今夜の居酒屋は、珍しい組み合わせのお二人。伯父と姪という、世代違いのやり取り。しかもそこでは、もう一つ世代の違う、祖父母世代を話題にしているというから、三世代間の話。
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「ところで伯父さん、この記事読んだ?」
「『続・言葉って重たい』ってやつかな。」
「そう、伯父さんの親ほどの世代のカップルの引っ越し話。」
「うん、けっこう頑張ってるじいさんばあさんみたいだけど、その世代で、対等の二人暮らしってのは、こりゃけっこう珍しい話だ。」
「その暮らしの舞台は日本じゃないみたいだから、かえって、ありうることかもしれませんよ。」
「それに、そういう団塊世代って、けっこう翔んでる人も多かった。」
「日本が元気だったミッド昭和時代の人たちですね。」
「そうなんだが、我々からすると、うらやましいほどの好き勝手な人たち。」
「いいじゃない、夢があって。」
「まあ、経済の調子のいい時ならそうも言えるんだが、その後の失われた20年だか30年だかでは、そんな現実離れした人たちの話って、付き合い切れないんだよ、我々にはね。」
「でも、この記事では、ジェンダーのことまで言ってて今風ですよ。」
「なんて言うのか、そのじいさんって、皮肉ってみれば、体のいい“ヒモ生活”と見れなくもない。」
「“ヒモ”って、女にみつがせる男のこと?」
「だって、相手の女性に稼がして、自分はのうのうと年金生活だろ。」
「そうかなあ、ただ典型的な古い男女の役割が入れ替わってるだけじゃない。二人が合意の上ならそれでいいんじゃない。私が気になるのは、そこに対等があるかどうかってことだけど。」
「完全にそれぞれの自由意志でそうやってるならいいんだが、そこが問題。」
「その自由意志がありそうでないってのが、この記事のいう『言葉って重たい』っていうアイロニー。」
「だがね、そういう日本語の世界ってのは、重たいどころか、それが日本の文化や伝統の本髄ってことじゃないかな。日本のユニークさや包容力の根源と言ってもいい。そこから見れば、今の乱れた日本語への違和感は当然だね。君らの世代には分からんだろうが。」
「伯父さんの世代って、結局、古いの、それとも新しいの?」
「どっちでもないし、どっちでもある。」
「どっかのセンセイのズルい逃げ口上みたい。でも、その新旧入り混じっているのが現実だし、その中で、結局、どう生きるのかっていう選択の問題でしょ?」
「その混沌の中で、自分を全うして生きようとすれば、逃げ口上だろうが自己選択だろうが問題じゃない。」
「まあ、伯父さんの立場ではそうなるんだろうけど、それって、“老害”っていわれるかもですよ。私たちにしてみれば、もう伝統もあやしいし、新しさも危険だし、だからもう、自分頼みで行くしかない。」
「それで結局、マネー頼みに行きついて、気が付いたらその奴隷だったってことにならないかな。」
「大丈夫。私たちって、もう、けっこう貧乏に鍛えられてるから。」