裸の王様を「裸」って言おう(第二回)

《多様多彩》 投稿者 幸子

 

「象徴」というだまし玉

 

このようなことを言うと、決まって皇室支持者たちから「気に入らないなら、日本から出ていけ」と言われる。言われるまでもなく出て行きたいが、その金も力もない。幸か不幸か言論の自由はある国なので、その点にほれ込んで、精いっぱい、とやかく言わせてもらう。

現人神(あらひとがみ)から象徴に身を転じた一代目の天皇裕仁(ひろひと)と違い、生え抜きの象徴天皇二代目、明仁(あきひと)は、その地位、象徴ということにこだわり続けた。そういう地位を強調し、さらに象徴という務めをでっち上げた。そういう務めは本来あり得ない。天皇のすべきことは憲法に書いてある。6~7条。総理大臣、最高裁判所の長官を任命すること、国事行為(憲法改正、法律、政令及び条約を交布すること始め、そこに書いてある10個の行為)。それだけだ。任命国事行為も、内容を自分が決めてするわけではない。人が決めた事をなぞるだけ。

あとは、象徴たる存在がそこにいるだけで事は足り、特にそのための務めなどはないのだ。

象徴とはどうあるべきか、などともよく言っていたが、これまた詭弁、空論、不毛な時間つぶしである。勘ぐれば、それを知ってわざと時間つぶしをしたのかとさえ思えてくる。国事行為等だけでは退屈で、やってられんとばかりに、公務などと称して、あちこち出歩き、人々招き、などやってたが、あれ全部、違憲だよ。無名の民(たみ)には話しかけもしないくせに、メダリストや何たら賞受賞者など著名人には擦り寄って話しかける。彼らの人気にぶら下がろうとしてんじゃないか?とも見えてしまう。

時にはまた、こんなに低姿勢にもなれるんだとばかりに、被災者に跪(ひざまず)いて見せたりもした。役者だね。何とか民の心に取り入ろうと懸命だったようだけど、ダメだね。祈りに明け暮れた結果の大震災襲来、その被災地見舞いなんて。自分の祈りのお粗末さを露呈しているようなもんだよ。まともな神経の持ち主なら、恥ずかしくてできないよ。

それにしても、法律に暗いと言えば、あなた方、揃いも揃って、そうなのか? 〇〇さま呼ばわりに抵抗も覚えないのか、平気でそう呼ばれるのを放置している。あれ、法的根拠は何もない、大手メディアの慣例にすぎないんだ。私が知る限りでは、秋篠宮家のカコさんだけは、さま付けずに、カコと呼んでほしい、と言ったとか。本当なら、喜ばしい。まともな神経持つ人が一人でもいるのは喜ばしい。

象徴という言葉に上下関係の含みはない。象徴は奉(たてまつ)られたり敬(うやま)われたりすべき存在ではない。その最重要事項に生涯気づきもせず、高みから国民を見下ろすことに終始した頭脳には、自らが作り出した奇怪な問い「象徴とはどうあるべきか」などという愚問を解けるわけがない。おいおいに私が解いて進ぜよう。

あなたがどうあっても象徴。エンターティナーよろしく、あくせく国民にサービスしても、不愛想にふんぞり返っていても象徴なのだ。国費が自動的にあなたとその家族を養ってくれる。あなた方が愛想よく国民に手を振ったりしなくても、象徴。およそ、絶家させない限り、国民はあなたを陛下と敬ってくれるだろう。あなたの胤(たね)を宿す女性も陛下と敬われ、○○さま呼ばわりされる。胤を宿し損ねているうちは国民に鼻もひっかけられない。産めない妃(きさき)と疎んじられ、妃はプレッシャーで風前の灯火。やっとのことで産めはしたが女児とあっては、いまひとつ。男児、男系、とにかく男が大事なの! 男児を産めば皇太子妃以上にちやほやされる。やったね、未来の天皇さまのお母さま! という具合だ。この、国民の男子皇族偏重と、世襲の固執、これらがこの国の民のガンなのだが、人々の気づかぬまま進行する。日本が民主国家、国民主権なら、憲法でも、国民が最初に出てくるはずなのに、なぜ天皇条項から始まっているのか、そんな素朴な疑問も抱けないほど、日本人の病気は深刻だ。

GHQは現人神(あらひとがみ)天皇を、生身の人間象徴に転身させたが、そのキーワード象徴(symbol)が、日本語では生殖に直結する言葉になることを見越していたのか? symbol シンボルは日本語になると、繁殖に必須の器官を連想させる。特に男性の生殖器官は、男性のシンボルだけで通じるほどだ。因みに女性のシンボル乳房などとは口が裂けても言わないことだ。気を悪くする人が多すぎる。といって、女性のそれを陰唇とも言い難い。めり込んだ器官は目立たず、図案化もしにくい。ハート型が陰唇の図案化されたものだという見方には一理ある。少なくとも、心臓よりは似ている。興奮して厚みを増したものを見ない人には、ピンと来ないかもしれないが。

性別を問わず、生殖器は共に古今東西それ自体が御神体の扱いをされた例が多い。それを象(かたど)った像なども多く、人々は新たな命を生み出す器官には敬意を抱いたのだろう。

さて、象徴は日本国憲法の原文symbol の訳語であるが、もともと日本にあった言葉でも概念でもなかった。だから、素直にそのままシンボルと表記すればよかった。文学畑で、それに似た外来語(仏語symbole)に対して象徴という訳語を与えた者がいて、それをそのまま流用した形だ。いわば手抜きでもある。GHQは英語symbolの軽さを十分知っていたはずだ。元首や君主にはなりえない、しかし一般国民が敬ってやまないので、特別な地位につけておこう、ぐらいのことだ。

しかし、そもそも、元首でも君主でもなく、政治に関与もしない存在が、国家に何の貢献ができるだろうか? およそ、その国に国籍をもつ者は、老若男女誰でも、その国に何らかの政治的関与をする。貢献する。政治に貢献も関与もしない者は存在しない。存在しようがないのだ。国会であれ地方議会であれ、議員としての立候補は無論、投票もできない。そりゃ惨(むご)い飼い殺しってもんだろう。

中学生のころ、社会科の授業で、「天皇は象徴で、政治には関与できない」とか教科書に書いてあり、半ば分かったような気になったと同時に、「でも、その人に政治の才能あったらどうなの?」と思ったことがある。教師にそんな質問はしなかった。教師が答えられるはずもないことはわかっていたから。

戦前もそうだが、大昔も、天皇は政治をやっていたという。天皇も、その方がよほど質(たち)がいい。そりゃそうだろう。まずは政治力持たなくては、地位も生じようがない。すめらみこと、とか、大王(おおきみ)とか、ミカドとか、何とか呼び名は今とは違うものではあったにしろ。その後、公家や武家が政治の実権握り、骨抜きにされたにしろ、公式に政治からの免除を宣言されたわけではなかっただろう。

 

二次大戦後、GHQの不自然極まりない、生身の人間を政治から切り離す、という暴挙に甘んじながら、細々とその存在を人目にさらしているのは、日本の皇室ぐらいのものだろう。不自然、醜悪だ。剥がれ落ちそこなったカサブタのように。生きている限りは政治に口突っ込みたくなるのは当たり前。

国民の象徴なら、国民的関心事にも国民同様、あるいはそれ以上に発言させるべきだ。沖縄の米軍基地建設等、特にそう。軟弱地盤の改良工事のため、建設期間も費用も当初の予定の何倍にも膨れ上がるってよ。費用は3500億円が9300億円に、完成予定が、従来の2022年から2030年以降に変更だって。

その頃には自分はもう生きていないだろうなんて逃げないこと。真面目にコメントすべき。昭和天皇の息子としての思いも込めて、しっかり発言すべきだ。そうすれば、顔つきも、もっとしまってくるだろう。

 

こじれる事柄は原点に戻り、もつれた糸は腰据えてほどこう。

象徴のつとめとは何か、象徴とはどうあるべきか、との質問についても、天皇に関するあらゆる文言の、象徴を、シンボルに入れ替えたらいい。いくらかはその実態が知れてくるだろう。新天皇ナルヒトの即位の言葉も以下のようになる。

 

 …国民の幸せと世界の平和を常に願い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合のシンボルとしてのつとめを果たすことを誓います。…

 

日本国のシンボル、国民統合のシンボル? 

男子偏重の現行皇室制度としっくりくるではないか。あなた独自のおつとめだと言えるのは繁殖以外になさそうだし。実際、事務や接待、原稿朗読など、作業自体は誰でもできる。国連から勧告を受け続けても、男子偏重を改めない日本の皇室。世界から見たら未開国だ。男根崇拝、女性蔑視の未開国だと思われても仕方がない。さらに、古代の天皇遺骨をDNA鑑定しようともしないくせに、万世一系などの建前を披瀝(ひれき)したがる皇室オタクたち、実は嘘っぱちなのは皇族自身も知っているとの噂あれど、建前はそれで通して、日本の天皇制は世界の奇跡などとふれまわる。奇跡はあんた達だよ、そんなことを信じていられるなんて。

 

それと、最も重要なことはこうだ。天皇が日本国民統合のシンボルとしてのつとめを果たそうと果たすまいと、国民の大多数には何の影響もないということだ。天皇、あなたがシンボルぶりを全開にして張り切り、繁殖しまくろうが、はたまたタネナシ天皇だったりして、人工授精や養子や何やが国家機密になろうが、我々には何の関係もない。その経費は知らぬ間に我々にかぶせられはするだろうけど、実感はない。喜びも失望もない。勘ぐりさえ入れたくない。アカの他人だからね。「国民に寄り添う」というのは先代からの受け売りだね。やめてよ。ワザとらしい擦(す)りよりパフォーマンスは。本気でそう思うなら、避難所に一泊でもしてごらん。「被災地見舞を報道するは必要ない」ぐらいのこと言ってみたら? 

見舞われる側の被災者たちは、あなた方へのお行儀よい出迎え方を繰り返し稽古させられ、疲れ倍増、とんだ災難、迷惑だと言ってるよ。被災地見舞いは要らないよ。祈るなら、災害を確実に防げる祈りやってよ。できないなら、やめてほしい。潔く。それにも我々の税金ふんだんに使っているんだから。

あなた方、皇室の成員の無神経や気の利かなさ、聡明さや利発さの欠如。それ、皇室人の必須条件であると同時に、人間としての欠損なんだ。反実仮想的表現は極力避けたいが、つい、言いたくなる。もっと別の環境で育てば、こんな人格にはなっていなかっただろうに!

アカの他人といえども、そういう人格を見るのは愉快じゃない。皇室の成員が増えていくのはぞっとするよ、正直な所。皇族減少は起こるべくして起きている自然なこと。

 

私は象徴天皇を三代にわたり見てきた。一代目の象徴天皇の誕生は見ていない。まだ私は生まれていなかった。二代目天皇即位の時、私は不快感を覚えた。子供のころから、天皇の存在に違和感を覚えていた私は、自分が大人になるころには、こんな異様な一族のあり方は改まるだろうと思っていた。TVで時々見る老人が、人々に恭しく扱われ、アナウンサーも独特の丁寧な敬語で報道する。それまでのニュース解説などとは明らかに違う語り口で、まるで何かの宗教のようだ。

何をする人だからあんなに敬(うやま)われているのか? 身近な大人にきいたこともあると思う。しかし明確な答えはなった。大体はそんな質問さえとんでもない、という風潮が世の中にあった。よくわからないまま、何せ、自分の日常にはほとんど関係ない存在で、自分の切実な関心事にあれこれ翻弄されているうちに一代目は死に、二代目が即位となった。なぜ、当たり前のように天皇が継承されていくのか、私には理解困難だった。

そもそも、一代目の天皇ヒロヒトは、憲法9条,戦争放棄を受け入れた代わりに命拾いさせてもらったわけで、それが死んだ今はすべてはチャラではないか? 

さらっとこう言えるようになるまでには私も紆余曲折があった。中学生の頃には戦争放棄の我が国は素晴らしい、こんな国に生まれて幸せだなどと思っていた。そんな国はもっとほかにもあるだろうとかお人好しなことを思ってもいた。それが何の引換(ひきかえ)かとは考えなかったし、皇室も自分が大人になる頃には廃止になっているだろうと思っていた。

ところが、一向に廃止にならない。大人になって久しくなっても一向に。皇室廃止を目指していた共産党も、廃止か存続させるかは国民の総意によって決めるとなどと言い出し、それは将来、情勢が熟したとき、などと言う始末。総意、情勢が熟した時、などと、いずれも漠然としすぎてまともな議論にもならない。

これに関連して、忘れられないのは、かなり親しかった友人とのやり取り。私より少し年上の友人は結婚と同時に伴侶の影響で共産党になじんで久しい人だった。私は彼女には割と心許し、皇室不要論などをぶっていた。

例によって、その話になりかけたとき、彼女が言った。

「私、あんたみたいに天皇にこだわれない。ない方がいいと思うけど、あんたみたいになれないよ。しんどくなる。ほうっておいても、あんなものそのうちなくなるよ」

え? 自然消滅なんてするか? と驚いている私に彼女は言った。

「天皇制はしばらくはほっといてもいいの。それより9条が危ない。今は、これを守ることの方が大事よ」

「でも、 その2つはセットだったんじゃないの? セットで考えないと…」

「そうだよ。天皇制と9条はセットで成立。分かり切ってるじゃない、そんなこと。今頃何言ってるの? でも、もう皆、とっくにそんなこと忘れてるよ。とにかく、今は9条廃止を阻止することのほうがが急務なの!」

彼女が共産党員でもなく、教職経験もない人だったら、私もあれほどがっかりしなかっただろう。私は、彼女の言葉の もう皆、そんなこと忘れてるよに特にショックを受けた。私にすれば忘れてはならないことだった。日本人として、何をおいてもここだけは忘れてはならず、語り継ぐ必要もある事柄だった。

彼女にあっては、9条は子供の頃教わった、世界に誇れる平和憲法のままだった。天皇制存廃(そんぱい)如何によって9条存廃も考えるという発想はなかった。9条は金科玉条。なくしてはならない日本人の宝として固まっていた。

私の息子が自衛官であることを、露骨に非難、軽蔑し、わが子をそんなところへ追い込んだあんたの気が知れん、とも言った。このことを夫に話すと夫は言った。      

「ほっといてくれ、そいつが、うちらにカネくれるんか?」      

共産党員がすべて彼女のようだとは思わない。ただ、あのような考えの人をよく見かける。

念のために言うと、私は当座、むろん9条支持者である。天皇制が廃止されもしないのに、9条廃止などは言語道断である。たとえ、安保法制などにより、9条が骨抜きにされつつあっても。

不破哲三こと上田建二郎のミスリードは大きい。真っ先にすべきことを後回しにさせて共産党をダメにした。今や彼らの、かつての名残(なごり)は皇室への敬称不使用ぐらいのものだ。

私は調べた。皇室。なぜこんなに役立たないものが、こんなにもこの国に居座るのか、あれこれ調べ、本を読み、人に聞き、それはアメリカの策略だと改めて知ったのだ。ぼんやりとは知っていた。日本国憲法の戦争放棄は、天皇存続(天皇の身柄、地位の保全)への代償だったとか聞いたことはあっても、うすぼんやりと戦争に負けたんだからしゃーないや、ぐらいに思っていた。天皇一人を救うために、国の交戦権を捨てたということにはあまり思い至らず、逆に国民を救うために武器を捨てたのかと思っていた。確かそのようにも教わった。

しかし、よく考えたら、武力保持した多くの他国の中で、一人丸腰国では危ういのは当然。

武力放棄をするにしても、国民に広く意見を聞かずにサッサと天皇の命と引き換えに、放棄してしまう。これは国民軽視も甚だしい。我々が生まれる前にされてしまったことだが、そのままずっと引き継ぐか? 訳わからん天皇とセットの訳わからん自衛隊を抱えたまま?

その自衛隊たるや米軍の僕(しもべ)たることを恥じるどころか無上の誇りとし、癒着し、密約だらけの、まるで不倫妻。特に海自と米海軍とはずぶずぶの関係だ。軍隊持たないために被る日本の負担や被害は半端ではない。ご存じ巨額の思いやり予算始め、日米安保、地位協定、沖縄基地建設等々。実質守ってもらえているのか、食いつぶされているのか。

天皇にすりゃ、そんなことどっちでもいい、自分たちが安泰ならば、だろう。それどころか、ヒロヒトの背中を見て育ったその子孫は、アメリカ様に食いつぶされる日本を見ても、日本を救おうとか日本の為に一肌脱ごうとかはしないだろう。アメリカに亡命できれば喜んでするだろう。彼らが本気で崇拝する対象はヒロヒトの代で変更になった。天照大神から、星条旗に。

私は人生途中でこれに気づき、軍隊不保持は、欠陥だとわかったが、死ぬまで気づかず、憲法9条を世界遺産に、などと誇らしく言う人々もいる。戦後の子供の頃、「世界に率先して、戦争や武器を放棄すれば、世界はそれに追随してくる」などと教わったまま大人になり、老人になっていく人々を私は何人も見た。彼らは自衛隊は違憲だからなくせとか、災害救助隊にすべきだ、とも言う。いわば去勢されて、それなりの幸福感に浸っている人々なので、刺激するつもりはない。しかし腹心の友にはなれない。軍備持たぬ国家は宦官(かんがん)のようなものだ、と私の家族も言う。

「戦争をなくすために軍備をなくす? あほか? 強姦をなくすために、去勢するような知恵なしや」

 

つづく

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