明晰に「ラディカル」な姿勢

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その48)

今号より、本エソテリック・シリーズの続巻、『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』の訳読が始まります。ただ、この続巻の一部はすでに、2015年11月7日号の「ライフオロジー(その2)」までに訳読しています。今号より、その大半の残りを、巻頭から順に取り組んでゆきます。そしてこの続巻の「もくじ」は別掲の通りです。

今回、再開して最初の訳読は、原著者の本書に向けたイントロの前半です。

前巻の『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』は2013年にその初版が出版され、2016年にその新版が出されました。

続巻は一年遅れた2014年に出版され、現在、新版が準備中で、著者によれば、今年の7月ごろには完了する見込みとのことです。本訳読では、前巻の際と同じように、新版が手に入り次第、それを用いて訳読してゆきます。

 

そこでこのイントロですが、その冒頭の数パラグラフを読むだけでも納得できるように、ここに原著者の明確な立脚点が明示されています。想うに、それは私の知る限り、今世に生きるスタイルとして、もっとも根源的かつ静謐に「ラディカル」な姿勢です。

そうした「ラディカル」な見解の中で、たとえば、原著者は、人類の遠い祖先の時代での、ETとの関係に注目し、少なくとも部分的には人類の祖先はETであると述べています。

ここでやや余談となりますが、こうした議論に接し、日本人として生まれついた私が思い浮かべることは、日本の神話の最も始まりに、「天孫降臨」があって「大神」が住み着き、日本の国造りをしたとの言い伝えです。加えて、月へ帰ってゆくかぐや姫とか、見知らぬ世界に行ってきた浦島太郎の話とか、いずれも、そうしたETめいた物語に私たちが永く親しんできたことです。

似たような話は外国にもあるようですが、神話といったメッセージが伝える核心には、そうした地球離れした現実があるようです。

 

私はこれまで、前巻を訳読するなかで、アメリカという国が、その外貌の背後にいかなる実態をもっているのか、それをつかむことを主体に、訳読してきました。

それがこの続巻で、さらに深化され、かつ、どのような現実的生き方へと発展されているのか、それを期待して本訳読を継続して行きます。

なお、この続巻は、前巻のページ組みを改め、文字をより小さく、行数を増やして、ページ当たりの文字数が2割近く増えている感じです。その分、各章の議論も詳しくなっており、従って訳読の作業量も増え、より時間を要することになりそうです。翻訳アプリなどを活用して、そのスピードアップを図るつもりですが、読者の方々には、そのあたりの事情をおくみとり頂ければ幸いです。

それでは、「本書へのイントロ(その1)」へご案内いたします。

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