前回の「日本エソテリック論」;「原爆はなぜ日本だけに落されたか」の結論は、「今後、西洋文明に代わりうる文明」としての東洋文明という指摘でした。そこで、もしそうであるならば、では、世界が東洋化すればそれで済むのか、ということです。つまり、世界規範としての東洋の浮上、ということとなります。

しかし、本稿が述べたいのは、そういう「西洋か東洋か」との二者択一な、これまた還元論的発想の結論としての東洋ということではありません。そういう話なら、それは還元先が西洋から東洋に置き換わっただけのことで、(「中国世界モデル論」のように)いずれ同様なあい路に入り込む、もとの木阿弥となるのでしょう。 詳細記事

もし私が、この部のタイトルである「ネオファシズム」というアメリカにいての命名を、例えば、10年前に読んでいたいたとしたら、多分、それに納得できなかったでしょう。しかし、それを今読むと、まさしく、それがアメリカ社会であることに深くうなずけます。

たとえば、この表現です。 詳細記事

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ネオファシズム 

 

群衆、暴徒、洗脳されていない大衆は家畜とみなされ、飼育係から真実を知ることを許されることは、めったにない。彼らは信じ、草を食み、鳴き、言われたことによって生き、死ぬのです。

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