いま、ベトナム中部のフエのホテルでこれをつづっています。
フエと言えば、ベトナム戦争中、僧侶が抗議の焼身自殺をした町として思い出されます。
三日前、シドニーよりクアラルンプール経由のLCCでハノイに入り、二泊して、昨夜、8時間を要した夜行バスで、今朝、この町に着きました。
そのベトナム首都での二日間、行き先といえば、石灰岩地形の川を手漕ぎボートで行く観光【下写真】をしたくらいで、あとは、文字通りの行き当たりばったりの〈偶然のゲーム〉を楽しんでいます。便利なサービスに頼らぬ虚心坦懐と言えば聞こえはよいですが、ある面、ずぼらでもあり、また、年に似合わぬ無鉄砲なスタイルでもあります。

ハノイ市街から2時間ほど、チャンアン渓谷と呼ばれる景勝地。
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こんな「どんな旅でもない旅」をしていて、ふと気付かされたことがあります。
それは、昔、若かった頃、ふと思い立って行当たりばったりの汽車に乗り、たまたまに降り立った駅で案内された、たまたまの民宿のお世話になった、そんな時代やスタイルに近いものがあることです。

フエを流れるフォン川ごしに山々が遠望される光景は、どこか日本の地方の町を思い出させる
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今回の「ビッグブラザー」の章が指摘しているのは、まさに、現在の世界をおおういかんともしがたい悲惨さの根源だろう。
著者のオルセンの論じる米国社会の実像が真実だとするなら、日本の存在とは何なのだろうか。そうした米国の実像からは分離されたものなのか、それとも、それに追随しているどころか、その下敷きにされているのだろうか。戦後史を見るだけでも、それを無関係とすること自体、非現実であろう。 詳細記事 →