この一か月少々で、二つのサイトで連載してきました二つの連載記事――「日本エソテリック論」と「人生はメタ旅に向かう」――がなんとか完結を見ましました。

一方、本号が発行される丁度この時、広島ではG7が開催中で、それにウクライナのゼレンスキー大統領が意表をついて合流し、日本のヒロシマの地が、あたかも世界の対立を物語る焦点となっているかのようです。 詳細記事

今回のテーマは「バチカン」。著者のエソテリックな懐疑の視力は、とうとう、この世界の聖域の頂点にまで達しています。しかも、その眼力が見抜いているものは、隠されに隠された、どこまでもどす黒いその裏の裏の世界です。

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バチカン・ナチ 

「イエズス会は軍事組織であり、宗教団体ではない。その長は軍隊の将軍であり、修道院の単なる大院長ではない。そして、この組織の目的は、権力――その最も専制的な行使における権力――絶対的権力、普遍的権力、一人の人間の意志によって世界を支配する権力である。イエズス会は、専制主義の中でも最も絶対的なものであり、同時に、最も大きく、最も巨大な悪用である。」――ナポレオン・ボナパルト

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アメリカン・ナチ 

「国民は常に指導者の意のままになる。それは容易なことである。自分たちが攻撃されていると伝えればいいだけである。平和主義者は愛国心がなく、国を危険にさらしていると非難すればいいのである。どこの国でも同じことだ。」――ヘルマン・ゲーリング、1946年のニュールンベルク裁判での証言

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