【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ウメ

撮影場所:小石川後楽園

コメント:春昼や魔法の利かぬ魔法壜   安住 敦

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これまで私は、自分の「健康観」について、三段階――「私の健康観」、同 v. 2同 v. 3――にわたり述べてきました。それらはどれも、それまでの自分を振り返って、「健康」との視点での捉え方の発展をそう記録したものです。その結果、「v. 3」では、そうした「健康観」はもはや「人間観」に至っているとの認識を述べました。そこでそれを、さらに今後へと延長しようとするなかで、あらたな視野が開けてきています。それは、視点を分化させ、タイトルのように「この生命体のオペレーター」と表わせる視野です。より正確には、「この生命体のそれ由来のオペレーター」と記すべきもので、この「生命体」と「オペレーター」との二者は、物質的に後者は前者に由来していながら、その働きは前者を越えていると観るものです。言い換えれば、「オペレーター」はその存在を「生命体」に依存しながら、その働きはそれとは異なるものにも依存している、あるいは影響されているということです。すなわちそこで、そのプラスアルファたる「異なるもの」とはいったい何かということとなります。 詳細記事

連載《豪州「昭和人」群像》4回目の今回は、これまでの三者の、それ相応に異端な事例とは趣を異にして、年齢的にも状況的にもそのあい間で体験された、良き日本と良き豪州の〈ダブル良いとこ取り〉が成し遂げられたケースを取り上げます。つまり、本連載第1回の末尾に述べた「二つの繁栄を享受」できたとみられる事例です。そこでご本人も、「ほんとうにラッキーだった」と語っておいでです。しかも、ほとんど普通な生活の中でのストーリーであり、ことさらに変わった生き方を選んだ結果とはとても言えません。失礼な言い方になるかも知れませんが、ごく平均的な生き方をされてきた、その結果の実りです。そこでもし、こうした普通で当たり前な発展が、特異なケースに見られるとするなら、それは、その当人側の問題と言うより、それほどまでの、まわりの環境の違い(あるいは一種の歪曲視)の問題です。確かに「ラッキー」なストーリーには違いありませんが、不相応な幸運を射止めたような話などでは決してないでしょう。 詳細記事