【新版(Second Edition)に基づく】
古代の知恵 |
「私は貧しく裸ですが、私はこの国の元首です。私たちは富を望んでいませんが、私たちは子供たちを正しく育てたいと思っています。富は私たちを良くしません。私たちは子供たちを連れて別の世界にゆくことができませんでした。私たちは富を望んでいません。私たちは平和と愛を求めています。」 ――元首レッド・クラウド(スー族)
ホモ・サピエンス〔現生人〕は、すべての動物と同様に、環境の限界に適応する絶え間ない過程を条件に生きてきた。伝統的な進化モデルでは、人間はおよそ5万年前にその行動上の現代化を果たした。人間が環境を操作し動物王国の首領になることができる生き物に上昇したとき、新しい特性が出現した。民族学者はしばしば、自分の種の一員を組織的に殺す行為が、事実として他の動物種の中では見られないことを観察してきた。自分の種を殺す人類の特殊な性向は、限られた範囲でネズミやチンパンジーとも共有されているが、ほぼどんな環境にも適応する能力がそれを作ってきたと考えられる。人類間の戦争は、自然環境の中での領土本能として始った。組織化された戦争という特徴は、人間だけがもつ特徴である。
ほぼすべての古生物学者は、現生人は約20万年前にアフリカより進化してきたとの説を支持するだろうが、その途上には化石記録上の「欠いた環」がある。それは、発見された化石の中に現生人を真に区別しているものを認識できないでいるからか、それとも、その環をつなぐ化石などもともと存在していないからなのか。今日、現生人の萌芽と考えられる、現代と古代の両特徴を混在させている多くの候補は存在している。ある説は、それは私たちの種はかつて、今日よりも広範囲の身体的変化を持っていたことを意味するとする。また他の研究者は、それは、この間に複数種のホモサピエンスがアフリカに住んでいた可能性があると説く。ホモ・サピエンス――ラテン語で「知る男」または「賢者」の意――は、ホモ属のうちの唯一の現存する種である。ネアンデルタール人や他の原人は、こうした賢明な同時代者たちのようなロックアート、洞窟の絵など、象徴的作品を創造しなかった。私たちの祖先は、儀式的な芸術や宗教的な象徴を最初に創造した人種であり、人類学者たちには、そうして自らを最初を考慮した人種を、ホモ・スピリチュアリストと呼ぶ傾向がある。
「シャーマン」という言葉は、ロシアのシベリアのバイカル湖地域でトナカイを飼っていたツングース族の言葉に由来する。シャーマニズムのルーツは5万年前の更新世までさかのぼるが、その用語は世界中の先住民族のすべての治癒行為に適用することができる。シベリアのツングースの人々は、シャーマンは男でも女でも、この物質界の霊魂の主であると信じていた。ツングースのシャーマンは、特に自分の一族のメンバーを助けるために、自分の体に霊魂を導入したり、その力を他の霊魂以上に使うと主張した。シャーマニズムやその精神的能力を高めるためには、5つの要素があった。シャーマンや心霊能力者になる可能性のある人は、遺伝的素養を持って生まれるか、小児期にトラウマとなる事件に遭ったか、死亡直前の状態を経験しているか、頭部の損傷を受けているか、あるいは初期に病気なっていたかである。これらの要素は今の時代においてもなお有効で、そうした能力は、現代生活の幻想の仕組みを揺るがす可能性がある。シャーマン的特性とは、誰もが持つ共通する現実を調べ抜き、他の能動的な道をこの世界に切り拓くこと、と表現できる。人間一般に典型的な共通意識は、搾取の不可避性、寄生存在、そして弱肉強食根性(「第四世界」と呼べよう)に自らをゆだねることである。だがシャーマンは、自らを、「第五世界」すなわち他次元に存在する霊性で満たされた高密世界へと結び付けている。
究極的には、私たちは誰でもアフリカ人を祖先としている。ミトコンドリアDNAについての研究は、すべての人間が、少なくとも6万年前にアフリカから出現した少数の人たち、わずか数百人に由来し、その後すぐに中東、ヨーロッパおよびアジアの地域に移住したことを示唆している。古代の宇宙飛来人説(古代に他の惑星や銀河からの存在が訪れ、繁殖したか、遺伝的に変化させたという考え方)では、アトランティスの生き残りと遺伝的に交配したとの可能性とほぼ同時期に、すべての人間がアフリカから出現している。科学者たちは、この新しいタイプのホモ・サピエンスがなぜ突然現れ、どのようにその変化が起こったのかを解明していない。しかし私たちは、私たちの遺伝子を15万〜25万年前の「ミトコンドリア・イブ」という一人の女性を起源とすることができる。彼女の化石は、オモ川の近くのエチオピアのヘルソで発見され、現生人とほぼ同世代とみられている。ということは、このミトコンドリア・イブは、約6万〜9万5千年前に起こったとされるアフリカからの移動より、きわめて早い時期に生存していたということとなる。
現代のイラク、古代バビロンの王国であった古代シュメールのくさび形の印板や円筒印形は、「神々の血液」の章で論じたように、アヌンナキが地球にやってきて、人類を遺伝子操作したETの神の物語を伝えている。アヌンナキ以前の地球には原始的なヒューマノイドのみが住んでいたか、あるいは現生人がいたとしても、彼らはアトランティス生存者の子孫であった。そうした現生人は、クローニングの一種か、今日我々が体外受精と考えている方法によって作られたもののようであると表現できる。その結果、知性を高めたハイブリッド人間が生まれ、その「神」のための労働者の役割を遂行した。ホモ・サピエンスは、アヌンナキがアフリカから金を掘り出すための奴隷人種として創生され、繁殖させられた。こうした理論に立てば、地球上のすべての人間は、何らかの他の惑星系から来たということとなる。この古代宇宙飛来人説によれば、地球上の人間の誰一人として、「現地出身」の住人はおらず、私たちはもともとアヌンナキが持ち込んだDNAによる22の人種系統を引き継いでいる。したがって、地球上では一人たりとも「進化した」人間がいるわけではない。「天から来たもの」が、文字通り、アヌンナキが自分たち自身と考えたものである。そして、アヌンナキがふるさとの星に帰っている間に、そうした人間は繁殖し、アフリカを後にして地球の各地に移動した。
最古の宗教的教典や、記録に残されている最古の一神教宗教も、アフリカで発達した。 ヨーロッパの中世暗黒時代には、アレクサンドリア、エチオピア、ティンブクツなどのアフリカの図書館に多くの古代の写本が保存された。古代エジプトの文明は、我々が何千年にわたる「記録された歴史」として受け入れている期間よりもっと長く続いたのである。そうした数千年間、エジプト人は多くの神々や女神、そしてエソテリックな風な慣習――その意味と目的は、研究者によってまだ解明中――を考案した。加えて、エジプトは、アケナテン王のもとで発達した、最初の真の一神教宗教の源であった。この豊かな伝統は、19世紀初頭、ロゼッタストーンの碑文に記されたエジプト語文がついに解読されるまで、ほとんど知られていなかった。
従来の進化理論はおおむね、人間が木から降りてきて直立して歩き始め、それが手を創作のために自由にした、とするものであった。そうして私たちが作ったのは道具で、その改善を続けた。このように、科学者や研究者によれば、人間を他の動物と区別したのは、2本の足で直立して道具を発明して使用する能力が得られたというものであった。しかし、カラスのような他の動物もまた2つの足で歩き、作業を達成するための道具を使用することが広く知られている。したがって、実際に人間を他の動物と区別するのは、表象使用と創造性を通して、自分を表現する能力である。
約4万年前、人間は〔今日では〕「水平思考」〔訳注:様々な角度から問題に接近する思考法〕と呼ばれることの萌芽を行い始めた。それは、事実上一夜のうちに導入されて、霊魂や宗教思想とともに、創造性の時代を開花させた。同時に、後期旧石器時代ヨーロッパでの信じられないほどの絵画、北アフリカの洞窟芸術、種族や先住民族文化の中でのロックアートが、世界中に出現し始め、それらはおおむね同じ時期であった。
もし人間の脳が、私たちの諸感覚よりえられるデータの受信機および暗号解読器であると考えられるなら、私たちの心は脳から非常に微妙性の高い情報を「受信する」ことを可能とする。そしてその情報は脳の伝達機能よって処理され、私たちの「通常な」経験とは切り離された現実を知覚することを可能にする。しかし、もし私たちがいつも通りに目覚め状態にある間、私たちはその「通常チャンネル」にされ同調されているなら、何らかの形でその受信機を調整したりそのチャンネルを変えたりして、自分の意識状態を変えることができるのだろうか。これが、進化の最中、他のレベルの現実にアクセスするため、意識をきめ細かく調整することで、まさに起こりえたことである。それは、物理的世界を超えた現象の感覚認識に対する、自分の心の中の秘密通路〔の発見〕と考えることができる。ほとんどの時間、平均的な人にとって、この通路は閉ざされており、物質的世界での生存のために必要な通常の意識による問題解決能力では、それに到達することはできない。しかし、この通路は、実際に存在する、他の自立した現実や多次元性にアクセスすることを可能にするが、いわゆる科学的な外部機器にとっては、その能力のおよばない世界である。その秘密の通路への鍵は、精神の深い潜在意識に存在し、通常はそれは瞑想によってアクセスされ、それを介して私たちは変化した意識状態に移行することができるものである。
グラハム・ハンコックによれば、彼の著書『Supernatural: Meetings with the Ancient Teachers of Mankind(超自然:人類の古代師匠との会合)』では、「私たちの脳は、日々の物的現実に直結されているかも知れないが、変化した意識状態では、私たちはその脳の受信波長を再調整し、もしあなたが望むのであれば、通常は私たちに閉ざされ感覚の範囲外である、他の現実への真のアクセスを得ることが可能である。(そして)私たちの脳は、変化した意識状態でのみ可能な感覚を得ることを可能とする装置となる」。そしてこれは、大きな疑問をもたらす。すなわち、私たちの脳は意識の源なのか、それとも、意識の手段なのか。もしそれが意識的思考と知覚のための手段であるならば、脳の死は単純に意識の死ではなく、私たちの意識的存在を運んでいる媒体の死であるので、シャーマンが長い間主張しているように、意識はもちろん死の後も生き残ることができる。これは、意識とは、脳が受け取り、解釈する多くの信号のひとつにすぎないことを示唆している。
人々が互いに殺し合うことになるきっかけは何なのか。不幸なことに、人間の歴史は血で塗られている。20世紀中の十数度の戦争だけでも、1億6千万人が死んだ。武力紛争は依然としてトップ記事となっているが、戦争で実際に戦ったり死ぬ人は減少している。明らかに、過去10年間の戦闘死亡数は過去100年間の他のどの時期よりも少なかった。これは致死的な戦争が減っているという正しい方向への動きなのか、あるいは、ただ野外病院が改善された結果であるだけなのだろうか。それとも、戦争は、人類の生存のための不可避な側面なのだろうか。そしてそれは人間同士の自然な状態であり、仲良くありたいとする私たちの本性的切望に反する現代人の逸脱行為なのだろうか。
先史時代を見ると、新石器時代そして旧石器時代にまでさかのぼっても、戦争の証拠はほとんど見られない。石器時代の人々の生活拠点には、集団墓地や要塞の痕跡はなく、洞窟画にも戦争の描写はない。また、人々が槍で攻撃された場合の守備兵器として一貫して見られる盾の画像も欠落している。2万年あるいは5万年前に戦争はなく、どんな証拠も存在しないことを、誰も明快に判断できていない。 もしそうであるなら、私たちは奴隷制度を廃止しようと闘ったり致命的な疾病を根絶したように、戦争も根絶することができるのだろうか。それとも、互いの違いを解決するためにより洗練された兵器や技術をもって戦い続けるのだろうか。もし私たちが単一の人類に属しているという感覚を忘れず、太古の知恵を思い出し、かつ、自分たちの違いを優れたスキルと理性によって克服することができる時へと立ち返るならば、私たちは、天然痘のように、戦争の考えは根絶されることだろう。
最近、科学者は、すべての霊長類がもつ鏡ニューロンを発見した。鏡ニューロンは、同情にも似ていて、他者の苦難の経験を自分がそれを体験しているかにすることができる。そうした研究は、人間の神経が、侵略、暴力、自己利益のために働くようには接続されていないことを示唆している。同研究によれば、私たちの階層的抑圧の副産物として〔そうした暴力が〕説明されてきた説に代わり、私たちの主な目的は仲良くあることで、協力と仲間のために神経が接続されているとする。意識が歴史を通じて変わると、私たちは進化し、私たちは感情的なつながりを広げる。今日の技術は、世界中の人々が相互作用し、共感的なつながりをもたらす可能性をさらに高めている。そしてそれはある根本的な疑問を生みだしている。即ち、もし人類の間に集団意識たるものがあるとするなら、賢明にも、私たちは他の人間がどのように感じているのかを知ることができるのではないだろうか。多くがこうした思いやりに呼応するだろう。
アマゾン流域あるいはニューギニアの深い渓谷に住む、地球最後の〔外部世界から〕孤絶種族は、ある意味で、私たちの現代意識の一部をなし、同様に、私たちは彼らの原始化したものである。そして、私たちの行動は、集合的な文明として、そうした最小な共通項をさほども越えていないことを示している。 おそらく、私たちが生命とよぶものは、オーストラリアのアボリジニの人々が「ドリームタイム」と呼ぶもの、あるいはインディアンが「幻のマヤ」と呼んでいるものでもある。そうした脈略で、宇宙空間を旅する最先端の人類でさえ、最後の石器時代の部族とつながっているのであり、すべてがそうした「ドリーム」をなすものである。私たちの相違点ではなく類似点を表すそうした証拠の重さを考えると、私たちはすべて本当に一体であり、動物たちに観察されることと同じく、私たちの種全体の中の他者の精神に互いに触れることができるのである。
ドルドーニュ川とヴェゼール川の谷は、深い洞窟や地下水流れに恵まれたフランス中南部の美しい地域を構成している。 1868年、いくつかの洞窟の中から人間の骨格が発見され、旧石器時代の考古学的な証拠がそれに続いた。 最も顕著なものは、洞窟を飾った壁画で、その古さだけでなく、その絶妙な色彩と描かれたスキルのために注目された。そのフランスの洞窟では、無数の石器時代の道具、武器、矢じり、骨の彫刻も発見された。
ヨーロッパで最も古い芸術的表現は、フランスとスペインの洞窟の壁や天井に見られる。それらは狩猟、繁殖、再生を表している。ほとんどの洞窟芸術はスペインのピレネー山脈やカンタブリア山脈とともに、ドルドーニュやヴェゼール川の渓谷に見られるが、洞窟の絵や彫刻はヨーロッパ全土でも見られる。ヨーロッパの壁画には、動物の表現とは別に、線、点、これらの要素の組み合わせなどの抽象的な画像も含まれている。多くの先史時代の洞窟に見られる刻まれた「ヴィーナス」の小立像を除いて、人間の姿はほとんど描かれていない。いくつかの洞窟には、広げた手の周りに絵の具をぬった手形があり、これらは多産と成人の儀式に用いられた男女のシンボルを表すと考えられている。特定の場所では幼い子供の足跡と指紋が見つかっており、若いメンバーが大人の役割について学ぶ儀式を示唆している。仮面や動物の皮、かぶとを着用している人の図もある。これらの動物の偽装は、狩猟のための迷彩、または狩猟儀式中にシャーマンが着用する儀式用の服装である可能性もある。
ドルドーニュ渓谷の諸洞窟の中で最も有名なのは、ラスコーと言われている。そこに発見された絵は、1万7千年前のヨーロッパの最後の氷河期のものとされており、現存する最上の先史時代の作品と考えられている。この有名なラスコー洞窟には、バイソン、マンモス、馬の豊富な画像に加え、驚くほど表現力豊かな表情と頭を持つ全長5.5mの牡牛像で知られる最大の有名な先史時代の絵画を含む、5つまたは6つの識別可能な芸術表現が存在している。頻繁に訪れる人々の体温や呼吸による湿気に起因するカビや劣化を防ぐため、1963年、このラスコー洞窟は完全に閉鎖された。
ドルドーニュ渓谷地形の上部、ルーフィニャック洞窟と呼ばれる別のすばらしい洞窟は、廊下やギャラリーからなる3層の迷路となっている。3つのうち最大のものである上位層のみが、それが先史時代の芸術家によって探検され頻繁に行われたという証拠を示している。 ルーフィニャック洞窟は、大型哺乳動物、特に毛におおわれたマンモス、バイソン、ウマ、毛をもつサイらが多く描かれている。ルーフィニャック洞窟は、やや新しく、古代時代のマグダラ時代末期、紀元前1万3千年頃の作品で飾られている。
絵や装飾された岩の住居を持つフランス旧石器時代の洞窟のほとんどは、2万3千年以上前のものである。最古のものは3万2千年前のもので、ほんの1994年に再発見されたばかりでショーヴェ・ポン・ダルク洞窟に位置している。この最も古い芸術表現はフランスのこの地域で2万8千年から4万年前に住んでいたオーリニャック文化の人々によって作成された 。最近の研究では、居住した人と動物の放射性炭素年代測定により、ショーヴェ洞窟の絵画がフランスで最も古く、最も精巧で、人間の認知の進化に関する現在の知識に新説をなげかけている。
新しい年代測定によると、スペイン、マラガのネルハ洞窟で4万2千年以前に描かれた一連のアザラシは、人間が創造した最初の絵画とみなされている。最近まで、考古学者は、ヨーロッパと南西アジアに位置する旧石器時代後期の文化であるオーリガン時代に、現生人が最古の芸術を作ったと考え、放射性炭素年代測定によると、およそ4万7千年前から4万5千年前にわたった。しかし、ネルハの絵画は、ショーヴェ・ポン・ダルク洞窟で見つかった3万2千年前の絵画よりずっと古く、はるかに原始的で、それは、映画「忘れられた夢の洞窟」で紹介されている。
アボリジニ〔と呼ばれる〕オーストラリア〔原住民〕の人々――生存しているホモ・サピエンスの最古の人種であり、手つかずのままその最古の文化を保持している――は、遠い昔に、球体の地球を想像した。「ドリームタイム」と呼ばれる彼らの集団意識の中で、アボリジニの人々はテレパシーでコミュニケーションする能力を持っている。 2本の棒と、ディジュリドゥ――世界で最も古い楽器――と呼ばフランスのれる木管でリズムをかなで、部族は団結のダンスの儀式をもって一体となる。アボリジニの人々はこれらの原始的な楽器を使い、踊りを通し自らを深く恍惚的な状態にし、オーストラリア大陸の神聖な地のエネルギーを呼び起こすことができる。アボリジニの人々は、地球のレイ・ラインを「ソング・ライン」と呼び音楽的直観に従ってそれを認識し、通常の状況では見られない風景を視覚化する。
オーストラリアのアボリジニは、古代の「ドリームタイム」伝説の深い使用が未来の出来事へと変化すると考えている。それはどことなく女神的存在である「ワンジーナ」によって遺された伝説である。オーストラリアのアウトバックでは、アボリジニの人々は3万年もの間、何世代にもわたってウルル(エアーズロック)に集まってきた。彼らは直観的に「ソング・ライン」――ヨーロッパで呼ばれているレイ・ライン――をたどり、遠くまで移動し目的地に到達した。
この惑星表面のそうした特定地点では、「エーテル」が他の場所よりも強く流れている。 エーテルは、エネルギー線の格子のような、この惑星表面を区切るグリッド網をなして流れている。エーテルのエネルギーが地形に触れる場所がいくつかある。そこにアボリジニの人々が儀式のために集まり、たくさんの絵をかいた。面白いことに、彼らはとても画家には見えず、むしろ 「魂の手が」絵筆を導くままに任しているかのようである。
何千年もの間、古代人は、これらのエネルギー・スポットへ古道をたどって集まり、そこは神聖な場所となった。原始的な聖地は、最初、物理的な印として、エーテルが交差する場所に設けられた。ヨーロッパのそうした神聖な場所では、古代に巨石が建てられ、文字通り地球の表面に挿入された。 皮膚のつぼに針を挿入して人体の生命力エネルギーを刺激する鍼灸士のように、これらの巨石はエーテル・エネルギーの流れを刺激した。オーストラリアにはいくつかの石の円があり、その中のいくつかは現代の核実験によって破壊された。オーストラリアのアボリジニは、古代英国のストーンヘンジの司祭のように、この惑星のエーテルのエネルギー線がどこにあるのかを知っており、そこは組織された崇拝が行われた最古の証拠となっている。
オーストラリアのアボリジニは、近隣のニューギニア島に住む原始種族と密接な関係をもっている。ニューギニアには800種の現存する言語があり、それぞれは英語と中国語ほどにも異なっている。険しい山地は集団を分離し、一部の部族らは互いに戦争を続けている。いくつかの部族は、現代世界とは非接触のままであり、石器時代の闇の中で生活し、高層ビルに住み宇宙に挑んでいる人たちのことを知らない。そうした原始的な人々は、第二次大戦中に投下された貨物箱を神々によって配達されたと考え、それを崇拝し始めたとき、「貨物信仰」〔以下で詳述〕が始まった。 彼らはどうやって神と現生人とを区別することができただろう。これらの部族は依然として霊魂の世界を強く信じている。ニューギニアの猟師たちは、例えば、「悪霊」を目覚めさせる恐れがあるため、特定の地域には立ち入らない。
おそらく異星人や神々を描いている、オーストラリアのキンバリー地方のワンジーナの石彫刻や絵画。 約5,000年前のもの。先史時代のオーストラリアと古代エジプトの間には、多くの共通のリンクがある。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)
南太平洋での第二次大戦の開始によって、数多くの船舶や資材が、ニューギニア周辺のかつての完全に隔離された島々に運び込まれ始めた。まず日本人、その後、アメリカ人とイギリス人が来て、ラジオ、衣料品、高級家具、戦争兵器、ふくらまし式ボート、薬、缶詰などを提供した。まだ石器時代の不毛の地に住んでいたこれらの島々の先住民は、外国人の訪問者がその土地に持ってきた物資、富、そして「魔法」の装置に圧倒された。1940年代のいくつかの南太平洋諸島では、原住民の部族が、西洋の生産品である「貨物」が神々によって空で創造され、彼らのために持ち込まれたと信じるようになった。彼らは白人だけにそのような恩恵を送るという不公平によらず、神を彼らの目的に加担させるために「貨物信仰」と呼ばれるものを形成した。また他の島々では、原住民の人々はそうした貨物とともに飛来したアメリカ人を崇拝した。これらの船舶、部隊、物資が、以前は外界とは非接触だった人々の想像をどれほど上回っていたかを正しく評定するのは難しい。ちなみにそれは、百年前にスマートフォンがヨーロッパの人々にどのように受け止められるかを考えるだけで十分である。未来派の著述家アーサー・C・クラークはこう述べている。「十分に高度な技術は、魔法と区別できない」。
戦争が終結すると、世界の他の国々は喜んだものの、乗組員や資材を満載した船は到着しなくなった。太平洋諸島の人たちは急速に孤立してしまった。そうした部族は、これらの祝福の到着が彼らの神からの贈り物であったと仮定していたので、贈り物が消えた時、それはどういう意味かと考えた。薬品、装身具、きらびやかな品々、食べ物、異類の安定した供給がなくなった。彼らは、おそらく彼らの神々に不快感を与えたのかも知れないと考えた。そして、彼らが忠実に行動すれば、多分、彼らを呼び戻す方法を見つけることができるかも知れなかった。彼らがしなければならなかったことは外来者がやっていたことであり、そうすれば神々は戻ってくるだろうと確信した。彼らは、すでに去ってしまって久しい、日本人、オランダ人、アメリカ人、イギリス人の言語、習慣、行動を模倣した。彼らは、神を呼び戻そうとして、滑走路、机、電話、ラジオ、飛行機の粗雑な模造を行った。彼らはそうした自分の机に着き、「電話器」を取り上げ、注文を伝えると、ビーチに行き、荷物が到着するのをひたすら待っていた。彼らはそうした活動が彼らの神々の行動をよび戻し、再び空から「貨物」が投下されてくると考えた。だが彼らの神からは何の返答もなく何年もの歳月が過ぎると、より良い解決策を模索し、模造した品々を取り去り、良いモデルを作り、それでも不一致が生じたときには、互いに離反するようになった。その結果、さまざまな場所で数十の異なるユニークな解釈が行われた。例えばバヌアツにある小さなタンナ島だけでも、貨物信仰の3大宗派が生まれた。
貨物自体を崇拝することに加えて、特定の太平洋諸島の文化は、「出身のジョン」〔John Frum〕と呼ばれる宗教を始めた。1940年代、ジョンという名前は米国で最も一般的な男性の名前だった。そこでアメリカ兵士が「どこどこ出身のジョン」と故郷を付けて自分を紹介した時、その原住民たちは最後の2つの言葉しか記憶しなかった。こうして「出身のジョン」は典型のアメリカ人となり、こうした原始的な人々には、イエス同様の存在となった。それから十年ほど後に、この現象は有名な人類学者マーガレット・ミードによって研究され、書籍となった。
この現象を現代に移し替えると、今日の世界の最も先進的な人々にとって、「貨物信仰」はどのように見えるのだろうか。どこの世界でも先進的な生活が無限に複雑なマトリックスの上に存在することを考えてみよう。つまり、私たちの世界は、他のシステムと同様かつ並行しているにもかかわらず、ある世界から別の世界へ移動した際には、訪問者であろうと訪問された者であろうと、その人は何らかの程度は特別な存在と映る。見るからに怪しい儀式、心霊の出現、神を鎮めるための行為、そして象徴的な表象などは、現代においては時代錯誤のように見える。しかし、今日の「文明国」にとってのUFOの目撃――様々な混乱や不審反応を伴う――は、70年前に南太平洋の原始人にパラシュートによって投下されてきた不思議な貨物に類似しているのではないだろうか。いったんそうした類推に至れば、それに覚醒した人々にとっては、古い神々とはおそらく、古代においての人々が単に理解できない「魔法のような」技術を持つ別の世界からの本当の訪問者だった。たぶん今日の組織的宗教は、一般には、昔に観察された理解不能かつ誤解された現象の解釈によっている。言い換えれば、おそらく私たちは、今日にあっても、こうした貨物信仰文化の精神を見下せる立場にはない。
この小枝と木の葉の「飛行機」は、南太平洋の島民が島に貨物箱を投下し続けてくれるよう、神を呼び出すために作られた。世界中のすべての宗教には、知識と贈り物をもたらす空から到来する超越的存在の物語がある。あらゆるそうした起源は、それに忠実な者をさらに従順な下僕となるように改宗されてきた。 南太平洋の原始的な種族の活動やその「貨物信仰」から、何か別のものが見えてこないだろうか。(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)
シャーマニズムは人類最古の宗教と言われている。シャーマニズムは、儀式的な諸活動――潜在意識の神話的な記憶を呼び起こす、リズミカルな音楽、恍惚ダンス、心理変化薬物の使用など――を採用し、癒しや啓発を導くためにされ実行される。シャーマンは、霊的体験としか言いようがないなにもものかを表す。彼らは意識の変化した状態でこれらの経験をしめす。彼らにとって、その経験、遭遇する存在、彼らが会う死んだ先祖は、何らの信念にも拠らない属人的な経験にすぎず、自分自身の指紋を見る程度の独自で当たり前な経験である。
比較シャーマニズム研究の一つのテーマは、特定の経験がもつ普遍的な意味である。アマゾンの熱帯雨林のシャーマンとシベリアの森林のシャーマンとは、共通した現象――魂がビジョンをさがして身体から離れた時に得られる覚醒した高揚――を経験していたようである。そのビジョンは、自分の生涯の成長の基盤となったもので、鷹の目、鷲の翼、鹿の敏捷さ、熊の強さといった個々のビジョンに認められる、動物の魂よって導かれた。それらは求められるべき豊かさそのものであった。アメリカインディアンの若者がそうした「ビジョン捜し」に送り出される際、その部族の人々は、新たに部族に必要な役割を、その若者が大人になった時に担えるシャーマンとなることを要望した。若者期のビジョン捜しで遭遇する動物の魂は、その個人を守る指針となり、残りの人生において、成人としての彼の名前となることも多かった。
アニミズムは、宇宙全体が生き物であるという概念である。それは、シャーマニズムの霊性の中心的な信念である。アニミズムは、霊性的、肉体的、物質的な世界の間に真の分離がないという信念のすべてをおおう。霊性は、人間だけでなく、他の動物、植物、岩石、そして、雷、雷光、地形といった自然現象、さらに、山や川などの地形などの自然環境の、どこにでも存在している。アニミズムは、霊性を山、川、水晶、木、石、天体、地球、さらには空の特徴に由来しているとする。 それはまた、木、柱、岩の穴にも見ることができる。それらは目に見えない魂が座するところである。これらの霊性はシャーマンによって知覚され解釈される。
シャーマニズムによく見られるもう一つのテーマは、神聖な地下世界であり、そこには霊性のあらゆる主が宿っている。神聖な山の下にある洞穴は共通のテーマとなっている。同様に、泉や洞穴の口は、しばしばその地下世界への入り口とみなされる。宗教の出現とともに、山は人為的に表現されるものとなり、その地下世界への神秘的な入り口――アメリカインディアンのホピー族ではシパプーと呼ばれる――に満ちたものとなった。神聖な山は、しばしば、シャーマンが私たちの現実の中で神と直接コミュニケートすることができる寺院を頂いている。加えて、神聖な山がピラミッドやマウンドの形で作られたとき、同じプロセスが起こった。つまり、内部の部屋は霊的な他世界への入り口になった。こうした平行した現実は、妖精の国、ハーデース〔死者の国〕、下界、ミドル・アース〔天国と地獄の中間〕、ホロウ・アース、あるいは他世界として描かれるようになった。 神秘的な過渡儀礼が起こったのは、山の下にあるこれらの神聖な洞窟の中であった。
アフリカ西部のマリのドゴン族に伝えられる神話には、この原住民が自分自身で学ぶことも推測すらも不可能な天文学的知識が含まれている。研究者によれば、そうしたシリウス星系の特有の知識については、明らかに、より高度な文明が彼らにそう教えたものであると言う。そうした目を見張るようなドゴンの伝説には、天体の動きを語ったり、木星の4つの月や土星の輪が描写されたりしているが、これらの惑星の特徴は、〔人類には〕望遠鏡の発明までは知られていないものであった。また彼らは、シリウス星や見たこともない一組の仲間〔二連星〕について述べている。その伝説は、ひとつの天体が恒星シリウスを50年周期で回り、それは、宇宙の中で最も重い物質である金属で作られていると伝えている。天文学者は、「シリウスB」と呼ばれるこのような天体が存在することを発見したが、それは、最先端の高性能な機器だけが検出しうるものであった。
ドゴン族は、そうした天体の伝説に加えて、他の先進的な文化的特質を示した。そのアフリカの特定部族の特徴は、問題をおこす部族の一員に対する独特な非暴力的解決法である。部族の誰かが何か傷つけたり誤りを犯そうとすると、その人を町の中心に連れて行き、部族全体が集まってきてでその人を囲み、脅威のない方法で助けになろうとする。 2日間、彼らはその人が今までに行ってきたあらゆる良いことを皆に伝える。その部族は、すべての人間が、安全、愛、平和、そして幸福を望む善人として生まれてくると信じている。しかし人は、これらのことを追求する上で、時には間違いを犯す。その共同体は、悪事を助けを求める叫び声とみなしている。彼らは仲間のメンバーのために一致結束し、その人と彼らの本来の性格とを結び付けて、本当に自分が誰であるかを思い出させようとする。この力強い思いやりあるエネルギーで、その人は自分が一時的に切断されていたという真実を覚る。古代チベット人も同様な方法を持っており、反社会的行動を示している人々に対して、親切をもってして、「その行動を殺した」。
自分自身のいわゆる原始的直観を生かすことは、より大きな幸福への道を開き、より高い個人的可能性を獲得する鍵となる可能性がある。あなたの知人の誰かがあなたに電話しようとしていることを予感し、実際にそれが起こることはよくある。超心理学者のルパート・シェルドレイク博士は、こうした「電話テレパシー」は本当に存在していると主張しており、そうしたよくある現象は単なる偶然ではないという。オーストラリアのアボリジニや他の原始的な人々は、精神的なテレパシーによってコミュニケーションをとる顕著な能力を示している。
資本主義世界――今や世界のほぼ誰もが自分自身がその中に置かれていることを見出している――では、新たな課題は「最も幸運に生き残る」ことであろう。向上の社会動向を持つ国に生まれた人々は幸運な人であるが、それはますます珍しくなっている。世界中の大多数の人々は、親の社会的地位以上を得る機会がほとんどなくなっている。最も幸運な人生を測る別の方法は、その人が求められたかどうかである。しかし、今日、そうした最終的に「幸運な」市民は誰なのか。地球上に残っている数少ない最後の未開部族にとって、「欲望からの解放」は最も重要な理念的テーマである。たとえば、〔インド東部沖の〕アンダマン島の人々は、いつ、心配、欲望という3つの言葉を持っていない。
アンダマン島の人々のもう一つのすばらしい面は、動物の行動を解釈する能力である。彼らは、2004年のインド洋津波の際、動物たちが逃げるよう島の人々に言っていることを知った。その結果、その悲惨な波に飲み込まれた人はいなかった。そしてまた、これらの人々が借金、腐敗、刑務所、組織的戦争、化学物質汚染に支配されおらず、無知の子供たちのように扱われる必要もないにも拘わらず、教育ある人たちというのは、彼らをまるで、「無知」あるいは「野蛮人」と呼ぶ。また、〔同島は〕インドとバングラデシュの沖にわずか数百マイル離れているだけだが、それらの文明国より、人口当たりの争い事、盗難、嫉妬、殺人は少ない。
マルケサスと呼ばれている南太平洋のフランス領ポリネシアの僻地の植民地諸島の人たちは、ほとんど石器時代の生活を送っている少数の人々である。彼らは魚を採り、部族人たち同士で協力して小屋を建て、交換し、分かち合い、いかなる意味においても、彼らは幸せな生活を送っている。しかし、彼らは「労働」との言葉を持っていない。マルケサスの人々は、そうした石器時代の生活様式にもかかわらず、その原始的なやり方を無くそうとは欲していない。彼らは、先祖のやり方を失う以前に、予防可能な病気によって死ぬことになるのだろう。
すべての原始的生活様式が美化されるわけではない。いくつかの原始的慣習は、現代の技術的恐怖にも匹敵する陰惨ものである。現代においては、ホラー映画以外では、カニバリズム〔人食い行為〕は事実上ありえない。 しかし、パプアニューギニアのコロワイ族は、文化的実践として他の人間を食べる最後に知られている種族である。約3千人の人口をもつ彼らは、人里離れた地域に住んでいるため、1970年まで、世界の誰もその存在に気付かなかった。コロワイ族はその慣習を続けていると言われ、脳をまだ暖かいうちに食べると報じられている。
フランスのポリネシア・マルケサ諸島の牧歌的な島ヌキ・ヒバは、ハーマン・メルヴィルの著者『白鯨』の物語に登場し、人口は2千人をわずかに上回り、カニバリズムの歴史もある。しかし、その慣習はキリスト教の伝道後に終わったと信じられていた。「労働」という言葉を持っていない同島民だが、明らかに食人に連なる言葉を持っている。ドイツのハンブルク出身の40歳の世界的なヨットマン、ステファン・ラミンは、熱帯の離島、ヌク・ヒバ島に錨を落とした後、島民と一緒にヤギの狩猟旅行をしている間に姿を消した。 2011年10月、1週間の捜索の後、島の遠い谷にあるキャンプファイヤーの近くで、人の遺体、歯科用充填物、焼けた服が見つかったため、そのドイツ人旅行者が食人部族に襲われて食べられた恐れが高まった。
ヨーロッパの探検家たちは、教皇、法王、スペイン、ポルトガル、そして後にオランダ、イングランド、フランスの各王のために新世界を発見し、新世界を「主張した」。だが、〔その新世界発見の結果〕その先住民族の文化におよぼすであろう衝撃について、さほどの思慮もおこなわなかった。ヨーロッパの権力は、そうした先住の住人から実質的にただで取得した財産から大きな恩恵を受けた。かくのごとく、先住の住人たちは、ヨーロッパ諸国の領土の一部に加わることの許可を、相談されたり尋ねられたりは決してされなかった。まして、自国の利益のため、領土と富を得るように送られた兵士と司祭外国の利益を進めるために領土と富を得るために送られた兵士と司祭と〔そうした先住民〕の間に、決して条約が結ばれることはなかった。
新世界の「発見」の実際の結果は、それはなにも新たなものではなく、旧世界と同じく長く存在してきた世界であり、人口もヨーロッパよりも大きく、どんな歴史的意味においても、古くからの住民にとっては全面的な災難であった。その結果、数百の固有文化が根絶された。「よそ者」によって持ち込まれた病気や戦争により、およそ1億人が殺された。同様に、西半球において虐殺された先住民族の労働力に置き換える意図のもとで、アフリカ西部の象牙海岸のおよそ1億人の人々が、ヨーロッパ人によって奴隷にされ、運び去られ、殺害された。西半球のかけがえのない文学、言語遺産、歴史、文化、芸術品のほぼすべてが組織的に破壊された。そしてその最後には、先住民によって何千年もの期間にわたって採掘された金や宝石のほとんどが、ヨーロッパからの一握りの強欲、下品、病気まみれ、頑迷、そして悲劇的に無知な冒険者らによって盗まれ、運び出され、いくつかの例外を除いて、明らかに、心無い自己豊満のために浪費された。
ヨーロッパ人の到着以前、アメリカ大陸には何百万人もの人々が住んでいたため、スペイン王は、そのすべての殺人、盗難、破壊に対し、神が彼に怒っている可能性があるという予見に一定の恐れを抱き、 彼は新世界にお墨付きを与えた。 1493年、彼は、国王自身の不滅の魂から血に染まった犯罪の痕跡を解消することを意図した公式宣言を是認をえようと、ローマ法王アレクサンダー6世を説得し、復権をこころみた。「要望」と呼ばれるこの文書は、そうした先住民の言語に翻訳されたかどうかはともかく、そうした征服の直前には、各国の市民に読みあげられるべきのものだったはずである。だがその宣言のねらいは、それらの土地がスペインに「寄贈」されることをもって直ちに征服されたものとすると、人々に知らせることにあった。 数世紀後、米国政府は、「運命顕示」〔訳注〕の宣言で、アメリカ先住民の土地を盗むため、同様の正当化を行った。
〔訳注〕運命顕示(Manifest Destiny):米国が北米全体にわたって政治的・社会的・経済的支配を行うのは明白な運命であるという帝国主義的思想で、19世紀中葉から後半にかけて受け入れられた。
アメリカ大陸のあらゆる先住文化への残虐な扱いにもかかわらず、先住民族は自らに倫理的であり、自らの方法をもって内省的であり続けた。 1888年から1936年にかけて生存したアメリカインディアン、サリッシュ族の一人、クリスタル・クインタスケットはこう述べている。「地球上のすべてには目的があり、すべての病気にはそれを治す薬草があり、すべての人はその使命を持っている。これはインディアンの存在観である」。歴史上の途方もない交錯点にあって、アメリカ先住民は、なぜそのような不幸な状況に会われなければならないのかと、その意味を探した。自らの領土を守ろうとして、北アメリカの植民地の拡大には激しい敵であったが、インディアンたちは高い倫理規範のために「高貴な野蛮人」として知られていた。 以下のアメリカ先住民の「倫理規範」は、今日もなお生きて残されており、それゆえに、アメリカ先住民が敵を許すことができ、持続可能な生活を送ったことは明らかである。彼らの原始的な知恵から得ることは多い。
1. 日の出と共に祈れ。一人で祈れ。いく度も祈れ。お前が独りで話すなら、偉大な霊は耳を傾ける。
2. 道に迷っている人には寛大に。無知、うぬぼれ、怒り、嫉妬、欲求は、失われた魂から生じる。彼らが方向を見つけられるように祈れ。
3. 自分自身を探せ。他人の道をお前の道とするな。それはお前のお前だけの道だ。他の人がお前と一緒に歩くことはできるが、誰もお前の道のためには歩きはしない。
4. お前の家の客には多くの配慮を与えよ。彼らに最高の食べ物を提供し、彼らに最高のベッドを与え、敬意と名誉をもって扱え。
5. 人、地域、自然、文化からお前のものではないものを取るな。それは獲得したものでも与えられたものでもない。それはお前のものではない。
6. それが人であろうと植物であろうと、この地球上に置かれているすべてのものを尊重せよ。
7. 人の考え、望み、言葉を尊敬せよ。決して人をさえぎったり、ばかにしたり、無礼に模倣したりするな。誰もに個人的な表現を許せ。
8. 人を悪く言うな。お前が宇宙に吐き出した負のエネルギーは、何倍にもなって帰ってくる。
9. 誰もが間違いを犯す。そして、すべての間違いは許される。
10. 悪い考えは、心、体、精神の病気を引き起こす。楽観的に行動せよ。
11. 自然は私たちのためにあるのではなく、私たちの一部である。彼らはお前の根っからの家族の一員である。
12. 子どもたちは未来の種である。彼らの心に愛を植え、知恵と人生の教訓の水を与えよ。彼らが成長している時は、成長のためのスペースを与えよ。
13. 他人の心を傷つけることを避けよ。お前の痛みの毒はお前に戻ってくる。
14. 常に正直であれ。誠実さは、この宇宙の中での人の意志のテストである。
15. 自分のバランスを保て。お前の心的自己、精神的自己、感情的自己、そして身体的自己のすべてが強く、純粋で健康的である必要がある。心を強めるために体を動かせ。感情的な病気を治すために豊かな精神を成長させよ。
16. 自分が何になりたいか、そしてどのように反応したいか、意識した決断をせよ。お前自身の行動に責任を持て。
17. 人のプライバシーと個人的空間を尊重せよ。他者の個人的な資産、特に神聖で宗教的な目的に触れるな。それは禁止されている。
18. 最初に自分自身に忠実になれ。お前が最初に自分を育てたり助けたりできないのに、人を育てたり助けたりすることはできない。
19. 他者の宗教的信念を尊重せよ。お前の信念を人に強制するな。
20. お前の幸運を他の人と分かち合え。チャリティーに参加せよ。
狩猟採集社会は、通常、贈与経済――交易と交換が部族や一団以外の人々とのみで行われた――が主体であった。一団の誰もが、家族として扱われた。入手可能なものは何であろうと、相互交換ぬきで共有された。社会的複雑さの台頭ということは、贈与経済が徐々に衰退していることであり、交易の範囲が拡大――今日の状況のなかで全盛をきわめている――しているということでもあって、市場は、 人々の間、時には家族の中でさえも、変換のほぼあらゆる部門の媒体を果たしている。古代エジプトやインカの文明など、過去の多くの比較的複雑な社会でさえ、お金がなくてもそれは維持されていた。しかし、この新しい道具は、どこにでも登場して、貿易を促進し、加速させてきた。
お金はいくつかの可能な機能、即ち、価値の貯蔵、価値の尺度、交換の媒体、繰延支払いの標準――いくつかの社会では同時に2つ以上の貨幣を使用――を提供している。中世ヨーロッパでの銀行業の出現により、通貨の歴史は決定的に変わった。旅行業者は頻繁に硬貨や金属塊を奪われたので、銀や金細工職人の頑丈な箱に金属通貨を預けて、代わりに償還可能な受取証書を受け取っていた。徐々にこれらの受取証書は金属自体と同等であるとみなされるようになった。これが紙幣の始まりであった。一方、金や銀の細工職人は、実際に所有していない金属通貨の受取証書を発行することも可能であることを発見した。これが、最終的には、不換通貨と小口の準備銀行の登場をもたらした。19世紀に各政府や国立銀行が貴金属で裏打ちされていない紙幣を発行し始めるまで、西洋では不換通貨は現れなかった。贈与経済の時代から、私たちがどれほど下落してきたかは驚くべきことである。
ある古代都市のかすかな残骸が、人々によって何十年間も、南アフリカの上空を飛ぶ時に観察されてきた。南アフリカの遠隔地に広がるその広大な地区は、モザンビークの港湾都市のマプトの西、約240キロの内陸にある古代の金鉱山の近くにある。この巨大な都市遺跡は、控えめな見積もりでも、約2,400平方キロメートルの広さと見られている。研究者たちは、それが約1万6千平方キロメートルのより広い社会の一部で、紀元前16万年から20万年の間に建設されたと考えている。遺跡が調査された後、そうした研究者たちは、その失われた文明を歴史的な視点で見ることに懸念を抱いた。というのは、炭素14年代測定に十分な有機物質はなかったため、非常に古く見える緑青で覆われている様々な岩石が試験された。その古代の年代はまた、「アダムのカレンダー」と呼ばれる石の円環で計算された。その配列は、16万年前の地平線に平らに見えたオリオン座の上昇に基づいている。
地元の農民たちは長い間、神秘的なその「円環」を知っており、誰もが過去に先住民によって作られたと考えていた。その円形の遺跡は巨大な地域に広がっている。 それらは実際には、空からあるいは現代の衛星画像を通して確認されるだけである。それらの多くは、農業や天候による侵食土壌の移動によってほぼ完全に腐食されたり覆われたりしている。 研究者のマイケル・テリンジャーによれば、「我々が蓄積してきた写真や遺物や証拠は、疑いなく、他に先行すること数百年とか2,3千年ではなく、数千年間に達する、かつて存在した失われた文明を示している。これらの発見はあまりに茫洋としており、すでに我々が経験してきたように、主流の歴史的あるいは考古学的な同僚によっては容易に消化されないほどである。人間の歴史の見方についての、完全なパラダイムシフトが必要である。」
考古学者たちによれば、その大都市全体を上空から見ると、これは高度に進化した文明によって開発されたよく計画されたコミュニティであることが明らかとなる。この地域は特別で、過去500年間に何百もの古代の金鉱山が発見されており、これは何千年もの間、この地域で金を掘り栄えた、消滅した文明を指している。今日でさえ、世界最大の金生産地域はウィットウォーターズランドで、これは古代の大都市があるのと同じ地域である。周辺の先史時代の金鉱山の数は、これらのコミュニティがこの場所に設立され、何千年も占有された理由を示唆している。発見された石造りの階段状農地は、ペルーのインカ居留地に残されているものによく似ている。また、いくつかは延長約200キロメートルに達する道路があり、地球上の人間がこれまでに構築した最古の構造物とみなされる様々なコミュニティをつないでいる。古代の宇宙飛来人の建築物を研究している人たちは、アヌンナキがアフリカで金を掘っていたと主張し、遺伝子組み換え人間を作って激しい労働をさせたと主張している。
現代へと視点を移し、ルーツに立ち帰って先祖のように生きようとする「文明人」たちを見てみよう。最近人気をはくした「洞窟人間食」や「洞窟人間トレーニング」は、長く失われたライフスタイルを再現しようとしている人たちの例である。また、より平等な社会を再現しようと、同じような志を持つ他の人々と一緒になる傾向もある。こうしたグループは「自己規制族」と呼ばれ、自らの規則に従って生きるグループに属す個人たちである。
第一印象では、米国においての自律文化生活は不可能のように思われるが、そうではない。ハワイ州カウアイ島のカラワウ渓谷と、カリフォルニア州サンフランシスコのベイカービーチの北端では、2つの異なる自己規制する「一団」が定期的に会合を持ち、スポーツを共にし、活発な議論に参加し、資源を共有し続けている。それらはどちらもヌーディスト社会であり、彼らは交換や贈与経済を実践しており、一定程度は地方の法執行の法外にある。それは彼らが警察の管轄外にあると言うわけではないものの、彼らは視界から離れて生活し、彼らが選んだ世界を作り出そうとしている。しかし、両方とも公園や自然保護区内にあるので、連邦法と州法が適用される。しかし、政府の権限が不在の場合、これらのグループは、午後に限り、自己管轄的かつ内部的に規制されているミクロ社会として基本的に組織されている。時には強くカリスマ的な指導者が同社会を監督することもあるが、これらの個人はグループから逃げた人たちによって憤慨させられている。どんな生きた社会にもあるように、常に村には愚か者がいるようだ。そうした個人は、避けられるよりもむしろ、グループ内での思いやりを教えることとなっている。もう一つの共通のダイナミックは資源の共有である。誰もしとめてきた豚をその人だけで消費することはできず、あるいはパイナップル一全部を一人で食べたいと思わず、平等に分かち合うことが習慣となっている。
カナダのブリティッシュ・コロンビア州のレック・ビーチは、自己規制族のもう一つの例である。そこは、ブリティッシュ・コロンビア大学の地所内に位置しているが、バンクーバーの街では、レック・ビーチは非常に人気のあるヌードビーチである。これは、いくつかの難破船の残骸がまだ点在する半島の先端にある3キロメートルの長さの地帯である。薬物の使用と野外での食糧の調理は違法であるため、周囲の地域の人たちは警察のパトロールを監視してその地域社会に警告する。暑い日には2千人以上の人たちが浜辺をおとずれる可能性があるため、そうした監視は難題となる。警察はホバークラフトでやってきてドラッグ売人を急襲するが、通常は逮捕するヌーディストがあまりにも多く、ビーチは現在「着衣任意」と指定されている。ビーチまでは徒歩で30分かかり、警察が近づいているとの言葉が先に届き、グループの「自己規制」状態の別の側面を提供している。夏にはさまざまな種類の商売人が許可なしでビーチに住み、繁盛している。
また、より大きな自発的な集まりが、内部の調和に基づき、特に中心的リーダーをもたずに形成されている。米国では、7月の第四週末に「レインボー・ギャザリング」が催され、また、大半の大都市では「クリティカル・マス」不服従自転車乗りが行われている。誰の管理もなしで、誰もが「違法に」行動しており、誰もが大半の部分で自律を守っている。このような催しは、人々を、音楽、運動、地域社会、そして仲間同士の討論を楽しむ場へと集わせている。
その一例をあげると、最近の〔サンフランシスコの〕ベーカービーチでの対集会で、ベジタリアンになることの意味に焦点を当てたものがあった。本書の著者を含め、議論に加わった人々のほとんどはベジタリアンではなく、どんな種類の肉をも完璧に模造することが可能となるなら、あなたは〔肉食に〕切り換えたいか、という哲学的問題が提起された。つまり、その模造の「見かけ肉」が、食感、肉汁、味、栄養価、値段の点で本物と全く区別がつかないとするなら、あなたの決断はどうなのか。〔それでも〕倫理的、環境的、健康的利益のためにそれを行うのか? 参加したほとんどの人は、それ〔模造肉食〕を行うことに同意した。 ただ、友人の一人、専門の鳥類学者で自然種の唱道者は、風変わりな異論者だった。彼はサケ釣りの愛好者だが、その資源が大幅に枯渇していることは認識していた。そして彼は、人間によって乱獲されている動物のお陰に頼るのるかと尋ねられたとき、再度考えたのち、彼はそうだと答えた。
こうした議論の結論を左右する他の要素に、〔動物の持つ〕知性の尺度として動物が自分自身とコミュニケートする能力がどの程度であるのか、というものがある。私たちが食用にするものを含めたさまざまな動物の最近の研究は、多様な感覚を使ってコミュニケーションしている顕著な能力を示している。その限りでは、動物との関係を再考するのは理にかなったことである。また、牛の放牧は、非凍土地帯の土地利用の1/3を占め、全温室効果メタンガスの1/5を産出していることも、議論が必要な点である。明らかに、工業化された畜産業は長期的には最善の利益ではない。〔その点では〕人工模造肉はこれらの問題を解決する。原始的な知恵を生かし、人間が永遠の時間にわたって努めてきたように、これらの集まりと意味のある対話は、人々が自分自身やお互いを少しずつ理解するのを助けている。
最後に、緊急事態における最も重要な資産のひとつが地域社会であることを忘れないようにしよう。あなたが頼ることのできる友人や隣人がいれば、危機の時には貴重な資産となる。コミュニティの結束をつくるために費やされた時間は、資源欠乏のジレンマの中で大きな恩恵をもたらすだろう。緊密に編成されたコミュニティは、社会の崩壊を伴ういかなるシナリオにおいても、生存のために不可欠であると考えられる。原始的な人々の知恵に匹敵することは、我々といった現代の自己が、完全な円を一回りし終えたことを示唆しているのだろう。
善と悪の知識の木は聖書の創世記に記されている木である。その果実を食べることが禁じられていたのは、それを食べると生と死の知識を与えられたからであった。 ここに見られるアダムとイブがその果実を食べた後に知識を得たと同じく、DNAの構造と機能を理解することは、生命、死、進化について多くの知識を提供してくれる。
(with permission, (c) Brad Olsen, 2017)
【本章完了】
参考文献
Cowen, David & Arnold, Chris, Ley Lines and Earth Energies. Kempton, IL: Adventures Unlimited Press, 2003.
Hancock, Graham, Supernatural: Meetings with the Ancient Teachers of Mankind. Disinformation Books, 2006. http://projectcamelot.org/Report_from_Iron_Mountain.pdf
== 本書の《もくじ》へ 「もくじ」の中の《本章》へ == |
Modern Esoteric: Beyond Our Senses, by Brad Olsen
http://cccpublishing.com/ModernEsoteric www.bradolsen.com
with permission, (c) Brad Olsen, 2017