融合」と述べられてきた意味が、私なりにイメージされてきています。

その私の理解に立てば、その説明は、現在の日本の暮らしにくさを変える方向転換を可能とする一抹の光明かとさえ期待できる、単なる理論をこえた実用的内容を含んでいると受け止められます。そしてそうした変化の兆しはことに、氏がジェンダー問題に焦点をあて、それとその量子理論の最先端の発想の類似性を結びつけているユニークな指摘に特に感じられ、いわば、そこに我が意を得た気がしています。まさしく「男原理へのオルタナティブ〔対抗言説〕」です。

それに加え、今や世界は、もはや逃げ場なしの崖っぷちに追い詰められたかの、苛烈化をきわめる自然災害に相次いで遭遇しています。そしてその脅威に突き動かされて、いかにも短期の間に、「ゼロエミッション」といった環境運動概念が、「ゼロカーボン」といった経済用語つまり損得勘定指針にさえ変貌して、何やら、それさえ達すれば万事OKともでも言いたげな、「早い者勝ち競争」の奔流があわただしく立ち上がってきているようにもうかがえます。

それはまさか「本気のフリをする」ポーズではないでしょうし、私などは、その渦巻き泡立つ変化を目の当たりして、世界というものは、このようにして、歴史上の時代的趨勢が決められて来たのかと、その決定経緯の余りな唐突さ――発生した「ヘゲモニー争奪戦」にわれ先に奔走する競争精神――と、その根拠の希薄さ――何かをともかく犯人にまつり上げたい――に、あっけに取られさえしています。

仮に、化石燃料車がすべて電動車に置き換わったとして、見捨てられる長年にわたって蓄積されてきた石油由来産業や広範な技術の行方はおろか、それらを膨大な“粗大ごみ”の累積ともさせかねない、そうしたどんでん返しはどれほどに合理的なのでしょうか。

あるいは、急拡大する電力需要を賄うに足る発電インフラのマンモス整備は、言われる環境合理性とどのように整合しているのかなどなど、答えられるべき疑問が山積しているはずです。

従って、もしそれが拙速で強行されているのなら、それはそれでまたしても、人類の生存の根源基盤である地球への、いっそうの環境ストレスの追い打ちを意味していないのかと案じさせられます。

 

「第三の道」は

そこで、その余りな「変わり身の早さ」競争に、それへの「拒否」とは言わずとも、せめて「条件付き参加」とでも言った、第三の道があるはずという思いが日に日につのってきています。

たとえば、グーグルなどのGAFAに見られるように、世界の単一市場化――高効率に巨大利益獲得を可能にする――へとグロテスクに地ならしされてしまわない、世界の多様性を反映した凸凹も機微もあるローカル市場の存続はできないものなのかと思いがはせられます。

また、私などが単純素朴に考えてみても、過去の散々な利益追求の産物たる環境汚染や自然破壊を是正しようとの崇高な取り組みが、こうして生まれているGAFAといった、いっそう巨大な利益システムという粗野な奔流と、相性がいいわけがないとも思うのです。

それはなにやら、ただ手を変え品を変えただけの、実際の中身や原理は何ら変わっていない、そうした表層のみの「薄っぺら」な様変わりが、大がかりに再展開され始めているかに、私などには見受けられます。

そこで、「急がば回れ」の先人の知恵なども念頭に、この唐突な「右にならえ」行動からの回避や修正を願い始めているところです。

そしてそれを標語化すれば、『地球「愛」時代へ』とでも言えるのではないかと。

 

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〔注記〕小見出し、リンクは本サイト発行人による。

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