私の今の立場といえば、もはや現役の一専門職からは退きながらも、いくらかのパートタイム働きにかかわることで、幸いに心身健康な年金生活人であることです。ただ、「人生100年」などとミスリードされる“絵空”年金談義には一線も二線も画さざるをえず、くしくも達したこの境地ならではの精神的自由度を存分に活用したいと望んでいます。また、たとえ興味本位であろうとも、新たな挑戦にはたゆまずひるまず臨みたいところで、なかでも、これまでにも取り組んできた「『し』という通過点」をめぐる「越境問題」は、この場に至ったがゆえの、そしてこの“辺境”ならではの、アプローチ可能な関心事でしょう。

「“KENKYOFUKAI”シリーズ」第3回の今回は、そうした立場や関心から、現代理論物理学の最先端の仮説である「ひも理論」をとりあげ、「KENFUKA」してみようとするものです。

そこでなぜ、私がこの「ひも理論」に傾注するかですが、それは、この理論が人類の目下の最先端の科学的知見であるという“新し物好き”であることと、同理論と私の人生体験からの無形資産とも言うべき「両生論」とが、何やら類似し合っている気配があり、さらに、その最先端知見がもたらす新たな世界観の幕開け、つまりそういうパラダイム変化に、私も是非ともあやかってみたいと望むからです。 詳細記事

 

「象徴」は「日の丸」だけで十分

 

憲法9条と天皇制はセットだと、よく言われてきたその意味を私はしっかり理解してはいなかった。その天皇制とは漠然と天皇制である必要はなく、アメリカ製の象徴天皇初代一人でよかったのだ。初代死亡で日本が天皇制廃止と戦争放棄廃止を同時にやっても、アメリカは文句を言えないはずだ。憲法1~9条が一掃できる。天皇条項と戦争放棄だ。晴れて国民条項が憲法の最初に躍り出る。やっと本物の国民主権である。 詳細記事

【写真投稿 パンナ】

キリギスタン、ソンクル湖畔にて

【撮影者 山本 哲朗】

名前:ナガミヒナゲシ

撮影場所:中仙道沿い

コメント:日本のいわゆる雑草にとっては強力な外来種で、10数年で道端はほとんど席巻されてしまいました。