Day 170+263(5月25日)
別家族とのシェアー生活が始まりました。シェアーの宿に長滞在している感じで、同居家族との、遠からず、近からずの生活は、ある種の妙味があります。
ことに、もうすぐ5歳になる男の子は、家の中にいる時でも、歩くということはなく、動く時はいつも走り回っています。自分もあんな時代があったのか、もはや記憶の圏内ではありません。
昨日の日曜日は、天気も最高で、シェアー家族4人でサイクリングに行ってきました。坊やはお父さんの自転車に補助座をとりつけて二人乗り。彼は初めての経験で興奮ぎみでした。
我々は、父子を途中の公園に残して、もっと先へと足を延ばしました。しかし、引越しの疲れがまだ残っているのか、どうも快調には走れません。予定を少々縮めて昼食とし、帰ってきました。
新たに始まった“疑似孫”持ち生活のひとこまです。
Day 170+264(5月26日)
どうも私は、無謀なことにいどんでいるのではないか、そんな不安がよぎっています。
というのは、先に書いたように、暮らしの仕方を「ノマドな軽量型」に変えてゆこうとの方向――そしてその準備のための今回の引越し――とは、とかく環境変化に弱くなりがちな老人化しつつある私にとって、移住型生活とは、逆向きの選択ではないのか、との懸念です。つまり、若い頃の移住型生活から、年がいってからは、定住型生活への落ちつきへとの切換えが本来ではないのかと。
果たしてこのこころみは、吉とでるものなのか、それとも凶とでるものなのか。
Day 170+269(5月31日)
おおいに意外であり、自分でも不思議に思いながら受け止めていることがあります。それは、こうしてひとつ屋根の下で幼い子供と共同生活することが、予想外な《恩恵》をもたらしてくれていることです。
というのは、子供を持たなかった私は、この年齢になってはじめて、すくすくと育ちゆく幼い生命と共に生活をし始めているわけです。そうして共同生活していることが、予想では、どこか自分の生活を乱されるマイナス面があるのではないかと構えているところがありました。
それが、実際に体験してみると、たとえばいま、こうして机に向かってブログを書いている私は、その子のあどけない声や動きまわる足音に包囲されています。それがかつての予想では、私の仕事の「邪魔」とは言わないまでも、それなりの我慢を強いられることと信じていました。しかし、なんと、それがそうではないのです。そうした”騒音”が、なぜか、どこかやすらぎ感をともなったひびきとして受止められ、妙に平安に共存していられるのです。
そして、むろん、この先の予断はなりませんが、少なくとも今のところ、こうした想定外の《恩恵》に、このシェアー生活を決断してよかったと、満足させられるものがあるのです。
Day 170+274(6月5日)
こうして始まったシェアー生活について、それを特記してあつかうシリーズをもうけました。別掲の<「二極子育て」外野席 >をご覧ください。
この1ヶ月間のエクササイズ・ログ
05月08日(金) 自・電車通勤 自転車走行 8km
05月09日(土) 同 自転車走行 8km
05月10日(日) 荷造り
05月11日( 月) 荷造り
05月12日(火) 水泳 1500m 37分47秒 75.0kg
05月13日(水) 荷造り
05月14日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
05月15日(金) 同 自転車走行 8km
05月16日(土) 同 自転車走行 5km
05月17日(日) 荷造り
05日18日(月) 引越し
05月19日(火) 荷物整理
05月20日(水) 荷物整理
05月21日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
05月22日(金) 同 自転車走行 8km
05月23日(土) 同 自転車走行 5km
05月24日(日) サイクリング 28km
05月25日(月) 家具整頓
05月26日(火) 片付け
05月27日(水) 片付け
05月28日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
05月29日(金) 同 自転車走行 8km
05月30日(土) 同 自転車走行 8km
05月31日(日) 片付け
06月01日(月) はじり 約7.5km 54分31秒 73.8kg
06月02日(火) 水泳 1200m 31分55秒
06月03日(水) はじり 約7.5km 53分56秒 74.2kg
06月04日(木) 自・電車通勤 自転車走行 8km
06月05日(金) 同 自転車走行 8km
06月06日(土) 同 自転車走行 8km