「頭のフェミニン化」

ひとつの時代の終焉を目撃しつつ

今年の抱負に代えて

新年にあたっての抱負めいたものに、「頭のフェミニン化」、もしくはちょっと今風に、「オツムのカミングアウト」をしたいと思っています。今日の世界や社会のもうどこもかしこも、世も末ほどもの混迷の顛末を目の当たりにするにつけて、それほどまでの人類の劣化の主因を探れば、それは、「男」が長年にわたって君臨してきた仕組みに帰すだろうと思うからです。そして、もはや私の「男」は、その自分たるものの「カミングアウト」という、平衡感覚のとぎすましの必要に迫られていると考える次第です。

 

たとえば、今のウクライナ戦争を取り上げれば、それもまた終局的には、こうした「男」の面子や沽券同士の対峙に根差すと見受けられます。

これは、言葉的には逆とも聞こえる話ですが、プーチンのロシア愛・反NATOの旗振りは、どちらかとすれば女的で非合理主義的な情理の発露で、他方、ウクライナやNATO側の民主主義制理念は、男的な合理主義の一同団結であるとの見方です。

そのどちらにも一理はあるのですが、それは戦争に訴えるまでもして決着を付けねばならない問題であるのかどうかで、そこまでやらかしてしまう発想の出どころが何かと問えば、それは、男しかも選良発想にもとづくその面子や沽券の堅持という意固地性に発しているのではないか、と見るわけです。

むろん私は、その必要はないと考えるのがまともとするのですが、そうした発想に至る道のりを我が身なりにふり返ってみると、それを打開する方途は少なからずあったのではないかと思われます。だからこそのこの「カミングアウト」で、言い換えれば、誰にもあるだろう自分の存在にまつわるLGBTQ+です。あるいは互いの多様性の認め合いと言ってもいいでしょう。見方によっては、一種の無政府主義です。

 

ふり返れば、80年前の日本の太平洋戦争は、『天皇の陰謀』の原著者 バーガミニが副題にしているように、「天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた」戦争であったわけです。そういう意味では、昭和天皇裕仁は、プーチンよりほぼ一世紀前に、同じ趣旨の戦争を先導していたということです。つまり、太平洋戦争もウクライナ戦争も、その根底にうずく、東洋と西洋の対立があったということです。

それが二十世紀のなかばでは、西側に原爆という科学技術的切り札があって東洋の憤懣をたたき潰しました。そういう点では、まだ、西側に「正義」を旗印にできる優位性が、人間モラルは別として、物理的には存在していたと言えましょう。

ところが今や、その物理的切り札は、両側どころか至る所に拡散しており、もはやそれをもって決着が付けれるほど情勢はシンプルではありません。つまりそこまで、世界の力関係は、膠着状態――「多極化」という人もいる――を深めてきているわけです。先導モデルの立ち消え、あるいは、世界の多様化です。

このように、「多様化」は、世界の面でも個人の面でも、確かな現実となって広まっているのは間違いないでしょう。

 

私は一人の「男」の人間として、こうした時代を、上述のような脈絡において、「男の面子や沽券」の時代の行き詰まりと見ます。すなわち、それを合理主義というか科学技術の正当性というかその切り口はいろいろあるにせよ、そうしたこれまでの有力な考え方の限界が折り重なって、こうした時代をもたらしていると見ます。

そこで、毛沢東ではないですが、天を支えているは男女半々で、男がだめなら女の出番ではないかと、荒っぽさは承知で、考えるわけです。

さらに私にとって、男のオツムのフェミニン化は、〈東洋の時代の到来〉の同義語でもあります(例えば「『東西融合』ここに於いても」参照)。もちろん、中国の「中国世界モデル論」は、そういう西洋中心観の二番煎じですが、その手の男臭い誇りの時代は、もう終わりにしようとの念願です。少なくとも、東洋と西洋の融合が必要との視点です。

 

 

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